現在ー涼 24歳春ー
忘れられない人がいる。
あまりにも鮮やかな色彩で、まぶたの裏に焼き付くその人を。
俺は今日も、眩しい舞台の上で探し続けている。
「お疲れ様でしたー!!」
「お疲れー! 涼おおぉぉ!!」
「慎さあああん!」
がっしりと抱き合った後、周囲からパチパチと拍手が上がった。
今日はメインキャストを務めた舞台の大千穐楽だ。
いわゆるBLモノの人気作品であり、相手は今、2.5次元舞台の人気ナンバーワン俳優、浜路慎。
幕が上がるまで様々なことがあったけれど、終わりを迎えた今は達成感と共にとても寂しい気持ちになる。
「ありがとなー、涼が相手でほんっとうによかった」
「ちょ、やめて泣かせないで」
「よしよーし」
「耐えてたのに!」
「よーしゃしゃしゃ」
「ムツゴロさんやめて」
この世界に入って、5年が経とうとしていた。
中学生でギターを始めて、高校生でバンドを組んだ。まぁバンドなんて色々あるもので、すったもんだしながらインディーズで頑張っていたら今の事務所からお声がかかり、所属したものの方向性の違いで解散。儚い。
マネージャーから役者やってみない? なんて言われて今に至る。
正直音楽だけで食べていくのは難しいとわかっていたから、仕事がもらえるならありがたかった。
エキストラなんて数えきれないくらいやったし、舞台のオーディションも死ぬほど受けた。
オーディションに落ち続ける中、ようやく掴んだ役がきっかけで、注目してもらえるようになった現在。
苦節5年、バイトをせずにご飯が食べられるようになりました。
「涼、今度ライブやるって?」
「あ、はい。小さいハコで2日間ほど」
舞台の打ち上げの席で上機嫌だった慎さんは、大きな目をぱちくりさせた後、音がしそうな勢いで俺の肩を掴んだ。
「えっ」
「いやいや、小さいハコってどのくらいの規模で?」
「え、と……収容人数300人くらいの」
「えっ……それ、ファンは納得するの?」
「いや、意外と舞台は来てもライブには来てくれないもんですよ」
「いやそれにしても倍率」
「マネージャーがレア感欲しいとかって言ってましたねそう言えば」
キラリと眼鏡を光らせながら、伝説のライブって言わせるぞとか息巻いてたマネージャーの顔を思い出す。
「海老原さん……」
「ウチのエビちゃん、野心家なんで」
「見た目穏やかそうなのにねー」
「ねー」
顔を見合わせながら2人して吹き出してしまった。
マネージャーの海老原さんは、バンドが解散した後についてくれた人だ。新人だった彼も今や敏腕マネージャーと呼ばれ、腹黒さも増した。いいよ、そーゆーの好きだよ、たまに怖いけど。
「で、それライブ配信するの?」
「さすがに2日目はやりますね」
「だーよねぇ。じゃあ配信見よー」
「えっ、見てくれるんですか?」
「涼のセクシーな歌声とギター聴きたいじゃーん?」
「セクシーな声ってね! 言われましたもんね! ギター聴かせたことないですけどね!」
いたずらっ子みたいな顔で笑う慎さんは、持っていたジョッキを楽しそうにあおった。アレの中身なんだったっけ。(確か焼酎水割り)
可愛い顔でジョッキを空けていく様は見ていて気持ちいいけど、心配もしちゃうんでそれくらいにしといて欲しい。
「でも見てくれたらめっちゃ喜ぶんでよろしくお願いします。あ、忙しい時は無理しないでくださいね」
「もちろーん、いやぁ涼は良い子だなぁ」
「ありがとうございまーす。はい、慎さん枝豆落ちそうだから! こっちちゃんと持って下さい」
「あはは、浜路さんがまた綾瀬くんに介護されてる」
「いやー最近手が震えてねぇ」
「おじいちゃん何言ってるんですか。この間までとんでもねー殺陣やってたでしょ」
ツッコミつつも結果慎さん周りをいそいそと世話焼いてしまい、酔った慎さんに酒をたんまり飲まされ終わる頃には俺もベロベロになってしまった。
「涼はさぁー、今いくつ? 24だっけ?」
そして2件目に付き合わされる俺。おかしい、帰るつもりだったのに何故か捕まっている。慎さんの酒の強さがヤバすぎて酔いも覚めそうである。
「あ、はい。7月には25です」
「そっかー。結婚とか考えてたりする?」
「いやー、仕事必死すぎて結婚は考えた事ないですね。いつかしたいとは思いますけど。え、もしかして慎さん結婚するんですか?」
「いや予定はないけど。そのくらいの時考えたなーと思って」
「その時の相手と?」
「そ、その時の彼女と。まぁ別れたけど」
あっけらかんと笑って話すけれど、これは聞いてもいい話だったのだろうか。彼が昔語りをするのは少し珍しい。
「彼女が人生グルグル悩んじゃってる時に、結婚はまだできそうにないなぁとか軽く言っちゃって」
「えっ」
思わず大きい声をあげてしまった。いや大丈夫、ここは個室。
「凄い傷ついた顔してさぁ…本当に申し訳ないことしたなって反省したよね。別れたけど!」
「フラれたんですね?」
「今そこ折角ぼかしたのに!」
「まだ好きだったりするんですか?」
「この子は傷を抉って塩を塗り込むタイプなのかな? まぁ、もうそう言う気持ちはないよ。ただ幸せでいてくれたらいいなって勝手に思ってる」
グダグダと机に突っ伏しながら話す慎さんの声を聞きながら、俺はある人を思い出していた。
いつも俺の世界を、色鮮やかにしてくれた人。
優しいようでいて、強烈な光を放ちながら、誰も彼もを魅了していた人。
「……ありますよね、そういうの」
あの人は今、幸せでいるだろうか。
今でもまだ、忘れられない。
「え、なに、涼の恋愛話とか聞きたい」
「いやいやいやいや」
「フラれた話?フった話?」
「そんなキラキラした目をしない! 高校生ですか!」
「だぁーって若い子の恋バナとか聞きたいじゃん。潤いが欲しい! 刺激が欲しい!」
「潤うような話じゃないんでやめましょう」
「やーだーねー」
「子供か!」
慎さんしかいない個室。酔いの回った頭。冷静に装っているつもりでも、考え始めると止まらない。
「あーもー……フラれた話です」
ほら、うっかり口を開いてしまった。
「おっと、これマジのトーンのやつだ」
「マジのやつです……」
「相手どんな人?」
「年上のすげー、綺麗な人、でした」
「年上かぁー」
「ニヤニヤしない! もうやめましょう! 恥ずかしい!」
酔い覚ましにもらった大ジョッキの水を勢いよく飲み干して、コールボタンを押した。流石にこれ以上飲むと明日に響くだろうと、すぐに来てくれた店員さんに会計を頼む。
「こーらー!」
「これ以上は俺が死にます」
慎さんがザルすぎて。この人ザルっていうかワクだ。このままでは急性アルコール中毒で俺が死ぬ。というか明日死ぬ。我に返ってさらに精神が死ぬ。
サクサク会計を済ませて慎さんを立たせると、タクシーを一台呼んでもらって外に出た。
春先でもまだ少し肌寒い。ふるりと身震いして、そういえばあの人は冬生まれだったな、なんて思い出す。
『大人になって、その時にまだ、好きだと思ったら……もう一度言って』
18の春、そう言ってフラれた。
正直そんな思わせぶりなこと言われるくらいなら、きっぱりフッて欲しかった。ずるずるとその人への恋心を引きずって、新しく誰かと付き合っても、結局忘れられないまま相手に悟られて別れてを繰り返している。
「涼はさ、今でも、その人のこと引きずってる?」
「っ……!」
動揺して一瞬言葉に詰まる。この人はエスパーか何かですか?
「なんで、ですか」
「そーゆー顔してた」
「……俺、まだ18だったんですよ」
「ふは、年季入ってるなぁ」
「20歳越えてから出直してこいって言われました」
「へぇー! で、出直したん?」
「………その人、俺が20歳になる前にいなくなっちゃったんですよね」
「は?」
今度は慎さんがギョッとした顔をしていた。
「俺が19になってすぐの時、周りの人も誰も連絡取れなくなって、失踪したんです。まぁ、色々騒動があったのは知ってたんですけど」
「……」
「だから、出直させてもらえてないですよ」
「なんだ、いなくなったとか言うから勘違いしたじゃん」
「ははっ、すみません、言い方悪かったです」
「そっか。出直せるといいねえ」
「……はい」
初めてその人に会ったのは、17歳になったばかりの夏。
バンドがようやく形になって、3度目のライブ参加をした日だった。
知り合いに誘われたそこに、彼はいた。
物静かで、口数も少ないけれど、いるだけで他人の目をどうしようもないほど惹きつける。
清廉な雪を思わせる冷たい雰囲気をしているのに、口を開けば穏やかな甘い声に心臓が震えた。
彼は【ユキ】と呼ばれていた。
実を言うとフルネームは未だに知らない。メンバー紹介もユキ。
女性ボーカルバンドのギタリストだった。
雰囲気も何もかもが、美しい人だなと思った。きっと、その雰囲気のままの美しい音を鳴らすのだと。
1音かき鳴らした瞬間に、予想はぶち破られる。
脳をガツンと殴られたような衝撃。
【ユキ】さんは、暴力的な才能の持ち主だった。
あの夜の突き抜けるような衝動を、忘れることはないだろう。
桜が散り始めた日の夜、ライブは2日目の熱気に包まれていた。
「本日はBella Noctis単独ライブにご来場、ご視聴頂き、誠にありがとうございます! 最後まで盛り上がっていきましょう!」
お馴染みの挨拶の後、ドラムスティックを打つ音で一曲目が始まった。
小さいハコ(会場)は観客の表情がよく見えて好きだ。ファンが楽しそうに飛び跳ねたり、一緒に口ずさんでくれたり、感動して泣いていたり、そういう瞬間を刻みながら歌っている。
曲の合間にトークをするのも慣れた。
始めたばかりの時は緊張して上手く口が回らなかったのに。
「ヤーバい、楽しい!」
高揚したまま叫んだら、ファンの子の歓声が上がった。
ただ音楽が楽しくて、ギターをかき鳴らして、その時間を共有して応援してくれる人たちがいる。幸せだ。
幸せなはずなのに。
「もうね、時間経つの早いよね。次が最後の曲です」
「えー!!」
「えー、てなるよねー!俺もなってる!」
あっという間に時間が過ぎて、ライブは終わり間際になって、興奮と寂しさを織り交ぜながら曲の紹介をして。
メロディーを弾き始めた途端に、バチリと目が合った。
「……っ!」
会場の奥隅に、その人を見つけた。
忘れられなくて、会いたくて、焦がれ続けていた人。
一瞬の動揺を隠すように平静を装うけれど、心臓がドクドクとうるさくて。
(あぁ、ダメだ、歌詞間違えた……指回んねぇ)
気のせいかもしれない。でも、見間違えるわけもない。
照明が急に眩しく感じて、思考が鈍る。
一曲が長く感じるなんて、初めての経験だった。
「涼、お前最後の」
「エビちゃん!!」
舞台からはけてすぐに、サポートに入ってくれていたドラムの静馬が何か言おうとしていたけれど、それを遮ってマネージャーに声をかけた。
悪いとは思いつつも、余裕がない。
だって無理だ。あんな懐かしい話をした後すぐに、こんな。
「え!? なに、どうしたの!?」
「一生のお願い! 人を探してきて欲しい!」
「はい?!」
「明るめアッシュで黒のインナーに細身の黒パンツで白のロングパーカー! 身長175、いや6だっけ? そんくらいの男性!」
早口で捲し立てる俺に、静馬も同じくサポートの悠斗も、マネージャーのエビちゃんも目を見開きながら唖然としている。
「いや待って、プライベートな友達とかは招待じゃないと流石に」
「じゃあ俺が今すぐ出て行きます!」
「いやダメでしょ!」
「お願いします。これ逃したら一生後悔する。ってかエビちゃん恨む」
「ええ!! ちょ、本気!?」
開いた口が塞がらない様子のエビちゃんに、深々と頭を下げた。
「お願いします」
「涼くん……」
「……あの、オレからもお願いします、海老原さん」
「静馬くんまで!?」
頭を下げる俺の肩を軽く叩いて、静馬が隣で一緒に頭を下げてくれた。
俺がどれほどあの人を探し続けていたのか、彼は知っているから。
「こいつがこんなこと言うの、マジで今回限りだと思うんで」
「エビちゃん!」
「あーもーわかったわかった! その人の写真とかないの!?」
「ある! あります! ありがとうございます!」
スマホから急いで昔の写真を探し出して見せると、エビちゃんは凄い形相でスカウトしてくる、とか言いながら出て行った。
「……悪い、ありがと静馬」
「どーいたしまして。つーかマジでいたのか?」
「いた……見間違えたりしない」
「拗らせてんなぁ」
静馬は元々解散前のバンドメンバーだった男だ。
イコール高校の同級生。一緒にバンドを始めて、ライブをやって、もちろんユキさんのことも知っている。
「もしもーし、僕だけ全くなにもわからないままなんですが?」
側で成り行きを黙って見守っていた悠斗が勢いよく手を上げた。
「あー、いや、ホントごめん」
「サポート入って余韻を感じる間もなく面白いこと始まったなぁと思ってたんだけど、なに、人探し? まさかこのまま何の説明もないとかないよね?」
にっこり笑う顔が怖い。非常に怖い。可愛い顔して毒を吐きまくる性格をわかっているだけに、目を逸らしながら笑うしかない。
悠斗に説明してる余裕もないほどの精神なんだが、今。
「5年ほど、人を、探しておりまして……」
「5年!? 根性あるね」
「それは俺も思う」
乗っかって欲しくない人がそっち側に行ってしまって居た堪れない。
「え、で? その探してた人がライブに来てたってこと? なにそれ灯台下暗しもいいとこじゃん。何の茶番?」
「お前はオブラート使ったことないんか!」
「だってわざわざ取りやすいわけでもないチケット取って来たってことでしょ?」
「それは、そうかも、しんないけど……」
しどろもどろになってしまう俺を、悠斗はケラケラと笑った。
「めっずらしい、いつも涼しい顔して人の世話焼いてる涼が! なに、そんななっちゃう人、僕も見てみたいんだけど」
「やめて下さい勘弁して下さい」
「そうだぞ、海老原さんが見つけられるかもわかんねーし」
「そっちのが嫌すぎる!」
不吉なことを言う静馬に涙目で訴えたら、さすがに悪いと思ったのか顔の前で手を合わせた。
「まあとりあえず楽屋で待てば? オレらは隣で撤収作業してっから」
「そうする……」
頭を抱えながらフラフラと楽屋のドアを開け、ゆっくり閉める。
「うっわ、本当に珍しい」
閉まる瞬間に悠斗の意外そうな声が聞こえてきたけれど、気にする余裕のかけらもない。
会いたい、会いたい、会いたい。
でも、怖い。もし拒絶されたら?
緊張で手が冷える。
「あー……無理」
グッタリと鏡前に突っ伏して、廊下から聞こえる音に耳を澄ましていた。
どのくらい経っただろう。重くなる思考を打ち消すように、コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「っ……はい!」
「涼くん、入るよ?」
「あっ、はい!」
勢いよく立ち上がって返事をすると、白い扉が徐に開けられた。
「エビちゃん、どうだっ……た……」
視線の先には、焦がれ続けた人が立っていた。
「ユキ、さん」
「……涼」
あの頃よりも少し痩せただろうか。
長い睫毛に縁取られた切長の瞳が、戸惑うようにこちらを見ていた。
彼に何かを言おうと口を開いて、閉じる。喉がカラカラに乾いて、声が出ない。
緊張で手は震えるし、声を出したら上擦りそうだ。
「えっと、僕は出てるので、涼くん、手短に! 手短にね!」
微妙な雰囲気を感じ取ったのか、エビちゃんは焦ったようにそう言うと、ドアを閉めて出て行ってしまった。こういうところが用意周到だなと思う。
「……あ、の……」
「……」
元々口数の少ない人だ。こちらが話すのをじっと待ってくれているところも変わらない。
「あの、俺……」
「……久しぶり、涼」
口籠って下を向いてしまった俺に、ユキさんはそう声をかけた。穏やかな甘い声。寸分違わぬ、あの頃と同じ。
(やっ、ばい……泣きそう)
ガバリと勢いよく顔を上げたら、困ったような笑みを浮かべていた。
「お久し、ぶりです。ユキさん」
「ん……」
「ずっと、探してました…」
「……そうか」
そこまで話して、また沈黙が流れる。
間が持たないというよりも、お互いになにを話したらいいのかわからない。会いたくて、会いたくて、いざ会えたらなにを言えばいいのかもわからない。
「……背、伸びたな。大人っぽくなった」
「俺、もう24ですよ。アンタと出会ってから7年経ったんですよ」
「うん……」
「急にいなくなるし、連絡も取れなくなるし」
「悪かった」
「めちゃくちゃ、心配したんですよ」
「うん」
「……」
ダメだ、ろくなことが言えない。会えて嬉しいのに、恨み言も漏れそうになって。なんで何も言わずにいなくなったのか、なんて、聞かなくてもわかるのに。
「……会えて、よかった。もう行くな?」
「待って!」
これ以上はいられないと思ったのか、苦笑をこぼしてくるりと向けられた背に思わず叫んだ。
「待って、下さい」
「……」
「また、会ってください、俺と」
弾かれたように振り返る彼の瞳を、じっと見つめる。もう、二度とあんな思いはしたくない。
「涼……」
「お願いします。このまま、また連絡も取れなくなって、俺の前から消えるのだけは、勘弁して下さい。まぁまぁ、トラウマなんで……」
卑怯な言い方をしていることはわかっている。優しい人だから、こんな風に言われたらきっと断れないだろう。それでも、この想いが報われなくても、彼がいなくなることだけは耐えられない。
「でも、オレは……」
「俺の事が大嫌いで二度と会いたくないとかなら諦めます」
「そんなことは、ないけど」
「じゃあ連絡先教えて下さい」
「きゅ、急にグイグイくるな?」
「なんかさっきまで緊張してたのがバカらしくなってきたんで。いいですか、アンタが何も言わずにいなくなって、さっきも言いましたけど俺は結構トラウマだったんです。そっから人付き合いもそれなりに慎重になるし、街で背格好似た人見つけては別人だって確認して気分落ちるし、さんっざん抉られても会いてえなって思ってたんですよ。ようやく見つけたのが5年後ですよ。引くわけないでしょ!」
詰め寄りながら開き直って早口で捲し立てるが、これはもう告白していると取られても仕方がない気がする。いや、恨み言にも聞こえるけど。
ユキさんは一息に言い切った俺をひとしきり驚いた顔で見つめると、小さく噴き出して笑った。
「え……笑うとこですか」
「いや、うん。お前、変わんないな」
「えぇー……」
「わかった。いいよ」
「ほ、んとに!?」
「うん、いいよ」
「はぁぁー……」
長い息を吐いてその場にしゃがみ込む。良かった。本気で安心した。若干勢いで押し切った感はあるけど。
「ん、」
ユキさんは俺の前に同じようにしゃがみ込むと、スマホのQR画面を差し出してくれた。穏やかに笑いかけてくれる所はやっぱり変わってなくて、それにまたちょっと泣きそうになる。
「ありがとうございます。因みに普通に電話番号も教えてもらっていいですか」
「…………」
呆れた顔をされたけれども気にしない。もう開き直っているので、この人を逃さないためならなんだってやってやる。
「はぁ……やっぱ前より図太くなったな」
「年齢重ねたんで。あ、申請送りました」
「あんなに可愛かったのに」
「今でも可愛いでしょ」
「オレよりデカい男は可愛くはない」
そりゃ伸びに伸びて183㎝になりましたけども。
確かに出会った頃はユキさんと同じか少し低いくらいだったし、体格も高校生男子のそれだったから、見た目の男っぽさは増していると思う。鍛えてるし。そうだと思いたい。
「ユキさんは全然変わんないっすね」
「さすがに老けただろ。ん、番号送った」
「いや全く変わってねえ。あ、ありがとうございます」
ポチポチとお互い登録しながら、以前と変わらない普通のやりとりができていることが、なんだか可笑しい。さっきまであんなに緊張していたのに。
「てかユキさん、チケット取ってくれたんですか?」
「え? あぁ、同僚がお前のファンで」
「どんな巡り合わせだ」
「急なトラブルで行けなくなったからって」
それは物凄く残念だけどありがとう職場の人。俺は今あなたを神と崇めたい。思わず拝むポーズをしてしまうくらいには感謝しています。
「その職場の方にありがとうございますとお伝え下さい」
「なんで」
「おかげでユキさんと会えたんで。そしてユキさんの本名知れたんで」
ともだち追加の画面には、牧雪仁と表示されていた。ユキさんは牧さんだったのか。初めて知ってちょっと興奮している。
「知らなかったっけ?」
「みんなユキとしか呼ばないし、メンバー紹介もユキだったし、前は名前の登録もユキだったじゃないですか」
「あー、そうかも」
「……ゆきと? て読むんですか?」
「ゆきひと」
ゆきひと、と小さく反芻する。綺麗な響きが、彼によく似合っている。
「どうしよう、めちゃくちゃ泣きそうなんですけど」
「えっ」
名前を知っただけで、視界がうるうると滲んできた。さっきからずっと泣きそうなのを耐えてたけど、なんだか漸くユキさんという人の輪郭を認識できたような気がして、鼻の奥が痛む。
「くそっ、カッコ悪りぃ……」
しゃがみ込んだまま膝に顔を埋めると、そっと細い指先が頭に触れた。ポン、と優しく何度かその作業を繰り返す。彼は黙って、ただそうしてくれていた。
「涼ー! そろそろいいー!?」
しんみりした空気をぶち壊すように、バン! と大きな音を立てて悠斗の声が響く。台無しだ、ホント色々台無し。
「おいこら悠斗、さすがに空気読め!」
「だっていつまで経ってもうんともすんともないし! あ、初めましてー、僕、ベースの悠斗です」
「おいなに自己紹介してんだ! あ、ユキさんお久しぶりっス!」
「は、じめまして……あ、うん、静馬も、久しぶり」
「やーば、超絶美人じゃん。え、マジ? 生で初めて見るレベルのイケメンなんだけど?」
「お前失礼すぎるだろ……」
「お前らホントいい加減にして!!」
感傷に浸る間も与えてくれないのかこのメンバーは。最後に入ってきたエビちゃんまでもが、芸能界興味ないですか? とかスカウトし始める始末で軽くカオスだった。
ご覧頂き、ありがとうございました。
まだまだ続きます。