07 キッドナッパー
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――女王の子に関するひとつの資料
ディズとの出会いおおよそ10エクセルターン前に遡る。
ストロースはそのころ成体式を迎えたばかりで、まだ本当の意味で自分がどこへ行けばいいのかあやふやだった頃だ。
彼らはある日突然やってきた。本当に突然だった。
大荷物を抱えた奇妙な老人と、胎蔵槽から出たばかりくらいの幼いビィ。そしてその父親を名乗る男の三人が、前触れ無く蜂窩に訪れた。
『騒がせてすまんな。勝手を言ってすまないが、ひとつ頼まれてくれんか』
老人は、首長であるニューロとエリファスに切り出した。まるでニューロが蜂窩の責任者であることをあらかじめ知っていたかのように迷いのない足取りだったのを、ストロースは今でもはっきり覚えている。
『この子の父親がケガをしての。ワシの手持ちでは治療しきれんのだ。プラグド化せねば命にかかわる』
老人の言うとおり、幼子の父親――ウォルトという名だった――は胸から腹にかけて大きく引き裂かれたような傷があって、左の肩から先がなくなっていた。治療門術も物理的な手当もされていたようだが、このままでは出血多量で死ぬのは目に見えていた。
ビィは生物として頑健なので、器官をプラグド化――つまり霊光駆動式の機械に置き換えればたいてい不自由なく生活できるようになる。ただしそれにも限度があって、死にかけた男の内臓をプラグド化しても治る見込みは半々――というところだった。
首長のニューロは、子供のストロースから見ても真面目でお人好しで、明らかに善人だった。
老人らが何者なのかも問わず設備を使わせ、早速治療が行われた。
『ワシらはカウラスのビィではない……ネーウスからポータルを通ってきた』
ウォルトの容態がひとまず落ち着くと、ニューロの問に老人が答えた。
『話せば長くなるが、その子――ディズが誘拐されそうになってのう。仕方なくこちらに”渡って”きたのだ』
その後ニューロとの間で何が話されたのかストロースは全てを聞いていない。
あどけないディズのあまりの可愛さに、子供の世話を買って出ていたからだ。
ストロースは新レティキュラム蜂窩――ストロースが暮らしていた蜂窩はそういう名前だった――の胎蔵槽で生まれた全部のビィたちの長姉であり、幼い子供の世話はお手のものだった。
それから数ターンが経ち、”奴ら”がやって来た。
ディズを狙う誘拐犯の一味である。
*
宴の翌朝、ストロースは何とはなしにキネゾノ蜂窩の中心部に立つ九本の機関樹を見に行った。
縦3本横3本に整然と並んだ木々。
生命圏維持装置としての機能こそいわゆる主機関樹に比べれば小さいが、それでもそれぞれの太さは成体のビィが手を繋いで囲うと十人がかり程度にはなるだろう。それが9本並んでいるのだから、総合的には主機関樹と大差はない。
タイグロイドのビィたちは、蜂窩を主機関樹ではなく9本の機関樹で維持する道をわざわざえらんでいるのだという。
非効率と言ってしまえばそこまでだが、ストロースが育った新レティキュラム蜂窩にもいろいろなしきたりがあって、なぜ守らなくてはならないのかわからなくても『そういうものだから』ということで従ってきた。
この9本の機関樹も説明はできないがそういうものなのだろう。
ストロースは機関樹の硬質な樹皮を撫でながらそう思った。
*
「さてと、そろそろ行かなきゃ」
遅めの朝食を客殿でとった後、ストロースはわざと明るい声で宣言した。
「ええっ! 行ってしまうん?」
キネゾノの少女ロコは女の子らしい白いワンピースを翻してストロースの膝もとに飛んでいった。
「ずっとここにおられへんの?」
「うーん……ごめんね、あたしは探索者だから」
「じゃあディズも?」
「うん。あたしたちふたりで、探さないといけないものがあるんだ。ちょっと簡単には辿りつけないところにあって。本当はロコちゃんともっと遊びたいけど、もう行かなきゃ」
「えええ~そんなんいやや……」
ロコはぐずりだして、周りの大人たちにたしなめられた。
「すんませんなあ、いつもは聞き分けのええ子なんですけど。えらいおふたりのこと気に入ってもうて」
わかります、とストロースは苦笑した。200人程度の共同体にやって来た異邦人に憧れる気持ちもあるだろう。ストロース自身、ロコに対しては愛着の情も抱いているし、それにディズだ。
――あの子、誰にでも見境ないから。
さっそくロコのことを慰めだしたディズを横目で見て、ストロースは高機能ヒゴロモレザーのジャケットの裾をいじった。キネゾノの技師に頼んでクーラー編笠と同じ機構を組み込んでもらったので、タイグロイドの炎天下を進むには最適だろう。
「ごめんねロコ。ここの暮らしも楽しそうだし、遊びに行くくらいなら一緒に連れて行ってあげられるけど」
ディズがロコの頭をなでてやりながら言った。
「ダメなん?」とロコ。
「うん。目指してる場所がちょっと遠いんだ」
「遠いん? どのくらい?」
「この迷宮の外に抜けるくらい」
さすがのロコもぐずるのを止めた。
小さな集落に暮らす少女にとって、蜂窩の外に出るというスケールは理解できても、大迷宮そのものから抜け出すという発想は全く実感のないものだった。
ロコはなんとか引きとめようとした。が、結局まだ成体になるのも遠い少女には、そうできるだけの語彙は無かった。
やむを得ない。
迷宮の、迷宮惑星の、宇宙のどの場所でも、やむを得ないことというものはある。それが今日ここでも起こった。
やむを得ないことだ。
*
「ごっめんくださいま~せ~!」
砂色の断熱マントを羽織ったアダーは、素っ頓狂な声をキネゾノ蜂窩の入り口に投げかけた。
耳の上を剃りあげ、こめかみから頬にかけて派手なタトゥー状プラグドを定着させたその女は、遠目には少し派手ではあるが普通のビィとしか見えない。
「なんや珍しなあ。三人目かいな」
ヴァーミンよけの見張り台にいた男が声に気づいて返事をした。
「さんにんめ、って言った? そこのオニーサン」
「今日でもう行ってまうらしいけどな。アンタ、知り合いちゃうの?」
「知り合い? そうそう、知り合い知り合い。合流したいから、ちょっと入り口開けてほしいんだけど?」
「あ? ああ、ええで」
男は気軽に見張り台を降り、ヴァーミンに対する防護策を講じたシャッターを開閉ボタンを操作して巻き上げた。
「ほな入っ」
「……言われなくても入るよ、ボーヤ」
見張りの男の顔は驚きの表情のまま固まって、地面に落ちて血を噴いた。
アダーはそれに見向きもせず、人垣が寄っている場所を目指して足を早めた。
首なし死体が残された。
*
「それじゃみなさん、お世話になりました」
ストロースとディズは何度も何度も別れの挨拶をして、名残り押しそうにする蜂窩の住民、とりわけロコに対して礼を言い、ようやく蜂窩を離れるところだった。
そこに悲鳴が上がった。
ストロースたちを取り囲む住民たちが、ひとりふたりと突然何者かに突き飛ばされ、放物線を描いて地面に叩きつけられているという、いきなりの光景がストロースの目に飛び込んできた。
「……ヴァーミン!?」
本能的に口から言葉が漏れた。ビィの敵はヴァーミンだ。何が起こっているかしらないが、良くない何かが起こっているならそれはヴァーミンの仕業である可能性が一番高い。
だが、その予想は裏切られた。
「はろ~ぅスーちゃん、殺しに来たよ~」
邪魔なビィたちをかき分けて、ストロースとディズの前に女が姿を見せた。ストロースにとってそれは信じられない人物だった。
「アダー!? なんでアンタがこんなところに!」
ストロースの悲鳴に近い叫びに、アダーは狂喜した。
「きゃははッ! 後を尾行てきたに決まってるジャン!」
言うやいなや、アダーは門術を使い、凄まじいスピードで跳躍しストロースに迫った。砂色のマントから、二本の超振動ジャマダハルを突き出している。
「フザけるな!」
ストロースは、手近に立っていた軽金属製のポールをワイヤーで引き抜き、残骸をアダーへと投げつけた。
「こ~んなモン!」
アダーの刃が閃き、ポールは無数の破片に分断された。
その隙にサイバーグラスを掛けたストロースは、キネゾノ蜂窩の住民たちにできるだけ被害の及ばないポイントを算出し、叫んだ。
「相手してあげるわ、来なさい! アダー!」




