10 誇り
成体式までには、また!
――ある少年兵の残した手記より抜粋
タマリン蜂窩。
主機関樹内部にある首長室。
「さて、首長ロン=サンどの」
大荷物を背負った老人が、器用に杖をくるりと一回転させて床を突いた。
「準備はお済みかの?」
老人の質問に、蜂窩の代表責任者である首長はぎこちなくうなずいた。その顔は脂汗がにじみ、失神しそうなくらい顔色が悪い。
「これが準備といえるなら……の話ですが、ペザントどの」
ペザントと呼ばれた老人は肩をすくめた。
「やむを得ぬところだのう。前回の襲撃からさほど年も経っていないというに。まだ人口も十分に戻りきっていないのは痛いところだ」
「仰るとおり。先の蝗害の後に生まれた世代はまだ成体式も迎えておりません。しかし……子どもたちも戦える者であれば前に出さなければ……」
「蜂窩が滅びてからでは遅すぎる、か」
「はい……」
首長ロン=サンは死にそうな顔でため息をついた。
前回の襲撃――つまりゼナの母モカが石棺のシャッターを開けてしまったときに殺された前首長から仕事を引き継いだこの男は、人当たりもよく有能な為政者では合ったが、こと戦闘に関することには経験も知識もすくなかった。
それでも新世代の若者が育ち、首長の仕事を引き渡すまで責務を勤め上げれば蜂窩の防衛状態もマシになるはずだったが、成体式まであと3エムターンというところでイナゴヴァーミンの襲撃警報が出てしまったのだ。
「貴方のご協力がなければ本当に手立てなく滅ぼされてしまうところでした。改めて感謝いたしますペザントどの」
「安心するには気が早過ぎるわい。本番は……そうさな、まだ一応の余裕がある。それまでに」
「石棺を完全に機能させ、戦闘要員を配置し……」
「左様。問題は山積みだ」
「はあ……」
首長ロン=サンはあごの下を手の甲で拭った。汗が冷たくなっている。
「あとは……助っ人と隠し玉がどれだけ役に立ってくれるかだの」
「助っ人……ですか?」
「うむ。襲撃に備えてスカウトしたのだ」
ロン=サンは目の前の老人が何を考えているのか図りかねたが、相手は迷宮惑星全体を見回しても最も高名と言って過言ではない探索者、かの”百年の旅人”ペザントである。その言には意味と重みがあるはずだ。
と、首長室の念話器が古臭い呼び出し音を鳴らした。
首長ロン=サンは受話器を手に取り――青ざめた顔でペザントを見た。
「く……黒が七分で白が三分、だそうです」
「そうか」
ペザント老人は手にした杖を強く握りしめた。
「間に合わせいよ、”閂破り”……」
首長室の窓の外からは、かすかな羽音のうねりが遠鳴りのように聞こえるようだった。
*
「石棺を閉じろー! 蝗害だ! ヴァーミンが来る! ヴァーミンが来るぞー!」
聞くものの心をざわつかせるサイレンがタマリン蜂窩に鳴り響く。
住民たちは蝗害の恐ろしさを知っている。知らない幼齢期のビィには周囲の年長者がいやというほど教える。イナゴヴァーミンがどれだけ恐ろしい存在で、立ち向かうことが困難で、自分たちも全滅を覚悟しなければいけないということを。
巨大重機が動き出して、超硬ワイヤが巻き取られると蜂窩全体を完全に覆う蓋が動き出した。石棺の名の通り蜂窩は完全に分厚い石壁によって閉じ込められ、迎撃用ハッチ以外には内外を行き来する場所はなくなる――内側からシャッターを開けるような狂人がいなければ。
先の蝗害において辛酸を嘗めさせられた『ダニヴァーミンによる洗脳作戦』に二度と被害を受けぬよう、住民はそれぞれの背中に小さなヴァーミンが貼り付いていないかどうかを調べられるよう法令が定められていた。
今度こそは石棺の内側に入れてはならない。
蜂窩住民はひとり残らず心に決めていた。
ヴァーミン襲来までの予測時間、あと1・5ターン……。
*
蜂窩内では非戦闘員の避難が始まった。
主機関樹の内外にビィを集め、被害者を可能な限り少なくすると同時にいざというときの人海作戦に参加させるためだ。
*
「くそっ、あの野郎いったいどこに……」
戦闘員に駆りだされた成体式前のビィたちの中で、ひときわ大きな身体をしたシロン少年が吐き捨てた。
ゼナのことだ。
成体式の前準備が行われていた蜂窩から突然姿を消し、それから1エムターン以上顔を見ていない。
シロンは素行の良いビィではない。大柄な身体と、恵まれた内門系の門術の才能に明かして横柄に振舞っていたし、気に食わない同世代のビィたちにつまらない喧嘩をふっかけるのも日常茶飯事だった。
その中でも特に攻撃的に絡んでいた相手がゼナだった。
”出来損ない”、”裏切り者の子”。平気でそんな言葉を投げかけ、門術を使えないとわかっていながら暴力を振るった。
そんな相手が今こうして姿を見せていないということに、シロンは奇妙な動揺を覚えた。
それは『自分の吐いた暴言のせいで蜂窩から逃げ出したのではないか』という思いであり、同時に――。
「くそっ!」
シロンは両手に抱えたゼロ=ゼロ・アンチマテリアル・ブラスターを鉄柵にぶつけた。
銃を持たされ、蜂窩を守る戦闘要員の立場に置かれて初めて分かった。訓練して力をつけ、門術を使いこなすのは何のためか。
同胞を守るためだ。
力のない子供や老人のために命をかけて戦うことの意味、戦える者が戦う意味。ゼナのような戦いたくても戦えないビィの代わりに銃を取り、門術を使うのが戦闘要員の存在価値だ。
決して同世代のビィを遊び半分で殴るためではない。
そのことを考えると、シロンは心がざわついた。自分の愚かさとこの期に及んで向き合わされたのだ。
しかしもはやどうにもやりようがない。ゼナを探すこともできず、時だけが過ぎた。
ヴァーミン襲来までの予測時間、あと1ターン……。
*
不安と恐怖の夜時間が開け、石棺のはるか上から光導板の光が注いだ。
もっとも石棺に封じ込められた蜂窩の中には内部照明以外の明かりは届かない。
蜂窩の警戒態勢は最高レベル――最後の手段としての主機関樹の自爆をも含めている――に引き上げられ、最終安全確認がくまなく行われた。
そしてヴァーミン襲来までの予測時間、あと……。
*
石棺の上部が突如爆裂し、悲鳴が上がった。
イナゴヴァーミン推定100体以上が石棺に飛びつき、いっせいに自爆したのだ。
*
瓦礫の落ちる音、煙、咳き込むビィたち、子供の泣き声、医療門術士の怒声。
石棺天井部の一点を破壊され、小さいながらも蜂窩内部まで貫通するほどのダメージを受けたタマリン防衛線は大混乱に陥った。
ヴァーミンの到達時間は予定より3時間も早く、完全に隙を突かれる形となった。
*
「……あれはまだ別働隊であろうな」
奇妙な老人ペザントが、蜂窩全体の混乱の様子を門術で把握しながら言った。
100体以上のヴァーミンの自爆――と聞けば絶望的な数字だが、いまだ到来していない蝗害本隊に比べれば小規模な数に過ぎない。
なぜなら、これから襲撃を仕掛けてくるであろうイナゴヴァーミンの個体数は1万2000を超えると考えられているからだ。
*
「コーキング剤で構わん! 構築系の門術が使える者は全員で穴をふさげ!」
「駄目だ! 脱出は許可できない!」
「迎撃班AからCは各ハッチから出て作業を援護しろ! 穴から入られたら終わりだぞ!!」
念話、肉声、門術による拡張音。
蜂窩防衛に当たるありとあらゆるビィたちが異様な緊張に包まれていた。
それも当然のことだった。
もしひとつでも間違えば――タマリン蜂窩は今日すべてが滅びてしまうからだ。
そして誰かが気づいた。
最初に誰が気づいたかはさしたる問題ではない。すぐに全員がそれと知った。
1万2000に上る羽音が、巨大な嵐のようになって吹き付けてきたからだ。
怨念に満ちたうめき声とともに。
*
石棺上部に設置されたミサイルランチャーから巨大霞網が空中にばらまかれ、イナゴの第1波のおよそ半数を絡めとった。
繊維自体にメタ=プラスキン爆弾をねりこんである大網はそのまま爆発し、目測で200体を爆殺。イナゴヴァーミンの身体は特殊な油脂分が多く、一度火がつくと消えにくく、時には身体そのものが爆発炎上する。
ヘイズネット爆弾は誘爆を招き、猛然と襲いかかる第一陣の気勢をそぐことに成功した。
しかしイナゴヴァーミンは全個体が狂気と食欲にかられた邪悪の群れであり、仲間の死など一顧だにしない。
次から次へと焼け落ちていく先陣を押しのけ、あるいは共食いし、2波、3波が後に続く。
これは絶望的な戦いだ。
しかしタマリン蜂窩のビィたちは、ヴァーミン群との圧倒的数の差を覆すためありとあらゆる武装を開発し、住民のほとんどに戦闘手段を仕込み、門術の研鑽を奨励してきた。
連綿と続く蝗害の歴史の中で7回の襲撃を乗り越えてきたその実力は誰にも侮ることはできない。
それでも襲い来るヴァーミンは焼け落ち、粉微塵にされ、凍結しあるいは窒息死しても一向に止まることなく攻め立ててくる。
ついには防空圏内に侵入し、数十体の殺意が石棺上空まで飛んできた。
「撃てーっ!」
迎撃班が口々に叫び、門術と砲火が閃いた。
一時的な排除も長くは続かない。ビィ側は出し惜しみをせず対空クラスター弾をばら撒いて爆炎の花火を咲かせ、第四陣にあたる攻撃の並を粉砕した。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、ヴァーミンの推定残数は1万を切るところまで退けられた。
だが蜂窩の被害も甚大で、迎撃班の幾つかは消滅し、4基あるミサイルランチャーのひとつは大破、石棺のあちこちには崩壊寸前の傷跡が黒煙を吐き出していた。
そして――。
*
「ペザントどの、どちらへ?」
主機関樹の首長室。
戦局を見守っていた首長ロン=サンは、小用でも足すようにふらりと部屋を出ようとしていた。
「アレを潰されるのはまずいでのう。ちとワシも力を貸してくる」
ペザントが”アレ”と呼ぶのは、タマリン蜂窩にとっては切り札ともいうべき巨大対空兵器・パイプオルガンコンサートのことだ。主機関樹に接続された真鍮色の美しいパイプの束が鍵盤楽器を思わせる装置で制御されているその兵器は、主機関樹のエネルギーを直結して無数のパイプから放出、空中のヴァーミンをまとめて灼き払うものである。
戦局を左右する存在である。手をこまねいていれば確実に狙われるであろう。
「あと数分で第5波が来ます。どうかお気をつけて」
声をかけるロン=サンに、ペザントは呵呵と笑った。
「ワシのことなら心配はいらぬよ。少々……死ににくい体質なのでのう」
そういってペザントはゆるりと首長室を出て行った。
*
第5波。
第6波。
第7波で石棺の一部が崩落し、ヴァーミンの侵入を防ぐため多くのビィが特別攻撃を仕掛けた。この時の迎撃班の死者は250名に上ったと考えられている。死体のほとんどは焼失した。
第8波から、ヴァーミンの行動が少しずつ変わっていった。2体ひと組に、まるで交尾するようにつながって防空圏を突破、下にぶら下がった1体が石棺に突っ込みそのまま自爆するという戦法を取り出したのだ。
これは片方は必ず死亡することを前提とする攻撃で、後に続く第9波のために道を開くがごとき攻撃だった。
そして第9波。
イナゴヴァーミンの群れはついに蜂窩へ王手をかけた。
「防ぎきれなんだか」
”パイプオルガンコンサート”を体を張って守護するペザントは、不死身の体を駆使して飛来したヴァーミンを撃退してきたが、もはや一箇所を死守すればいいという段階を超えていた。
イナゴたちは単にまっすぐ飛来するのではなく、第8波の攻撃の真っ最中にあえて地上に降り、翅を使わず足でよじ登ってきたのだ。
その数、およそ1200。
「まずいのう」
ペザントは素早く数の差し引きを行った。老人の思考は現実的で、ビィ全員を守る方法など無いことはとうに理解している。何人の死者が出て、どこまでの防衛線が突破され、具体的にどこで敵を足止めできるか。その死傷者数で次に進行してくる第10波を切り抜けることができるか……。
「ワシ自ら出ねばならんか」
死なない老人は切り札のパイプオルガンを気にかけながらも、第9波の撃退を再優先に考えた。本来なら動くべきではないと知りつつも、第9波をしのがないことには状況が悪化するばかりだからだ。
怒号飛び交う中、ペザントは最前線まで急いだ。
しかしその時、イナゴたちの動きに突然変化が訪れた。
石棺を下から上によじ登ってくる第9波1200に加え、第10波が前倒しに飛来してきたのである。その構えは交尾状態で、先と同じ自爆戦法を取るのは必至と考えられた。
この時のビィたちの反攻は凄まじいものがあった。ヴァーミンがビィを虐殺し喰らおうというのなら、こちらもあらゆる手段を使ってお前たちを絶滅させよう――そこには徹底抗戦の意志が火炎旋風のように渦巻いていた。
だが――。
第11波の同時攻撃が加わり、タマリン蜂窩の石棺はついに穴があいた。完全に内部が丸見えになり、そこに突入されれば――前回のシャッター開放からの侵入、虐殺の二の舞いになることは誰の目にも明らかだった。
「……やれやれ、このタイミングは予想外じゃのう」
ペザントは巻き起こる黒煙の向こうで跳びはねるヴァーミンの狂喜ぶりを見て、長くため息をついた。
「おぬし、まさか狙っておったわけではあるまいな」
「そんな訳あるか、ジジイ」
ペザントの背中に声をかけ、混乱の中を歩みだしたものがいた。
両腕の肘から先を失い、右手にだけ無骨な神経接続式の義手をつけた男。
「ここに来るまで何百匹の糞虫に邪魔されたか、聞かせてやろうか?」
「ふん。お互い話は後にしようか、”閂破り”ゲインよ」
*
阿鼻叫喚の戦場に、一本の光の線がなにか大きなものを測量するようにさあっ、と薙いだ。
次の瞬間、恐ろしい熱と地響きが石棺を揺らした。
ゲインの口腔から放たれた門術の光が地をはう1200の悪鬼をなぎ払い、陣の中心を吹き飛ばしたのだ。
煮え爆ぜたイナゴヴァーミンの身体は内部に溜め込んだ毒々しい油脂を撒き散らし、密集していた群れどもに次々と引火した。
「死ぃいいいいねえええ!!」
ゲインの咆哮は、ヴァーミンたちの呪わしい声にもまさる凶々しさを孕み、聞くものをゾッとさせた。
二度、三度と破壊光線が疾走り、1200のヴァーミンの内3分の1近くが直撃、爆散し、その倍の数が連鎖的に火にまかれて死んだ。
”閂破り”ゲイン。
またの名を”ワンマンアーミー”ゲイン……。
*
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」
空から、足元から、あらゆる場所からやってくるイナゴヴァーミンの侵攻を防ぎ続けたシロン少年は、爆発寸前までオーバーヒートしたゼロ=ゼロ・アンチマテリアル・ブラスターを投げ捨てた。両手のひらはひどいやけどを負い、治癒系門術が間に合わないほど重症だった。
シロンの潜り込んでいる掩蔽壕の周りはすでに仲間の死体だらけで、ヴァーミンがそれを貪るのを止めることさえ難しかった。
「ちくしょう!」
爆発で吹き飛ばされながらもまだ生きている同世代の女――この戦いには性別など関係ない――がヴァーミンに食われそうになったのを見て、シロンは思わず壕から飛び出し、内門を開けての飛び蹴りでおぞましい虫型人間を吹き飛ばした。
もうむちゃくちゃだ、とシロンは泣いて逃げ出しそうになった。
ほんの数日前まではお山の大将を気取っていた自分が、本物の暴威を前にすればただのガキで、大事なものも守れないどこにでもいるそこらの兵士以下の存在だと思い知らされた。いままでの自分の人生とは何だったのか。そんなことまで考えた。
諦めてしまえ。
誰かの囁きが聞こえた気がした。
女兵士など放っておいて、まだ走れる内に逃げ出すんだ、と。
シロンは全力で拒否した。もう銃が撃てないのなら、生きてまだ戦える戦闘要員をひとりでも回収して後送しよう。それが無理なら門術で肉弾戦を仕掛けよう……。
むしっ、と音がした。
肩に担いだ女兵士の頭がなくなっていた。ヴァーミンに食われたのだ。
「うわあああ!?」
そのヴァーミンにのしかかられ、シロンは絶叫し、失禁した。
イナゴヴァーミンの目がぐるぐると動き、その焦点をシロンの太った首にあわせた。くちゃくちゃと咀嚼音がして、そこから血まみれになった髪の毛の束が胸の上に吐き出されて、もはやシロンには叫ぶ声さえ無かった。
ああ、もうダメなんだな、とシロンは死を覚悟した。
次の瞬間、青に光る何かがヴァーミンを吹き飛ばし、そのまま去っていくのを見ても、それは死を前にした幻覚だと思った。
幻覚に違いない。
シロンの目には、全身に青い炎を纏うゼナの姿にしか見えなかったからだ。
*
誰もが目を疑った。
全身にただならぬオーラを纏い戦場をけもののように駆け巡り、群れ集るヴァーミンを次から次へとなぎ倒していく若い戦士がいる。
それは少なくとも蜂窩の用意していた人員ではなかったし、誰かが登場を待ち焦がれたビィでも無かった。
何でアイツがここに――彼を知るものは誰もがそう思ったであろう。
門術を使えないはずのゼナが、内門を全開にした反射神経と、外門を組み合わせた眩い姿で戦っている。しかも見る間に撃破数が増え、25体目を肉片に変えてからようやく動きが止まった。
全身から立ち上る水蒸気。こぼれた汗が地に落ちる前に蒸発していた。
「お、お前は……!?」
偶然ゼナの一番近くにいたシロンが、大きな体躯をかすかに震わせながら尋ねた。
「……よう」
「あ、ああ」
シロンはバツの悪い顔をした。ゼナのぶっきらぼうな受け答えに動揺していた。何が起こっているのか分からないということもあった。それに、仲良くしていたわけではない――というより明らかにひどい仕打ちをした――自分が、こんな時にいったい何を口にすれば良いのかわからなかった。
「お、おれは、おれは、その……」シロンは意味を成さないジェスチャーを示した。
「悪ィ、おたがい後にしようぜ。まずは生き延びてからだ」
「あ……そうだな」
「じゃあな、死ぬなよ」
ゼナはそれだけを言い、満身に力を込めた。内門の身体能力強化と、外門”蒼天”による高速移動をシンクロさせる”双門術”がほぼ完璧な状態で発現し、肉眼では一陣の風が吹いたようにしか見えないスピードでその場から消えた。
あとに残されたシロンは、すでに事切れた迎撃班のひとりから装備を拝借し、まだ生き残りのいる班に合流した。
*
少しずつ。
少しずつ戦況の逆転が起こり始めた。
圧倒的な数に任せて押しつぶそうとしてくるイナゴヴァーミンを、同族すら恐怖するほど強烈な門術を放つゲインと、誰もが存在を無視していたゼナの双門術による活躍によって大型兵器の運用が滞り無く行われるようになり、対空機銃が咆哮をあげて飛来するヴァーミンを粉々に爆砕した。
「先生、なんかさ、なんかさ、これで勝てる気がしない?」
輝くほどの戦績を上げるゼナは、戦場を飛び回って師であるゲインのもとに合流した。
「はしゃぐな」
ゲインは冷たく言い放った。ゼナにはいまひとつピンとこない話だが、ゲインは元々タマリン蜂窩出身のビィだという。しかし『故郷を絶対に守る』という意気込みよりも、ヴァーミンを蹂躙することを愉しんでいるだけに見えた。
「……まあいい。俺はとにかくヴァーミンが嫌いなんだ。この世から絶滅させてやりたいくらいな」
「……先生」
「ああ、それからな」
「え?」
「俺のことはゲインと呼べ」
寝耳に水だった。
「ちょ、ちょっとまってよ。オレ……!」
「双門術の修行は俺の手に余る。使い方を知っているのは同じ双門術の使い手だけだ。俺にはそろそろ限界だ」
「そんなこと言ったって」
「後にしろ。次の糞虫どもが来る……」
*
ゲインは口から吐き出す猛烈な門術で。
ゼナは双門術を駆使した戦闘術で。
生き残ったタマリン防衛軍はそれぞれの武器で。
蜂窩の生き残りを賭けた戦いはその後丸1ターンに及び、やがて落ち着いてきた。
当初、1万2000に達すると見られていたイナゴヴァーミンだったが、スイレン蜂窩跡地からタマリンに戻る途中にゲイン一行に遭遇し、その時点でかなり激しい戦闘が行われていた。
その甲斐あって狂気の軍勢は大きく乱れ、事前に混乱していたのである。
だからゲイン、ゼナの到着が遅れてしまったわけだが――いずれにせよ、目を覆わんばかりの凄惨な生存戦争はビィ側の勝利でほぼ確定した。あとは残党を狩り殺すだけの状態だ。
「先生、じゃなくて、その……ゲイン」
「どうした」
「オレ、生き残りのヴァーミンを退治してくるよ」
「そうか」
「ゲインはどうするの?」
「門術の使いすぎで口の中がボロボロだ。少し休ませろ」
両手の閂で腕を使った門術を封じられているゲインは、口から門術を吐き出す。その力は2桁から3桁のヴァーミンを一度の消滅させるほどだが、使いすぎれば口腔はやけどし、歯も吹き飛んでしまう。
「わかった。オレももう少し双門術の使い方、実戦で身に着けたいしね。行くよ」
「敗残兵といってもヴァーミンだ。気をつけろ。奴らはこっちをひとりでも多く道連れにする気だろうからな」
「うん。そんなことにならないようにする。その……へへへ」
「なんだ」
「……オレがみんなを守るんだ」
「なら行け。お前はもうそういうビィなんだ」
「ああ! ありがとうゲイン」
ゼナはそう言い残して、再び全身にオーラを纏い戦場へ駆け出していった。
と、ゲインの耳は背後から近寄ってくる足音を聞き分けた。
「大方の趨勢は決まったようだの」
ゲインに声をかけてきたのは、ペザント老人だった。
「フン、生きていたか」
「忘れたのか? ワシは少々死ににくい体質でな」
「それで、何だ? 俺を”仙人”だなんて噂を流しておいて」
ペザントは快活に笑い、「だがその御蔭で隠し玉を覚醒させることができた。あの子があそこまで強くなれたのはお前の手腕だろう」
「あいつはもう子供じゃない」
「ほう?」
「立派な戦士だ……俺の横で戦えるほどにな」
「ずいぶん買っておるな」
「言ってろ。そういう話を俺に押し付けたのはアンタだろう。だから鍛えてやったまでだ」
ゲインは面白くなさそうに言って、足元に転がっていたまだ息のあるヴァーミンを思い切り蹴り飛ばした。
*
蜂窩の石棺の状態はひどいものだった。
ビィ、ヴァーミン双方の死体が折り重なり、油脂分の多いヴァーミンの死体や体液からは吐き気を催すような黒煙が漂っている。ときおり死体が爆発し、生きていても死んでからも悪意の塊だと蜂窩住人は思わずにはいられなかった。
完全な掃討にはさらに丸2ターンの時間を要し、同胞の死体を弔いヴァーミンの死体を片付けが終わる頃には1エムターンが過ぎていた。
やや日にちが経ち、蜂窩の生活が元の戻った頃、開催自体が危ぶまれていた成体式が行われることになった。
*
予定よりも半分少ない人数の若きビィたちが、伝統的な正装を着た上で主機関樹のふもとに用意された天幕の中に静々と入り、中にいる首長ロン=サンとその補佐役に一礼する。
主機関樹とその前に立つ新成体との間に神聖な絆が結ばれ、淡く燐光を放つ霊的な樹の枝が与えられる。
それこそが技藝の聖樹であり、ビィはそれを受け入れ、自らが進む道に適合したスキルをより深く学べるように体質や霊質までを変化させる。
ゼナの技藝の聖樹は黄金の二重螺旋の枝であり、これは他の新成体の誰にも似ていない形状だった。
ついに双門術に目覚めたゼナの、この時の興奮と感動たるや、とてもひと言では表せない。思わず泣き出したゼナに対して周囲から拍手を送られたくらいだった。
式が終わると、新たな若き英雄の声を聞きたいという人々をすり抜けて、ゼナのことを待ちわびる祖父コン=トウと、そして母モカのところに疾走った。もはやその速度は長距離の”瞬息”にひとしく、蜂窩の誰も追いつけなかった。
*
モカは久しく昏睡状態に陥っていたが、ゼナの到着を待つようにまぶたを開け、我が子の頬に手を添えた。
「おめでとう、ゼナ……」
それが最後の言葉だった。
*
「……これからどうするんだよ、おめー」
希望通り蜂窩の戦闘要員――それも専属の軍人としての道を進むことになったシロンは、ぎこちなくゼナに話しかけた。
「あんなめちゃくちゃな強さがあるんなら、お前も蜂窩に残って……」
「悪ィな、オレの進路は別だ」
「どうするんだ」
「探索者になる」
「探索者か」
「ああ。オレの師匠と同じようにな。でも」
「でも?」
「またヴァーミンが攻めてくるようなことがあれば、オレも駆けつける。それまではお前に任せる」
「ふん、勝手にしろ」
シロンの言葉に、ゼナは笑顔で返した。
「ああ。勝手にさせてもらう。そうしたい気分なんだ」
「そうか」
「ああ。じゃあな、お前、もうちょっと痩せろよ」
ゼナはそれきり後ろも振り返らずに去っていった。
「ゼナーッ!」
シロンは大声で声をかけた。
「い……今まですまなかった! 全部おれが悪かった、だから……だから」
ゼナは何も答えなかった。代わりに背を向けたまま手を振ってそのまま行ってしまった。
シロンはそのあと馬鹿みたいに泣いた。
自分のこれまで愚かな行いを悔いて、ただただ泣いた。
泣き終わったあと、シロンはそれまでの顔つきとは違う精悍なものに変わった。
もう成体である。自分の役目を果たすこと。そうしなければゼナに顔向けできない。そう思った。
シロンもまた、自らの行くべきところに行った。
*
ゼナは探索者を志して一時間も経たないうちにひとつのオファーを受けた。
ゲイン、ラトル、そしてペザント老人とともに別の迷宮への転移を行う――という申し出だ。
ゼナは喜々として三人に続き、自分の全く知らない土地へ行けることを誇りに思った。
彼らの旅の先に何が待ち構えているのか――。
それはまた別の話であろう。
サルモンの章 おわり




