二章
二章
天然の皮はやはり人工の物とは比べ物にならないことを改めて知った。
しかし、それでも寒いものは寒い。
日が照っていないのなら当たり前とも言えるが。
「夜明け・・・か」
通常であればこういうものは全てが終わったあとに見るもの・・・と相場は決まっている。
俺はもう終わっているのかもしれないが。
一応、胸に手をあてて確認してみると、脈を打つ音が手を伝わって確かに聞こえた。
・・・他の連中は大丈夫だろうか。
命を賭けたサバイバルをしているのにも関わらず、敵のことを考えるのも変な話だが。
考えてみると、今現在、寒くて風邪をこじらせているやつも数名はいるのかもしれない。
敵の戦力が減るのに越したことは無いが。
腹の異常を感じて歩き始めた。
盗る、といってもやってみたことがないのだから、どうすればいいのかわからない。
「テレビの特番でも思い出しながらやってみるとするか」
実際、テレビの警察の特番はされる側にとしては好都合といえるのでは無いのだろうか。
こういう素振りをするやつは万引きするやつだ、というのを堂々と公言するのはいかがなものだろうか。
現に、素人の俺でも簡単だった。
朝の空いている時間帯なら、逆手をとって行動しやすいというもの。
ましてや、大してでかくない地域のスーパーであればなおさらだ。
若干、四十代後半の異性の目が気になるが、無視しておく。
そういえば、別に盗らなくてもいいことに気がついた。
少し目をひいてしまうこととなるが、試食品を食べればいい話だ。
さらに、今は開店直後。まだできたてだ。
少し苦労して盗った食物を元の場所に返す。
しかも、時間が経つと見つかる可能性も零では無い。
よくよく考えてみればここは俺達の通っている高校の生徒がよくパンを買いに・・・・・・
まずい。
今現在、どこから狙われているかわからない。
自分の気の抜けかたに腹が立った。
しかし、今は意地でも寝ておかなくてはならない。
出会い頭に襲われないように野菜コーナーを抜け、そのまま真っ直ぐ進む。
空気に似合わない異常な緊張感と興奮状態が続く。
すれ違う人、一人一人に疑いをもってしまう。
こいつの後ろに誰か隠れてないか。
変装じゃないのか。
気圧差で生じる風が体に当たった瞬間、
今まで聞こえてこなかった鼓動がようやく聞こえてきた。
ようやく暖まってきたばかりだというのに、首筋は場違いに冷えていた。
食料調達・・・新たな手を考えなくてはいけないようだ。
非日常的体験により、腹の異常がさらに高まる。
そういえば、「減っても減ってもなくならないものは?」と、五、六年前によく出した覚えがあった。
一週間もすればそのネタが尽きてしまうことはわかってはいたが。
で、食料調達。
本格的に四千年前に戻ったほうがよさそうかもしれない。
しかし、それでは本当のサバイバルになってしまう。
今でも本当は本当だが。
ここから山に行くには・・・ざっと二時間というところか。
ふと目をそらすと近くにまだ舗装されていない川があった。
このあたりには珍しく、川底が見える。
近くにあるこれまた珍しい水田からさっと拝借し、生きているまま投げ込んだ。
・・・何匹かいるようだ。
別に俺はボーイスカウトをやっていたわけではないが、釣り竿の作り方ぐらいなら心得ている。
竹、竹・・・無い。
このあたりに無いのだとしたら、どこで覚えたのだろうか?
田舎にばばあがいるわけでもないし。まあ、ここでも都会から見れば十分田舎だが。
足元にあったどちらかといえば棒状の石を足であげ、同時にイナゴを・・・・・・
・・・取れなかった。どちらも。
虻蜂取らずとはまさにこのことだろう。
誰もいなかったことだけでも感謝しなくてはならない。
雷刃裂で・・・無理だ。
川魚の警戒範囲外では多分届かない。
仕方なく、石を拾おうとして屈んだ瞬間。
ついさっきまで胴体があった辺りのところを何かが高速で通り過ぎた。
その行く末はわかっているようでわかっていなかった。
細い棒状の鉄のようなものに羽のようなものがついた、
矢だった。
「・・・やっぱり、一発じゃ、当たらないよね」
振り向くと、そこには水田を一枚挟んで不可思議な形をした弓を持った梓がいた。
「殺そうとしたのか?俺を」
「そうじゃなかったら何?」
梓の顔には自己嫌悪の表情がありありと出ていた。
「音波は何にも気付かずに、すんなり逝ったよ。
今と同じくらいの距離で」
「・・・梓、お前は何のために人を殺す」
「自分が生き残りたいからじゃないかな」
梓は少し微笑んだように見えた。
「結局人間って、あいつの言う通りの動物なんだよね。
だから、私も他人を犠牲にして生きてきた。
今も昔も、同じ」
稲で風が見えた。
「・・・俺は生まれた瞬間からそう思っているから、別にその観念を気にはしない。
だが、お前はいいのか?
俺は死にたくは無い。だから、お前と対峙するだろう。
だが、その時はまだ早い。聞くべきことが色々とある。
もう一度聞く。お前はそれでいいのか?
ただの女子高生として生きていくんじゃないのか?」
「ただの女子高生として生きるなら・・・その方法をとらなきゃいけないんだと思う。
友達と話を合わせるために、携帯いじって、メールやって、人を罵る。
その友達が嫌いだから、っていう理由で私もその人を嫌いになる。シカトする。
その人が前に仲良くしていた人でも、それはそれで構わない。
前の関係が壊れても、今が大丈夫ならそれでいいから」
一度、梓は言葉を区切って、なびいた髪をかきあげた。
「・・・みんなわかってるんだよ。きっと。
そうしなくてもいいはずなのに・・・どうしてもそうしてしまう。
そうじゃないと生きていけないような不安に陥るから。
そうやって、人はみんな同じように生きて、同じように死ぬんだよ」
「つまり梓は、それをわかっている正しい人間だっていうことだ」
梓は大きく首を横に振った。
「そうだけど!そうだけど・・・・・・
私だって、普通に生きたいって思うのは変わらないよ!」
もう一度あげた梓の顔には涙が光っていたように思う。
「そうやって生きたいけど、そうやってなんか、生きていけないよ・・・・・・」
「孤立するから・・・か?」
無理に笑顔を作って梓が言った。
「一人になるのは好きだよ。でも、一人になるのは嫌だ。
一人になるのが嫌だったら、みんなと同じことして、同じ服着て、同じ髪型しなきゃいけない。
じゃなきゃ、いじめられるに決まってる」
「いじめられるのは・・・嫌いか」
梓がいつもの表情に戻った。
「マゾじゃないから。私」
「当たり前だろうが」
「冗談、通じないんだね」
「・・・・・・
ここからは俺の持論・・・ということになるが、
『いじめ』は必ずしもマイナス以外の何物でもない・・・というわけでは無いように思う。
・・・昔話になるが、俺もそういう時期があるにはあったからな。
俺は道の端しか歩かないやつだったからな。・・・はずれるときもあったが。
それは辛くないわけなかったさ。でもまあ、へこたれることは無かった。次の日になったら忘れてたからな」
後ろを向いたら、矢が消えていた。
「結局いろいろあったが、二年もすれば無くなった。・・・ターゲットが変わっただけだったが。
結論を言わせてもらうと、『いじめ』は良い人生を歩むためには必要不可欠と俺は考える。
それによって、人間の『正の心』と『負の心』を知ることができたからな。
それと『いじめ』を乗り切るにはポジティブ思考か、俺みたいにすぐ忘れる頭が必要だと思う。
ネガティブ思考だと、その『いじめ』はマイナス以外の何物でもなくなってしまうからな」
「演説ありがとう」
「どういたしまして」
梓の表情が強張った。
「・・・あと聞きたいこと無い?」
「無い」
「・・・わかった」
梓が弓を引くとその両手の間に銀の矢が生成された。
矢が俺の遥か脇を飛んでいった。
俺は雷刃裂を構えると畦道に沿って全力疾走した。
たまに来る際どい矢を走って避けながら、畦道をひた走る。
こけかけながら最後の角を曲がると、そこには焦っている梓の姿があった。
膝の屈伸運動によって梓に飛びかかる。
梓が目を閉じながら弓で雷刃裂を受け止めた。
「・・・受け止めた!?」
「案外非力・・・なのね」
そんなわけはない。
男子で考えると平均的な運動能力ではあるが、女子で考えると上級ランクに食い込む。
いくら運動部と帰宅部との対決とはいえ、それはありえない。
「・・・全員が戦闘になると人間業じゃない身体能力を生み出せるらしいな」
考えてみると、俺達はもの凄いことをやってのけていた。
弓道部でも無い梓が鉄製より重いかもしれない矢を放ち、
わずか十メートル先から飛んでくる矢を避け、
百メートルはあろうかという畦道を八秒とかからず走り抜け、
五メートル以上膝の力だけで跳んだ。
今考えているこのことも、通常より二倍以上速いスピードで駆け抜けていく。
梓が雷刃裂をはね返し、俺は数十メートル以上吹っ飛んだ。
間髪入れずに梓が飛び掛ってくる。
慌てて横転すると少し粘質の地面に弓が風と共に刺さった。
刺さってくる弓を片手で受け止め横に投げる。
梓の体が空中で横転しながら地面に叩きつけられた。
すかさず立ち上がると雷刃裂を梓の顔面目掛けて振り下ろす。
梓が弓の柄の部分で受け止める。
チャンスだ。
「流れろ!」
梓の体が大きく仰け反り、顔に悲痛の表情を浮かべながら腰を地面に叩きつけた。
「・・・・・・」
自分でも無意識のうちに、俺は梓の左手首を握っていた。
脈打つわけもない。
首に手を当てる。
脈打つわけもない。
自分がどんなことをやっているかなど考えもせずに胸に耳を当てる。
脈打つわけもない。
殺した。
殺したんだ。人を。
「・・・・・・」
この手で。
この神刀で。
この雷刃裂で。
「・・・・・・」
こんな調子で、生き残れるのか。俺。
三十人の命なんて背負えるのか。俺。
「・・・なあ、梓。
やっぱり、俺も他人を犠牲にして生きてしまったよ」
他人では無いクラスメイトの死。
しかも、自分の手によって。
もう生き返ることは無い・・・クラスメイトの死。
今なら、動かないはずの親友に思わず語りかける親友の気持ちがよくわかる。
「お前の、自分らしく生きたい、という願いは見事に尽きてしまったが、
俺の願いは決まった」
俺は梓の目を閉じてやった。
「二年五組、三十三名を全員元に戻してやる。
何事も無かったように」
梓の体が砂となって昼下がりの空に散っていく。
「疾風は、俺達を殺す気らしいが、それでも構わない」
不思議と止めようとかそういう気にはならなかった。
「やつにも逆らえそうにないしな」
最後の一欠けらも無くなった。
「そうしたら、背負わなくてもよくなるからな。
・・・逃げだと言うなら言ってくれ。
それに、許さないだろうが、謝る。
人生で最初の懺悔をお前に捧げてやるんだからな。感謝しろ。
ごめん」
爪の間に砂が入ったまま、俺は梓がしとめてくれた魚を焼いていた。
無論、火を起こしているのは帰り道に見つけた粗大ゴミのガスコンロだ。
「魚にありつけても綿を取らないで、苦い思いをしながら食ってるやつがいるんだろうな」
ふとそんなことを思ってみたりする。
なんだかんだでサバイバル術は自然と身についていたのかもしれない。
・・・誰かのために何かをする。
考えてみればこれも人生で初めてのことだ。
他人以上、友達未満という関係のやつだったが、クラスでは中心でも無ければ端でも無いグループの聞き手側にいたやつだと思う。
・・・今、生存者数は一体何人なんだ?
「現在二十五名」
説明を受けた時と同じ声が頭の中に流れた。
便利な機能だ。
ということはあいつ以外に四人・・・か。
一人でさえもこんなに感傷に浸ってしまうというのに、この先本当に大丈夫なのだろうか。
これから殺す・・・いや救ってやるやつはそんなことを考えないようにしなければいけない。
・・・正義者ぶってるな。俺。
誰か一人ぐらいいないと、話にならないんだろうがな。