01 化外の地へ
初めに女がいた。
女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
私は自分を探索者と思ったことは一度もない。
胎蔵槽の産湯から這い出してから今日に至るまでただの一度もだ。
だが正直に言おう。
転移ポータルを抜け初めてこの地に足を踏み入れた時、私は言いようのない高揚感を覚えた。幼体のように純粋な感情だった。よもや己の中にこんな感情が残っていたとは思ってもみなかった。ビィらしさとでも言えばいいのか?
それほどこの化外の地を彩る風景は奇異であり、驚嘆に満ちていた。
シンロン迷宮。
迷宮惑星を形作る12の大迷宮のひとつにして、最も謎多き場所。
本来であれば詩的表現など使わぬ私だが、何かひとつの物語が始まるとすれば、ここほどふさわしい場所はないだろう。
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私は転移ポータルをくぐってこのシンロン迷宮に訪れたわけだが、それは単にポータルの気まぐれな進路決定によるものではない。
確かにポータルそのものは自生していたものだが、その転移先は私が己の目的のために改変し、決定したものだ。つまり私はシンロン迷宮に用があり、そのためにやって来た。
余人には理解し難いことであろう。
転移ポータルといえば、たいていは転移先がわからないものであり、出先から同じ場所に帰還できる保証のない不安定なものとして認識されている。
しかし私は独自の技術を開発し、不安定なポータルの転移先を固定化することに成功した。危険性は事前に潰してある。それがどのような技術によってなされているかを説明する気はない。叡智はそれを理解するものだけが知っておけばいい。
私は自分の意志でシンロン迷宮行きを決め、自分の技術でそこへたどり着く道を開いた。
それだけを知っていればいい。
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12の迷宮はそれぞれが独自の顔を持つ。
環境も異なり、中には重力の強弱さえ違う場所もある。共通点はむしろ少ないとさえ言えよう。
あいにく私は12迷宮全てに足を踏み入れたわけではないので、全てを閲したうえでの発言ではないと断ったうえでの話だが。
確実に共通点としてあげられるものがあるとすれば、それは主機関樹の存在であろう。
ビィの生活共同体、すなわち蜂窩は完全に主機関樹に依存して成立している。
エネルギー源であり、食料供給源であり、あらゆる生産物の基本素材であり、何よりも生命の素を分泌し胎蔵槽によってビィを産み出す人口維持装置でもある。
主機関樹が存在しなければ、ビィという種そのものが存在しなくなる。12迷宮全てにおいて共通していることだ。
生命の素にプールされたビィの遺伝子は死後ふたたび主機関樹へと還元され、また新たな世代のビィへと受け継がれていく。戻せるだけの死体が残っていればの話だが。
ビィのいわゆるよそ者に対する態度が極端に別れることも、こうした主機関樹を中心とした蜂窩システムと関連している。
ある小さな蜂窩に瀕死の旅人が訪れたとしよう。
たいていの蜂窩の住民はこれを慰撫し、手当して回復を願うだろう。理由は簡単で、遺伝子プールに新し外部要素を加える事ができるからだ。甲斐なく死んだとしてもその遺伝情報は蜂窩の役に立つだろう。あるいは、無理矢理に役に立たせたとしても驚くには当たらない。遺伝プールのにごり、片寄りは多様性の喪失であり、共同体の枷となる。
その真逆に、蜂窩の伝統的遺伝情報を守るために外部のビィの血を忌み嫌う共同体もまた存在する。自らの正しさを穢される――そうした外部との交わりによって間接的に主機関樹が穢される――ことを恐れてのことだ。
どちらの対応も興味深いが、私は性分として周りの雑音を嫌うがゆえに孤独を好む。ゆえにどこかの蜂窩に遺伝子を提供することも、あるいは拒絶されることもないだろう。
――と、そこまで考えたところで別の考えが頭に浮かんだ。
小さな蜂窩ではなく、大きな――あるいは超巨大な蜂窩に滞在したことがある。おそらくは迷宮惑星内で最も大きなマハ=マウライヤスだ。ネーウス迷宮の容積の多くを占める、にわかには信じられないほど巨大な主機関樹から日々あふれる生命の素は、私の研究に大きく役立ってくれた。
もし私がその都市というべき蜂窩で客死でもすれば、私の死体はいかなる扱いを受けるのか。
遺伝情報の詰まった革袋として超巨大機関樹の生命の素の水源地に投げ込まれるに違いない。
なんと惨めな末路であろうか。
遥か高みにまで白々とツイストする光鱗塔を望み、私はしばし笑いを浮かべた。
想像してみた。
私の遺伝情報が、私の死後に胎蔵槽から生まれてくる幼体に伝わり、その子らの遺伝情報が連鎖的に全て私という汚穢に悩まされることを考えると……。
死んでみるのも悪く無い。




