10 フィールド・オブ・ドリームス
拷問、開頭手術を伴う実験によってヴァーミンも夢を見ることが確認されている。
――ある蜂窩の医療機関で用いられている教科書の記述より
――両手が動く限り。
朦朧とするストロースの意識を、使命感が貫いた。
――まだ死んでいないのなら、両手が動くなら、何があっても戦わなきゃ。
『スー、スー! 大丈夫?! 立てる!?』
ディズからの念話が揺さぶられた脳に響いた。呼吸がまともに肺に届かず、大丈夫だとはとても答えられない。
――それでも……やる!
「ディズ!」
ストロースは念話ではなく絞り出すような地声で叫んだ。
「15秒もたせて!」
ディズはその言葉にうなずくよりも早く踊り出て、スーパーヘヴィ級プラグドロイド・アカザワとストロースの中間地点に踊りでた。
「……自分で我が前に立つとはな」とアカザワの重低音。「お前を生け捕りにするのが俺たちの目的だと知っているだろうが、別に手足をへし折ってはいけないとは言われていない」
ディズの答えは、ベロを出して思い切りバカにした顔だった。
アカザワはアダーに比べれば冷静な性格をしているが、温厚ではない。地面を蹴り超重量級のボディで突っ込み、一気にディズをかっさらった。本当に命に別状さえななければどうなろうが構わないという勢いだ。
「……なんだと?」
アカザワがそのごつい手で捕まえたのは、プラスキン製の等身大人形だった。
一方本物のディズは真っ先にストロースの元へ走りこみ、手を貸して起き上がらせた。
「スー、だいじょうぶ?」
「ちっとも」
膝を震わせて立ち上がると、ストロースは両手を不思議な形で突き出し、飛びそうな意識を無理やり集中させた。
「……舐めた真似を!」
アカザワが、右手に捕らえた偽物の人形を握りつぶし、ストロースたちの近くに一歩近づいた。
と、アカザワがプラスキン人形の残骸を投げ捨てようとした途端それは爆発を起こした。
巨体を揺るがされたアカザワの人造脳が状況を理解するのに2秒かかった。人形はただの等身大のダミーではなく、メタ=プラスキン爆弾だったのだ。
ぬお、と低い声とともによろける体のバランスを戻したアカザワは、ディズをひっ捕らえたはずの手の関節が動かなくなっていることに気づいた。いったいこんな爆弾をどこで用意したのか――それは明らかだ。
ディズ。
”女王の子”の能力ならば。
侮りがたしと見たアカザワが次にどのような行動を起こそうとしたか、それはわからない。
「……これでもくらえ!」
ストロースが叫んだ。彼女の操る超硬電磁ワイヤーが、伸ばした両腕の延長線上に大人の腕ほど長いコイルを作り、その先端から超音速でビィの拳ほどの金属塊が発射された。コイルを誘導砲身にし、砲身内部に門術による空気抵抗の低減を施した上で砲弾を打ち込む。
エリファス直伝の隠し技、超硬電磁コイルガンである。
その威力は甚大で、超重量級のアカザワの正面装甲を貫通し、背部にまでは抜けなかったが、明らかに内部構造までダメージを与えた。
「うおおっ!?」
アカザワは後ろに吹っ飛んで、仰向けに倒れた。なおも動こうとした途端、全身の回路がショートしたように静電気と火花が散る。
「ディ……ズ。転移ポータル、お願い」
息も絶え絶え、ストロースはディズの耳元で言った。
「……わかった」
ディズの体が青い霊光に包まれる。
どこからともなく熱量の無い光が現れた。その中には、どこかもわからない全く別の場所が薄っすらと浮かんで見えた。
転移ポータルである。
ディズはその能力で、転移ポータルを引き寄せる――あるいは創出することができるのだ。
「行くよ、ディズ」
ストロースは口の中の血を吐き出してから、ディズの肩をたたいた。
「……ロコにお別れ、言わなくていいの?」
ディズは顔全体になんとも言えない表情を浮かべた。
ストロースにはわかる。ディズは、本当はロコを連れて一緒にポータルに入りたいのだ。でもそれはできないことだとディズは理解している。ディズの行く道は、何も知らない少女とともに進むには険しすぎるということを。
「……ロコ、短い間だったけど、ありがと」
人垣をかき分けてディズの前に飛び出したロコに、ディズは笑顔を向けた。
「……もう戻って来られへんの?」
おずおずと言うロコの手を握って、きっとまた会えるよとディズは言った。
それが嘘だということは、ふたりともわかっていた。
本当のことは知らなくてい。
綺麗なウソのほうがきっといろんなことをうまく行かせるのだろう。
まだ幼体のふたりも、そんなことに気づかないほど愚かではなかった。
短い別れのあいさつとともに、ストロースとディズは転移ポータルをくぐった。
後には何も残らなかった。
*
ポータルから数秒前とは全く違う場所へと転移したストロースは、その場で膝から崩れ落ちた。
体力も負傷も限界だった。内門を開いて回復力を全開にしているが、全身数カ所の骨折と内臓にまで達したダメージはすぐには治らない。
「ディズ、周りを警戒して……ここ、どこだかわかる?」
「ムリしないで、スー。これ、鎮痛剤。自分で射てる?」
ストロースは青ざめた顔でうなずき、ディズの手からもぎ取るようにしてシリンジを脇腹に突き立て、薬液を注入した。
長い溜息をついたその顔から苦痛の表情が消えたのを見て、ディズもまた安堵の溜息をついた。
「さ、てと」
ディズはアポーツでいつの間にか高級マルチデバイスを持ち、周囲の情報を集めた。
ポータルがつながったどこかの迷宮は薄暗く、天を仰いでも光導板までの距離はタイグロイドの灼熱とはうって変わって遠く、むしろ肌寒い。
湿りも乾きもしない冷ややかな空気がよどみ、前後左右、あるいは上下に無数の通路が見え隠れしている。地形は入り組んでいて、物音ひとつせず、まさしく迷宮と呼ぶにふさわしいロケーションだった。
ディズはマルチデバイスからの情報をくまなく調べた。
しかし現在地がいったいどの迷宮であるのかを示す情報は捕まえることができなかった。
「あーあ、これだから困るんだ」
デバイスをたたみ――そのまま光の粒子になってどこかに消えた――ディズはついさっきまでポータルが開いていた空間を恨めしく睨んだ。
ディズはその能力で、通常ビィの技術では制御出来ないとされている転移ポータルを呼び出すことができる。しかしその場にポータルを開けても、一方通行な上に行き先がランダムなのだ。
どこの迷宮か特定できないほどディープな場所に落ちてしまったのか。
それとも12大迷宮ではない場所に来てしまったのか。
あるいは他のどこかへ……?
疑うときりがなかった。
少なくとも迷宮惑星のいずれかの場所だとして――さて、何をすべきか。ディズは短く切りそろえった髪を手櫛でかき分け、頭を抱えた。
「ディズ……?」
と、痛み止めの効果で意識が朦朧としているはずのストロースが口を開いた。骨折のせいで熱があり、額に玉の汗が滲んでいた。
「スー、ムリしないで」
「あたしは……大丈夫。ねえ、ディズ」
「なに?」
「あんしんして、あなたのことは……あたしが……守るからね」
そのままストロースは気を失って眠りに落ちた。
ディズはストロースの着ている高機能ヒゴロモレザースーツを操作して、服を着たまま深い眠りにつける安眠モードにすると、汗を拭いてあげた。
「スー、ごめんね、ありがとう。いつも助けてくれて」
ディズは涙を拭い、テントと簡易毛布を空中から取り寄せた。ストロースを起こさないようテントを組み立て、ディズは毛布にくるまってストロースの体にピッタリと身を寄せ、眠った。
*
ディズは夢を見た。
ロコの夢。タイグロイドに転移する前に出会った別の少女の夢。それ以前に一緒に遊んだ男の子の夢。さらにその前の、その前の、その前の……。
ディズは夢を抱いた。
いつかどこかひとところに落ち着いて、誰からも追われず、何からも脅かされず、今まで出会った優しいビィたちと一緒に過ごせる日が来る。
そんな儚い夢を――。
タイグロイドの章 おわり




