第3話
昔から、人の気持ちがわかっていない、と言われ続けてきた。女子を泣かせてしまうこともよくあった。まあそれも、お互いが会話を試みようとしていた小学生時代に限った話で、中学に上がってしばらく経ってからは、クラスメイトとの会話自体が無くなったわけだが。
とはいえ、久しぶりに目の前で女子を泣かせてしまった。背中からイヤな汗が出るのを感じる。
しまった、言葉が強すぎたか。しかしこいつは無断で校舎に侵入しているわけだし。いや、流石にいきなり“おいお前”は無かったか。
思考がぐるぐるとこんがらがり、結局、いたたまれなくなって部屋を出ようという情けない結論に至った。
「……悪かった。じゃあな」
くるりと背を向け、立ち去ろうとしたが、
「ま、待って! ごめんなさい、あなたが悪いんじゃなくて。お願いだからちょっとだけ待ってください……!」
必死に振り絞った声で、呼び止められる。
俺は彼女に背を向けたまま、わかったと言い、彼女が落ち着くまでの間、しばらく突っ立っていた。
1、2分くらいそうしていただろうか、深呼吸するような吐息が後ろから聞こえて、
「ふぅー。もう大丈夫です、落ち着きました。ありがとうございます」
振り返るとそこには、こちらを向いてはにかむ笑顔があった。
「突然声をかけて悪かったな。でもお前、どうやって鍵のかかっている図書室に入ったんだ? というか、お前はそもそも誰なんだ」
「えーと、……たまたまやってきた卒業生、図書委員のOBだから図書室の鍵を持ってる、とかでしょうか?」
「なんで疑問形なんだよ……。仮に卒業生だとして、なんでセーラー服着てるんだ。コスプレか? で、図書室の鍵を無断で複製してたら犯罪だろ。あと、お前の見た目はどう考えても年上に見えない」
「ひどいっ!! ……というか、人にはずいぶんと言ってくれますけど、あなたこそ何者なんですか? こんな終業式の夜に、誰もいない図書室に入ってきて、あやしーです! 不審者ですっ!」
泣いたり笑ったり焦ったり、今度は自分のことを完全に棚に上げ、ジトッとした目でこちらを睨んでくる。まったく、感情の起伏が激しいヤツだ。ここは理系の男として、冷静に対応してやろう。
「なにも怪しくない。俺は如月先生に頼まれて、春休みのあいだ図書室の管理をすることになってるんだ。その下見で来たら、どういうわけか鍵のかかった図書室にコスプレ女がいたってわけだ」
「コスプレじゃないもん! れっきとした学生だもん! そっちこそ、制服の上に白衣なんか着ちゃって、カッコつけてるコスプレ君じゃないですか!」
「これは科学室で実験してる時間が長いから、制服みたいなもんなんだよ! さては貴様文系だな。はー、これだから文系はいやなんだ。大体なぁ──」
冷静じゃない2人のやり取りが5分ばかり続いただろうか、お互いゼーゼーと肩で息をするぐらいに疲れてしまった。
「ま、まあ、お前にも事情があるんだろう。素性は問わないから、せめてどうやってここに入ったのかぐらいは教えてくれないか。これでも一応管理を任された身なんだ、抜け道とかがあったらまずいだろう」
「うーん、言ってもいいんですけど。あなたは......ごめんなさい、自己紹介もしていませんでした。私は成瀬七海っていいます。あなたのお名前を聞いてもいいでしょうか?」
小さい頭をぺこりと下げて名乗る少女。
ああ、きちんとした親に育てられたんだろうな。所作のところどころから、そういう雰囲気がうかがえる。
「相葉祐一。2年生だ。この4月から3年生になる」
「相葉さん、ですね。よろしくお願いします。ところで、つかぬことをお聞きしますが、相葉さんって......いわずもがな理系、ですよね?」
「そうだな、科学はこの世の真理だ。科学を学ばないなんて選択肢はないだろう」
成瀬は諦めの入った表情で、うわぁ……、とつぶやく。
なんだ、理系で何が悪い。文系なんかの100倍、いや、比べ物にならないくらい優れた分野だろ。
「……本当のこと言っても、怒ったりしませんか?」
「どういうことだ? 本当のことなら怒るわけないじゃないか。だから正直に言うんだな」
彼女は、はぁー、と息をはき、意を決した表情で、
「私、幽霊なんです。20年前くらいに事故で亡くなって、それからずっとこの学校に住んでて……。だから、鍵のかかった部屋とか関係なくすり抜けて入れちゃうんです」
およそ科学とはかけ離れたことを打ち明けるのだった。