【閑話】旅立ち前夜
遅れました申し訳ありません。
夜の闇も濃くなり、人の喧騒もようやく静まってきた。
ガルドとアドスの二人はそんな通りを抜けて今夜の宿となる“冒険者ギルド”へと帰り着く。
ギルド内では、少なくなった夜間職員たちが帰り支度を始め帰路につく時間帯だった。すれ違う彼らを尻目で見ながら二人は指定された部屋へと足を向ける。
エルフたちとカエデの部屋は二階の空き部屋となっている。エントランスにある大きめのメイン階段を上り、左右に別れる通路を右へと折れ曲がる。そこで、彼らは視線の直線上で行ったり来たりする人物に目が止まった。それは、彼らもよく知る女性──ソーラ・アリス・テリア。彼女は小さくない胸を押し上げるようにして腕を組み、眉間に皺を寄せ、無言で一つの部屋を見つめては首を振り、通りすぎてはまた戻ってくると言う繰り返しを続けていた。
彼女としては何かを決めかねている様子でその場で右往左往している様子は彼らには珍しいものに映った。
「…何やってんだこんなとこで」
首をかしげ彼は尋ねる。
その声で気づいた彼女、ソーラははっと驚いたような表情をし、次いで嫌そうに視線を背けた。
「ちっ…なんでここにいるのよ…」
「素が出てるぞオイ」
ガルドの指摘を受け、彼女は咳払いしてから向き直る。
「まあいいです。で、貴殿方は今戻られたのですか?遅いお帰りですね」
「なんだよ嫌味のつもりか?」
「いいえ。別に?」
「あ?」
彼と彼女はまたいつものようにピリピリと雰囲気を尖らさせて威嚇し合う。
またか…と、隣にいたアドスは額に手を当て人知れず溜め息をついた。彼はその二人を止めようと口を開こうとする。しかし、今回は少し様子が違うことに気がついた。
「…その。ガルド・アーネスト!貴方に言いたいことがあります」
彼女は少し頬を赤く染めて言いづらそうに言葉にする。
「は?…なんだよ改まって」
その様子を見て彼は怪訝な顔をしながら相手の出方を待つ。
「…………悪かったわね…っ…」
ボソッと彼女は言った。聞き逃しそうなその小さな呟きはどうにか彼に伝わり一時の沈黙を作る。
予想だにしなかったソーラの言葉に彼は「おっ…おう…」と大半が戸惑いの返事を返し、それを見ていたアドスは幽霊でも見たような表情で固まっていた。
「なっ…なにっ!?あたしが素直に謝ったら悪いわけっ!?」
「え…いやそんなことは…」
「…珍しいこともあるもんだ」
ソーラは顔を恥ずかしさから赤くし、アドスは戸惑い、ガルドは何故か感慨に浸る。そんな多種多様な感情を現すエルフの三人。
「はぁ。もういいわ…」
彼女は諦めたように溜め息をつき、踵を返す。
「──おい待てよ。ソーラ」
ガルドはそれに声をかけて足を止めさせた。
「何よ」
じろりと最小限に視線を向け、最小限に返事を返す。不機嫌さが服を着たような彼女に、ガルドは躊躇なく言葉を投げ掛けた。
「アイツに用があるんじゃなかったのか?」
顎で指した彼の方向には一つの扉。それは彼女が右往左往していた場所である。そこの主は、今日出会った不気味な変人。“カエデ”と名乗る獣人が休んでいる部屋だった。
「え…。まあ確かにあるけど、用と言うか…聞きたいと言うか…確かめたいと言うか…」
「? なんなんだよ」
要領の得ない答え。彼女には珍しくなかなか踏ん切りがつかないようで、その様子を見ながらガルドは首をかしげて訝しむ。彼女の性格は生真面目なものでいつもきっぱりとした答えを導き出す。しかし、今日に限って彼女は何故か悩み何かを決めかねているようだった。ガルドは少し考えた末、咄嗟に行動を起こす。
「用があるなら正面から行けばいいだろ。おら行くぞ」
「──えっ?ちょっと!」
ガルドは彼女の腕を掴んで強引に部屋の前へ連れて行く。そして躊躇わずにその獣人がいるであろう扉のノブを回した。
◆◆◆
少し時間は遡る。それはまだガルドたちが戻ってくる前のこと。
そこは簡素ではあったがしっかりとした造りの部屋だった。“使っていない”と言いつつも埃のない掃除の行き届いたもので魔力ランプが照らし出すそこはどこか趣のある一室。日本でインドア派であった俺には落ち着きを与えてくれるものだった。
「よし。これで準備万端じゃなっ」
俺は腰に両手を当て満足そうに頷く。
「今回は頼むぞ。ラタトスク?」
『はい。分かりました。ですが…また倒れることはしないでくださいね』
「うっ…善処はするのじゃ…」
俺は彼女の言葉に口角をひきつらせながら頷く。そして、ごくっと生唾を呑み込んでから自身の服装に手を掛けた。
今俺はお風呂の代わりに温めてもらった温水を使い身体を綺麗にしようとしていた。
この世界には日本であるように常にお風呂に入ることはない。それもその筈、浴槽というものがほとんどの宿屋に無いためである。しかしながら、入浴と言う文化がない訳ではなく、ただ生活の一部になっていないだけであった。現に町には町人が使える“公衆浴場”というものが存在しており、それを使う人達も多いと聞く。ならば、何故俺はここでこんなことをしているのか…。理由は二つある。
一つ目は俺が女だからである。
我が娘(?)たる“カエデ”の身体は誰が見ても魅力的な女性或いは美少女に見える。決してこれは大袈裟に言っているのではなく第三者から客観的に見た評価である。
俺は彼女を造る際、自分の理想の形を作ろうとした。まあ俺自身の趣味が獣人&狐娘という性癖に偏っていたために、結果この容姿になってしまったが…美しく・可憐で・可愛いくて・格好いい、その三拍子ならぬ四拍子が揃うように作り上げた自信作が彼女であったのだ。
そんな俺(彼女)が他人が大勢入っている風呂場に入っていけばどうなるか。結果は火を見るより明らかだろう。
さて、二つ目だが。───…これが最大の理由となる。
あまり言いたくないことだが、俺は悲しいことに“彼女いない歴=年齢”だ。好意を抱いた女性は存在したが自身の気持ちをぶつけられるほど度胸もなく。もしそれがたまたま成就しても幸せに出来ると思えるほど甲斐性もなかった。それが俺だ。女性のことになるとてんでダメになる。恥ずかしいことだがそれが俺だったのだ。ならば、必然的にアレもしたことがないことになる。え?なんだって?わからない?アレだよアレ。◯◯◯◯だよ。…言わせんなよ恥ずかしい。だから俺は女性の身体など見慣れていなかった。いや、見慣れている方が変じゃないか?…まあそれはさておき。結局のところ何を言いたいかと言うと───
『──童貞なのですよね?』
「ハッキリと言われた!なんで言うのじゃ!ぼかしてたじゃろ!!」
『今さら言い訳など見苦しいだけですよ。早く脱いでください。また倒れられても困りますので』
俺は彼女の言葉にぐうの音も出なかった。
実は俺が“カエデ”となって一度このように身体を拭こうとしたことがあったのだ。その時に俺はこの自身の身体を見て───ぶっ倒れた。そりゃもう盛大に鼻血を出しながら倒れたらしい。その時の記憶はないがラタトスクは後からそう語った。それを聞いた俺は一日中その恥ずかしさと自身のへたれさにうちひしがれることに…。そんな事件が起こってからというものラタトスクに身体を拭いてもらうようになったのだ。
『早くしてくださいカエデさん』
「分かってる…分かってるのじゃ。そう急かさないでくれ」
催促してくる彼女を横目で見ながら俺は着物の帯をほどいて脇に置く。
目の前の大きめの洗面器からは羞恥心からか頬を染めた狐っ娘がこちらを睨んでいた。強気そうな瞳が垂れ下がって、少し涙目になりながらもキッと唇を引き締めこの状況に耐える姿はなんとも愛らしく見える。これが自身じゃなかったらどれだけ良かったか。これだけで三日はいけますね。とか、現実逃避してる場合ではなく…。
俺の肩先からぴょこっと顔を出したラタトスクが水面に映り、じっとりとした視線で無言の訴えをしてくる。俺はその圧力に負け、意を決して瞳を閉じ…上着をそっと脱いだ。
そしてあらわになるその魅力的な肢体。
粉雪のように繊細で白いもっちりとした柔肌。少し火照ったその肌がみるみる赤くなっていくのが分かる。
華奢な腕でそのどうしても存在を主張する双丘を隠す。落ち着かない気持ちが人族にはない器官に伝わり、感情を表すようにそれが世話しなく動いているのが分かる。
ぎゅっと瞳を瞑る俺はそろりと目を開けた。
水面に映る彼女は少し火照ったなめかわしい身体にその柔らかそうな頬を赤く染め、恥ずかしさに潤ませた大きな瞳が艶美な流し目のように細まる。そんな様子の美少女は恨めしそうにこちらに視線を向けていた。それは何とも扇情的で…少し挑発的な瞳が嗜虐的な感情をそそり、そして───
つう…と形のよい鼻から暖かなものが流れ落ちた。
「──鼻血が出たのじゃぁ!!」
『だからあれほど…』
俺は騒いで彼女は嘆息する。
『──ほら行きますよ』
「う、うむ。てっ───ひゃんっ!?」
ちゃんと断りを入れてからラタトスクは口で掴んだ手拭いを器用に使って背中を拭いていく。俺は長い髪が邪魔にならないよう前に移動させてからまた目を瞑る。今回はまだ倒れはしなかったがこれ以上見ていたらどうにかなってしまいそうだった。
(あうあうあう…。死にそう羞恥で死にそう…。なんでこんなに恥ずかしいんだ…)
俺は考えまいと思考を違うことに使うことにした。何かないかと悩んだ末に俺はふとあることを思い出す。
「そ、そういえば…。ラタトスク、そなたに聞きたいことがあるのじゃが…」
俺は口だけを動かして彼女へそのまま尋ねる。
「何故妾は文字が読めるのじゃ…?」
それはエルフとの会合の時、疑問に思った事柄だった。
『ああ、それはですね。“渡り人”の知識を踏襲しているからです』
“渡り人”はこの世界の知識を持って生まれる。この中には多数の言語があり、人族の言語にエルフ族の言語。はたまた獣人の言語だったりと種類は様々だ。それの理由は単純で文字の知識は冒険に欠かせないものだからである。
俺の場合、“カエデ”という存在に上書きするようにこの世界に召喚されることによって彼女が持っていた知識を授けることに成功したということらしい。
「…それは…聞いたことなかったのじゃが…もとの“カエデ”はもしや…」
『はい。貴方のご想像通りです。悲しいことですが、世界を救うには仕方がないことでした』
俺は何も言えずに沈黙する。
思い出されるのは“戦闘結界”での出来事。
俺はあそこで“カエデ”と名乗る人物に出会った。あれがもとの人格であったのかもしれない。なら──
(…あいつはなんで俺なんかを受け入れたんだ。消えると分かっていながら…なんで…)
彼女は俺と会えることを心底楽しみにしていたようだった。まだ嬉しそうに微笑む姿が俺の脳裏には残っている。…本当なら、そうは思わず恨むのではないのだろうか?
身体も知識も経験も…全て全てが俺に奪われてしまったのだ。そんな状況…俺には到底想像できないが、抱くのは愛情ではなく憎悪ではないのか。それは言いすぎか、だが少なくとも愛情ではない筈だ。
「のうラタトスク。そのもとの“カエデ”は消えることを嫌がらなかったのか…?」
俺はそう言うとたまらず唇を噛み締める。俺には分からなかった。あの“カエデ”が何を思って俺に託したのか。もしかしたら嫌がったのにラタトスクが強引に召喚したのかもしれない。それともそれ以外に選択肢がなく、否応なくそれを選ぶしかなかったのなら…。俺はあいつにどんな顔して会えばいいのか。
『──そんな顔なさらないでください』
優しい声色。それが眼前から聞こえてきた。
ラタトスクはいつの間にか俺の目の前へと移動して宝石のような瞳を向ける。咄嗟に開けた俺の視線は彼女の瞳を見つめる形になる。
『心配しなくても大丈夫ですよ。“彼女”は貴方を恨むことは決してありません。それは長年サポートしてきた私の結論です。確かにそれは私個人の推測に過ぎませんが…私には彼女と長らく付き合ってきた経験がありますから、自信…というのも少し語弊がありそうですが、間違いないと私は思います』
彼女は一つ間を置き話続ける。
『先ほどの答えですが、それは否です。貴方に会えないことを悔やんではいましたが…彼女は結局最後まで嫌だとは言いませんでした』
彼女は一頻り言い切ると俺の返事は待たずに仕事に戻っていく。
俺は俯きながら考えていた。視線の先には水面に映った“カエデ”が見ている。それを見つめ返しながら俺は密かに決心した。
───必ずもう一度会って、その真意を彼女の口から聞く。
(その為には、まずは情報収集…だな)
流されるままここまで来てしまった俺だが回りに残ったのは分からないことだらけだった。このままでは会うことさえ儘ならない。一つ一つ着実に片付けて道を見つけないと。
「──のうラタトスク…まだ質問があるのじゃが…」
『はい、どうぞ。答えられる範囲ならばいくつでも付き合いますよ』
彼女はいつも通りの口調で答える。が、その声色は先程と同じで優しいものだ。彼女は彼女なりに気を使ってくれているのだろう。その優しさにありがたみを覚えながら俺は口を開こうとした。その時だった。
「おーい。狐女いるかー?」
ガチャッとノブが回され少々乱暴に扉が開かれる。
「──む?」
「──は?」
「──え"?」
三種の擬音が広くない部屋をこだまする。何秒かの沈黙の後。
「───貴方はあっち向いてなさいっっ!!!!」
「ぶべら!!」
盛大な平手打ちがガルドの顔面に直撃し、その衝撃で部屋から外へ吹っ飛ばされる。
「し、失礼しました!!!」
ソーラは残像が見えるほどの速度で一礼し、刹那の内に扉を閉める。
凍結していた俺の思考が再起動し、この状況を理解し始める。血が上り徐々にリンゴのように赤くなっていく俺の顔面。“見られた”という言葉が自身の頭を駆け巡った瞬間にそれは限界に達した。
「の、の、のじゃぁぁ━━━━━━━━━━━っ!!!!」
夜は人知れず更けていく。彼女らの旅立ち前夜は騒がしく過ぎ去っていった。
小さな感謝と過去の執念、そして新たな決意はこの先の旅路にどういった変化を及ぼすのか。それはまだ誰にも分からないことである。
そうして日常の終幕は静かに降りていった。
いつもお読み頂きありがとうございます。久々に長めになったので誤字脱字などありましたら言っていただけると助かります。見逃しているところとかありそうなので…。何か気になる箇所がありましたら一言ください。
では、また次回お会いできたらお会いしましょう。よろしかったらまた見てくれると嬉しいです。




