08 決意と別離
生命の素が涸れるとき、その町は滅びる。
――各迷宮に広く伝わることわざ
プラグド手術に必要な素材を取りに行った老探索者隊は7ターン後に戻ってきた。
人数は出発時の3分の1になっていた。
血とホコリにまみれた彼らの身に何があったのか、多くは語られなかった。迷宮生物に襲われるということはとても恐ろしいことなのだ。ましてや戦闘能力に乏しい老ビィの集団には。幸いというべきか、もっと恐ろしいヴァーミンたちは現れなかったらしい。
その日の夜にはニューロの腕の手術が行われた。プラグドメンテナンスのスキルを持つエリファスが中心となった急造の医療チームがこれにあたり、翌朝には損傷の激しい部分のプラグド化が終わった。
ニューロはプラグドビィになった。
*
レティキュラムの街に残っているのはニューロとエリファスを含めて今や30人以下。そのほとんどが戦闘力を持たない老人ばかりだ。
老人たちに武器を持たせて籠城? だが援軍など存在しない。ヴァーミンが100や200の軍勢でせめてきたら? 陥落し皆殺しにされるのは時間の問題でしかない。
それまでにいったい何ができる?
「夜逃げ、だって?」
最古老代理は目を丸くしてニューロを見た。
「うん。襲撃される前に、住む場所を変えるんだよ。ここから離れて」
ニューロは大まじめにそう言った。
「……私もそれは考えたよ。それでもここは我々の故郷だ。離れてどこかに行くくらいなら死ぬまでレティキュラムに貼りついて生きるという意見も多いのはお前も知っているだろう」
「僕の言っているのは胎蔵槽と生命の素のこと」
「生命の?」
「うん。それさえいち早く逃すことができれば、新生児を増やすことができる。第二のレティキュラムを築くことだって……」
「可能かもしれない、と?」
ニューロは力強くうなずいた。
「しかしだなあ」
最古老代理は、光の降りそそぐまがい物の空を仰いだ。
「光と水があってこそだ。迷宮の暗い一角で子供を育てる気か?」
「でも、それじゃあ胎蔵槽も生命の素も全部奪われちゃうよ。復興の可能性は万にひとつもなくなるって……僕はそう思う」
「だが胎蔵槽を運ぶのは並大抵のことではないぞ? あの大きさだ。生き残ったジジイ連中を動員しても大きすぎる」
ニューロは食い下がろうとしたが最古老代理は首を立てには振らなかった。
「ニューロ、お前らしくもない提案だぞそれは。どこかにあるなんてあやふや過ぎる。もしお前の言うとおり夜逃げをしたところで、生命の素は無駄になってしまうのではないか? せめて新天地を探してからでないと、私の立場から許可を出せんよ……」
十分な光と水のない場所で新生児を育てるのは容易なことではない。食料が手にはいらないのと同じ意味だ。
それでも命を次世代に受け継がせるための方法としては、籠城するよりまだしも目のある選択だと思ったからだ。
生命の素に溶けた遺伝子プールがなくなれば、レティキュラムのこれまでの歴史は無に帰すに等しい。
ニューロは新しくなった右手で頭を抱えた。
*
ニューロがレティキュラムに帰還してから1エムターンあまりが過ぎた。
電源ユニットを回収し胎蔵槽を再び稼働させてから初めての新生児が生まれた。
胎蔵槽から生まれる子供は、めったにない男女のセックスから生まれる子供を基準にすれば3歳にあたるくらいの成長度合いで生まれてくる。だから言葉もすぐ覚えるし、霊線の使い方もほとんど生まれつきに知っている。
彼女はストロースと名付けられた。
エリファスが名付け親になった。
*
数ターン後、異変が起きた。
レティキュラムの設備と、ニューロを含む一番腕の良い探知門術使いが、ひとかたまりに動く集団の動体反応を検知したのだ。
規模と数、それから統率された動きからヴァーミンの軍勢であることは明らかだった。すでにヴァーミンは徒歩で半月あまりの距離まで迫っており、ニューロ、そして最古老代理は最期の決断を迫られた。
そして決断はくだされた。
最古老代理は、レティキュラムの消滅を選んだ。
*
「不満? ニューロは」
エリファスはうなだれるニューロに少し場違いな明るさで声をかけた。
「……そりゃそうだよ。だって、おじいちゃんたちは……」
「それでも最良の選択だと思うヨ、私は」
まだ小さなストロースを膝に抱きかかえたエリファスは、ストロースの脇腹をくすぐって遊んであげている。彼女の強いウーバニー訛りは、耳が慣れてほぼ問題なく聞き取れるようになった。
最古老代理はレティキュラムの生き残り全員の死を覚悟し、籠城を決め込んだ。
代わりにニューロ、エリファス、そしてストロースの三人だけ逃し、新天地を求めるよう命じた。
せめてストロースだけは――その思いだけは老人たちとニューロの意見の一致することであり、エリファスもそれには力を貸してくれることを約束した。
「前に言ったけど、私が協力できる範囲は私が死なないで済むところまで。だからこの子を逃がすことには賛成ヨ。私も、この子も生き残れる。それからニューロ、あなたもね」
ニューロはさらに深くうなだれた。エリファスの意見は全面的に正しい。ニューロ自身も、客観的に見ればそれが正しいことだととうに理解している。それでも感情がストップをかける。フラーもジョン=Cも死んだ。残った自分だけがまた生き延びようとしている。自分にそんな資格があるのかと、そればかりが頭のなかを渦巻いている。
「にゅーろ、にゅーろ」
いつの間にか寄ってきたストロースがニューロの袖を引いた。
「あ……えっと、どうしたの、ストロース?」
ニューロが慌て気味にしゃがみ込み、ストロースと目線を合わせると小さい彼女は体当たりを食らわせてニューロを転ばせた。
「いてっ、何だよストロー……ス?」
ストロースはただ体当たりをしたのではなかった。体がうっすらと霊光に包まれている。筋肉の力だけではなく、霊線を操作して衝撃力を増幅させていたのだ。
「すごいネ、ストロース。生まれて7ターンも経っていないのに」
生まれてすぐに体術を使える。ニューロはジョン=Cの逸話を思い出した。ニューロが生まれる前の話だが、ジョン=Cも同じように生まれて間もなく霊光の使い方を覚え、光伝導管を破壊して回って天井から降りる光を途絶えさせた事があるらしい。
――ジョン=Cに似ているのかな。
ニューロはしみじみと思った。外見上の特徴も、そう思ってみると似ているような気がする。
あるいはニューロにもフラーにも似ているかもしれない。
そしてそれは錯覚ではなく事実に基づくことだった。なぜならストロースはレティキュラムの生命の素から生まれたビィであり、過去から連綿と受け継がれてきた遺伝子プールの後継者なのだから。
「お前を最期のひとりにしたくないな……」
ニューロはつぶやいてストロースのふっくらとした小さな手を握った。
「僕も最期のひとりにはなりたくない。生命の素を持って、この街を出よう」
「それそれ。それがイイね。そういうケツダンをすべきヨ」
「協力してくれるエリファス?」
エリファスはプラグド化された片目を器用につぶってみせた。
*
老人たち、そしてニューロの行動が決定された。
生き残りの老ビィたちはレティキュラムで籠城。ヴァーミンたちの数を一匹でも減らし、死ぬまで耐える。
その前にニューロとエリファスはレティキュラムを脱出。幼いストロースを連れて、生命の素を停滞保存ポットに詰め込んで、次世代に命を託す。
そのような方法だ。
籠城に対してはニューロも思うところがあった。老ビィたちを見捨てるも同然の選択だからだ。しかし黙ってそれを受け入れた。もう彼らの決意を覆すことはできない。そして胎蔵槽をまるごと持って行くことができない以上、生命の素だけでもニューロが持ち運んでいくことはやむを得ないことだ。どこかにある別の生活共同体に持ち込んで、そこにレティキュラムの遺伝子プールを混ぜてもらう。もうそれ以外に命の歴史を永らえさせる方法はなかった。
ニューロとストロースは生き延びることを至上命令とし、それをエリファスが護衛する。
そう決まった以上、少しずつレティキュラムに迫りつつあるヴァーミンの軍勢からいち早く逃げるべきだろう。最古老代理もニューロもそのように考えた。籠城する老人たちが少しでも長く生き延びられるようにバリケードを作り、ニューロ謹製の武器をできるだけ多く渡しておく。その合間を縫って脱出装備を整える。
出発は明後日と決まった。
ヴァーミンの大群がレティキュラムの足元まで到着するのはもう5ターンもないとみなされた。
「じゃ、私たちもうこれで出発するヨ。みなさん光と水を分けてくれて感謝」
すっかりレティキュラムでの人気者となっていたエリファスは別れを惜しまれたが、そこは探索者経験の長さからかきっぱりと出発の意を告げた。生き残るために必要な行動を取る。それがプロというものだろう。その背には生命の素を詰め込んだポットを負っている。彼女が手を貸せるのはそれが限界だった。
ニューロとストロースはさらに惜しまれた。若いビィの生き残り、そして生まれたばかりのストロースは老人たちにとってもはや魂の一部であり、かわるがわる抱きしめられ、頭を撫でられた。ストロースにはこれから何が起こるのかまだ理解できていない。ただ可愛がられているものだと思っているのだろう。
そして出発の日。
レティキュラムのはるか眼下へおりるゴンドラの入り口へと足をかけた瞬間、街の中から悲鳴が上がった。
何事かと振り返ったニューロたちは見てしまった。
どこからか入り込んだヴァーミン数匹に蹂躙される老ビィたちの姿を。