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七罪の少女-戦斗少女変身アプリ-  作者: あるかん
皐月(ライオット)
31/33

三つ首-ケルベロス-

 淀んだ空気が全身に絡みつき、重圧に絞り上げられた肺腑が呼吸を止める。

 眼前の相手は隻腕。こちらは多勢、先程の損傷も軽微で戦力に影響はない。戦況はこちらに圧倒的有利。一気呵成に攻め立てれば十分勝機はある。

 しかし、この大剣の少女の眼光に射竦いすくめられた私達二人の足は動かない。戦況の分析に誤りはない。それでも尚、彼女の威圧感は私達を圧倒して余り有る程の脅威だった。


「……まさに化物モンスターだね。あんた、本当に同じ人類?」


 先刻まで私が思っていた考えを"暴食サーフィット"がはっきりと口に出した。先程の攻勢もあってか、普段は余裕の笑みを浮かべている"暴食"の頬を冷や汗が伝っている。

 当然のように相手は答えない。こうしている間にも、破損した左腕の筋繊維、骨格が自然治癒を促進する光に包まれて修復されていく。

 時間稼ぎをしているわけではない。攻めあぐねているのは私達の方だ。むしろ、こちらが飛びかかりさえすれば彼女はその左手を省みること無く迎撃にはいるだろう。完全に破壊したはずの左腕を振るうなど、戦斗少女に変身した身にとっても激痛がさいなむはずだというのに。

 常識を二重に逸脱した存在と対峙し、辛うじて戦闘の態勢を整える。


(あれこれ考えている場合じゃない、今のうちに畳み掛けないと――!)


 戦況分析の結果を投げ捨てた、直感的な思考。だがそれに間違いはないはず。

 今この機を逃せば、私は敗北する――確信にも似た予感があった。

 拳を構え、両の脚に力を込める。隻腕ならば、先程のような予備動作のない必殺の斬撃は繰り出せないはず。今度は、相手の攻撃は見切れるはずだ。

 だがそれは状況判断などではなく、怯える自身を鼓舞こぶするための虚勢のようなものだった。隻腕だからと言って、先程の一撃が放てないという保証はない。仮にそうでなくとも――

 様々な思考が逡巡しゅんじゅんする。私の脳裏は冷静な戦闘判断を実行することはできず、一度狂わされた歯車は無様な演算結果ばかりを出力し続ける。


「落ち着け、"嫉妬ジェラス"。あいつだって、人間……人間、のはずだ。

 や、自信はないけど、でもなんとかなるはずだ」


 緊張をほぐすため、おどけた調子で"暴食"が言う。その声に、一応の冷静さを取り戻す。

 高まっていく再衝突の予兆。そしてそれは弛められたバネの如く、空気を否が応でも緊迫させる。


 突如、夜の闇がざわつく。

 矢をつがえた弓の弦のように張りつめた空間に、纏わり付くような異質の空気が流入し、掻き乱していく。

 先程まで感じられなかった気配がその密度を増していく。

 ――招かれざる客が、戦場に乱入してきた証だった。


「ちっ、連中シェイドのお出ましか」


 構えを解かぬまま、"暴食"が舌打ちする。

 それは丁度、対峙している私達の中央の位置に現れた。

 まるでこの諍いを仲裁するために現れた裁定者のように、影はその形を織り成し、象り、具現化する。だが現れたのは裁定者などではなくその反対、混沌の世界に住まう存在だ。

 巨大な四足歩行の獣は、大型犬をそっくりそのまま巨大化させたかのようなフォルムをしていた。だがその大きさは風船のように膨張していく。とはいえ、それは見かけの大きさだけではなく、内包する質量すらも自乗倍に増大している。

 獣の姿を模したシェイドは今までに何度も撃退してきた。中には凡そこの世に生息している生物とはかけ離れた姿形のものもいたが、それは常識から「外れていた」だけであって、戦闘能力自体に特別の脅威はなかった。単純な敏捷性や凶暴性ならば、飢えた獅子のほうが遥かに脅威であっただろう。

 しかし、眼前のシェイドはこれまでの存在とは明らかに異なった雰囲気を漂わせている。

 その体躯は獅子よりも大きく、何よりも異常なのは、頭部が三つあること。

 それは、さながら神話に語られる地獄の番犬ケルベロスだ。

 通常体プロモーターとは一線を画する、すべての基礎性能が向上したシェイド――


強化体エンハンサー……!」

「ただでかいやつが強いやつ、ってわけでもないということか。まいったね、どうも」


 三つある頭部が、各々の敵を見定めるように動く。

 奇しくもこちらは三人。一つの頭部が、一人の目線を奪う形となる。


「……大剣の。提案があるんだけど、どう?」


 異形の獣と視線を外さぬまま"暴食"が語りかける。

 提案の内容を聞くまでもない。そして、彼女はきっと素直に答えはしないだろう。

 案の定、大剣の少女は一切の躊躇いも見せず駆け出した。破損した左腕の完全回復を待たぬまま、大剣の少女が突進する。大剣を逆手に構え、低い姿勢のままシェイドに潜り込むようにして接近する。

 左手はまともに機能していない。はずなのに、逆薙ぎに振るわれた一撃は先程までと遜色ない速度と威力の載った一撃だった。

 だが、その一撃は確かな代償を支払っている。回復不全の左腕にかけられた過剰な負荷は、修復途中にあった筋肉を再び断裂させ、引き裂かれた神経は激痛という信号を脳髄に叩き込む。攻撃の手を中断してもおかしくない激痛を精神力で捻じ伏せ、大地を強く捉えその一閃を振り切る。

 だがシェイドの獣性は迫りくる刃を鋭敏な知覚で以て感知し、その強靭な脚部を迸らせる。

 真横から切り上げるように放たれた一撃を砂埃を巻き上げながら回避し、漆黒の獣は吠え猛る。


「っっ――!」


 至近距離で浴びせられた青銅の咆哮は、戦斗少女と言えどもその身に「死」を意識させるほどのものであった。そして、彼女の鋼の如き精神力と言えども三半規管を直に揺らす震動までは抗えない。

 握られた大剣が手を離れ、轟音を立てて地に落ちる。平衡感覚を奪われた彼女はその場に立つことすら叶わなくなり、思わずたたらを踏む。

 隙を晒した状態の彼女は、このシェイドにとってはまさに格好の餌だろう。喉を鳴らし、三つ首が共通の意識を以って少女の身体を喰らわんと跳躍する。


「危ない!」


 その声は、他でもない私から放たれていた。

 考えるよりも早く叫び、そして叫ぶよりも早く体が動いていた。

 三つ首の魔獣が牙を突き立てるよりも早く、ふらついた少女の体を抱え上げ、一歩の跳躍のみでその場から辛うじて離脱する。

 直後、異なる角度から突き立てられた獰猛な牙が空を切る。自らの食事に割り込んできた愚かな略奪者に対して、怨嗟に満ちた六つの瞳がこちらに向けられる。


「………何故、助けた」

「え……ええ、と」


 胸中で静かに呟かれる。その問いに対して、私はしどろもどろになった。

 返答の代わりに抱えたままの少女を下ろし、改めてどう答えたものかと言葉を選ぼうとするが、これといった答えが出てこない。

 何故助けたのか。

 考えた結果、打算もなければ理由もない。ただ、助けたというのが正直なところだ。思考よりも早く身体が動いた結果であり、そこに私の意思は介在していない。

 ――いや。単純に、助けられる人は助けるという、一般道徳の延長かもしれない。


「な、なんとなく……」

「………」


 この感情をうまく言葉に言い表すことは、戦斗少女に変身した状態でもできなかった。

 眼前の少女は、相変わらず冷たい表情をしている。

 ――ほんの少し、唇が動いたように見えたのは錯覚だったのだろうか。


「おい、お二方。のんびりしてる余裕はないよ。一気にカタ付けるから、追撃は任せた」


 "暴食"が端末デバイスを取り出し、拡張機能アビリティを起動する。

 収束するオレンジの光が新たな一本の槍を象り、その右手に形を為す。

 橙色の外套を翻し、"暴食"は夜の闇に高く跳んだ。右手の投槍ジャベリンが拍動し、夜闇を切り裂く一条の星となる。


罪なるトゥーものは頭を垂れよプロストレイト!」


 起動の詠唱コードが紡ぎあげられ、呼応するかのように大気が鳴動する。

 以前、シェイドの大軍勢を相手に見せた"暴食"の奥義。その周囲一体に存在する全てを大地に平伏させる、超重力の檻――


圧壊するギガス黒き星シュヴァルツシルト!!」


 解き放たれた投槍は流星となって地獄の番犬の頭頂部目掛けて墜ちる。

 獣特有の野生と俊敏性で、その一撃を避けるべく四つの足が大地を蹴り抉る。

 シェイドの反射速度たるや、流星の一撃を既の所で回避し、"暴食"にその圧倒的殺意に満ちた三つの顔を向ける。狙いを外した投槍が、研ぎ澄まされた音を立てて大地に深々と突き刺さる。だが、この技はただの投擲一閃に非ず。

 しるべのごとく打ち立てられた槍を中心として地面が沈み、黒一色の巨体が大地に押し付けられる。不可視の巨神が、這い出てきた影を地面に圧し潰すが如く、徐々に大地が沈下していく。

 朱の槍はまさに一つの恒星と化し、自身の圧倒的質量を以って周囲の空間を内へ内へと引きずり込む。

 抗い、吠え立てようとてもその口を開くことすらも赦されず、巨大な機械の軋みが如き重低音が喉奥から鳴り響く。

 神の圧力の前に平伏した地獄の番犬を見遣ると、私は懐から端末を取り出した。

 影より這い出た魔獣を冥府の底へと送り返すべく、自らの必殺技を繰り出すため、水晶のように磨き上げられた盤面に指を滑らせる。


その火は我がイグニッション手中にありてオン――――"巨兵を墜とすメテオ手中の流星ロロギア"!!」


 詠唱を終え、端末をガントレットに装填する。そして、炎に包まれた両拳で空間を連打する。

 両手より繰り出される火炎連弾が、驟雨しゅううの如く眼前の魔獣に降り注ぐ。影を焼き尽くし、焼尽せしめる連撃。夜の闇に、緑色を帯びた炎が揺らめいていた―――


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