だいじょばない
「牧さん、ちょっといいっすか」
「……はい」
覚悟していた時が来てしまったと思った。
朝は平和だった。ギリギリに出社したから。
けれども昼休みは避けられない。仕事を理由にして断ろうかとも思ったが、気を揉む時間を増やすのも面倒くさい。
連れられるまま自動販売機横の休憩スペースまで来ると、呼び出した部下の男はくるりと振り返り、オレの横の壁に勢いよく手をついた。
部下に壁ドンされる日がくるとは。
「どういうことですかあぁぁ!?」
「どう、とは……」
「なにしらばっくれてんすか、昨日のライブの話ですよ」
そう、この男は以前、オレに涼のライブチケットを譲ってくれた同僚だ。
若狭幸村、25歳。他の社員からは若様と呼ばれている。
別れた彼女が涼のファンで、推しに全力を注ぎたいからとか言われてフラれ、どんな野郎だと見定めるつもりで漁ったらうっかり自分がハマったという、ちょっと残念な男だ。
「ライブ、ですか」
「Bella Noctisの出てたミュージックフェス! 牧さん用事あって行けないって言ってたのに、なんであっち側にいるんですか!?」
「ええっと……人違いじゃ」
「んなわけねーでしょ、神が作りたもうた最高傑作みたいなこの美しいお顔をどうやって見間違えろっつーんですか俺の目は節穴ですか」
「そんな風に思われてたんですね……」
目が据わってるし顔も近いし、言い逃れできない雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「まぁーきぃーさぁーん?」
ダメだ。これ以上は誤魔化せない。あとそろそろ女性社員の視線が痛い。
「えっ、若様が牧さんに壁ドンしてるんだけど」
「えっ、マジ? どっちが右?」
「壁ドンされてる側なんだから牧さんでしょ」
おい右とか左とかやめろ聞こえてんぞ。
意味がわかる自分も業界に染まってて嫌だけど。
「ちょっと落ち着きましょうか。とりあえず離れてもらえると……」
「逃げないですか?」
「逃げませんから」
早くしてくれ、周りの視線に耐えられない。
オレの雰囲気を察してくれたのか、彼はようやく一歩後ろに下がって腕組みをした。
「オレ、昔バンドマンやってたって言ったと思うんですけど……」
「はい、聞きました。くっそテンション上がりました」
「その頃の、繋がりというか」
「はぁ!? え、綾瀬涼と!?」
「まぁ……そうですね……」
仕事場でこんな居た堪れない気持ちになる日がくるとは。世の中何があるか分からない。
「えっ、じゃあ俺がチケット譲る必要とかなかったやつじゃないですか」
「そこは……ちょっと色々あって、連絡とってなかったんで」
「色々……」
「詮索しないでもらえると」
「あ、すみません。ていうか……え、待って、思考が追いつかないんすけど」
そりゃそうだろうな。これで納得してくれは無理があるとは思う。
「何がどうしてサポートギターやることになったんすか! しかも牧さん滅茶苦茶上手いし!」
「……色々あって」
「その色々が聞きたいんすよぉ!」
近い。すげー近い。距離感バグってんのか最近の若者はって言うくらい詰められてる。
「ちょっと若様ー、抜けがけは禁止だぞー」
面白がって周りが揶揄い始めるくらいには近い。揶揄ってないで助けて欲しい。
「口説いてないっす!!」
「……」
見ているだけの部下たちに縋るような視線を向けてみるけれど、彼らはにっこり笑って頷くだけで、全く助けてはくれなかった。
コミュ障の自分を恨む人望の無さ。
「あ、の……だいぶプライベートなことなんで、話せないんですけど……」
「そう言われると追求できないっす」
潔いな。
「とりあえず、その……最近副業で音楽の世界に戻ったので」
「マジっすか」
「まぁ、はい」
「あ、そっか。綾瀬くんのアカウントで顔出ししてましたもんね。めっちゃバズっててすげーなって」
「ちょっと待て」
思わずタメ口で止めてしまったけど、なんだって?
若狭はキョトンとした顔で首を傾げると、ポケットからスマホを取り出して素早く操作する。
「牧さん知らないんすか? この写真の呟き、すげー拡散されてますよ?」
ずいっと画面を目の前に出されると、そこには昨日のライブ終わり、涼に撮られたツーショット写真が載せられていた。許可は出したというか、出させられたというか。
サポートへの感謝が綴られた下には、とんでもない数字が表示されている。
「……なんっだこれ!?」
「いやー顔面国宝とかその通り過ぎて笑いましたけど、すごいっすね。あ、応援してるんでチケットとかよろしくおなしゃーす!」
「え、ちょ、はぁ!?」
深く問われなかったのはありがたいけれど、別の問題が発生してしまった。しかもあいつ、図々しいこと言い残して颯爽と去って行きやがったな。
先ほど見た画面が衝撃的すぎて、その場にずるずるとしゃがみ込む。なんだ、何が起こっているんだ。
「牧チーフ、大丈夫ですか?」
「大丈夫、です……」
全然大丈夫じゃない。
声をかけてくれた同僚の憐れむような表情が、これは現実なのだと物語っているようで、普段やられない胃がキリキリと痛んだ。
ユキは一応会社での立場が上なので部下が数人います。
女性社員から言い寄られたり、男性からも言い寄られて勝手にキャットファイトが始まるので、その辺を有能な上司に精査され合格したメンバーしか近くにいない。(このご時世にこんな人いるんだーって若狭くんに言われた)(失礼が過ぎる)
一部の女子からはそのうち涼と掛け算され始める。
なんなら若狭くんが壁ドンした後から、若狭くんと話してると何故か複数の視線を感じるようになった。




