あなたの笑顔
「……その後は、引っ越して、仕事辞めて、穂澄にバンド周りのこと頼んで、携帯解約して、音楽も辞めた。龍臣とも会ってない。2度と、会わないって決めてたから」
伏せ目がちな瞳が一度瞬きをして、数秒置いてこちらを向く。ユキさんがこの5年、どんな思いで過ごしていたかなんて俺にはわからない。
わからないけど。
「涼」
「すみませっ……」
「ごめん。こんな話」
ブンブンと首を横に振って、袖で目元を拭った。この人に音楽を辞めさせるほどの影響力を、あの男が持っていたことに強烈に嫉妬しながら、けれどそれがどれほど苦しかったのか想像したらもうダメだった。
あの人だって本当は、ユキさんの音楽を愛していただろうに。
「聞いて、いいですか」
「ん?」
「その……左足の、タトゥー」
気になってはいた。
いつも細い足首は隠れていて、あの時に少しだけ見えた刺青がどんな形をしているのか、今日まで知ることはできなかったから。
「あぁ、これ……消そうと思ったけど、怖くて」
サリ、と指で軽く足首を摩って、ユキさんはそこへ視線を向けた。
1匹の龍で描かれたウロボロスが何を意味するのかなんて簡単にわかる。
「そりゃ、怖いですよね」
きっと、それを消すのは俺だって怖い。
「これを消したら、今度こそあいつがいなくなるんじゃないかって……そんな、馬鹿みたいな恐怖がずっとあって」
「あの人は、どうしてそんなにユキさんに固執してたんですか」
「……あいつの過去が関係してるから、詳しくは言えない。けど、死にかけてた龍臣を見つけて、オレが助けた。まぁ、助けたのは親父だけど」
「……それ、は」
「龍臣にとって生きることは地獄で、その時死にたがってたあいつを助けたオレは……ずっと、恨まれてると思ってた。でももう、よく、わからない。なんでも分かったつもりで、結局何も……」
そんなわけない。あの男が、ユキさんをどれだけ慈しんでいたか知っている。
俺にだってそのくらいはわかる。そのくらい、優しい顔でこの人を見ていた。愛していた。
誰よりも大切だと、その瞳が言っていた。
「バカなんですか。そんなこと、あるわけないでしょ」
「……」
「俺はずっとユキさんを見てたからわかります。あの人がどんな気持ちでアンタを見つめてたか、めちゃくちゃ、わかります……少なくとも恨んでるなんてことあり得ない。いや、複雑なことはよくわかんないですけど」
「涼……」
「そんなアンクレットみたいなモノ、アンタの体に刻んどいて、恨んでるなんて言わせませんよ」
「……」
「いやどんな理由であれ盗作に関しては絶対許さないですけど! てかなんで俺があの人のフォローしなきゃいけないんですか、恋敵ですよ!?」
いや、だってユキさんが苦しい思い抱えるのは嫌だし。でもなんか龍臣さんのフォローしてるみたいになってるのは癪。
「ふっ……ふふ、ふ、ははっ……」
「いやそこ笑うとこじゃないんですが?」
「ははっ、ふ……っ……あー、ホント」
「ええー……」
「ありがと」
何に対してのお礼なのかよく分からないまま首を捻ったら、ユキさんはまた小さく笑って俺の頭を撫でた。
「……龍臣に、会ってこようと思う」
「え!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまったけど、さっきの話の流れから、なんとなくユキさんの考えていることが理解できてしまった。
「だから、少し待って欲しい」
「ここまで来て?!」
まだ焦らします?
いいよ? 待つのは得意だよ? なんせ5年も待ちましたからね?
「ごめん」
「いや急にプロポーズした俺も悪いですけど!」
「まぁ、ちょっと、個人的には予定が狂った」
「やっぱりかぁー」
そんな気はした。しました。
多分ね、ユキさんとしてはきっと俺にあの時のことを、ちゃんと話してくれるだけのつもりだったんだよね?
まさかプロポーズされるなんて思ってなかったでしょうよ、そりゃね。しくったな!
「……わかりました。待つのは慣れてるんでもうこの際いくらでも待ちますけど」
「ごめん」
「まだあの人のためにそこまでするんだなって、ちょっとムカついてはいます」
「あいつのためじゃないけど……」
「アンタがまだあの人のこと引きずってんのも気に入らないんですよ!」
「すいません」
「ぜっっっっったい俺しか見えないようにさせますから!」
「ふっ、ははっ……も、今日で一生分っ、笑ってるん、だけど」
「いや笑うとこじゃな……て何言ってんですか。これから先もっと、バカみたいに一緒に笑って過ごすんですよ?」
このくらいで満足してもらっちゃ困ります、とユキさんの目尻を指で拭ったら、パチパチと瞬きをしたあと、はにかむように微笑んでくれた。
(こんな笑い方も、できる人だったんだ)
初めて見る表情ばかりで、もうずっと心臓がうるさい。
「すごい殺し文句だな」
「え、今のどの辺が?」
「わかってないならいい」
「ええー」
むぅと口を尖らせたら、ユキさんは笑ったまま俺の肩口へこつりと頭を預けた。
「あんま、行かせたくないんですけど」
「うん」
「心配だし」
「うん」
「でも、ユキさんにとって必要なことだってわかるから……すげー嫌ですけど見送ります」
「うん」
「……あぁもう! 絶対戻ってきてくださいよ!? 行く時は連絡して、お願いだから!」
「……うん」
「わかってますかホントに?」
ぎゅっと抱きしめたら、ユキさんは腕の中でまた小さく笑って頷いてくれた。




