03 ドラゴン・ボーンズ
ビィやヴァーミンが混ざっていてもわかりはしない。
誰も探そうとしないだろう。
――紀行文”骨の曠野”の一節より
地には白骨のじゅうたん、辺りには至る所に天を衝く巨大な光鱗塔。そして遥か上空、天井に近いあたりにモヤがかかり、その中を泳ぐように跳ぶ竜たちの群れ――。
竜たちの飛行によってかき回されたモヤはいつしか灰色の雲となって地に”雨”を降らせる。
その日、私は生まれて初めて本物の雨に浴した。
*
迷宮惑星広しといえど、自然現象としての雨がふる場所は少ない。一説によればバーズテイル迷宮とシンロン迷宮だけだとも。
どういうメカニズムで雨がふるかと考えれば当然のことで、上昇気流が強く、湿度があり、水蒸気が雲を作れるだけの高さがなければ雨は降らない。その条件が整っているのが2つの迷宮だけだということだ。
シンロンで雨が降るのは竜の存在が寄与するところが大きい。その巨体で迷宮の遥か高所の水蒸気を撹拌させ、雲を形成する一助となっているのだ。できればもっと詳細を知りたいものだが、上位の竜が群がる天井近くを調査するのは並大抵のことではなく、また私も装備が完全状態ではないため諦めざるを得なかった。
竜は報復を好む。
たとえば私が調査用のドローンを飛ばしたとしよう。
竜どもは己の領域に侵入した異物を絶対に赦さず、破壊した上でそれを飛ばした主である私を殺しに来るだろう。
灰色の空を見上げ、私は雲の中に遊ぶ竜たちの姿を見た。
空を悠然と泳ぎ、地に雨を降らす迷宮の主。
この全く取り付く島もない存在に匹敵するものは、私の知る限りウーホース迷宮の超級大馬、ギガロ・エクウスの大群くらいだろう。走っただけで馬震を引き起こすさまを私は二度ほど見たことがある。あれは勇壮だった。白状すると、私は今でも時折あの巨大馬の群れに何もできぬまま踏み殺される妄想をすることがある。
竜たちも私に歪んだ悪夢を見せてくれるだろうか?
*
シンロンは危険な迷宮だ。
と、そのような物言いをするとどこかに安全な迷宮があるかのように感じられるので訂正しておこう。
シンロンは、おそらく迷宮惑星で最も危険な迷宮だ。
通常の迷宮で脅威となりうるのはヴァーミンの存在や、蜂窩の立地による生活のしづらさそのものであったりするのだが、シンロンの場合は違う。迷宮生物すなわち竜が異常に危険で幅を利かせているため、ビィの生存可能領域が極端に狭小になっているからだ。
竜。
巨大な竜、あるいはそれよりは小さい竜、もしくはビィとさして体の大きさが変わらない竜、いずれの竜も、お互いに喰らい合う以外にはビィを食料としている。そこに何の容赦もない。
貧弱な主機関樹の周りにほそぼそと生まれる蜂窩は、適度に個体数を維持できるよう、間引かれるように食われる。
全部食ってしまうとそれからビィが共同体を築き直すまでに時間が掛かるという理由だけで、竜たちは”漁獲高”に制限をつけていると考えられている。
忌々しいことだ。
竜に食われるためだけに生存を赦されているなどという話を平気で受け入れられるビィがいるだろうか? それはビィの生き様ではない。
情の薄い私でさえこのような感覚に陥るのだから、他の普通のビィにとってはよほどのことであろう。
面白いことに、そうした竜同士の決まり事をやぶって蜂窩のビィを皆殺しにしてしまうような若く無鉄砲な竜は、より老齢の個体に制裁を受けるのだという。
私の足元に敷き詰められた白骨も、そうして制裁を受けた竜の落下死体が少なからず混じっているのだろう。
あとは寿命や抗争で命を落とした竜たちが同じく地面に落ち、数十エクセルターンに渡るスカベンジャーの働きで真っ白に晒される。
私は改めて周囲を見渡し、これだけの量の白骨が散らばるまで、一体どれほどの年月を必要としたのかを考えた。ビィの寿命の尺度では計り知ることのできない年月だろう。数千、数万エクセルターン――いやもっと長い間続いたせいかもしれない。
大ぶりの黒いアタッシュケースを持ち直し、私はビィという存在の脆弱さについて思いを馳せた。
ビィは弱い。
そんなことはないと見る向きが多いということはわかっている。
しかしビィの平均寿命は180年ほどだ。これが長いか短いか――という話になるが私にとっては短すぎる。たとえ寿命を全うしても200エクセルターンを過ごす程度のものだ。
どう見積もっても直に自分の目でこの世を見続ける時間は限られている。
私は自分のことを探索者などと思ったことはない。ないが、真理を探求するという意味で世をさすらう時間があまりにも足りない、という思考が常に私の脳髄を悩ませる。
私は長生きがしたいのだ。
*
しばらく何もない時間が続いた。
そんな折、まるで頃合いを見計らったかのように恐れていたことが起きた。
竜の襲撃だ。
*
私は柄にもなく自分の足で走った。ガチガチと歯を鳴らす翼竜に追いかけられたせいだ。
引き伸ばした紡錘型の胴体に凶悪な爪のある翼手の生えた翼竜の攻撃は、私の知る限りどんなビィやヴァーミンとも異なる威圧感をもって迫ってきた。あの爪をひと薙されるだけで私は脳漿を撒き散らして白骨の山に加えられることだろう。
こんなことになるなら用心棒の5、6人ほどでも従えておけばよかったが後の祭りだ。
情けない姿を晒しながら骨のじゅうたんを踏み潰し、私は骨盤がしびれるような恐怖とともに走り抜けた。
あいにくとこんなところで死ぬ訳にはいかない。




