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敵わない

「ユキさん、聞いていいですか?」

「なに?」


 情事後の気怠げな雰囲気の中、ユキさんの猫毛を指に絡めながら聞くと、ぼんやりとした顔でこちらを見上げた。


「なんかスポーツとかやってました?」

「急に?」

「いや、驚くほど簡単に押し倒されたんで…俺、筋トレもしてるし体幹には自信あったんですけど」

「あー……格闘技を、ちょっと」

「かくと……え!?」


 今驚きの単語が出てきたんだけど、聞き間違いかな?

なんだって?


「えぇっと?」

「格闘技っつーか護身術」

「護身術……合気道とかですか?」

「クラヴマガ」

「なんですか?」

「イスラエルの実践系格闘術。傭兵とかが使うやつ」

「何故そこに……?」


 そんなコアな格闘技やる人初めて見た。

まだジークンドーとかの方が有名だと思う。


「近くに住んでたお兄さんが教室開いてたから」

「興味を持ったと」

「いや? 母親に通えって言われて」


 モゾモゾと体勢を変えながらクッションを抱え込むようにうつ伏せると、ユキさんの白い背中がブランケットの隙間からチラリと覗く。

なるほど、綺麗に筋肉ついてますもんね。背中綺麗だなーってちょっと見惚れてたわ。


「お母さんから格闘技を……」

「……昔は、なんか……変なおっさんによく遭遇してたから」

「それは変質者とかそういうやつ!」

「………いや、うん……」

「莉子さんから昔聞いたのホントだったんだ」

「何を?」

「ユキさんのちっちゃい頃が美少女すぎてヤバいって」

「あいつ……」


 顔を顰めながらクッションに顎をグリグリと押しつけるユキさんは、少しばかり気まずそうに視線を逸らす。

いや、どんだけ遭遇したんだこの人。母親が格闘技を習わせようとするとかよっぽどのことでしょ。


「待って、今は?」

「は?」

「痴漢にあったりしてないですよね?」

「それなりの背丈のおっさんに手ぇ出してくるやつがいてたまるか」

「だってユキさん自分の顔面自覚してないし! 無防備だし! 妙に色気あるし!」

「ないから。あっても返り討ちにするから」

「頼もしいですけど! 待って異性に言い寄られた時はどうしてたんですか!?」

「えぇ……」


 なんでそこで言い淀むんだ。

まだこの人がいなくなる前には、擦り寄ってくる女性に何度も遭遇したわけで。そういう場面を見続けてきた身としては、俺の見ていなかった五年で何もなかったとは思えない。


「普通に断ってたけど」

「……ほう」

「……なに」

「マジで一回も遊ぶ気はなかったんですね」

「面倒くさい」

「ばっさり」

「……女だろうと男だろうと、拗れるのが一番面倒だろ。そもそもオレは人付き合いが得意じゃない」


 そうだった。

俺とは普通に付き合ってくれるから忘れがちだけど、ユキさんは元々人見知りだし、人付き合いも最低限で済ませたいタイプだ。周りが放っておかないだけで。

流されやすいと思っていたけれど、実際には違うのかも。


「……無防備だなって、思ってたんですけど」


 するりと頬を撫でて覗き込むと、少しムッとしたように頬を膨らませる。

可愛いなおい。


「涼だからだろ」

「うわ、殺し文句」

「……今度から気をつける」

「いやいやそのままでいてください」


 ふいと顔を背けてしまうユキさんの体を抱きしめて、頸と頬に何度もキスをした。

背中を指で辿って肩甲骨にも唇を滑らせると、ピクリと体が震える。


「っ……くすぐったい」

「背中綺麗だなーって」

「んっ、涼っ」


 正中の窪みを何度か指で上下に摩ると、焦ったようにユキさんが手を掴んだ。


「こら」

「もう一回シません?」

「……開き直った人間って怖いな」

「だって、我慢してたんだもん」

「そもそもなんで我慢してたんだよ」


 仰向けに戻ったユキさんの頬にキスをしたら、怪訝な顔で首を傾げる。

なんでと言われても。


「止まんなくなっちゃいそうだから」

「……え……?」

「出会った頃からずっと片想いしてた人にもう一回会えて、それだけでも嬉しくて舞い上がってたのに」

「……」

「恋人になって、このままアナタを抱いたら、我慢できずに抱き潰しちゃいそうだなって……」


 覆い被さったままじっと見つめると、ユキさんは手の甲で口元を押さえながら眉根を寄せて視線を逸らした。


「……照れてます?」

「うるさい」

「え、かわい」

「やめろ」

「可愛すぎますって」


 口元を隠す手を取って、唇を奪う。

少しカサついたそこを舐めとって、空いた歯列をこじ開け上顎をなぞった。


「ふ……ぁ……」

「はっ……」

「りょ、ぅ……」


 深く、貪るようなキスを繰り返して、お互いに息が上がり始める。

堪らない。この人に、こんな風に触れられる日が来るなんて。


「ん……涼……」

「はい」

「もっと」

「ズ、ルい人だなぁ!」


 そんな可愛いおねだりをされてしまったら、止まらなくなるでしょうが。

俺の頬に触れるユキさんの指を絡め取って、誘われるままもう一度唇を合わせた。









「え、今もやってるんですか?」

「動いとかないと、体鈍るし」


 翌朝、ユキさんの淹れた珈琲を飲みながらなんとなく昨夜の話を続けたら、クラヴマガとやらにはまだ通っているらしい。

軽い運動のためなのだとか。


「基本デスクワークだから、運動不足なんだよ」

「ギタリストの大切な指は大事にしてほしいですけど?」

「……そういえば、指やったことはないな」

「他はあるんですか!」

「足にヒビ入ったことならある」

「怖い!」


 マグカップを置きながら身震いすると、ユキさんは何ともないような顔で珈琲を啜った。

もう特に物騒なこともないなら、やらなくても良くない?


「俺と一緒に走りに行きましょうよ」

「えー」

「ジムで筋トレでもいいし!」

「フィットネス系は苦手」

「いや筋トレするでしょ格闘技も!」

「するけど……資格もってるし勿体ないかなって」

「なんて?」


昨日からっていうか再会してから、この人俺を驚かせることばっかり言うな?

資格とは?


「インストラクターの資格」

「アンタは一体何を目指してるんですか?」

「意外と面白いのに」

「普通に格闘技好きだったー……」

「教えようか?」


 今度は俺が勧誘されてしまった。

ユキさんから手取り足取り教えてもらえるのはちょっといいな、とか思ってしまった俺、反省して。チョロすぎるから。


「うぬん……」

「護身術、できて損はないし」

「そぉーですけどぉー」

「ふは、決まり?」

「ホントそゆとこズルいんだよなぁ」


 そんな可愛く笑って言われたら頷くしかないでしょ。

ちょっとだけ温くなった珈琲を啜りながら、頭を抱える。


 きっと一生、色んな意味でこの人には敵わないんだと再確認した朝だった。



cigaretteの間の話、みたいな。

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