遭遇-エンカウント- (前)
夜が来た。
昨晩と同じく、深夜二時半過ぎ。まるで導かれるように、私は目を覚ました。
――それじゃ、今日も行くのかい?
「……もう少し、慣れてみたくて」
――いい気概だ。そうでなくっちゃ。
ホーム画面に灯る、ベアトリーチェの起動アイコンをタップする。
スライド用の表示が現れ、指示通りに指を滑らせる。指の起動の延長線上に光の帯が走り、それらが衣装の形に変わる。
一際高い心臓の鼓動を感じる。スマホを内カメラが起動し、私の、私じゃない表情を映し出す。
普段は前髪で隠された目は強い意志を放ち、エメラルドグリーンに光り輝いている。緑の髪は揺蕩う炎のように、それでいて美しく流れている。
撮影ボタンをタップすると、カシャリ、という撮影音が鳴る。光の奔流が体を包み、衛星のように漂っていた衣装が私に装着される。ガントレットは、まだ装備しない。
光が収束すると、私はただの女子高生から、影を狩る戦士――戦斗少女へと、変身を遂げていた。
「そういえば、今まで着てた服って?」
――別空間に収納されてる。こういった細かいことも、気になるのかい?
「そりゃ、変身解除した瞬間全裸になったりしたら笑えないでしょ? まあ、前回は何ともなかったから……気になっただけ」
部屋の窓を開ける。眼前には、暗闇に沈んだ住宅街が映る。
煌々(こうこう)と光るのは街灯だけ。家々の明かりは、ほとんど灯っていなかった。
――シェイドの場所は、わかるね? ここから4kmほど先だ。
「了解」
窓枠に足をかけ、眼下を見据える。
「今この瞬間から、その……いわゆる、別世界にワープしてるの?」
――厳密な意味では異なるけど、そういった解釈でかまわないよ。
「そう。わかった」
窓枠を蹴って跳躍する。
夜風が頬を撫でる。まるで、緩やかに飛ぶ鳥にでもなったようだった。衣装を靡かせながら、向かいの家の屋根に飛び乗り、そのまま屋根伝いに跳んでいく。
先程、別世界のことを訪ねたのは、家の窓を閉める必要があったかどうかを確認するためだった。
◇ ◇ ◇
屋根から屋根へと、軽快に進んでいく。
普段ならば数十分かけて歩む道のりを、僅か数十秒で。それも、道ではない道を進んでいく。月明かりを浴びながら街中を翔ける様は、正義の味方というよりも、怪盗のようだと思った。
「……そういえば、どうして、影狩りなんてものがいるの?」
――どういうこと?
「シェイドって、結局何者なのか。なぜ、それを倒さなければならないのか。それらについて、私何も教えてもらってない」
――確かに。そのあたりの説明がまだ不十分だったね。
そろそろ、目標地点に到達する。4kmの直線移動は、わずか五分足らずで完了した。
――細かい説明は後にしよう。少なくとも言えることは、シェイドを撃破すればするだけ、君は夢の実現に近づける。
「要するに、狩れば狩るほどポイントが溜まっていくとかいう話?」
――全くもって、君は理解が早くて助かるよ。さて、そろそろ接敵するよ。
そこは、河川敷だった。
川の水は静かに流れ、さらさらとした音を奏でている。
目を凝らすと、二体。昨日撃破したものと、似たタイプのシェイドが揺らめいていた。
「それじゃ、ゲームスタートと行きましょうか」
スマホを取り出し、画面に指をスライドさせる。両手の肘から指先までを淡い光が包み込む。
戦闘の構えを取ると、光は薄れ、両の手にガントレット――「プロメテウス」が装着されていた。華やかな衣装にはやや不釣り合いの、機能性の美しさを持つそれは、夜闇の中で鈍く輝いた。
こちらの存在に気付いたのか。シェイドはゆっくりとこちらに歩を進める。足に当たる器官が見当たらず、軟体生物が這って進むような挙動であった。
遅すぎる。
左足に力を込め、地面を蹴って駆け出す。十数メートルの距離を僅か二歩で殺し、その速度を殺さぬまま左拳を叩き込む。腕を曲げたまま、肩の力だけで放った一撃だ。拳がシェイドの身体にめり込む。そのまま、拳を直線に突き出すのではなく、天に振り上げた。痛烈なボディーブローからのアッパーカット。シェイドの不定形の身体が夜空に舞う。
もう一体のシェイドが迫ってきた。触手のようなものを伸ばし、こちらを捉えようとしてくる。それは鞭のような鋭さをもって打ち込まれてきたが、今の私にとってはコマ送りのフィルムに等しい。
一つ。また一つと、その触手をかいくぐり、一瞬でシェイドの懐に入り込む。ガキン、と。歪な歯車が、無理やり嵌められたような音が響く。右のガントレットから伝わってくる衝撃が、撃鉄を起こした合図だった。
全く澱みのない動作で、シェイドの無防備な胴体に右の拳を叩き込む。痛快な衝撃が空間を伝播する。一拍置いて、今度はけたたましい金属音と破裂音が夜闇に響き渡った。
右のガントレットのギミックが発動し、シェイドの胴体に風穴を開けた。いわゆる、杭打ちのような機構だった。
先程打ち上げたシェイドが、上空から触手を放つ。両の拳でそれらを軽く払い除け、迎撃の態勢を取る。落下してきたシェイドを、まるでバレーのレシーブのようなフォームで強打する。ただし、その衝撃によってシェイドは爆散してしまったが。
戦闘の時間は、一分にも満たなかった。河川敷には、いつも通りの静寂が漂っていた。
――お疲れ様。二体相手にも、危なげない戦闘だったね。
「そうね。戦い方も、慣れてきたと思う」
――それにしても、やはり君には素質があったみたいだね。
「どういうこと?」
――影狩りを楽しむ素質だよ。そして、戦斗少女としての適性も高い。いつもはもっと無口な君が、よく喋るようになったのはプラスの効果だと思うよ。
「……それもそうね」
理由は、なんとなくわかっている。
力を得たことで、遠慮する必要がなくなったから。自己を主張することに、抵抗を感じないからだろう。
「嫉妬」とは、つまるところ弱者が強者に抱く感情だ。そして、弱者は強者に主張する権利を有さない。だが、今この瞬間は私こそが強者である自信があった。
強者ならば、いかなる主張をも正当化される。ならば、自らの感情を、欲求を明らかにすることに、ためらいなど感じない。
「さて、戻りましょうか」
――いや。待った。シェイドの気配がある。
「……少し離れたところ?」
ちょうど良かった。たった二体では、物足りないと感じていたのだ。
胸の奥底から、淀んだ激情が湧き上がり、思わず身震いした。
「せっかくだから、もう少し撃墜数を稼いでもいいわね」
――なかなか染まってきたね。それじゃ行こうか。
美しく変わった顔に笑みを浮かべて、夜の河川敷を駆けた。