どうか、この夜を
龍臣とは結局、その後もズルズルと関係を続けた。
表面上別れただけで、セックスはする。
ただのセフレのようで、その実、お互いの執着心は変わっていなかった。
莉子の一件については、本人が許すとは言ったものの穂澄が納得せず、今までのこともあって龍臣はバンドを抜ける事になった。
それならばオレの責任もあるだろうと抜けることを伝えたら、それには首を振ってもらえなかった。
「お前ら一緒に抜けたら前と同じだろ。ユキはこのまま残れ。つーかバンドの責任取れ」
手厳しい一言が返ってきたけれど、それが穂澄の優しさだとわかっていた。
龍臣はその後、プロメテウスに引き抜かれていった。ボーカルの朝緋に勧誘されたらしい。オレたちはサポートで繋いで、社会人になって少しした頃、朔夜をメンバーに迎えた。
「言っておきたいことがあるんだけど」
「え、なに、なんかあった?」
メンバーとして正式に入る時、朔夜が神妙な顔で言い出すものだから、全員が少しだけ緊張した。
「実は俺……いえ、アタシ、ゲイなの」
丁寧に一人称を変えて発した一言に、一瞬の間の後、全員同時に胸を撫で下ろす。
「なんだそういう……すげー真剣な顔するから何かと思ったわ!」
「はードキドキしたー! 一言物申すとか言われたらどーしよーかと思ったぁ!」
「え、そういう反応なの?」
「人のセクシュアリティなんて様々だろ」
自分もマジョリティとは言い難い感性をしているし、穂澄も莉子も人の性にどうこう言うような人間でもなかったから、朔夜としては少し拍子抜けしたようだった。
そうして順調に互いのバンド活動を続けていた頃、プロメテウスがメジャーデビューを果たした。
ボーカルの朝緋は圧倒的な歌唱力と表現が頭一つ抜けていて、ライブハウスで一緒になった時にもその歌に聴き入ってしまうことが多かったから、確実に売れる予感しか無かった。
オレたちにもいくつか声をかけてくれる人はいたけれど、龍臣がプロになった時、同じ世界に飛び込むことにはどうしても躊躇いが出た。
「ユキがその気にならないなら、私たちはデビューしない」
「本当に……いいのか」
「仕方ないでしょ。どうしても音楽で食べていきたいメンバーがいるなら話し合うけど、みんなどーしてもじゃないんだもん」
メンバーは意外にあっけらかんとしていた。
音楽ができるならどこでも同じだと笑いながら。
そんなある夏の日の夜、他バンドのリハを聴いていたら、耳に心地良い音が響いた。その勢いのまま上を向いたら、それが涼だった。涼の歌声に、惹かれた。
「……良い声だな」
「お、珍しい、ユキが」
「曲も。夏らしい感じのアップテンポで」
「あらまぁ珍しい」
穂澄が面倒臭い返しをしてくるけど、結局彼もそのギターボーカルに惹き込まれていっていた。
不思議な感覚だった。誰も彼もを巻き込んでダンスを踊らせるのかと思えば、好きに聞いて好きに過ごせ、と言われているような気もする。好きにしていても、寄り添ってくれそうな歌声。
紹介を見て、高校生のバンドなのだと知った。
(レベル高いな、高校生でこれか)
すぐに、興味が湧いた。
中音から高音にかけて綺麗に延びる声は、バラードもよく合うだろうなと思ったら、指が小さく動いていた。
「なんか、いいことあった?」
相も変わらず、龍臣はオレの部屋を何度も訪れていた。変わったことと言えば、バンドが成功してからは業界人と寝るようになったくらいだろうか。
「別に。お前は最近派手にやってんな」
「あー、ワイドショーかなんか?」
「今度はアイドルか」
「なーに、嫉妬?」
「別れた男に嫉妬はしない」
……嘘だ。
自分から捨てておいて、未だこの男を独占したいと思っている。それを、見抜かれている。
「別れた、ね……完全に切れないくせに」
鼻で笑って、顎を引かれた。
あぁ、流されると思って目を伏せれば、触れる直前で龍臣がまた笑う。
「嘘ばっかだな、雪仁」
キスの合間、龍臣はオレの左足首を指で辿るようになった。足枷のように、鎖のように、お互いの歪な愛情が絡み合って、窒息しそうなほど苦しい。
「龍臣、もう、ここには来るな」
「そう言われて、俺が素直に聞くと思ってんの?」
「もう……」
「苦しい?」
「……」
何も言えずに黙ってしまったオレを、龍臣は抱きしめる。息苦しいのに、この男の腕の中は、幸福で。
「俺と苦しんでくれ、ユキ」
そう言いながら、酷く優しくオレを抱いた。
涼は、あの夜聴いた曲そのままの人柄だった。夏の空のように爽やかで明るく、人への気遣いを忘れない。
真っ直ぐに尊敬の眼差しを向けられるのは、悪い気はしなかった。
自分でも珍しく、内側に入れていたと思う。
その眩しいほど人を惹きつける強さが、心地よかった。
“ユキさん”と呼ぶ声が丸く耳に響いて、音が弾む。その音を、奏でてみたいと思わせた。
だから、涼を龍臣に会わせたくなかった。
「ユキさん、そのタトゥーって……」
ギクリとした。澄んだ夜空を思わせる真っ直ぐな瞳に全てを見抜かれるような気持ちがして、適当な答えで逃げるように出てきてしまった。
「ゆーき、飲み過ぎじゃね? 顔色悪いぞー」
「お前、あの子に何言った」
「気になる?」
肩を抱いて耳元で囁く龍臣を睨むと、可笑しそうに笑う。
「お前が嫌がる事はなにもしてねーし言ってねーよ。そう怖い顔すんな」
「……さっきも言った。あの子を振り回すような事はするな」
「ははっ、ホントに気に入ってんだ? まぁ、流石に高校生のガキとどうこうはねえか」
「当たり前だ」
あの涼やかな音を、こんな自分の所為で濁らせたくなかった。
救われて、いたから。
この男と手を繋いだまま、暗い部屋からどこにも行けないオレを、涼の声が少しだけ救ってくれていたから。
龍臣は、それに気づいていた。
「なんか、いつもと違うな」
「え?」
「曲の、感じ?」
「そう、か……?」
片耳のイヤホンを取って自分の耳にはめたかと思えば、編集中の曲を聴いてそう言った。
心臓の音が、一瞬跳ねる。
「いつ?」
「なにが?」
「いつのライブ用?」
「まだ、決めてない……キーも変えたいし」
「あー、莉子の声にはちょっと低いもんな。お前が歌うならいいだろうけど」
「……歌わない」
「勿体ねえなぁ。ユキの高音、すげー好きなんだけど」
イヤホンのとれた片耳へ囁くように唇を寄せると、耳たぶを食んで、舌が耳殻をなぞる。
わざと音を立てて執拗に繰り返される愛撫に、ゾクリと肩が震えた。
「っも、やめろっ……」
「えー」
「たつ、おみ……ンっ……」
「……なぁユキ」
深く抱きしめられて、龍臣の顔が見えない。
吐息は熱いのに、触れた手は冷たくて。
「ごめんな」
「な、に……?」
龍臣の考えていることがわからない。
わからなくて、それが寂しくて、背中に腕を回して力を込めた。
「ごめん」
最後まで、その意味はわからなかった。
それからだと思う。龍臣の来る頻度が明らかに減ったのは。
急なことに戸惑ったけれど、あいつなりに折り合いをつけようとしているのだと思っていた。お互いに、区切りをつけるべきなのだと。
でも、あの事件が起きた。
「ユキ! ちょっとこれ聴け!」
ライブ終わり、穂澄が慌てた様子で誰かのPCとイヤホンをオレに差し出した。よく分からず、言われたままそれを耳に当てる。
バツン、と六弦が切れるような衝撃があって。
メンバーも、誰の声も、何も聞こえない。
何も考えられなくなって、訳もわからないまま、気がつけば龍臣のマンションの前まで来ていた。
「ユキ?」
振り向いた先には、龍臣がいた。
「タイミングがいいんだか、悪いんだか……」
乾いた笑いが出る。
悲しいとか、虚しいとか、そんなものよりも、どうして、が先だった。どうして、こんなことをしでかしたのか。どうしてあの曲なのか。
「……なんで?」
「……とにかく、入れ」
数えるほどしか立ち入ったことのない龍臣の部屋は、相も変わらず殺風景で。
あの何もない安アパートの部屋を、少し思い出す。
「……なぁ、なんで」
この期に及んで、怒りすらも湧いてこない。
「あの曲は、ダメだ」
「意味がわからない。ちゃんと話せ」
「お前が……お前がメンバーとか、些細な出来事とか、そんなもんからインスピレーションを受けるのはいい。それはまだ許せる。だけどあれは、あの曲は違うだろ」
「……」
「あれはあのガキから得たもんで作った曲だろ!」
「それは……」
龍臣の言う通りだ。あれは、涼のイメージを形にしたような曲だった。カーテンの隙間から差し込む優しい光のような、それでいて夏の突き抜ける空のような。
涼から感じる色が音になって、ただ無心で書き上げた曲だ。
だから、あの時。
「分かってて、聞いたんだな」
いつもと、違うと。
「分かってたよ。お前が、あいつを気に入ってることも。可愛がってんのも。どっかで、あいつに救われてんのも」
「……龍臣」
「だから奪った。あいつだけは、ダメだ」
龍臣は唇を噛み締めながら、オレの両腕を掴んだ。少しだけ痛みが走ったけれど、そんなことはどうでも良かった。
「ユキ……なぁユキ、頼むから、側にいてくれ」
抱き締める腕は、震えている。
「……側に……いたか……った」
「ここにいればいいだろ! なんで……なんであのガキなんだよ!」
「違う! オレはっ」
今更、何を言えばいいのか分からない。
側にいたかった。ズルズルと何年も離れられずにいた。この男の最愛でありたくて。
オレが涼に光を感じたように、この男にとってのそういうモノになりたかった。
そう、なりたかったのに。
「オレは……」
そんなものには、なれない。
「龍臣……オレを、どうしたい?」
引き攣る喉を必死に耐えた。声が掠れて、上手く言葉が出ない。
「…………壊したい」
「……」
あぁ、やはりそうなのかと思った。
龍臣はずっと、それを恐れていたから。
「お前を大切にしたい。守りたい。大事にして、甘やかしてっ……だけど同じくらい、全部、壊したいっ」
「……うん」
「お前の周りの人間も、音楽も全部っ……! 憎くて、腹が立って、なのに!」
「……」
「そういうユキを、愛してる」
ズルズルと膝をついて、床に座り込む。
左足には、変わらず龍臣に刻まれた印があって。自らの指で辿って、それに爪を立てた。
「ユキ、」
あの頃確かに幸せだと思っていたのは、自分だけだったのかも知れない。
龍臣は優しく包み込むようにオレの指を取ると、爪先についた血を舐めとった。
「どう、すれば、よかった……?」
刺青なんて刻まなければよかった?
それとも、龍臣とバンドを組まなければ、音楽をやらなければ、龍臣を受け入れなければ、愛さなければ……。
あの日、龍臣を見つけなければ。
こんなに、この男を苦しめることもなかったのに。
それでも諦めきれなかった。
ただ隣で生きていて欲しくて。ただ、2人で馬鹿みたいに笑い合っていたくて。
「一緒に、死んでくれ。雪仁」
暗くて狭い部屋に、それでも2人寄り添っているのだと思っていた。そう思っていたのはオレだけで、龍臣はまだ1人、あの雪の中にいるのだと気づいて、無力感に襲われる。
「……いいよ」
「っ……」
龍臣は息を呑んで体を離すと、酷く驚いた顔でこちらを見つめた。
「それでお前が幸せだって言うなら、いいよ」
だって、仕方ないだろ。
どれだけ側にいても、愛していても、どれだけ奪っても、オレとお前が満たされることはないんだから。
「……っ」
彼の両頬を包んでそっと触れるような口付けをしたら、色素の薄い瞳がキラキラと水膜を張って、溢れた。
(あぁ、綺麗だな)
流れるそれを親指の腹で拭うと、龍臣の両手が首にかけられる。
人よりも大きな手が、思ったより美しい音を生み出す瞬間が好きだった。
頬を撫でて、甘えるように腕を引くのが好きだった。
気遣いながら、優しく愛撫をするのが好きだった。
思い出すたびに、呼吸が苦しくなっていく。
「雪仁っ、」
あぁ、ダメだと思った。
ボロボロと泣き続ける龍臣は、一つも幸せそうには見えなくて。
置き去りにされて泣いている子供のようで。
無意識に、その体を突き飛ばした。
「ゲホッ……ゴホッ、ゴホッ……はっ、ぁ……っ」
「ユキ……なんで」
オレはまた、龍臣を苦しめるのかもしれない。それでも。
「ごめん……龍臣っ」
それでもやっぱり……
「お前に、生きてほしい」
だから今度こそ、手を離すよ。
やっとそうする覚悟ができたから。
きっとお前はオレと一緒に死んでも、生きても、泣いているだろうから。
「ユキっ」
「お前をあの日助けたことを、オレは後悔してない。お前を愛して、愛されたことだって……だから、もういいと思ったけど……っ」
「ならもう!」
「それでも! お前にとってこの世界が地獄みたいでも……ただ、生きていてほしい」
死ではない救いがそこにあってほしい。
それが、オレの願いだから。
「ごめん、龍臣。だからもう、2度と会わない」
「ーー……」
さよならと小さく告げて、一方的にその場を去った。
玄関を出てからも龍臣が追いかけてくる気配はなくて、エレベーターの中で長いため息を吐く。身勝手だ。とてつもなく身勝手な願望を押しつけて、最低なことをしている自覚はある。
それでもよかった。そうしてでも、彼とはここで離れるべきだった。
じくじくと何かに潰されるように胸の奥が痛んだけれど、ぐっと耐えてスマホの連絡先を呼び出す。
『ユキ!? お前今どこにいる!?』
「……穂澄、頼みがある」
エレベーターが一階に着くまでの間、ずっと、祈るように体を丸めていた。
どうか、どうかこの夜を 乗り越えられますように。




