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葵と木瓜  作者: 響 恭也
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ある天下人の生涯

 それは一人の男の生涯だった。幼いころから青年期を人質で過ごし、身内に裏切られ、家臣に背かれた。同盟者で、友であったと思っていた相手とは、対等な関係は難しく、それでも彼に対する扱いは格別であった。そして、その友を永遠に失った。最も信頼していたはずの重臣による謀反だった。

すぐ近くにいながら助けることは能わず、その死を知って世界が崩れ落ちるような感覚に陥った。それは桶狭間の戦いで、主家を失った時以上の喪失感であっただろう。落ち武者狩りに遭うよりはと死を覚悟したが、家臣の賢明のとりなしで生きる決意を決めた。彼には友を失っても守るべき家臣がいたのだ。

仇討ちは失敗に終わる。彼の前に立ちはだかったのは織田の重臣の一人だった。小者から成り上がり、彼を置き去りにして天下人の階に足をかけたのである。あとは織田家の内紛であり、彼に手出しをする名分はなかった。しかし、先だっての謀反の一件からも、明日、いや今日にも何が起きても不思議ではない。空白地帯となった隣国を平定し、更なる力を蓄えた。家臣の裏切りに遭い、軍法を改めた。苦難があるたびにそれを糧とし、より大きくなろうとあがいた結果であった。そして再び決戦の時は訪れる。友の遺児を旗印に復仇戦を行う機会を得た。数度の戦に勝利をおさめ、以前ともに戦ったものすら討ち取った。そうしてまで勝ち取った勝利の代償はこちらを上回る国力による威圧であり、彼は再び首を垂れた。自らが首を垂れるはこれが最後だと心に刻みつけながら。

忍従の時はそれから15年の長きにわたった。故郷を追われ、広大な荒れ地の開拓を始めた。それは自然相手の大戦だった。その結果は彼の生きているうちには出ないだろう。それでも我が子や家臣たちのために身を粉にして働くうちに、彼を押さえつけていた天下人のまがい物は天寿を全うした。最後には宿敵であった彼自身の手を取って哀願するような哀れな最期だった。それゆえに懊悩した。哀れな老人の残した最期の頼みを破ってよいものかと。しかし、彼には最も大事な、輝きを放つ思いがあった。それは6歳のころ、兄とも慕う友が放った一言であった。「人が悲しみ、憎みあうような世の中はもう終わらせよう。天下泰平じゃ」

そしてその言葉にはこう続きがあった。「もし我が志半ばで倒れたなら、我が子らを助けてほしい。そして、我が子にその器無いと見るならば即ち、お主が天下を治めよ」

その言葉を思い出し、彼は心に住まう鬼を解き放った。今まであまり好まなかった謀略を駆使して自らが一翼を担った天下を割り、そして、決戦に勝利して天下人の座を奪い取ったのである。律儀人と言われた彼の評は、天下の大ダヌキと変わっていた。毒食らわば皿までと、更なる謀略を駆使してついには元主家を滅ぼした。これが最後の下克上であっただろう。最後まで彼は懸命に戦国の世を生き抜いた。

 天下を取って訪れたのは平穏無事な暮らしではなく、更なる猜疑心に晒される我がみであった。絞兎死して良狗煮らる。これをまさか我が子と家臣にされるとは思いもよらなかっただろう。隠居料として得た城は幼いころに人質として過ごした駿府であり、師の思い出に浸るときが多くなった。これは自らに死が近づいている証左であろうか。そう思うと過去を振り返ることが増えた。

 必死に生きて生き抜いて戦い抜いた結果がこれかと思うと悔いは身を焦がすようだった。能うならばもう一度やり直したい。そして信頼できる友と戦い抜き、戦国を終わらせるのだと。

 戦国を終わらせることができた今生は結果としては最良であろう。しかし、様々な悔いが残っていたのだ。それは友の猜疑から我が子を手に掛けたときのこと。もっと明確に信頼関係を築くべきだった。子供同士を婚姻によって結べば大丈夫だと思いたかったのだ。そしてその想いは最悪の形で打ち砕かれた。

 正直、恨みを持たなかったと言えばうそになる。しかし、それ以上にかの快活であった友をあそこまで変えてしまったこの世の歪み、ひずみを厭うた。

 そんな時、腹心であった天海和尚が現れこう告げた。

「大御所様。移魂の法というものをご存知ですかな?」

 それは霊薬を持って魂を体から解き放ち、過去に戻すことができるというものであった。態の良い暗殺であると思ったが、天海はそのようなことを企む性質ではない。重ねて聞くと、彼の悩みを察し、なんとしてでもかなえようと書物を漁った結果であるという。

 そして代償があるらしいが、それは術法を使ってみないとわからないとのことだ。あまりに都合のいい内容に笑ってしまった。そして、そんな眉唾な話に乗ってしまおうと思えるほどに自らが追いつめられていることに気付かされたのだ。

 彼は術法を行うことに決めた。天海の祈祷に合わせて経帷子を纏い、合図に合わせて薬を煽る。意識が遠ざかり、これまでの生涯が走馬灯のように駆け巡った。これは死にざまに見る夢幻かと思った。

 そして視界が閉ざされ、再び開いたとき、彼の意識は6歳の自らに宿っていたのであった。

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