プロローグ
俺は目の前の老人が気まずそうにしながら口を開くのを無言で待っていた。その老人が何を言いたいか?それは十分に理解していたし、自分の頼みが厚かましい事も、叶えるのが難しい類の願いであるという事も理解していた
「今のこの御時勢。いくら知り合いの孫とは言え……前と同じ賃金で都内の一等地に店を貸す事は出来ないんだ」
「……そうっ……すか。ありがとうございました」
判っていた事だった。だから俺は老人に頭を下げる
「私としては君の願いを叶えたい。神崎の孫だからな、本当にすまないと思っている」
「……いえ。万丈さん、十分の骨を折って貰いました。俺だって知ってます、あそこで店を出したいって人間が多いのは……」
『飯処神崎』俺のじいちゃんがやっていた食事処だ。俺の親父は料理は嫌いだが、俺は料理が好きだった。隔世遺伝って奴なんだろうな……じいちゃんの元で和食を学び、じいちゃんの金で海外で本格中華やフレンチも学んだ。それはじいちゃんの言葉でもあった
『馬鹿孫。ワシは和食しか作れん、それしか知らんからな。ただお前が店を継ぐって言うなら、料理の種類を増やせ』
食いに来てくれた人間が喜ぶような飯を作れと、大学を出たばかりの俺を武者修行の名目で海外に送り出したのだ。言葉が通じねえ?んなもん、気合で何とかしろっと言う無茶苦茶な言葉がじいちゃんの人間性を如実に現していただろう。強引な人だったし、怖い人でもあった。でもとても優しい人でもあった
「すまないな、雄也君」
「いえ、本当ありがとうございました。俺が遅かったのが悪いっす」
海外での修行中にじいちゃんが死んだと聞いて日本に戻ってきたが、親父は既に店舗を畳み。大家さんである万丈さんに話をつけてしまっていた……俺の手元に残ってたのは「飯処神崎」の暖簾とじいちゃんの遺言に基づき残された僅かな遺産だけである
「代わりと言っちゃあなんだが……ここら辺で店屋をやっていて、店を貸している連中の名簿を用意した。こいつで勘弁してくれ」
「勘弁してくれなんて……とんでもない。ありがとうございます」
万丈さんに頭を下げ、俺は万丈さんの屋敷を後にした。
「……すまねえな。健二……ワシもお前さんの後を追って死んじまいそうだ。ワシは意思はとおらねえんだ、くそ息子はワシを年寄り扱いしやがる」
窓から歩いて行く雄也を見つめていた万丈は申し訳無さそうにそう呟き
「雄也君が店を持てるといいんだけどな。おめえとそっくりすぎるぜ……健二よぉ」
若い時の健二そっくりに育った雄也のことを考え、顔で損するぜ、お前も雄也君もよと呟き、背もたれに深く背中を預け葉巻を口にするのだった……
「ありがとうございました……」
俺はそう口にしたが、正直内心は不快感で一杯だった。顔を見るなり、怯えまともに話す気配も無い店員もそうだが……まともに話す気が無い。俺はそう感じずに入られなかった
(そんなに強面か……?)
親父は穏やかな顔をしているが、俺は若い時のじいちゃんにそっくりで目付きは尋常じゃなく悪いし、学生時代は剣道と空手をしていたからか身体もでかい。そのせいで怯えられるのは慣れているが、それでも俺は客なんだ。まともに接客位しろ……
「っても困ったな」
手にしている名簿に×印をつけたところで思わず大きく溜息を吐く。紹介された店で俺に店舗を紹介してくれたのは10件の中で僅か2件。しかも紹介してくれた居抜きの店舗も設備は古く、開業するならば更に資金を使う必要がある
「一応保留にしてもらったが……あそこは厳しいなあ」
中華の回転テーブルのある店と古い居酒屋と飯屋として開業するのは厳しい物がある。
「……しゃーねえ。他の所で聞いてみるか」
リストは大半が潰れたが、まだ全部ではない。その中には俺が求めている理想の店を紹介してくれる店舗もあるかもしれない、俺はそんな
淡い希望を抱いて再び地図を頼りに移動を始めるのだった……
「マジかよ……」
万丈さんの紹介と言う事でテナントを紹介してくれた店はそれなりにあったが、やはりそのどれもが古い。しかも俺が飯屋をやると言って信じられないという顔をしていたのが更に腹立つ……公園のベンチに座り、候補として残った4件を見る
「うーん……ギリギリでこれかぁ……」
都内ではあるが、駐車場は3つ。それに入り組んだ路地の先と条件が悪すぎる……元々まともな条件の店って言うのは難しいと思っていたが……流石にここはなあ……
「かといって、居酒屋と中華料理店の跡ってのもなあ……」
贅沢が言える立場ではないが、ちとコレはひどい。駐車場の数も多いし、大通りにも面しているが近くに食い物がある。と言う立地が余り宜しくない……仮に開業したとしても回りの店と競合になり潰れる可能性が高い。常連が既に着いている店と喧嘩して勝てる訳が無い
「あーあ、くそ親父め」
なーにが、金が勿体無いだ。今時飯屋なんて流行らないだ!!!俺がじいちゃんの店を継ぐつもりなのがそんなに気に食わないのか……
「ホテルに戻って考え直……っぷう!な、なんだあ?」
実家に変えるつもりなど毛頭無く。借りているホテルに戻ろうかとしていると、突風に煽られ何かのチラシが顔面に当たる
「貴方の探している店がきっとある……カイン賃貸ねえ……」
聞いた事ない賃貸だな。とは言え……なんか気になるな。俺は直感っと言う物を大事にしているのだが、これには何か不思議な魅力を感じた。何かあると、そう思ったのだ
「近いし、行って見るか」
どうせこの後はホテルに帰るだけだ。それなら駄目元で言ってみるのも悪くない、チラシを頼りに俺はカイン賃貸とやらに足を向けるのだった
「おや、いらっしゃい」
(だ、大丈夫か?)
ボロボロの小さな小屋みたいな店に絶句し、更に店員が外人と、大丈夫か?と言う不安が頭を過ぎる。だがここで帰っては俺に偏見を持ってまともなテナントを紹介しなかった連中と同じだ
「店を探しているんだ。居ぬきで良い店は無いか?」
「居抜きね……んーっと」
ばさばさとフォルダをめくる店員。ちらりと見たが、フォルダこそ立派だがその中身はすかすかだった……それにまた不安が鎌首を擡げるが……自分の直感を信じたのだ。今更ちょっと店が古いとか、店員が外人とかで逃げる訳には行かない
「都内じゃないけど……こんなのはどうだい?」
差し出されたテナントの情報を見て、思わずおっと呟いた。確かに都内ではないが、交通の便はそう悪いわけでもなく、少し街外れにあると言うだけで条件は全然悪くない。ただ
「この曰くつきってのはなんだ」
赤字で大きく曰くつきの文字。それが少し気になり店員に尋ねる。店員は悪戯っぽく笑いながら
「色々と起きるかもしれないって話さ」
「起きる?出るんじゃ無くてか?」
そう、出るんじゃなくて来るんだ。色々とね……含み笑いをしながらどうする?と尋ねてくる店員。出るだったら幽霊だが、起きるってのはなんだ……予想もつかないんだが……
「その起きるってのはなんだ?」
「さぁ?でも色々と起きるのさ、色々とね」
口にするのは難しいよと笑う。起きるってのが気にはなるが、カウンター席4つ、4人掛けの机が4つならぶ和食所って感じの店舗が月々8万と言うのは破格だ
「判った。この店を借りたい」
「ありがとうございます。では明日現地でお会いしましょう」
「ああ、よろしく頼む。えーっと?」
「カイン。ここの店長のカインです、お見知りおきを」
にこにこと笑うカインにこちらこそよろしく頼むとその手を握り返し、俺は今日の所はカイン賃貸を後にするのだった……
……翌朝……
「中々立派じゃないか!」
神無市。昔から「神隠し」や。天狗や鬼に纏わる伝説が多い街、古き良き日本と言う感じのこの街の外れに俺が借りる店舗はあった
(中々雰囲気あるな)
元々神隠しなどで有名な街だ。街外れというのはあり中々雰囲気のある場所だが、建物自体はがっちりとした立派な作りの建物だ。住居兼で考えればかなり上等な建物だ。ただ本当に街外れでここが最後の人間の気配のあるところって感じが中々不安だが……
「ガスも水道と電気は夕方から通りますよ?では中をご案内しましょう」
カインに先導され店の中に入る。木で出来たカウンターに少し埃を被っているが、掃除すれば全然使えるであろう食器……それになによりも
「気に入った。ここだ、ここ以外ありえない」
じいちゃんの店に似ている。雰囲気も、家具の置き方も……そして厨房もその全てがじいちゃんの店にそっくりだ
「お気に召した様で何よりです。ではこちらの契約書にサインを」
「ああ。直ぐに頼む」
これだけの店は二度とめぐり合えん。やはり俺の直感を信じて正解だった……カインの差し出した契約書にサインをしようとして
「このなんだ、日常と非日常ってのは?」
「選択には大きな責任が付きまとう。日常と非日常、君を驚かせ、そして飽きさせない毎日がこれから訪れるが、それに対して文句を言わないって事さ」
「それが色々起きるって奴か?」
その通り。どうする?止めるかい?と笑いながら問いかけてくるカイン……これがきっと最後の問いかけなのだろう。もし断ればこの話しは無かった事になるかもしれない
「冗談きついぜ、ここまで来て止めるかよ」
契約書に「神崎雄也」の名前をしっかりと書き込む。カインはそれを見て穏やかに微笑み
「では今日からここが君の店だ。ありがとうございました」
「ああ、ありがとな」
多少曰くつきだろうが、色々起きるだろうが……都内でまともな店を借りれない事を考えれば、この店に勝る物はない。俺はカインから差し出された紅いアクセサリーのついた鍵を受け取ったのだった……
「ん、んーいい朝だ」
夕方から通ったライフライン、そこから大急ぎで掃除と開店の準備を始めた。だが始めた時間も時間でいくら手際よくやったとしても、終わったのは深夜を回っていた。普段よりもかなり遅い起床時間となったが、俺は満足していた
「ここが今日から俺の城だ」
テナントではあるが、働いて、働いて……そしていつかこの店を買い取ればいい。今の俺にはそんな野望がふつふつと胸に湧いていた。普段より遅い目覚めとは言え、普通の人間からすれば十分に早い。
「まずは味噌汁の仕込みだな」
飯屋と言えば味噌汁。汁物に手を抜いて繁盛した店は無い、だからまずは味噌汁の仕込みからだ。材料自体は昨日ライフラインが通じたのと同じ時分に発注していたのが全部届いたので準備は万全だ。水を張った鍋に昆布を入れ弱火で火にかける
「具材はシンプルにネギと豆腐、それとわかめで良いだろう」
豚汁というのもありだが、それだと豚汁と飯だけで完成してしまう。だからここはあえてシンプルなネギと豆腐だけの味噌汁にする
「よし、良い頃合だ」
昆布と鍋に気泡が出てきたタイミングで昆布を取り出し、賽の目に切った豆腐と水で戻したわかめを鍋の中に加える。煮立たせる
「よしよし、良い具合だ」
ネギは注文が入ってから入れる。そうじゃないと柔らかくて食感が悪い物になるからだ、出汁が沸騰し、具材に火が通ったら1度火を止めて、沸騰が静まってから弱火で火を再び掛け、沸騰させないように気をつけながら白味噌を溶かし入れていると、ガラリと店の扉が開く音がした
「すんません。まだ準備……の?」
暖簾をかけてないので大丈夫と思っていたが、朝から働く工場作業員や工事員だろうと思い。厨房から顔を出したのだが……そこにいたのは工場作業員でも警備員でも工事現場の人間でもなかった。と言うか……人間じゃなかった
「まだやってないのか……ちっ、腹が減ってるんだがな。これだけ良い香りをさせてるのに、まだやってねえってのはずいぶんと酷じゃねえか?ええ?」
褐色の肌をし、筋肉の鎧を身に纏い、実際に鎧を着込んだ大男……に見えるが、そうじゃない。その男の目は1つ目で額には角、口からは鋭い牙が見えていた……なんと言うか、うん。モンスター……モンスターだ
(色々来るってこれかあ!?)
なんでモンスター!?と言うか日本じゃないのか!?と完全にパニックになっているのだが、そこは身体に染みこんだ接客が始まる事で、パニックは強引に静まる
「そうだな、少し早いが、開店第一号のお客さんだ。少し早いが準備するぜ」
「そいつは良いな。つうか、お前さん人間かい?」
人間だと不味いのか?と思いながら頷くと、モンスターはがっはははっと笑いながら
「ずいぶんと良い面構えをしてるからな、オーガかなんかだと思ったぜ」
「は、はは……そらどうも」
俺強面だけど、何?モンスターと勘違いされるレベルなのか?そら人間が怖がるわ、28年生きて初めて知った真実だ
「肉はあるか?がつんっとパンチの効いた肉を頼むぜ!」
どかっと4人掛けの机に座り注文を出すモンスター。カインに文句を言ってやりたい気持ちで一杯だったが、相手が何であれ客だ。ならば飯を出す、それが料理人としてなすべき事だろう。俺は腕に巻いていたバンダナを解いて、頭に巻き気合を入れるために頬を叩き、モンスターに水を出す
「あん?水なんて注文してないぜ?」
「サービスだよ。サービス」
へー水がサービスとは太っ腹だと笑うモンスターに水は稀少品なのか?と思いながら厨房に戻り、メニューを考える
(ガツンとパンチのある肉料理……か)
トンカツ、から揚げ……と色々思う浮かぶが、冷蔵庫を開け真っ先に飛び込んできたのは、豚ロース肉……
(うっし決まり!)
豚のしょうが焼き定食に決まりだ。ガツンとパンチがあって、飯も進む。これはが一番最適なメニューだと判断し、俺は冷蔵庫から豚ロース肉を取り出すのだった……
はい、どうも混沌の魔法使いです。飯テロに続行して挑戦中です!「モンスターの料理人」はストーリー形式ですが、こっちは一期一会のシナリオで書いて行こうと思います。どっちが反応がいいのか?反応を見ながら執筆して行こうと思います。それでは次回の更新もどうかよろしくお願いします