ユキとギター
初めて彼を見た時、文字通り見惚れた。
清廉な雪を思わせる、真っ白な、冷たい雰囲気の人。
物静かで、けれど口を開くと穏やかな、甘い声が耳をくすぐる。
美しい、ひと。
その人が、世界で最も美しいと言われるグレッチのホワイトファルコンを抱えている姿は、あまりにもハマり過ぎていて。
思わず声を上げそうになってしまったことを、よく覚えている。
「……見慣れたけど見慣れない」
「は?」
「ユキさんがホワイトファルコン持ってるの、未だに見慣れない」
「はぁ、今更」
「初めて会った時にビックリしたんですよ。こんなにこのギター似合う人に出会ったことねぇわと思って」
今でも思ってるけど。
「……はぁ、どうも」
「そもそもグレッチというチョイス……ユキさんと長い付き合いですけど、そこ選ぶの未だに意外って言うか!」
「音がすげー良かったんで」
「それはわかりますけども。ホワイトファルコンよりブラック選びそうだし」
あまり派手な装飾は好まないと思っていたのだけど、ギターは別なのだろうか。
アクセサリー類を着けることはほぼ無くて、たまに光る片耳のピアスもシンプルなものが多い。
個人的には揺れる系のピアスとか着けて欲しいんですが。違う、また願望がダダ漏れてしまった。
「……なんか、やっぱ綺麗だなと思って」
「そうですよね。面構えがね、ちょっと違いますよね」
「ふは、面構えって」
「やっぱカッコいいなと思いますよ。ホワイトファルコン」
それを掻き鳴らしている彼の姿は、彼の音も相まって倒錯的ですらある。
「……あとは、名前」
「え?」
「白だと、雪っぽくて良いんじゃないかって」
確かに、ユキさんが持つとハヤブサと言うよりも、雪のように思えるけれど。
「誰かに言われたんですか?」
「うん、父親」
「意外なところだった」
俺はまた龍臣さんとか言うんだろうなと予想してました。
なんでもかんでも疑ってかかるのよくないね!
「父親が仕事で東京に来た時に、丁度ギター買おうとしてて、一緒に見るって言い出すから」
「お父さん、可愛い人なんですね」
息子と一緒にギター選びたいお父さんとか、可愛くない? ユキさんが可愛いのは遺伝なのか?
「可愛い、か?」
「だって息子が初めて買うギター、一緒に選びたいってことでしょ?」
「まぁ、ウザいテンションではあったな……」
「あはは、やっぱ可愛いじゃないですか。ユキさんの言い方で溺愛されてるんだなって分かりますよ」
「いやアレはなんていうか……どっちが子供かわからないというか」
「それでホワイトファルコン」
「いくつか試し弾きして、やっぱこれかなって。でもまぁ、それなりに値は張るから悩んでたんだけど」
確かにポンと買えるようなお値段ではないしね。
バイト代を溜めるのも大変だろうし、社会人だとしたって清水の舞台から飛び降りるのは確定だ。俺もギター買う時はめちゃくちゃバイトした。
「オレが持つと、雪みたいでいいんじゃないかって言われて。なんか、愛着湧いたのもあって決めた」
「そういうの、いいですね」
「……ローン組む時震えた話する?」
「良い話が台無しだからやめましょう」
「めちゃくちゃ働いてたのに金が貯まらない恐怖」
「やめてやめて! バンドマンあるあるやめて!」
ユキさんの両肩を掴んで制止すると、彼はとても楽しそうに笑った。
「なんで社会人にもなって父親とギター見に来なきゃいけないんだ……」
「えっ、嫌? 嫌だった!?」
「嫌とかではないけど」
久しぶりに顔を合わせた父は、相変わらずの様子だった。
どこか放っておけないというか、天然というか。
医者なんて職業の上、院長として多くの従業員の上に立っている人間とは思えないほどフワフワしている。
それが父の通常運転だと知っているし、仕事は頼もしいほどできることも分かってはいるのだけれど。
「お父さん、雪仁と久しぶりに会えたから嬉しくて……」
叱られた子犬みたいに肩を落とすのはやめてほしい。いい歳した中年男性が明らかにしょぼくれてるとか、頭を抱える以外あるのか。
「……わかった。わかったから。嫌じゃないから」
「!」
喜びを露わにするのもやめてくれ。父親に尻尾が見える経験とかしたくない。
「ふふふ、雪仁が音楽続けてくれて嬉しいなぁ」
「……姉さんに、医者になるの押し付けたけど」
医者を目指したからと言って、音楽が続けられないわけじゃない。
家は地元では大きい部類の病院だし、小さい頃から母に家を継ぐようにと厳しく言われていた。
途中までなんとなく、医者になるのだろうと自分でも思っていた。いや、ならなければいけないのだと。
長男だから、医者の息子なんだからと、呪いのようにかけられ続けた言葉を、最初に強く否定したのは姉だ。
『あんたは医者になんかならなくていいよ。家は私が継ぐから』
思えばあの頃、母の言葉に雁字搦めになっていたオレを、姉は助けようとしてくれていたのだろう。
ギターに触れることも嫌がる母の顔色を伺って、自由に音楽を楽しめなかったオレを、姉はよく見ていた。
だからこそ、ずっと罪悪感がある。
姉さんは、オレのためにやりたいことを諦めたんじゃないかと。
「違うよ。美雨は医者になりたいって、ちゃんと自分で選んだんだよ」
「……そう、かもだけど」
「雪仁は昔から、物作りが好きだったからなぁ。きっと将来、素敵な曲や物を作るんだろうなーって、僕も美雨も思ってたよ」
優しく笑う父の顔は変わらない。ずっと、変わらず愛してくれているのだと分かる。
何度も母から庇ってくれていた父が、晴れやかな笑顔を向けてくれることで、どれほど安心できたか。
今この時ですら。
思い出して、少し泣きそうな気分になる。
「……今度、制作に関わったゲーム、送る」
「あれ!? バンドの曲じゃ無くて!?」
「それはやだ」
「えぇー」
不満げな声を漏らしながらも、父は嬉しそうに笑ってくれた。
「はぁー、ドキドキするねぇ」
楽器屋に着くなり、父は思い切り深呼吸をして、その場の空気を誰よりも楽しんでいた。
気持ちはわかるが、キラキラと目を輝かせる姿があまりにも幼い子供のようで、そんな父親を隣に連れている息子の気持ちをもう少し汲んで欲しい。
「雪仁はどういうのが好き?」
「音が良くて、手に馴染めばそれで」
「淡白過ぎるよぉ。ここのメーカーがいいとか、この形が好きとか、色はこれがいいとか!」
「親父のお古はフジゲンのレスポールだけど?」
「日本のメーカーも味があっていいよねえ」
買うはずの当人より浮かれてどうするんだと思ったが、大してこだわりがないのも困りものだった。
いくつか目に留まったものや、父の勧めるものを試しに弾いては首を捻るオレに、店員のお姉さんはよく付き合ってくれたものだと思う。
「あ、」
「え、いいのあった?」
その時目に入ったのが、グレッチだった。
相変わらず目を引くボディだなと見ていたら、店員さんが父と一緒に目を輝かせながらこちらを見つめていた。
「え、と……?」
「グレッチいいよね、憧れるよね!」
「いいですよね! 実は今並べてないんですけど、ホワイトファルコンもあります! なんならブラックも!」
興奮したように早口で言い切るお姉さんの圧が凄い。ウチの父親のテンションも相まって凄い。
半ば押し切られるように頷いてしまったけれど、実際に目にするとやはり惹かれるもので。
(やっぱ綺麗だな…)
手に取って好きなコードを鳴らしたら、それだけで音に魅了されてしまった。
「うわ……」
「どう? どう?」
「……音がいい」
「グレッチ尊いですよね、わかります」
それはちょっとよく分からないです。
そんな推しが尊いみたいな言い方されても。値段は全く尊くも可愛くもないし。
適当にコードを鳴らしながら曲を弾いて、感触を確かめる。今まで使っていた物に比べたら、多少の扱い辛さはあるけれど、圧倒的に好みだ。
「………」
「あれ、悩んでる?」
「まぁ、おいそれと決められるもんじゃないから」
「でも気に入ってるよね? え、お金ならお父さん出すよ!」
「社会人の息子に大金を出そうとするな」
「でも美雨と暁ほど学費もかかってないのに。雪仁、成人式もほとんど何もしなかったし、スーツだってリクルートで使い回すとか言って大していい物買わなかったよね?」
「大学4年間東京で暮らす生活費出してるだろ、計算ザルか」
「えぇー!」
この父親はどんだけ子供に甘いんだ。
いや、こんなに財布の紐が緩かった覚えもないのだけど、楽器に関しては違うのかもしれない。
「とにかく、自分のギターは自分で買うから」
「自分で買った方が愛着も湧くもんね……じゃあ弦とお手入れ用品とアンプはプレゼントするね。あ、フジゲンも使ってくれるとお父さん嬉しいな」
「あれはあれでちゃんと使うから……てかなにかしら買おうとしなくていいって。あとアンプは持ってる」
「ちゃんと全部答えてくれるの優しい」
「優しさのハードル低すぎだろ」
「仲良しですねぇ」
めちゃくちゃ微笑ましそうに言われてハッとした。ここで父親と寸劇を繰り広げてどうする。
「……すみません」
「いえいえ、仲が良くて素敵です」
できればスルーしてほしかった。
「どうですか?」
「……弾き辛さはあるけど、あとは慣れですかね」
「お兄さんめちゃくちゃ上手いんで、すぐ慣れますよ」
「うんうん、大っきいボディも魅力の1つだしね」
完全に買う流れになってしまっている。
まだ何も言ってないのに。
「ホワイトの方が、名前に合ってていいかもね」
「え?」
「ほら、白いボディだし、雪仁が持つと雪っぽいじゃない?」
「だいぶこじつけたな」
ホワイトファルコンだっつーんだから、ハヤブサだろと思ったけど、そう言われるとなんとなく愛着も湧いてくるものだ。
「雪、ね」
「あ、ねぇ凄い! 外、雪降ってきたよ!」
「ー……」
「えぇ! 運命じゃないですか!?」
今日は午後から天気は崩れると、お天気お姉さんが言っていた。それがまさか、雪になるなんて。
父と店員さんが一緒になってはしゃいでいる傍らで、窓の外にチラチラと舞う粉雪を呆然と眺める。
現実的に考えれば、運命でもなんでもないし、楽器を持ち帰るには最悪の天候なのに。
少しだけ、熱に浮かされたような高揚があって。
「思い出すなぁ。雪仁が生まれた時も、こんな雪の日だったよ」
「……ははっ、」
思わず、笑ってしまった。
「えぇ、なんでそこで笑うの?」
「いや。やっぱオレ、親父の子供だなと思って」
「えっ、えっ? なに? どういうこと?」
訳が分からないと首を捻る父をよそに、店員さんへと向き直る。
「これ、天気のいい日に取りに来てもいいですか?」
「もちろんです!」
弾んだ声で、じゃあ契約書用意しちゃいますね、と言って彼女は颯爽と奥へ消えていった。
「あーぁ、思い切ったな」
笑いながら父を見上げると、ロマンチストな彼は予想通りこれでもかと瞳を輝かせていて。
「えっ? 雪仁、やっぱり運命感じちゃった?!」
「ははっ」
「感じたんだよねっ? えっ、これ帰ったら美雨と暁に話していい?」
「ダメ」
「ええー!」
興奮する父の後ろで、雪は少し深くなりそうだった。




