06 師とミード
ヴァーミンには、我々でいう主機関樹のような存在があるのだろうか。
現在までの調査では確かなものはわかっていない――。
――とある蜂窩跡地から発掘された500エクセルターン前の書簡より抜粋
虚空庭園は力場に包まれた真空・低重力の空間であり、宇宙まで繋がるほど上下に長い。
ストロースたちが入った場所以外にもいくつか存在していて、目立つ大きさのものは3つ。他にも小さく細いものが連なっていて、最小のものはビィひとりがやっと体をねじ込めるほどの容積しかない。
ロコの暮らすキネゾノ蜂窩は、ある種の伝統文化として虚空庭園の世話をしている。自律式スペースデブリ排除装置である”虎目レンズ”を迷宮惑星外縁まで飛ばし、隕石による破局を事前に防ぐことが目的であるらしい。
それを聞いてストロースは、ことの遠大さに豊かな胸が高鳴るのを感じた。
いったいいつから虎目レンズは働き、そのためにいつからキネゾノ蜂窩のビィは虚空庭園の世話を行い、いままさにロコという少女にまでその意志が受け継がれているのか。
ストロースの育った蜂窩には歴史がない。
本来暮らしていた蜂窩をヴァーミンに襲われ、破壊され、脱走を余儀なくされて、その後発見された新天地に築かれた場所だったからだ。当時のストロースはまだ胎蔵槽――ビィを誕生させる人工子宮――を出てからほんの間もなくのことで、もともとの故郷のことなどほとんど記憶に残っていない。
それから――。
色々なことがあった。
ストロースを育ててくれた父か兄のような存在のニューロが小さな小さな蜂窩の首長を務め、新たに生まれでてくるビィの子どもたちを守るためエリファスがその補佐に付いた。エリファスはストロースの師匠でもあり、女探索者であり本物の戦士だ。ストロースの両腕に仕込まれている超硬電磁ワイヤーのコイルは、エリファスが長年使っていたものを譲り受けたものだ。
ニューロとエリファスは、蜂窩建設の辛苦をともにしたが男女の仲にはならなかったらしい。
が、そんなことは関係なくふたりはストロースの家族だった。
後から胎蔵槽で生まれてくるビィたちは弟、妹でありストロースはその長女として生きてきた。
そうして新しい蜂窩の人口も規模も大きくなり、少し余裕ができて、蜂窩で最初の成体式を迎えたストロースは守護役ではなく外に出て探索者として生きることを決めた。
その時、まさにその時、見計らっていたかのようにストロースはもうひとりの家族を抱え込むことになった。
ディズである。
*
ストロースたちは複数の虚空庭園を見まわり、ヴァーミンが潜んでいないかどうかを確かめた。
ロコたちキネゾノ蜂窩のビィたちが虎目レンズの世話に来た時に危険があれば寝覚めが悪い。
「ディズ、何か感じない?」とストロース。
「ううん。こっちは何も」とディズ。
そう、と答えてストロースは腰に手を当てた。ハサミムシヴァーミンにやられた傷跡がまだ完全には塞がっておらず、鋭い痛みが走る。
ふたつみっつと力場の中を覗いてもそれらしい影はなく、ストロースは豊かな胸をなでおろした。
「さっきのヴァーミンは単にあたしとロコちゃんを尾行てきただけだったみたいね」
「ホンマ? よかったあ、虎目の世話に来るたびにヴァーミンがおったらかなわんもん」
ロコがぱっと顔をほころばせ、ストロースの周りにまとわりついた。
「いたたたたロコちゃんまだそこダメ、引っ張っちゃダメ」
虚空庭園全部を回っても結局ヴァーミンの姿はなく、ストロースはロコを送るために一旦キネゾノ蜂窩へ戻ることにした。
ロコとディズはすっかり仲良くなり、ふたりで手を繋いで坂を降りていく。ストロースは脇腹を撫でながらその後ろをついて歩く。
悪くない時間だった。
*
タイグロイド迷宮は、他の迷宮と違って天井に並ぶ光導板の光が近く、強い。
そのため地表はうだるような暑さになる。そこで生活するのは大変だが、悪くないこともある。
昼時間が長く光量が多いと、そこで暮らすビィたちには陰鬱な気配がしない。おおむねみんな明るく陽気で、同胞とのおしゃべりを楽しむ余裕が出てくる。
だからストロースが蜂窩を訪れた時も必要以上に歓待してくれたし、またディズを見つけて戻ってきた時も心から喜んでくれた。
物心ついてからずっとヴァーミンや迷宮生物との生存競争とそれに勝利する方法を頭に叩きこまれてきたストロースには、表裏なく接してくれるキネゾノ蜂窩のビィたちの態度はくすぐったい気持ちだった。
と、ストロースは感謝の気持ちで一杯になっていたのだが、ロコの感想は少し違っていた。
「ちゃうねん、みんなホンマは蜜酒飲みたいだけやねん。普段からなんや大したこともないのに宴会ばっかしよるんよ、あのおっさんたち」
ストロースは苦笑した。
何にでもかこつけてとにかく酒を飲んで楽しんでいたいというのは、見方によっては不謹慎かもしれないがビィという生き物にとっては健全なのだろう。
それに、ストロースもビィである。
ビィといえば蜜酒である。
ストロースさんもご一献――と言われれば飲まざるをえない。
清涼飲料水の蜜水に比べればずっと甘みが濃く複雑で、品のいい花の香がかすかに漂う。ストレートでも旨いが、冷やしたそれを炭酸水で割って一気にあおるのがストロースの好みだ。ややドロッとした甘みが薄らいで、口当たりがいい。炎熱から夜時間の入りにこれは贅沢以外の何物でもない。
「うまいっ!」
思わず声に出るほどの美味酒だった。
その夜は客人のストロースに酌をする男たちが多かった。なにしろストロースはめったに現れない”外”からのビィだったし、何より横目で見るだけでわかるスタイルの良い女ビィだ。男連中がいろめき立つのも無理はない。
一方、ディズはロコを始めとした子どもたちのちょっとした人気者になっていた。
ディズはどんな時でも物怖じをしない。初めて訪れた蜂窩ということなどお構いなしに、同年代かそれより下の子どたちに声をかけ、すぐに友だちになった。
それともうひとつ、ディズは同年代のビィよりも遥かに門術のチカラが強かった。
指先で空中に光の軌跡を描くと、描いたもの実体化して手元に落ちてくるようなこともやってのけた。これは”大地の門”で周囲の質量を削って収束、実体化させる門術か、さもなければ描いたものをその場にアポートさせたとしか思えないチカラだ。
実体化はともかく取り寄せ転送は、ディズのようなまだ技藝の聖樹を受け取っていない子供に真似すらできないはずだ。しかしそれを苦もなくやってのけるディズは、ほんのわずかな時間で人気を勝ち取った。
神童がチヤホヤされていく様子を遠巻きに見ていたロコだけは、友達を取られた気分で少し不満気な顔をしていた。
*
ぱちぱち音を立てて篝火が燃える。
燃料に使われているのは、機関樹の樹皮に特別な樹液を染み込ませたもので、水をぶっかけて無理やり消しでもしないかぎりは3ターンは燃え続けるという代物だ。
蜂窩の中心に整然と立つ9本の機関樹を囲むようにござが敷かれ、本格的なよる時間の宴会が始まった。
ライトアップされた機関樹はその梢が黄金色に照り返して、神秘的な美しさを醸していた。機関樹や主機関樹の美しさは、ビィにとっては特別なもので、ストロースは蜜酒の効きも相まっておもわず涙もろくなるほどの美を感じた。
主機関樹はビィにとって故郷であり、胎蔵槽を通した生みの親であり、食料を初めとする様々な物資を与えてくれる存在だ。だからビィは蜂窩を作り、機関樹を守るように暮らし、外敵から守るため戦う。
ストロースは探索者として元々の蜂窩を離れた流浪の身だが、その代わりなのだろうか。どこであれ機関樹の姿を見かけると神妙になり、ある種の感慨と共に義務感を覚える。
――せめてここから離れるまでは。
果実の中にある種をすりつぶして固めた餅をひとかじりして、ストロースは頭の隅の冷静な部位で考えた。
――せめてここにいる間は、あたしもここの住民として振る舞おう。
歓待にほだされたから、という理由であることも否めない。
ただ、ストロースは気になっていた。
あの虚空庭園で尾行されていたハサミムシヴァーミン。
あれは本当に単なる襲撃者だったのだろうか?
もしや、自分とディズを狙っていたのではないか?
考えすぎだ、とはストロースの頭のどの部位も訴えてこない。自分はともかくディズは”そういう子”だし、よもやこの蜂窩の住人が宴会ムードをひっくり返して襲ってくるなど考えたくもなかった。
『蜜酒飲んだくらいデ動けなくなルようじゃダメダヨー』。
不意に師匠・エリファスの、ウーバニー迷宮訛りの残る言葉が脳裏をよぎった。
ストロースは9本の機関樹の周りで馬鹿騒ぎするおとなたちと、疲れて寝こける子どもたちの姿を見比べ、もう一杯蜜酒を飲んだ。
強くなる必要がある。




