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葵と木瓜  作者: 響 恭也
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夢幻の如く

 柴田修理介勝家にござる。織田家に置いて勘十郎さまの家老を任じられておる。


 ある日、夢を見た。三郎さまが行状を改めず、そのまま数年が過ぎていたら……?

 家中は割れていた。正室のお子である三郎さまと勘十郎さま。三郎さまはうつけの評判ばかりが広まり、あれが跡継ぎであれば弾正忠家は終わりだとすら言われていた。儂も同じく、三郎さまの本質を見ずに、噂をうのみにしておった。

 自分の直属である勘十郎さまが家督を継げば、自らの地位も上がる。そういう下心も後押ししておったことは認めよう。夢の中である故、もう一人の自分たる権六を儂は醒めた目で見つめていることができた。

 稲生の戦いで、儂は完膚なきまでに負けた。大雨で川を渡れぬと見せかけておいて、領内を庭のように知り尽くしていた三郎さまはこちらの虚を突く形で川を渡り、わが軍の背後を突いた。

 さらには槍林の異名を持つ林美作を一突きで馬上から叩き落した武勇。あのような真似、儂にもできぬ。無論美作にも油断があったのだろう。驚きに我を失っていたのかもしれぬ。であっても、器用の仁と言われた先代信秀様にもあのような真似ができたものか。

 儂は三郎さまに降った。三郎さまは「尾張の武士が相争うて喜ぶは三河か美濃よ。まさしくタワケの所業よな」

 自らのうつけ呼ばわりを諧謔して諭す余裕。勘十郎さまは敗戦に顔面を蒼白にし震えておられた。人間としての出来が石くれと黄金ほども違う。そう思ってしまった。

 むろん勘十郎さまも武勇は見事であるし、弾正忠家の家格にふさわしい学問、礼節を身に着けておられる。

 しかし、勘十郎さまでは守護代の家老としてはつとまっても、それより上は無いだろう。そして遠からず今川に飲み込まれるであろう。

 そうなれば、今川の先手として使いつぶされるのが関の山。尾張統治の名分としては守護様がおればよい。織田などいくらでも代わりの効く人柱程度の扱いであろう。

 実際三河との小競り合いで、最も危険な場所には必ず松平衆が配置されていた。あれが我らの前途となるであろう。


 悲しき出来事が起きた。勘十郎さまが殿によって手打ちとなった。一度許され、弾正忠家の連枝として働くことが許されたというのに、津々木のタワケが勘十郎さまをけしかけよった。

 ただ、津々木程度に操られてしまうのが、結局勘十郎さまの器であったのだろう。付家老として忸怩たるものがないわけではないが、ここは割り切るしかないか。


 さらに時は流れ、尾張一国は殿の手にほぼ落ちようとしていた。だが南東部は今川に蚕食され、儂が入っている末森は前線に近い位置となっている。

 そして、ついにその時はやってきた。今川治部が5万を率いて駿府を発ったという。無論大げさに言っているにしても2万近く。さらに荷駄などの任側も含んでいると考えれば、戦闘に耐えうる兵はいいところ1万であろう。

 そして、弾正忠家の兵はかき集めても3000がいいところだ。前線に入りつけている番衆を引き抜けばもう少し集められるであろうが、鳴海から一気に兵が北上されれば熱田が落ちる。

 熱田に集う織田家の武者たち。殿の激に士気は大いに高まった。

「権六は別動隊を任す。今川の貉めを見つけたならばその首を必ず取るのじゃ!」

「はっ!」

 こうして一手を率いて進軍したが……我が手勢が桶狭間山にたどり着いたときには戦は終わっておった。

 服部小平太が義元の首を取ったとのこと。武勲を上げられなかった悔しさはあるが、織田弾正忠家が今後も存続できることに安どの息を漏らしてしまったのだ。


 あの桶狭間から2年。三河との和睦が成立した。清須城で手打ちの儀式が行われ、松平の嫡子と五徳様の婚約も結ばれた。

 殿は美濃を取るつもりなのだろう。山城守殿の国譲り状を名分として。どちらかというとお濃の方の仇討ちの方が強い気もするが。

 そしてある日、わしは殿に呼ばれた。


「権六よ。一つ頼みがある」

「殿、儂は殿の家臣にござる。ならば命じられよ。身命に替えて果たして御覧に入れる」

「で、あるか。なれば問う。松平蔵人をどう見た?」

「そうですな。凛々しき武者であると思います。彼の仁が味方とならば織田家にとって心強いことこの上もないでしょう」

「ふむ、あれはな、狸よ。貉の娘婿にふさわしい」

 貉とは……今川治部のあだ名であったな。狸か。確かに油断のならぬ仁にも見えた。

「狸、にございますか」

「狸は人を化かし鳥獣を食らう。油断すればその首を食いちぎられるであろうよ」

「しかし同盟を結んだばかりにございましょう?」

「それこそが油断であると言うておる。武田晴信を見よ。妹婿をだまし討ちにしておるではないか。油断すれば寝首をかかれるのじゃ」

「……おっしゃる通りにございます。して、儂のお役目をお聞かせ願えますか?」

「まず、先に言うておく。美濃攻めには権六を用いぬ」

「であればなおさら、儂に課されるはそれほど重いお役目ということですかな?」

「まず、貴様は勘十郎の謀反を防げなかった咎で蟄居といたす」

「……」

 この先があるはずだ。そう思ったゆえに儂は表情を変えずに話を聞く。

「ふむ、動じぬか。この場で斬られても仕方ないと思うておったが」

「わが命、すでに殿に預けてござる。故に、その先を聞きたくて仕方ないのでござる」

「……松平への備えよ。まず蟄居という形をとるのは貴様が我に不満を持っているということにしたいからだ」

「なるほど」

「松平から接触があれば、すぐに報告せよ」

「承知仕った」

「そしてここからが本題じゃ」

「ふあっ!?」

「権六よ。貴様は武勇は優れおるが、視野が狭く思慮に欠けるところがある」

「稲生で思い知ってござります」

「故に、我が美濃を取るまでそこを補うようにせよ。兵書を読みたければいくらでも用意しよう」

「……如何なる仕儀にございますか?」

「かかれ柴田は織田の看板となっておる。しかし策に嵌って負けたとなれば武名は一気に泥にまみれよう。そうならぬためじゃ」

「ほう。それはそれは……」

「権六。我を信じるか?」

「無論にございます。七枚起請を書いても構いませぬ」

「ふん、そんなものはただの紙切れよ。だが貴様の意志は受け取った。これより知勇兼備の名将となるまで出仕に及ばず」


 こうして、儂は末森で内情は松平の抑えをしつつ、学問にはげんだ。時折成果を見せよと参陣の沙汰が来るので、何度か学んだことを試してみたが、机上の考えと実際ではやはり差がある。

 だが、今まで見えていなかったことが見えるようになり、自分が変わっていること、更なる高みに上っていることは感じられた。


 そして上洛軍の先鋒を任された時、家中はざわめいた。今まで干されていた儂が先陣を賜ったのだからな。

 佐々木の手勢を策にはめて粉砕した時の殿の笑顔は忘れられぬ。甕割りの戦をした時の褒美もじゃ。


 そうして、儂は夢から覚める。まるで実際に体験したかのような夢であった。

 すでに夜は明けかけており、城内で小者たちが起き出しているようだ。

 儂は身支度を整えると、修練場に向かうと、勘十郎さまが弓を引き絞っていた。

「はっ!」 

 儂が教えた通りに裂帛の気合とともに矢を放ち、的の真ん中を撃ち抜いたことに思わず拍手をしてしまう。

「権六、どうじゃ!」

「お見事にござる」

「うむ、兄上の天下布武を支えるために、私はもっと力を付けねばならぬ」

 勘十郎さまのお言葉になぜか涙がこぼれた。夢の中ではこの主君を失った空隙を埋めるために必死で戦ってきた。三郎さまを新たなよりどころとしていた。そしてその三郎さまが居なくなったとき、儂の中で何かが切れたのだ。

 夢のことというのになぜにここまで心が揺さぶられるのかはわからぬ。だが、勘十郎さまを助け、三郎さまの夢を追いかけた先に何があるのか、それを見てみたいと思うたのだ。

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