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春と幽霊  作者: 桜乃はじめ
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第7話

「私も相葉さんみたいに“実験”してみたいです!」


 いつものように授業を始めようとしたところ、成瀬がそんな事を言い出した。


 あー、そろそろだとは思っていた。

 最近は俺の実験を羨ましそうに見ていたからな。授業も面白そうに聞いてはいるが、化学の醍醐味といえばやはり、実験だろう。


「よーし、わかった。じゃあ今日は、高校生なら誰もが面白がるあの実験をやってみようか」


 見た目も奇麗だし、初めて実験させるならあれがいいだろうと決めていた。


「成瀬、奥の試料室からアルカリ金属とアルカリ土類金属の試料を持って来てくれ。わかるよな?」

「もちろんっ、リチウムとかですよね。取ってきます!」


 言うや否や、文字通り薬品庫に飛んでいく成瀬。出会ってから毎日見ているが、やはり原理がわからない。成瀬の小さな背中がするりと壁をすり抜けていく。ガチャガチャと試料を集める音がしたかと思うと、試料室の扉が開いて小さな助手が周りに瓶をぷかぷか浮かべて出てきた。試料は壁をすり抜けられないので帰りは扉から、というわけだ。

 最初の頃はよくガラスを割っていたが、今ではずいぶん慣れたもんだな。


「集めてきました! 次は何を取ってきますか?」

「いや、今回の実験の主役はこいつらだ。あとはガスバーナーと、試料をつかむピンセットがあれば事足りる。けど、成瀬なら触れずに試料を火に近づけることができるからこれは不要だな。素晴らしい」

「えー、なんか単純です。相葉さんがやってる難しそうな実験がやりたかったのに」

「初めての実験で生意気いうんじゃない。それに、この実験だって実に面白いんだぞ」


 ぶー、と唇を尖らせて抗議する助手をなだめつつ、俺はガスバーナーに火を点け、火力を調整する。ゴォォ、と勢いのある青白い炎となったところで、


「さて、実験手順を説明しよう。持ってきてもらった金属をガスバーナーの火で炙る。以上」

「やっぱり単純です!」

「まあ落ち着け。実験ってのは、単にやればいいってもんじゃない。事前にどうなるか予測し、実際にやってみて、結果を見る。予測と違った場合は、なぜそうなったかを考察し、検証する。ここまでが1セットなんだ。……と、冗長だな。シンプルにいこう。これらの金属を火に触れさせると、どうなると思う?」

「えーっと…………。個体ですので融点より高くなれば融けると思います。融けなくても、空気中の酸素で酸化して焦げちゃうかと」


 成瀬は少し考え込んだあと、きちんと理由付きで予測を立てた。うん、教えたことはよく理解しているな。


「よし、じゃあ実際にやってみようか。どの金属からでもいいぞ」

「わかりました。じゃあ、この瓶のやつから…………えっ?」


 瓶の蓋が開き、ふわふわと出てきた小片がバーナーの火に接触した瞬間──


 青白い炎が、深紅に染まった。


「あ、相葉さん! すごいです、すごいです!! 金属に当たってるとこだけ、青い炎が真っ赤になっちゃいました!!」


 目を大きく見開いて、きらきらと光る宝石を見つけた子供のような、嬉しさと興奮に溢れた表情でこちらを振り返る成瀬。そうだよな、こんなにも鮮やかに色が変わるなんてめちゃくちゃ面白いよな。


 でも、本当に面白いのはこれからだぞ。


「よし、次はこの金属で試してみろ」

「は、はい! わー! 今度は緑色になりました!! どうして!?」


 そこから先は、俺が指示するまでもなかった。黄、紫、橙赤──あらゆる色に変化する炎をきゃーきゃー言いながら記録していった。


 最後に残ったストロンチウムが放つ真紅の炎を確認し終えて、俺は成瀬に声をかける。


「初実験はどうだった……っと、愚問だったな」


 成瀬は興奮冷めやらぬ、といった表情で、


「とっても楽しかったです! どの試料もそれぞれ違った色を見せてくれて、次は何色になるんだろうってわくわくしながら実験してたら、あっという間に終わっちゃいました!」

「こらこら。最初に言ったとおり、まだ終わりじゃないだろう? 結果を考察して、まとめないとな」


 俺は笑いながら、成瀬が実験結果をメモしていたノートを手に取る。


「リチウムが赤色、ナトリウムが黄色、カリウムが紫……うん、ちゃんと記録しているな。さて、実験前に成瀬が推測していた“融ける”でも“焦げる”でもない結果が観測できたわけだが、この結果をどう考察する?」


 成瀬は手を顎にあてて、むむむぅ、と考え込む。俺のような知的理系男子がすれば様になるだろうが、こいつの場合は単に可愛らしいだけだ。


「ガスバーナーの火で金属が気体になって、その気体に色がついているから、でしょうか?」

「うん、悪くない考察だな。けど、それだったら色つきの気体が煙みたいに観測されるんじゃないか?」

「ですよねー。うーん…………あっ、そういえば熱化学の授業のときに、熱って“エネルギー”だって言ってましたよね? だったら、金属がエネルギーを手に入れて、ピカーって光ったんですよ!」


 ピカー、のところで両手を広げる成瀬。幽霊になってからずいぶん長いこと過ごしているだろうに、どうにもこいつは見た目相応というか、お子様なところがあるな。


 だが──


「うん、ほぼ正解といっていいだろう。ガスバーナーの火で金属原子中の電子がエネルギーを得て励起し、エネルギーを放出する際に特定波長の光となる。これが、観測された色の正体だ」


 やったー! と、今度は両手を上げてよろこぶ成瀬。まだ原子や電子についてそこまで教えていないのに、少ない知識から大したものだ。


「鮮やかに色が変わるから炎色反応と呼ばれている。炎が多彩な色に変わるからな、この反応は身近な所にも使われていて、特に──」


 説明を続ける俺だったが、成瀬の姿が徐々に薄くなっていく。時計を見ると午後4時、いつもより早いな。実験ではしゃぎすぎてエネルギー切れでも起こしたのか?


 成瀬は透明になりかけている自分の体を見て、


「……すみません。どうやら時間みたいです。また明日、よろしくお願いします」


 寂しそうな顔をして手を振った。俺も手を挙げてこたえる。


「ゆっくり休めよ。それじゃあ、また明日な」


 さっきまで騒々しかった化学室は、成瀬がいなくなった途端、時が止まったかのように静かになった。


 実験器具を片付けた後、自分の研究を進めようかとも思ったがどうにも居心地悪く感じられて──


「俺も帰るか」


 論文はいっこうに進んでいなかったが、まあ今日ぐらいはいいだろう。


 化学室と図書室の鍵を締め、昇降口を出る。


 校庭を囲うように植えられている桜の木々はすっかり満開といった具合で、ひらひらと薄紅の花弁を散らしていた。


「桜の樹の下には死体が埋まっている、か」


 どこぞの小説家がそんな話を書いていたな。


「はっ。柄でもない」


 幽霊になっても学校の図書室で読書なんかしていた文系助手を持ってしまったからだろうか。ずいぶん感傷的になってしまったもんだ。桜の花弁が薄紅色なのはアントシアニンを含んでいるから。炎色反応にせよ桜にせよ、すべての事象には原因がある。それを解明するのが、我々化学者だろう。


 舞い散る花弁を浴びながら、俺は学校を後にした。

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