第4話
「まったく……まったく、何なんだお前は! どうなってやがる!」
「そうは言われても、私は私ですし……」
衝撃の告白からおよそ30分、最初はくだらない冗談だと相手にしていなかったがあまりにもこいつがしつこいから、いくつか簡単な実験をしてみた。その結果は、ことごとく現在の物理科学を否定するものだった。成瀬は俺の要望に従って宙に浮いたり、壁をすり抜けたり、さらには触れてもいないのに本をぱらぱらと器用にめくってみせたのだ。
当然、大がかりな手品の可能性も検討したが、ワイヤーも無ければホログラムの投影機もなかった。それに、俺を騙したところで何のメリットもないだろう。
悔しいが、こいつが人間ではなく何らかの特殊現象──世に幽霊と呼ばれている類の──であることは認めざるを得なかった。
“祐一、現代の科学で解明できないことをすべて非科学的と断じるのは間違っている。それは、『今』の科学で解明できていないだけなんだ。100年後、200年後では自明になっているかもしれないだろう?”
もうずいぶん前、父さんが言っていたそんな言葉が、脳の中から響いた気がした。
「……まあ、お前が一般的に幽霊と呼ばれる存在であることは認めざるを得ないようだな」
「お前じゃなくて、成瀬七海です。ちゃんと名前で呼んでほしいです、相葉さん。……けど、意外でした」
「はいはい、成瀬な。で、なにが意外なんだよ」
成瀬は、えへへ、と幸せそうに笑って、
「学校で白衣を着ちゃってるような理系男子の相葉さんが、幽霊なんて非科学的な存在を認めてくれたってことですよ」
「白衣を着た男子にどんなイメージを抱いてるんだよ……。別に、非自明なことと非科学的なことはイコールじゃないってことさ」
誰かの受け売りだけどな。
「……? まあいいです。解剖されたらどうしようって、ちょっと心配してましたがよかったです」
「しないわっ! そこまでやったら単なるマッドサイエンティストだろっ!」
初対面の絵画のような印象はさっぱりと消え、今は単なるアホの子にしか見えなかった。幽霊だけど。というか──
「成瀬、ちょっと質問がある。最近うちの図書委員の間で幽霊騒動が起きてるらしいんだが、もしかしなくてもお前が原因だな?」
「あー、あはは、は……しょ、証拠はどこにあるんですか?」
「幽霊なんてとんでも生物がお前以外にポンポンいてたまるかっ! ったく、なんで怖がらせるようなことしたんだよ」
「うぅ......怖がらせるつもりなんてなかったんです……。私の姿って普通の人には見えないけど、霊感が強い人は輪郭とかがぼんやり見えちゃうみたいで」
「まてまて、お前の姿が見えない? 俺にははっきりと見えてるんだが」
「やっぱりそうなんですか......。でも、幽霊になってからこんな風に会話できたのは相葉さんが初めてですよ? だから、さっきは感極まってみっともないとこ見せちゃっいましたが」
幽霊になってから今までずっと、か。
「そうか、すまん。まあ明日から春休みだ。自習にやってくるやつなんていないだろうし、俺が鍵を開けにくるぐらいだから、気楽に過ごしてくれ」
「えっ、相葉さん、明日も来てくれるんですか……?」
成瀬の顔が、ぱぁっと明るくなる。分かりやすいヤツだ。
……まあ、幽霊になってからこれまでろくに会話なんかできなかったんだ。仕方ないか。
こいつはさっき、15年くらい前に幽霊になったと言っていたな。友達なんぞ必要ない俺ですら先生と会話ぐらいするし、同じ研究者同士なら激しく討論したりもする。けれどこいつは、世界から取り残されたまま、この学校で過ごしてきたのだろう。
想像するだけで、背筋がさむくなった。だからというわけではないが、相手してやるぐらいはいいだろう。
「不本意ながら、な。サボったら後で何を強要されるかわかったもんじゃない」
「……また、話し相手になってくれますか?」
「ああ、実験の合間にだったらな。……というか、暇だったら俺の助手でもやるか?」
それは半ば冗談で言ったつもりだったが、
「いいの!? やります、やります!! 相葉さん、よろしくお願いします!!」
成瀬は身を乗りだしてぴしっと敬礼していた。藍色の大きな瞳をきらきらさせ、興奮してこちらを見つめている姿はまるで仔犬みたいだ。
──いつかの自分も、こんな感じだったのかもな。
遠い過去、初めて両親の手伝いをさせてもらえることになった時。それはもう、記憶の彼方に埋もれてしまったが。
「わかった、わかったから落ち着け。とりあえず今日はもう遅い。明日からよろしく頼む」
「はい、明日ですね! ぜったいですよ、嘘ついたら憑りついちゃいますからね!」
「先生を脅迫する助手がいるかっ! ちゃんと来てやるから善良な幽霊でいるんだぞ! じゃあまた明日な」
「っ! はい、また明日!」
成瀬はとびっきりの笑顔のまま、すーっと薄れていき、後には静まり返った図書館の空気だけが残った。けれど、俺の心臓の鼓動だけは高鳴ったままだ。
それは、成瀬がいたという証拠に他ならなかった。
いつもと変わらないと思っていた高校二年生の春休みは、どうやら一生に一度レベルの不可思議な日々になりそうだ。