88 *マリッタ*
わたしはマリッタ。ミリエイラ商会の娘でザンバドリ侯爵家の下女だ。
侯爵家ともなれば下女と言え、信頼のある家からでないと雇うことはない。大商会の娘でもないと無理でしょう。
わたしも厳しい審査と何日にも及ぶ面接。そして、親戚筋の伯爵家で一月の研修を受け、やっと侯爵家の下女となれるのだ。
そんな厳しいまでのことをしてなにか得があるかと言われたら、商会の娘としては得しかなかった。
わたしの場合は家での立場がよくなり、いいところへ嫁げる可能性が高くなる。嫁いだ先でも立場はよくなるでしょう。それだけこの国ではザンバドリの名は凄まじいのだ。
ザンバドリ侯爵家でのわたしの仕事は掃除だ。けど、掃除だからと言ってバカにはできない。
王国でも王家に次ぐ力を持つ家。そこにあるものは高価なものばかり。小さな花瓶でもわたしの一年分の給金になるでしょう。気を引き締めてやらないと自分ばかりか家にも不幸が飛び火するわ。
選び抜かれた下女とともに仕事を励んでいると、話したこともない侍女長様に呼ばれた。
──わ、わたし、なにかした!?
こちらへと、なぜか奥様の執務室へと連れていかれた。
平常心を装うが、内心は荒れ狂う海になっている。侍女長様に呼ばれるどころかザンバドリ侯爵夫人の執務室に連れてこられる。気の弱い者なら失禁してるところだわ。
……な、なんだろう? 叱咤ではないと思うけど……。
「マリッタ。シャ、いえ、シャルロットが街へ出たいと言うから付き添いをお願いね」
シャルロット・マルディック。その方は、最近侍女として館にやってきた男爵令嬢だ。
だが、侍女様たちの態度と侍女長様の対応から、ただの男爵令嬢だということなど下女どころか料理人に至るまで誰も信じてはいない。
詳しい事情はわからないが、お嬢様からシャーリーねえ様と呼ばれていることからして、侯爵家に匹敵する立場のお方だろう。
そんなお方の付き添い? わたしが? 下女としてまだ一年のわたしに?
いや、侍女様のお出かけに下女が付き添うことはある。わたしも何回か付き添いに出たこともある。
けどそれは、身分の低い侍女様だ。伯爵令嬢級の侍女様は自分の家から連れてきた下女がいる。商家の娘たるわたしに付き添えとはいかな理由なの?
「あなたはミリエイラ商会の娘で、街にも詳しいでしょう。なにより、家の力も使えるでしょう。不慣れなシャルロットを支えてあげてちょうだい」
「はい。畏まりました」
ここで否とは死んでも言えない。これは、ザンバドリ侯爵夫人の命令だ。逆らえる者などいないわ。
「メアリ、よろしく」
「畏まりました」
侍女長様と執務室を出て、侍女用の談話室へと連れてこられた。
「ミリエイラ商会にはわたしから手紙を出します。シャルロットに付き添い、無茶をしないよう支えてください」
説明にもなってないけど、伯爵家での研修で叩き込まれた。支えろとは命を懸けろと言う意味だと。
その際、命を落としたら家への見舞金(報償金かな?)は莫大なものになり、ミリエイラ商会の地位もよくなる。
わたし自身にはなんの得にもならないけど、なにもなく、しっかりと勤め上げればわたしの成果になり、地位も上がる。きっと給金も上がるでしょう。なにより、家での立場が上がる。お兄様たちとも対等になれるでしょうよ。
……商家の娘の生き残りは厳しいものなのよ……。
「あなたからも手紙を出しなさい。夕方には使いを走らせますから」
きゅ、急ね!? いや、それだけの事と言うことか。シャルロット様、いったい何者なの?
「畏まりました。すぐに手紙をしたためます」
ザンバドリ侯爵家の下女は伯爵家の侍女くらいの教養と学を求められる。このくらいでおたおたしてては勤まらないわ。
侍女長様に一礼し、自室へと戻って家への手紙をしたためる。
手紙を侍女長様に渡し、シャルロット様の様子を窺う。なにも知らないで付き添えは厳しいからだ。
侍女長様もそれがわかっているから掃除から連絡係へと昇格させてくれた。
手紙を出してから二日。なにかに取り憑かれたシャルロット様しか見れなかったけど、凄まじい能力の持ち主なのは理解でき、休日の日を迎えた。
家から返事は届き、どこへ出かけても大丈夫なよう支店へと連絡をいき届かせてくれたそうだ。
下女服から街服に着替えてシャルロット様の部屋へと向かった。
さあ、やるわよ、わたし!




