03 アイ・オブ・ザ・タイガー
全ては機関樹から生まれ、我々は機関樹へ還元される。
主機関樹とは我々の総体と言えましょう。
――”ギガロアルケミスト”ゲオルギィの言葉
ひとつの迷宮や蜂窩のありようが、他の迷宮の出身者の目には奇異に映るということは往々にしてある。
タイグロイド迷宮の不思議さはストロースの目を大いに楽しませた。
干からびるような暑さもクーラー編笠のおかげで和らいでいる。ストロースの身に着けているソリッドな高機能スーツには少々ミスマッチだったが、機関樹の細い枝から採取できる樹皮で編んだ笠は、被った本人の霊光――ビィの持つ超能力の源――を頭の天辺から吸収し、それを動力として吸熱・排熱を行うというものである。
低めの天井から容赦なく高導板の光が降り注ぐタイグロイド迷宮では、笠とその縁から垂らして使う断熱薄衣が必需品とも言える。
「おねえちゃんの服もなんやすごいけど、ウチらの被るヤツもええやろ?」
キネゾノ蜂窩からストロースの道案内を買ってでた少女・ロコが楽しげに言った。ついさっき会ったばかりのストロースの何を気に入ったのか、熱射のなかを歩くストロースの周りを元気に動き回っている。
ストロースは断熱薄衣の内側で笑みを浮かべて返した。実際、編笠があるとないとでは道中の快適さがまるで違う。
全身を高機能スーツでプラグディックにキメるのがストロースの趣味なのだが命には代えられない。
「それで、あとどのくらいで着くの? ロコちゃん」
圧縮水筒から水を一口のんでからストロースはうろちょろするロコに尋ねた。成体にはまだ早いが、それにしても実年齢より幼くて落ち着きのないという感じだ。
「うーん、いつもやったらあと30分位かなあ」
「いつも?」
「うん。いつもやったらな」
「今日は違うの?」
「うん。風に混じって細長い毛ェみたいなんが混じってるの、見える?」
そう言われてサイバーグラスの感度を上げると、確かにごく細い繊維のようなものが空中で風に煽られているのが見えた。
その毛を捕まえて、「なんだろう、これ……迷宮生物の毛?」
ストロースがそう言うと、ロコは全身で”正解”のジェスチャーをしてみせた。
「大砂丘トラっていうねんけど、ものっすごい大きなトラの敷物みたいなのがな、時々うごきまわりよるんよ」
「敷物」
「そ。地面の上にぶわーって広がって、『ぎたい』いうの? 砂みたいになるん。で、何も知らんと上を通ろうとすると」
「食べられちゃうんだ」
「うん。そやから、そのウソ砂漠に入り込まんように遠回りせんとあかんの」
ストロースは肩をすくめた。生まれ故郷のカウラスにも砂漠はあった。そこに住む水牛ミミズという巨大で気持ち悪い見た目の迷宮生物のことを思い出し、炎天下に寒気を覚えた。だが砂漠そのものに擬態するというのはスケールがふたつみっつ飛び越えている。そんなものには絶対に近づきたくないが、その反面、じかに見てみたいという好奇心もくすぐられる。
「でも、おねえちゃん強そやから倒せるかもわからんわ」
「買いかぶりすぎだよロコちゃん。あたし、べつに不死身でも無敵でもなんでもないからね?」
ストロースはロコの過剰な期待をなだめた。いくら興味があっても、首の突っ込みどころを間違えるとビィはすぐ死ぬ。探索者としての師であり姉同然のビィ、エリファスから何度も聞かされた言葉だ。
「遠回りになってもこの笠があれば暑さの心配はいらないし、危なくない方を通ろうよ。ね?」
ロコは渋々納得し、ストロースに従った。
と、いきなりストロースの両手がかすかに震えた。正確には、両手に仕込まれた超硬電磁ワイヤーのコイルが何かをとらえ、反応を示した。
――まさか、さっきの話のトラが?
サイバーグラスの感度を上げ、周囲の音と光を探った。
「……おねえちゃん?」
「静かに」
小さな動体反応らしきものがふたつみっつ赤い光点としてグラスの内側で明滅するが、正体までは特定できない。体積から鑑みるに大砂丘トラなる巨大生物とは違うようだ。風で煽られた何かが転がっているとか、もしくは無害な――比較的無害な――迷宮生物とみて問題無いだろう。
「大丈夫みたい。行こ、ロコちゃん」
不安げに見上げるロコの肩に手を置き、ストロースは再び道案内を頼んだ。
嬉しそうに先導するロコの背中を微笑ましく眺めながら、ストロースは一抹の不安を拭いきれずサイバーグラスの中の目を険しくさせた。
*
虚空庭園がどんな環境か、ということを説明することは難しい。
そこでじっさいに何が起き、いかなる働きでそのような”庭園”を作り出しているのか正確に理解しているビィは少ないだろう。
視覚的には、ほとんど静止した竜巻がゆっくりと渦巻き、垂直に昇っているようである。少なくとも”庭園”の外からはそう見える。
音はほとんどしない。激しい風の音もなく、代わりに巻き上げられた砂埃がこすれあい、静電気を立てて弾ける音が断続的に鳴り続けている。
コマ送りの竜巻の内部は幅広い透明の柱が立っている。それこそが虚空庭園と普通の空間を隔てている力場の壁だ。迷宮には『昔からそこにあるが誰がいつ作ったのかわからない』ものが多々あるがこれもそのひとつに数えられるだろう。
力場は指で触ることもできて、生プラスキンのように押せば指が沈み、弾力がある。透明な柔らかい膜のようだ。
その膜をぐっと押し込み、押し込み続けると、いきなり腕が突き抜けて、そのまま体が飲み込まれてしまう。
その中は、力場に守られた”庭園”である。
庭園の中は虚空――つまり真空状態にある。
真空状態である。
「ぶっはあー!?」
庭園に踏み込み、危うく酸欠で死にそうになったストロースが大慌てで力場から飛び出した。
「あかんておねえちゃん、そン中生身で入ったらパーンってなるで」
四つん這いになって肩で息をしているところを心配そうにロコに覗きこまれ、ストロースは口の端を引きつらせた。
「いやー、こりゃすごいね」
サイバーグラスを外し、ストロースは虚空庭園を囲む不可視の壁を肉眼で眺めた。耳と目を覆うグラスがなければ、もしかすると鼓膜が破けるくらいはしていたかもしれない。
「大丈夫、おねえちゃん?」
「うん、大丈夫。何ていうか、自分の肌で確かめてみたいって、そういう性分なんだ、あたし」
でも2回入る気にはなれないかな、と言ってストロースはロコの用意した全環境対応タイトスーツを受け取った。
一度着ている服を下着から全部脱ぎ、小型デバイスツールサイズまで圧縮されたスーツを広げ、体にピッタリと張り付くようなそれに袖を通す。内側に塗られた樹液抽出物が体温で溶け出すと、いよいよ肌との隙間が一切なくなった。タイトスーツという名前だけあって、身体の線がはっきりと見えてしまう。
「わあ、おねえちゃんおっぱい大きいなあ」
ロコが見てそのままの感想を漏らした。ロコも同じように素肌にスーツを着込んでいるが、その肢体はまだ子供っぽさの方がまさっている。
「ほな入ろうか?」
スーツと完全に融着接続する循環型酸素供給ヘルメットをかぶると、ふたりは力場を通りぬけ、虚空庭園へと足を踏み入れた。
*
虚空庭園は、いうなれば宇宙空間の延長だ。
酸素はおろか空気も一切ない真空であり、どんな原理が働いているのか重力も弱い。完全に無重力状態ではないものの、通常空間の数分の1といったところだろう。ジャンプすると体がふわりと浮かび上がり、放物線をゆっくりと描いて着地する。
スーツのおかげで不自由なく動けるようになったストロースがまず驚いたのは、真空の中に植物が生えていることだった。
それは機関樹が環境適応したもので、熱砂の中に適応したサボテンタイプに形状が似ていた。
「ロコちゃん」
「なに? おねえちゃん」
「この機関樹、どうやって生きていられるの?」
「んー、ようわからん」
「だよね」
理由は不明だが生きている機関樹はストロースの身長よりはるかに高く成長していて、もう百エクセルターンも経てば主機関樹の仲間入りするかもしれない。
「で、あれはいったい何ごと?」
ストロースはヘルメットの中で顔をしかめながら、虚空庭園の不可思議な箇所を指差した。
不可思議といえば何もかも不可思議なのだが、そこに埋まっているものはサボテンタイプの機関樹よりも遥かに奇妙なものだった。
起伏に富んだ地面に幾つもの、大小様々な宝石のようなものが見える。宝石と言ってもその大きさはこぶし大のものから標準的なビィの身長の数倍はあるものまで本当に様々だ。
それらは、まるで濡れ光る迷宮動物の眼球のようだった。それが虚空庭園の地表にぼこぼこと生えているのである。ストロースはちょっとした幻覚を見ているような気分に陥った。
「”虎目レンズ”っていうねん」
「虎目?」
「うん。トラの目っぽいやろ?」
言われてみれば、ものすごく大きな虎目石のようにも見える。金色から緑色に変化する虹彩と、縦一筋に走る黒い瞳孔。
「ほんでな、うちらの蜂窩はずっとレンズを育てて暮らしてんねん」
「暮らしてる、って……この、レンズを育てて食べちゃうとか?」
「ううん、食べへんよ。これはな、大きく育てて、お宇宙に飛ばすねん」
「宇宙?」
ストロースは無意識に空を見上げた。
ロコの言わんとすることが、言葉にできないが理解できた。
虚空庭園は、その上空で本当に宇宙空間――迷宮のはるか外につながっているらしい。
遠くに光る星屑。
それはストロースの生まれ育ってきた蜂窩では見慣れたものだった。ただし故郷のそれは分厚い硬化透明プラスキン越しの風景だったが。
ストロースはこの虚空庭園に親近感を覚え、思わずヘルメットを脱いで大きく深呼吸をしたい気持ちになった。
もちろん、吸い込める空気などない。




