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春と幽霊  作者: 桜乃はじめ
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第6話

 成瀬に化学の授業をはじめてから数日。


 俺たちは、午前中に特別授業、午後からは簡単な実験の手伝い、というスケジュールで過ごしていた。


「このように水素イオンを与える側の物質を“酸”といい、受け取る側の物質を“塩基”というわけだな」

「なるほどー、アレニウスさんの定義だけでは例外ができちゃうわけなんですねー」


 成瀬はポンコツなところはあるが地頭は良いようで、俺の授業をすぐに理解し、自分の知識としてどんどん吸収していった。


 助手の仕事の方でも、


「相葉さん、器具の洗浄おわりましたー」

「おう、ありがとう。それじゃあ、この試薬をもとの棚に戻してきてくれるか?」

「りょうかいですっ!」


 できる範囲の雑用を手伝ってくれることで、俺の負担は大きく軽減していた。




 そんなある日のこと。


 俺はパソコンを打つ手を止め、いつものように使いおわった実験器具を洗ってくれている成瀬を観察していた。

 ふんふんとヘタクソな鼻歌を歌っている成瀬の周りを、泡立ったビーカーや試験管がクルクルと回っている。蛇口から出た水は、自らの意思があるかのように試験管の口に入っていき、泡を洗い出して排水溝に戻っていった。


 ......まったく理解不能な光景だ。


 洗い物を終えた成瀬が、よしっ、と腰に手を当ててこちらを振り返る。

 深い藍色の瞳と目が合った。

 成瀬は、なにが嬉しいのかにっこり笑い、ふわふわと浮かびながらこっちに向かってくる。


「いつもの作業おわりました。こっちを見てましたけど、どうかしましたか?」


 む……どう言ったものだろうか。今この部屋の設備では、成瀬の超能力を検証しようもないからな。余計な事を言ってもしかたないか。

 じゃあ、手軽に実験できるところから頼んでみるか。


「成瀬、ちょっとこの上に乗ってみてくれないか?」

 そう言って俺は、作業台のうえに置かれている精密天秤を指差した。


 実際、気体のようにふわふわと浮かんでいるが、こいつに質量はあるんだろうか? これは確認しておく必要がある。


 成瀬は、じとっ、っとした目でこちらを見て、


「......相葉さん、デリカシーがないって言われたことありませんか?」

「いや、そんな風に言われたことなんて無いぞ?」

「ぜったいうそですっ!」

「本当だって。自慢じゃないが、俺は同級生と話したことなんて数えるくらいしかない。だからそもそも、言われようがないんだよ」

「ホントに自慢じゃないですね......いいですか? 女の子に体重なんか聞いてはいけませんっ!」

「いや、これは単なる身体測定ではなくてだな……」

「どういう理由だろうと、ダメなものはダメなんですっ!」

「そういうものか」

「そういうものです。はぁ……わかりました。相葉さんは、化学以外はからっきし、ということですね......それじゃあここは、私がひと肌ぬぎますかっ!」


 成瀬は呆れたように溜息をつくと、気合いを入れるように胸の前で両手をにぎりしめる。


「化学の授業のお礼がしたいと思っていたんです。これから毎日、私が相葉さんに人付き合いの基礎を教えてあげますっ」


 ばばーん! っと効果音がつきそうな成瀬の提案だが、


「あいにく興味がないな。人付き合いなんて必要ないだろ、常識的に考えて」


 時間は有限だ、意味のない物事に時間を割く余裕なんてない。


「だめですっ。いいですか相葉さん、人は誰しも独りでは生きていけないんです。人付き合いレベルが0の相葉さんにもわかりやすく言いますと、優れた化学者だって決して1人の力だけで偉業は成し遂げられないでしょう?」

「まあ確かに、大きいプロジェクトになるとチームで研究するのが一般的だが......」

「そうですよね。そんな中、独断で動いている人がいたらどうです。チームはうまく回らず、結果としてプロジェクトも達成できません。皆と仲良くしろとまでは言いませんが、最低限の人付き合いは必要なんです」


 人差し指を立てて説明する成瀬。

 ......確かに、一理あるか。


「......わかった。俺は昔から人の気持ちがわからない、って言われてきたんだ。将来のために、ここら辺で人付き合いを勉強しておいてもいいだろう」


 そのための教師として、この小さな幽霊は適任なんだろうと思う。クラスにこんな奴がいたら、みんなに好かれてる光景が容易に頭に浮かぶぐらいだ。ただし、マスコットとしての話だが。


「ありがとうございます。それでは、僭越ながら私が相葉さんを、最低限人付き合いができるレベルまで引き上げてみせます!」

「ああ、お手柔らかに頼む」

「わかりましたっ!」


 ガッツポーズする成瀬。なにがそんなに嬉しいんだろうか。

 まあこいつが乗り気なんだったら、ありがたく教えてもらうことにするか。


 とはいえ、幽霊の質量を測定することは出来なくなったわけか。うーん、惜しいなぁ。他に確認できることといったら、


「触れられもしないし、質量もおそらく無いと仮定して……匂いはあるんだろうか。成瀬、ちょっと嗅がせてくれないか?」


 その後、真っ赤になって怒った成瀬先生のありがたい授業によって、その日の実験時間がなくなってしまったのは、言うまでもない。


 数時間におよぶ正座により足がしびれて悶絶している俺を見下ろし、


「他の女の子には、ぜったいそんなこと言っちゃだめなんですからねっ!」


 仁王立ちした成瀬は、ぷりぷりと怒るのだった。

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