09 旅立ち
ヴァーミンは隙間から入ってくる。
カビやゴキブリから食料を守るように、見つけ次第潰すべきだ。
――ある迷宮生物学者の言葉
レティキュラムは当初の予定よりずっと早く襲撃を受けた。
チョウ型とカ型のヴァーミンが二匹ずつ、一体どうやって紛れ込んだのか街に入り込んでいたのだ。体液を吸われた老ビィたちの死体はすでに三つ出来上がり、さらに次の獲物を狙おうとしていた。
あまりの無残にニューロの心臓は締め付けられた。
レティキュラムは外への防備は可能な限り揃えておいたが、街なかにいきなりヴァーミンが現れるとは思ってもみなかった。
――四匹とも羽根つきだ。本隊より先行してここまで潜入していたのか。
「エリファス、ストロースをお願い! 僕は……」
「ダメ。ニューロはここから逃げるヨ」
浮足立ったニューロの肩をエリファスの細い手が抑えた。プラグド化された手は、見た目に反してずっと力が強い。
「でも……!」
「おジイちゃんたち、もう決めてるヨ、カクゴ。無駄にするのはダメ」
ニューロは涙を浮かべてうう、とうめいた。エリファスの言うとおりだ。もし、今日この場で襲撃がなくともヴァーミンの大群が攻めてくれば結局勝ち目のない戦いに挑むことになる。遅いか早いかの問題なのだ。
「だから、私が行ってくる」
エリファスはそう言って猛然と飛び出した。そのスピードは尋常ではなく、ニューロが何かを言う前に旋風だけを残してヴァーミンたちに飛びかかっていた。
掛け声も何もなく、霊光をまとった手刀がカ型の一体をケーキのように切り分けてただの肉片に変えた。瞬時の出来事だ。
次に手首から超硬電磁ワイヤーを飛ばし、老婆のひとりを口吻で突き刺そうとしていたもう一匹のカを縛り上げ、縦横十文字に切断した。
残りの化け物チョウはどこかに逃げ去っており――いや、そうではなかった。
チョウ型の二匹は、胎蔵槽の収納された建物へと向かっていた。それが何を意味するのか、パニックの中でニューロは悟った。蝶も蚊も、口吻から液体を吸う。ヴァーミンは、生命の素を吸って何かをしようとしているのだ。
――ヴァーミンは金剛環を使って増えるのに、生命の素を盗もうとしている……?
意味を考える前に、老ビィたちが用意されていた火器を使って二匹のチョウを蜂の巣にした。チョウはハチに勝てない、とでも言うように。
「おじいちゃんたち!」
「だめだニューロ、こっちに来るな! 来たら決意が鈍る!」
老ビィたちの誰かが叫んだ。ニューロは飛び出しかけた足にブレーキを掛け、また涙を流した。ニューロは泣き虫なのだ。
「エリファスさん、ニューロとストロースをお願いします」
「にひ、何とかしてみるヨ。貰った分の恩は返す」
「ありがとう。あなたに光と水があらんことを」
異口同音に祈りの声が聞こえた。光と水はビィが生きるのに必要なものだ。それは特別に神聖なので、旅の安全を祈念する一種の魔除けの言葉としても使われる。
ニューロはそれを遠巻きに眺め、自分の無力を感じた。ヴァーミンの襲撃に、自分は何もできなかった。
そんな自分がレティキュラムを出て、本当に光と水のある新天地を探すことができるのだろうか? それとも、そんなものは初めから無くて、自分も老ビィたちも、もう何もかもおしまいではないのか……?
「いこう、にゅーろ」
ストロースが幼い手で袖を引いた。
「あとはにゅーろがなんとかするんでしょ?」
ストロースの驚くほどきれいな瞳が、ニューロを見上げていた。
「あとは僕が何とかするしかない……」
呆けたようにニューロはストロースの言葉を復唱した。
そこにエリファスが戻ってきて、無言でうなずいた。
ニューロたちはもう一度老ビィたちに別れを告げ、迷宮下層につながるゴンドラに乗った。
一時間あまりの時が過ぎ、迷宮へ降り立った彼ら三人は、これから先の未来を開こうとするかのように不死ホタルライトを点灯させ、遥か前方に光を投げかけた。
ニューロはもう泣いてはいなかった。
*
迷宮の広さは尋常ではない。
陸地であり山であり、川であり、海ですらある。
カウラス迷宮の、第二嚢と呼ばれるバルーン状のエリアですら簡単には横切れない。ニューロたちはヴァーミンの恐るべき集団を避け、なるべくその進行ルート上から回り道するように移動を始めた。
安全は何よりも大切だ。
エリファスが同行してくれるとはいえ、ニューロはまだ生まれたばかりのストロースを連れている。命よりも大切な次世代の子だ。何があっても守らなければならない。
ニューロは旅の間、ずっと門術の修行を行っていた。
門術の修行というのは、早い話が『門』を開けっ放しにすることだ。
体内の霊線から常に一定の霊光を発し、身体にまとう。その状態を可能な限り維持して、門の口を大きく広げ、より多くの霊光を体外に放出できるようにするためだ。
ニューロの開ける『門』は、蒼天と大地がメインで、他の種類はあまり得意ではない。亡きフラーは太陽の門に特化していて、迷宮生物を丸焼きにするのが得意だった。そこにニューロがサポートし、ジョン=Cが直接攻撃で敵を倒す――というのが黄金パターンだった。
もう古い話になってしまった。
エリファスは、自分の力が桁違いであることを自認している。ただでさえ戦闘センスがずば抜けている上に、プラグドのちからを存分に発揮している。そうできるだけの経験があるからだ。
だからこそ、自分に手に負えない状況というのも理解している。
いくら個人の力が強くても、大群で襲い来るヴァーミンの脅威に対して無敵ではいられない。相当の数は道連れにはできても、数で抑えこまれれば生き残るのは不可能だ。それはニューロがいても、あるいはフラーとジョン=Cが生き残っていたとしても同じことだ。
だからエリファスは降りた。レティキュラムの老ビィたちも無理強いすることはできなかった。
――エリファスの強さにずっと頼り切ることはできない。
ニューロはそう考え、末の弟分としての頼りない自分を克服しようと決心していた。だからこその修行というわけだ。
「にゅーろ、にゅーろ、スーもやる」
「だめだよストロース、そんなちっちゃい頃から門術に頼ると身体が弱くなっちゃうぞ」
そう言ってニューロはストロースのやわらかい髪をなでた。
別に子供をあしらう意味では無い。例えば大地の門術を使って常に肉体の強化を施して生活していたとする。そうなると強化されることが当たり前になって、骨や筋肉の成長が妨げられることもあるのだ。
だから門術の修行は、どんなに早くても生まれてから3エクセルターンは過ぎないとやるべきではない、というのがニューロの知る常識だった。
だから、鍛えるのはニューロの方だ。ストロースが十分に門術を使えるようになるまで、自分がストロースを守らなければ。
「ニューロ」
決意の鼻息を吹いていたところでエリファスが静かだが緊急性のある声を発した。
「ヴァーミン?」
「ううん、普通のメーキューセーブツ」
一度『門』を閉じ、ニューロは待ち構えているであろう迷宮生物との戦闘に備えた。プラグド化した右手には重みのある杭飛ばし拳銃を持ち、左手には門術の発動を待機させる。
「……行くよ。今回は僕に前衛をやらせて」
ニューロの言葉に、エリファスは軽くうなずいた。前に出たニューロの背中は、口にするほど頼もしくはなっていないが、それでも少しは逞しくなっている――かもしれない。
エリファスはストロースを物陰に隠し、自分は長い髪の毛を頭にまとわりつかせて漆黒のフルフェイスヘルメットを構築した。
「ニューロ、GO」
エリファスの小声の掛け声に押され、ニューロは前へと飛び出した。
*
パイルシューターの杭は、それ自体が皮膚に突き刺さる凶器であると同時に、突き刺さった後に爆発を起こす仕組みになっている。いわば小型のミサイル射出装置といったところだろう。
点灯蟲のぞわぞわした集まりはそれだけで3分の1が爆散し、血肉を撒き散らせた。
「こうだ!」
油断せずニューロは左手を突き出し、触媒のプラスキン=カーボン複合材に霊光を注ぎ込んだ。
大地の門の門術のひとつ、貼りつく網と呼ばれるスキルが発動し、小さな複合材が沸騰したように膨れ上がった。それは網状になって点灯蟲の集団に覆いかぶさって身動きを封じた。
「エリファス!」
「わかってルー」
網から逃れた数匹を、エリファスの超硬電磁ワイヤが鞭打った。蟲達は簡単に切り裂かれて死んだ。
続いてニューロはさらに門術を重ね、貼りつく網を小さく引き絞った。パキパキと嫌な音を立てて、蟲たちのカラが押し付け合い、ヒビ割れていく。
蟲たちの背中にある発光器官がヒステリーを起こしたように激しく明滅し、閃光で怯ませようとするが後の祭りだ。
パイルシューターをホルスターに収め、今度は腰から伸縮式電撃ジャベリンを取り出した。有無をいわさず生き残りの蟲に突き刺し、手のひらの霊線から高圧電流を流し込んで黒焦げにする。爆発式の杭は作るのに素材を必要とする。疲労感以外には目減りのない近接武器を使うほうがコストが少なくて済む。そういう理由あってのジャベリンだ。
文句なしの動きだった。
ニューロは心臓を破裂させそうなくらいの緊張感を味わい、全滅を確認した時点で地面にへたり込んだ。
「にゅーろ、すごいな」
「そうだナ。ジューブンよくやった」
ストロースとエリファスに褒められて、ニューロは玉の汗が浮いた額を拭い、小さく苦笑いした。
硬い地面が冷たくて気持ちいい。