6年前ー邂逅ー
あの夏の夜、彼のギターに惚れ込んでから、俺はそのバンドが出演するライブには必ず足を運ぶようになっていた。
バンド名は『Jill』わかりやすくファンの数は多かったと思う。ボーカルの莉子さんは可愛らしい見た目からは想像もできないパワフルな歌声で煽りも上手くて、盛り上がり方も他と一線を画していた。
オリジナル曲の多くは、ユキさんが手がけていた。
ギターのテクニックも凄いのに作曲の才能まであるのか、と更に彼への興味が湧くのは仕方ない事だったと思う。
「ヤバいー! ユキがカッコ良すぎて死ぬ!」
「わかる! でも私、穂澄派!」
「穂澄はガチ恋勢多いじゃん!」
「それなー」
女性人気はユキさんと、ベースの穂澄さんで分かりやすく二分されていた。個人的にはドラムの朔夜さんこそガチ恋勢が多いと思う。
穂澄さんはバンドのまとめ役で人当たりも良くて、仲間内からも評判は良かった。
ユキさんは圧倒的に顔が良い。物静かで口数も少ないけど、独特な寂寥感や色気があって、別の意味で人を魅了する。それは男女問わずだ。
「あれー? 涼くん?」
ライブ終わり、自分の荷物を抱えて帰ろうとしていたところに声をかけられた。
「あ、穂澄さん。お疲れ様です」
今のタイミングで声をかけられると、俺が目立つんです穂澄さん、と心の中でツッコミつつ、覚えていてくれたことは素直に嬉しい。
案の定周りの女性ファンから、"あの子誰?"とか"高校生?"とか声が聞こえてくる。
「見に来てたんだ。なんだー、声掛けてくれれば良かったのに」
「いや俺、穂澄さんの連絡先知らないですし……」
「そっか。え、今日は? 誰か知り合い出てたん?」
「ジルが見たくて」
「えっ、すげー嬉しいこと言ってくれるじゃん。一緒に打ち上げ行く?」
「ええっ!?」
さすがにそれはマズイんじゃないかな。
俺が針の筵になる。いや、ならないかもしれないけど余計な注目を浴びる。
「こら穂澄、青少年保護法」
後ろから出てきた人影が、穂澄さんの肩にポンと手を置いた。
ユキさんだ。そう言えばマイクを通さず声を聞いたのはこれが二度目だけれど、やはりいい声だなと思う。
「え、涼くんって高校生?」
「そ、ですね。高2です」
「マジか、ギター始めたのいくつ?」
「穂澄」
釘を刺すように穂澄さんを呼ぶユキさんは、ため息をついた後、俺の方へ苦笑をこぼして小さく会釈をした。
「あー、そうか22時近いのか。残念」
「すみません、また今度声かけてください」
「じゃあ連絡先交換しよう」
「高校生をナンパすんなよ」
「今後のためじゃん」
呆れるユキさんを横目に、穂澄さんはいそいそと携帯を取り出した。
「あはは、俺は嬉しいんで是非」
連絡先の交換をしている間にも、ユキさんはファンから声をかけられていた。差し入れやら手紙やら。対応するのは苦手そうだけど、意外にも丁寧にお礼を言って受け取るものだから、ファンの数は増す一方だ。
「ユキさん凄いっすね……」
「人見知りのくせによく頑張ってるよ。まぁでもプレゼントはどう処理したらいいかわからないって言ってたな」
「貢ぎ合戦になっても困りますしね」
「そうなんだよなぁ」
同時にユキさんの方を向くと、あたふたしている様子に見合わせて笑った。
何度か対バンしたり食事に誘ってもらったりして、俺は徐々にユキさんとも仲を深めていった。やはりギタリスト同士というのも大きかったと思う。
「ここの指回し上手くいかないんですよね」
「あー、コード的に進行し辛いから……」
食事しながら譜面を見せて相談したり、曲作りの勉強をさせてもらったり。
「ギターボーカルやりながらメロまでカバーしようとするから大変なのでは?」
「ですよねー。それは俺も思ってます」
「まぁでも、それならここもうちょっと簡略化すれば」
「あー! そっか、ありがとうございます」
音楽の話は純粋に楽しくて、この人のあまり表に出ない感情が全て音に詰められているのだと思うと、それも一際俺の心を揺らした。
「あーあー! 結局涼くん、ユキに1番懐いたな」
「仕方ない仕方ない、ギタリスト同士だ諦めろ穂澄!」
隣で嘆く穂澄さんの肩を、莉子さんがバシバシと叩いていた。いや力強いな。
「俺だって可愛い後輩が欲しい」
「俺、穂澄さんも好きですよ?」
「いい子だ! この子いい子!」
「絡み酒やめろ」
ユキさんはやはり呆れた顔で穂澄さんを嗜める。テンポが良い。
穂澄さんはステージの上だとカッコいいのに、普段はどちらかというと面白い人という印象だ。でもさりげない気遣いがそこかしこに見えて、爆モテしそうな気配しかない。
「あれ、3年生になったんだっけ?」
「そーです、受験生です」
「うわっ、受験とか遠い昔だわ。頑張れ青少年」
「来月模試なんですよね」
「やめて青春が襲ってくる」
「お前情緒どうした?」
酔っている穂澄さんにツッコミを入れるのはユキさんで、やっぱりテンポがいいなぁと思う。
「メンバー仲良いですよね」
「俺とユキと莉子は10年近い付き合いだからね」
「朔夜さんは違うんすか」
「あー……」
若干答えにくそうに穂澄さんが濁したタイミングで、誰かの着信音が鳴り響いた。
「……ごめん」
鳴ったのはユキさんのスマホだったようで、画面を見たまま難しい顔で立ち上がる。
「あいつか?」
「……大丈夫」
「ユキ、お前いい加減突き放せよ」
「ん……」
穂澄さんとのやりとりの意味はわからなかったけれど、ユキさんはそのまま外に出て行ってしまった。
「はぁー……」
「あんたさ、そんな心配しても仕方ないでしょ」
「そーは言ってもだな」
「苦労性だなー。ユキだって自分でわかってるよ。でも多分、でかいきっかけでもないと私は無理だと思う」
莉子さんと穂澄さんの会話は聞いてはいけないもののような気がして、皿に乗っていた唐揚げにもそりと齧り付く。
「おら、そーゆー話は高校生に聞かせるもんじゃない」
別のテーブルに行っていた朔夜さんが戻ってくるなり、2人を嗜めるように声をかけた。
2人ともハッとしたように姿勢を正すと、俺を気遣うように顔の前で手を合わせる。
「ごめん、気にしないで」
「あ、はい」
正直気にはなったけれど、踏み込めるような雰囲気ではないこともわかっているので、戻ってきた朔夜さんに会釈をして再び食べかけの唐揚げを口に運んだ。
「ごめんね涼くん」
幾つかのバンドの交流会は、いつも穂澄さんが率先して他と話をしているところを見るけれど、そういえば今日は珍しくずっと自分のバンドメンバーといたな、と首を傾げる。
「いえ……朔夜さん、外回りしてんの珍しいですね」
「今日はね。涼くんのとこは他に誰もきてないの?」
「今日は俺以外、都合が合わなくて」
「そっか、まぁ今日は来なくて正解だったかも……」
「?」
「ごめん、なんでもない。こっちの話」
小さく両手を振りながら誤魔化す仕草がちょっとだけ可愛らしい。朔夜さんは見るからにドラマーなのに、どこかドラマーらしからぬ感じがするのが不思議だ。
「ユキ、戻ってこなくね?」
「長引いてんのかもね」
「タバコも持ってったみたいだし、一服したら帰ってくるんじゃない?」
ユキさんが席を立ってから15分以上が経っただろうか、流石に戻ってこないことにソワソワし始めた穂澄さんが一言発した。
電話の相手とどのくらい長引くかにもよるだろうけど、3人の様子を見ると、やはり心配な相手なのだろう。
「俺、トイレ行ってくるついでに外見てきますよ」
「えっ、いやいや大丈夫だよ!」
莉子さんが慌てて遠慮するけれど、俺も気になっていたからにこりと笑って席を立った。
座敷を出て靴を履くと、一直線に店の外へと向かう。ドアを開けると初夏の少し湿った風が体に纏わりついて、あの夏の夜からもうすぐ一年が経つのかと感慨深い気持ちになった。
ふと、甘い香りが鼻をくすぐる。フレーバーの違いだろうか、ベリーみたいな甘ったるい煙草の匂いだ。
「ねーお願いユキ! うちのバンドのサポート入ってよぉ」
直ぐそばに設けられた喫煙所で、甲高い猫撫で声が聞こえる。
ああ、穂澄さんがユキさんの側にずっといたのはこれか、と納得してしまった。
「何度も言うけど、サポートはどこも断ってる」
「でもユキのギターがいいの。ユキのギターで歌いたいの、お願い、ね? 1回だけでも」
胸を押しつけるように腕に擦り寄る女を見て、今時こんな人間生息してたんだ、と冷めた目をしてしまう。明らかに1人になったところを狙いました感が凄い。ギターだけが目的じゃない感も凄い。
「無理」
「莉子なんかより私の方がずっとユキの曲に合うと思う!」
うわ、すげー自信だな。
入っていけないまま聞いちゃってるけどこれ大丈夫なのだろうか。
「は?」
明らかに低くなったユキさんの声にゾクリとした。
それは相手も同じだったようで、少し怯んだ表情をするが、彼女は愚かにもそのまま続ける。
「だってそうでしょ!? 莉子より私の方がいい声だし、もっと色気だって出せるし、ユキの曲をもっとよくできる!」
空気読めなさすぎないかこの女。あまりのことに開いた口が塞がらないまま、ユキさんの様子をもう一度覗き見る。
ユキさんは纏わりついている腕をパシリと振り払って、恐ろしく冷たい瞳でその人を見下ろしていた。
「黙って聞いてりゃ」
「えっ」
「うちのボーカル馬鹿にしてんじゃねえよ」
「ユ、ユキ……?」
「莉子はジルにとって最高のボーカルだし、オレはあいつを気に入って曲を書いてる。莉子にしかないもんがあんだよ。自分を上げるために他人を下げようとするそのくだらねえ人間性を見つめ直すとこからやり直せ」
「なっ、な……」
キレたユキさんが信じられないくらい饒舌に話すものだから、意外すぎて俺ですら固まってしまった。
美人は怒ると怖いってホントだったんだ。いや怒った顔が美しいから怖いのか?
違う、そうじゃないと心の中でツッコミを入れ、慌てて修羅場になりそうな空気に割って入る。
「お話中すみません。ユキさん戻ってこないんで、探しにきちゃいました」
コンコン、とスチール部分を叩いて声をかけると、言い寄っていた女は明らかに悔しそうな顔をして店の中へ戻って行ってしまった。
いいのかそんな負け犬みたいな逃げ方で。
「……すみません、余計でした?」
「いや。悪いな、変なとこ見せて」
「いえいえ、ユキさん怒らせるとかすげーなって思って見てたんで」
「……どっから?」
チラリとこちらを流し見ながら、何本目かの煙草に火をつける仕草があまりにもカッコよくて、思わず胸をぎゅっと押さえてしまった。
「涼?」
「えーっと、ねえお願ーいってユキさんに胸押し付けた辺りからです」
「ははっ、似てねえ」
「大変ですね。なんか」
ユキさんの隣に並んで壁に背を預ける。
(あ、身長同じくらいなんだ)
同じ背丈で何故こうもこの人の仕草は様になるのか、じっと見てしまう。
「……涼、離れろ」
「えっ」
「違う、副流煙」
「そ、ゆーとこですよユキさん」
「なに」
惚れてまうやろ! てそりゃなりますよ。という言葉をグッと飲み込んで、ズリズリと端の方へ体を動かした。
「罪な人だなぁ」
「はっ、どこが」
「無意識に優しいとこがですよ」
「……優しい、ね」
乾いた笑いを浮かべる彼がその時、一体何を思っていたのかはわからない。でもその横顔がどこか寂しそうで、苦しそうにも見えて、触れたいという衝動が湧き上がる。
「っ……」
待て。なんだ触れたいって。
俺はこの人を尊敬していて、この人の音楽に惚れ込んだわけで。そりゃ当たり前にカッコいいとか綺麗だなとかは思うけれど、そんな欲に塗れた感情は持ってないはずだ。
「戻るか」
ジュ、と煙草の火を消した音にハッとする。
「あ、そ、ですね。穂澄さんたち、心配してましたし」
「あー……」
出てくる時の穂澄さんを思い出したのか、多少面倒そうな顔をするユキさんと連れ立って店の中へ戻ろうとした時。
「ユキ」
背後から伸びてきた手がユキさんの腕を掴んだ。
振り向けばそこには、どこか見覚えのある長身の若い男が立っていて。
「……龍臣」
その人からは、甘い煙草の香りがした。
この夜、俺は自分の中にあった苛烈な感情を知ることになる。