08 スネークアイズ
共食いはヴァーミンの流儀であって、ビィのそれではない。
黒い思想の波は止め、断たねばならない。
――新生ビィ育成トレーナーが幼いビィに語る言葉
ストロースは生まれつき門術の使い手として優秀だったし、エリファスという師がそばにいたこともあって、自然と高い戦闘力を身に着け、そのまま成体式を迎えた。
技藝の聖樹は内門系の門術に適性を示し、蜂窩を守る戦闘要員としても、蜂窩を出て探索者となっても、どちらに進路を定めても十分やっていけるだけの実力を備えていた。
幼き日のストロース自身は、まだまだ人口の少ない故郷の新レティキュラム蜂窩をヴァーミンや迷宮生物から守るための戦士として――つまりエリファスと同じ道を選ぶべきだろうと漠然と思っていた。
だが運命は曖昧を許してはくれなかった。
ある日突然蜂窩にやって来た奇妙な老人と、大ケガをした男、その子だという幼子・ディズ。
彼らを追って現れた誘拐犯の一味。
戦いになって、エリファスと老人、そしてニューロまでそれに加わり、ストロースもそれに続いた。
そして――。
ストロースはそのとき本当に夢中で戦って、自分が何をやっていたのかきちんと思い出せない。
気がついた時には両腕の肘から先を失っていた。大量の血が流れ、自分のものではない他の誰かの血と足元で入り混じっていた。
その場で死んでいてもおかしくは無かった。ほとんど無意識に門術で止血をしていて、かろうじて気絶せずに済んでいたという状態だったからだ。
誘拐犯は皆殺しになっていた。
ほぼ全身をプラグド化した”筋金入り”のエリファスほどの使い手はそういない。それに戦いに加わった奇妙な老人は、どういう門術を使っているのか身体を破壊されても一瞬で再生する能力を持っていた。
ストロースの腕はそうはいかず、結局プラグド化を余儀なくされた。
『どうせだかラ、成体式のお祝いに私のワイヤー、スーにプレゼントするネ』
そう言ってエリファスは、いったいどれほどのヴァーミンや迷宮生物の血を吸ったかわからない”業物”をストロースに譲った。それではエリファスは戦えないのではないかとストロースは固辞しようとしたが、結局エリファスの言うとおりになった。
『ダイジョウブ、心配いらないヨ。私はニューロが新しく作ったワイヤー使うかラ、ね』
ストロースはエリファスのウーバニー訛りの言葉に泣いた。
それからまた少し時間が経って、ディズの養父だったウォルトは、プラグド化によって一度は回復の兆しが見えたものの、合併症で命を落としてしまった。
なんということだ――と奇妙な老人、ペザントはひどく落胆した。
ディズはまだまだ幼くて、誰かの助けがないといけない時期だった。
それだけではない。
『この子は”女王の子”だ。その力を欲しがる連中に、生まれながらにして狙われておる』
そう言われたニューロたちは、ならばペザント自らが育てれば良いのではないかと提案するも、老人は苦悩をにじませた。
『ワシもまた狙われておるのだ。その……誘拐犯どもにな。そんな状況下では、ワシとて守り切れるかわからぬ。だからこの蜂窩に来たのだ。エリファス、その名を聞きつけてな』
老人の思惑は、要旨をまとめるとディズおよび父親を新レティキュラムに預け、自分は新たな旅に出るということだった。
”誘拐犯たち”は一人ひとりが強力な力を持ち、並の実力者では太刀打ち出来ない。だから老人は、迷宮の各地をめぐって敵に対抗しうる人材をスカウトしていたのだという。
そんな勝手なことを、とニューロもストロースも抗議した。
しかしエリファスだけはそれを承諾した。
蜂窩に対する明らかなリスク要因となるディズ受け入れを良しとするエリファスだったが真意は違っていた。
『その……”誘拐犯”? そいつラにこの蜂窩の場所はバレてルでしョ? だったらここでかくまってるフリをして、ディズちゃんはどこかに逃せばいいんだヨ』
逃がすと言ってもいったいどこに、とニューロはもっともな質問を投げた。ニューロはいつももっともなことを言う。
『私がこの蜂窩を守る。その間に、スーがディズを育てながら蜂窩の外にでる。それでいいんじゃナイ?』
ストロースにとっては寝耳に水だったし、とてもそんなことは無理だと何度も繰り返したが――父を失った事実さえよくわかっていないディズはストロースの袖を引き、無言のままストロースへの親愛と信頼らしきものを示した。
それから――。
それから時間が流れた。
ストロースは腕の良い電磁ワイヤ使いとなり、ディズは明るい真っ直ぐな性格のビィに育った。
エリファスの言うとおり、言ってみれば小物にすぎないストロースをわざわざ狙う敵はおらず、しばし放浪と子育ての時期が過ぎた。
だが平和な日々は続かなかった。
”誘拐犯”の一味が、いったいどこから嗅ぎつけてきたのか、ストロースを襲ってくるようになったのである。
*
アダーは”誘拐犯”のひとりで、ストロースが出会ったビィの中でも最悪の部類に入る屑女だった。
超振動ジャマダハルを両手に構え、あらゆるものを切り裂く。その刃が向くのはヴァーミンではなく、同胞のはずのビィだ。
「どうしたアダー、そんなところにつったってないで来なよ!」
ストロースの思考はまっとうだった。蜂窩の住民たちに危害の及ばない位置にまで離れるのはストロースにとっての常識であり、関係のないビィを傷つけるような真似は、アダーがいくら外道であってもしないだろう――という考えだった。
アダーはそうではなかった。
「アッハハハハ! お前の言うことなんかきかねーって、スーちゃあん!」
笑いながら、アダーは逃げ戸惑うビィの背中にジャマダハルをつきたて、脊椎から心臓までをえぐった。悲鳴と血飛沫。
さらに狂乱したアダーは周囲のビィ全てをめった刺しにして、あたりを血の海に変えた。おとなも子供も見境なしだ。
「このッ……!」
驚愕し、怒りの沸点を超えたストロースは超硬電磁ワイヤー飛ばし、アダーの首と足首に引っ掛けた。
突如後ろから引っ張られたアダーは地面にうつ伏せに倒れ込んだ。そのままえびぞりに身体を拘禁され、ズルズルとストロースの足元まで引きずられる。
「腐れ外道が!」
ストロースは怒りに任せ、砂色のマントに身を包んだアダーの脇腹に思い切り蹴りこもうとした。
だが一瞬のすきに、アダーは超振動ジャマダハルでワイヤーに刃を当てた。金切り声が上がった。超硬電磁ワイヤーは簡単に断裂するような代物ではない。しかしアダーのジャマダハルも侮れない武器だ。双方の金属が盛大に火花を散らすが、どちらも破壊しきれない。
「このっ!!」
業を煮やしたストロースはワイヤーを引っ掛けたままアダーの身体をぶん投げ、家畜化された迷宮生物の厩舎に叩き込んだ。
それだけにとどまらず、ストロースは高機能レザージャケットの中から小型のフラググレネードをボロボロになった厩舎に投げ込んだ。
バ、と爆音が響き、破片が飛び散り厩舎だったものは木くずの山に変わった。中で数匹の家畜が巻き添えを食っていたが、アダーの恐ろしさを知るストロースに躊躇していられる余裕はなかった。
もうもうと土煙が立ち上る中、ストロースはアダーの次の行動を読んだ。小型のグレネード程度で始末できる相手ではない。
――こっちか、あの子か、ここの人たちか。
ビィには特別なタイプがいる。平気で無関係のビィを殺せるタイプだ。普通、ビィが敵意を持つべき存在はヴァーミンであり、同属のビィを殺すことは、地域の文化にもよるが完全なタブー扱いになっている。
アダーは違う。
先ほど人垣に飛び込んで無残に命を奪ったように、目的のためならなんでもする。いや、ビィをいたぶり殺すこと自体を目的としているかのようだ。
アダーとストロースは以前戦ったことがあり、その時はストロースがかろうじて抑えこんだ。
――目的はディズの略取だ。普通ならディズのところまで一足飛びに近づくハズ……でもこいつは!
ストロースの読み通り、アダーはディズを無視してストロースの懐へと飛び込んできた。
「痛いじゃないのさ!」
グレネードを間近に食らって、アダーのまとっている砂色のマントにぼろぼろに穴が開いている。その隙間から覗くのはほとんど半裸の衣装で、羞恥心をどこかに置き忘れてきたかのようだ。
超振動ジャマダハル2刀が恐ろしいスピードで突き出される。反射速度はストロースを上回っているようだ。
「あっははははぁ! ほら、よけなよ! よけてみせなよ!!」
左右交互に繰り出される切っ先は、まともに喰らえばケーキにナイフを入れるくらい簡単に手足を切り飛ばされてしまう。
ストロースはサイバーグラスでアダーの動きを追い、その行動範囲を分析しながらワイヤーを放った。
「遅いンだよ!」
アダーが叫んだ。その体が一瞬サイバーグラスでさえ追随できない速さで動いた。移動先はストロースの真後ろ――これは”蒼天”の門の技のひとつ、短距離超高速移動の”瞬息”だ。
最悪の間合い、そして位置取り。
超振動ジャマダハルの切っ先がストロースの後頭部を襲った――。




