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春と幽霊  作者: 桜乃はじめ
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第5話

「おはようございます、相葉さん!」

「お、おう。おはよう、成瀬助手」


 翌朝、図書室の鍵を開けたとたん、昨日と寸分たがわぬ笑顔で迎えられ、思わずたじろいでしまった。つーか幽霊って、こんな朝から活動してるもんなのか? ……いや、化学者である俺が、そんな固定観念にとらわれていたらダメか。


「成瀬って、夜寝てるのか? 昨日も突然目の前で消えたけど」


 成瀬はきょとんとした後、うーん、と首をひねり、


「寝てる……というのは少し違う気がします。すぅー、って意識が沈んでいく感じ、でしょうか。毎日何時ごろとは決まっていませんが、いっぱい活動したら早めに沈んでいく気がします」


うーむ、幽霊として活動するためには何らかのエネルギーが必要、ということか。超常的な現象ではあるが、そこにはやはり法則性がある。……面白い。


「今朝から相葉さんをお出迎えしたかったので、昨日は早めに沈んだのです」

「おー、そいつは殊勝な心がけだな。えらいぞ成瀬助手」


 えへん、と平らな胸を張る成瀬をあしらいつつ、情報を整理する。活動に必要なエネルギーのコントロールはある程度、こいつ自身でも行えるということか。一定期間エネルギーを節約すれば、大きく活動することも可能、と。


「──よし。それじゃあ化学室に向かうか。色々手伝ってもらうぞ」

「はいっ、任せてください!」




 一時間後。


 結論からいうと、成瀬はまったく役に立たなかった。


 いや、俺も最初から面倒くさい実験全部を任せるつもりなんて無かった。まあ、簡単な試薬の準備ぐらいはできるだろうとやらせてみたら、ビーカーを割る、薬品をぶちまける、ようやくできた試薬を俺の方に零すという3連コンボをやからしたというわけだ。


「ぐす……えぐ……相葉ざん、ごべんなざいぃ……」

「わかった、わかったからもう泣くな。俺も悪かったよ、直接物を持てない成瀬に、難しい調合を頼んでしまったんだからな」


 こいつは直接物質をさわることができないらしく、作業全部をサイコキネシス的な超能力でやるしかなかったようだ。しかし、精密な挙動は難しいとのこと。それなら最初から言えばいいものを。


「うぅ……ふぇぇ……」


 とはいえ、目の前でこうも泣かれるのはキツい。なんとか気をそらしてやらないと。


「成瀬って、そもそも化学の知識が全然ないよな?」

「はぅ……!」


 わかりやすくショックを受ける成瀬。……いかん、これではただのサディストだ。ちょっと興奮してしまった感情を振り払い、


「いや、責めてるわけじゃない。化学のことを知らない状態で俺の手伝いなんかさせても、きっとつまらないだろうなと思ってな。……そこで、だ。俺の助手にふさわしい知識を身に着けるために、特別授業をしてやろう」

「……ぐす……特別、授業?」


 ようやく泣くのをやめ、こちらに目を向ける成瀬。


「ああ、そうだ。この学校の化学教師なんて目じゃない、稀代の天才高校生による化学の授業だ。最後まで受けたら東大合格も間違いなしだぞ。どうだ?」


 東大合格はさすがに誇張しすぎたか? まあいい。目の前のこいつがその気になってくれたら、泣き止んでくれたら、それでいい。


 成瀬は、自身満々で腕を組む俺をしばらくじーっと見た後、


「はいっ、よろしくお願いします相葉先生」


 そう言って、小さく笑ってくれた。




「成瀬、化学とは何だと思う?」

「えっと、試験管とかを振って、あぶない薬品を作るものだと思います!」

「うむ! 凝り固まった意見をありがとう、20点だ!」

「はうっ……!」


 化学室の最前段。俺は壁一面のホワイトボードを背にして、化学初心者への特別授業を開始した。


「化学ってのは、この世に存在する物が何からできているか、どういう性質をもっているか、どういう変化を起こすかを調べる学問だ。定義がでかすぎるから、身近なところで例を挙げて説明しよう」


 机の横についている蛇口をひねり、水をビーカーに入れる。


「水だ。成瀬、水を冷やしたり加熱したりするとどうなる?」

「はいっ! 氷になったり、水蒸気になったりします!」

「よろしい、100点だ。水は1気圧下において0℃で氷になり100℃で水蒸気になる。これは誰でも知っている水の“変化”だな。じゃあ、そもそも“水”って何なんだ?」

「えっ! 水は……液体で……水って、なんなんでしょうか」


 成瀬は、考えたこともありませんでした、と言って難しそうな顔で首をひねる。


「昔から、この世の物は何で構成されているか、あらゆる哲学者、科学者が考えてきた。万物は水である、火である、とかな。恐ろしいことに20世紀初頭まであーだこーだ言われていたが、結局のところ、物の最小構成単位は、“原子”っていうのが現代化学の統一見解だ。水でいうなら、水素原子2個と酸素原子1個がくっついて“水分子”となってる、ってな具合にな。俺たちが目にしている水は、その水分子がとんでもない数集まってる姿ってわけだ」

「じゃ、じゃあ、この机や、ホワイトボードも、校舎も、全部その“原子”っていうので出来てるんですか!?」

「ああ、そうだ。万物はすべて原子から出来ている。その構造を研究するのも化学の一環だ。そして、構造がわかった物をイチから作るのも化学だ。だってそうだろ? 構造がわかってるんだ、作れない道理はないさ」


 すごいですっ! と目を輝かせる成瀬。よかった、根本の原理から興味を持てなかったらどうしようと思っていた。学びの根幹は、興味に他ならない。興味がないものを無理に覚えようとしても、いつかは頭打ちになってしまうからな。


「よーし、素質があるぞ成瀬助手! 化学がどういう学問かわかったところで、さっそく基礎からはじめよう。おあつらえ向きに、どこかの不真面目生徒が置いていった教科書がある。高校1年レベルの化学なんてすぐにマスターさせてやるさ!」

「はいっ! よろしくお願いします、相葉先生!」


 そこから俺たちは、元素の種類や結合、イオン化や化学反応式といった基礎化学の授業をして、気づいた頃には夕方になっていた。成瀬も、それなりにエネルギーを消費したようで、“授業ありがとうございました、また明日!”と言って消えていった。

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