08 二重連弾
目覚めるため、我々は眠る。
――サルモンの超機行者、カスタネダの言葉
門術で内門を開放したゲインの動作は、生身のビィでは肉眼で追えないほど加速される。
キック一発でカーボン=プラスキン複合材の塊を破壊し、あるいは平均的なビィの身長の5倍ほどの高さまで平気でジャンプし、身構える前に相対するものの背後に回る。
何も持たないゼナにとっては、死を振りまく怪物にも等しかった。
「内門を開くとこの程度の動きだ。まだ全力ではないが……よけなければ十分に死ねる」
ゲインの言葉に、そんなこと見ればわかるよと言い返したかったが結局口に出せず、ゼナは全身にじっとりと冷や汗をかいた。
「これを、今から?」
「そうだ。ルールはいつもと同じでいいだろう。つまり一撃でも入ればお前の勝ちだ」
「……わかった」
そう答えたものの、門術を使わない訓練の中でさえゲインの胴体に手が届いたのはほんの数回しかない。
無理は承知だ。だが今ここで、この場で。この瞬間にゲインの教えを何もつかめないのなら一生何をやっても欲しいチカラは手に入らない。
「ではいくぞ」
すう、とゲインの眼が刃のように研ぎ澄まされた。
ゼナは身構えようとしたが、その暇さえ与えられなかった。
少年の喉にゲインの金属製義手が絡み、次の瞬間には喉輪で振り回され、空中で一回転して地面にたたきつけられていた。
息が詰まり、衝撃で視界がにじむ。まともな訓練であればこの時点で勝敗は決している。しかしこれはゲインの特訓だ。死んでいない限り攻撃は止まない。
ゼナはいままで生きて学んできたすべてをつぎ込んで地面を転がり、ストンピングをかわした。直撃していれば肉も骨も砕けていただろうそのストンプで地面がえぐれ、土煙が立ち上った。
「訓練の成果があったな。普通のビィなら死んでいる」
ゲインはおそらく純粋に賞賛したのだろう。しかしゼナにとってはまるで喜べない。ゼナは内門を使えない普通以下のビィなのだ。
激しく咳き込みながら何とか立ち上がったゼナは、ゲインに対抗する手段を考えあぐねていた。どう考えても徒手空拳では勝てない。銃火器かドローンでも使って飽和攻撃を行っても太刀打ちできるかあやしい。
ならば、こちらも門術で戦う以外ない……。
――できるもんなら初めからやってるよ!
ゼナは心のなかで悪態をついた。門術、門術、門術!
いらだちの中に一瞬、油断ができた。
ゲインはそれを見逃さず、ほとんど音もなくゼナの側面に回り、ローキックを放った。
何かの冗談のようにボクッ、と音がして左脛の骨が折れた。
姿勢がぐらりと揺れる。
そこをみぞおちに向け膝蹴りが跳んだ。
ゼナは考えるよりも早く両腕を構えてブロック。
しかしゲインの膝の威力が大きすぎ、左右の前腕にヒビが入った。だけでなくゼナの身体は大型車両にはねられたように上空を舞った。かろうじて姿勢を制御して着地を果たすも、左脛の骨折のせいでまともに立てない。無様に転がって、ゼナは声にならない声で叫んだ。
――このままじゃ本当に殺される!
ゲインの強さは十分理解していたつもりだった。だが、門術を発動させたこの男の強さは次元が違う。
――勝ち目なんてない……ギブアップを……ギブアップ……!
命を賭ける覚悟はできていたはずだ。しかし間一髪のところまで迫る巨大な死の運び手を前に、ゼナは立ち向かうすべがない。
門術を使って対抗する――それだけが唯一の解決策だ。いやそれ以前に、相手と同じ条件まで登らなければもはや立ち上がることもできない……。
「それで終わりか」
ゲインの声が頭上から聞こえた。
ゼナは身をよじって少しでも逃げようとした。だがゲインのブーツに胸を踏みつけられ、寝返りを打つことさえ封じられる。
「言ったはずだ。死ぬか、門術か」
「……でも……でも、無理だよこんなの……オレ、まだ何も掴んでない、のに……!」
ミシッ、とブーツが指先ひとつ分ゼナの胸に食い込んだ。
「二重螺旋の霊線を思い出せ」
「に、じゅ、う……」
「そうだ。霊光の流れを意識しろ。お前の霊線は他のビィとは根本的に違う。霊はどこにある? どこを流れている? 知覚しろ。理解しろ。それを開放するんだ」
*
――霊光の……流れ……。
朦朧とするゼナの意識は、すう、と暗く冷たい静寂へと入り込んだ。気絶したのではない。体内をめぐる霊線とシンクロしたのだ。
生まれてからずっと門術を使えないもどかしさと屈辱の日々だった。
門術の発動それ自体は内門も外門もできていたはずだ。発動した途端、何か反発力のようなものを受けて弾けてしまう。だから使えない。そんな特殊な現象は蜂窩には知るものがおらず、ゼナは門術不能の烙印を押されることになった。
――そうじゃない。
ゼナは次第に理解してきた。
門術には内門と外門、ふたつの種類がある。
内門が得意なビィ、外門が得意なビィもいれば、外門か内門どちらかしか使えないビィもいる。反対にどちらも使えるビィもいる。
門術とはビィの個性だ。顔や手足の形と同じなのだ。
では、ゼナの門術とはなんだ?
内門か? 外門か?
あるいは……。
あるいは?
*
ゲインはゼナの胸をブーツで踏みつけながら、なんとも言いがたい気分を味わっていた。
――何かを期待している? この俺が?
短い期間だが師弟関係を結ぶことになったゼナがずっと味わってきたであろう辛さのことが頭に浮かんだ。
門術はゲインにとって呼吸するのと同じ技術にすぎない。ゼナとは真逆に、子供のころからあまりに強力すぎて周囲から敬遠されるほどだった。
年月が経ち、ミ=ヴ迷宮で閂術を仕掛けられ、門術を強制的に使えなくされた。あの時の怒りと似たものを、ゼナはずっと感じ続けて育ったのだろう。
いつもなら他人に師匠扱いされることなど考えもしなかったが、どうやらゼナに対して共感しているらしかった。
だからこそ期待していた。
ゲインは閂術の呪縛から逃れるために自らの両腕を切断した。
その時の覚悟と決断を、ゼナにも発揮して欲しいと無意識のうちに願っていたのかもしれない。
ゲインは不器用な男だ。
手取り足取り後進を優しく教えてやるなど論外だし、理論的な手段ではなく実践で学ばせる以外思いつかなかった。それだけしかできない男なのだ。
ラトルがそばにいなかったら、おそらくもっと凄惨なことになっていただろう。
ゲインはいまゼナの胸を踏みつけ、じわじわとブーツの底を食い込ませている。あともう少し力を込めれば胸骨が砕け、さらにもう少し踏み込めば心肺にダメージが入り、殺してしまう。
ゲインは不器用で、こういうやり方しかできない。
ゼナが目覚める可能性はもう与えた。二重螺旋の霊線。だが、まだ目覚めていない。
ビィの輝きは死を覚悟してなお立ち向かう姿にある――とゲインは考えている。
だからゼナを死に追いやることすら覚悟しなければならない。
ゼナが門術を求めるのなら、そのために命をかける意志があるなら、ゲインは弟子殺しの汚名をかぶる覚悟した。
――どうした、まだ起きないのか。
ゲインのブーツはじわりとゼナの身体に沈みミシリと音を立てて肋骨にヒビを入れていく。
「やってみろ。おまえにはできるはずだ。もう一度思い出せ、お前の霊光を。開放させろ、今ここでだ!」
ゲインは信じた。
信じて、最後の力をブーツに伝えた。
これで胸骨、肋骨は全損し、そのまま命を失うことになる……。
骨の砕ける音がした。
破壊されたのは、ゼナにブーツをめり込ませるゲインの右足だった。
*
いきなりの激痛にゲインはむう、と唸って体勢を崩した。
痛み自体は内門を開いて散らすことができたが、問題は何が起こったかだ。
ゲインはそれを速やかに察し、長く息を吹いてひと言――『俺の目に狂いはなかったな』。そう言って口の端をわずかに歪めた。
ゼナは内出血で膨れた顔をわずかに動かし、己の拳を観た。ゲインの攻撃で激しいダメージを受け意識が飛ぶ寸前だったが、自分が何をしたのかを理解した。
全身の門が開いている。その拳で、師の足を打ったのだ。
「正直に言おう」
ゲインは骨を砕かれた右足をかばいつつ口を開いた。
「俺は驚いている。最後の最後まで確証が得られなかったからな」
「……かくしょう?」
「そうだ。だが……まあいい。立ってみろ」
そう言われ、ゼナはよろけながら体を起こし――否、半死人とは思えないほど軽い動きで立ち上がった。
「これは……」
全身の骨折と内出血の痛みはどこかに消え、代わりにゼナの全身は白銀の焔に包まれていた。
「オレが門術を……?」
そうだとゲインはうなずいた。
「ゼナ」
「は、はい!」
「もう少しだけ手合わせしよう。行けるな?」
死んでいてもおかしくないダメージを受けているゼナは、絶対無理だと答えるつもりだった。
だが、実際に口から出た言葉は違っていた。
「すんません、オレ、初めてだから手加減できませんよ」
「そいつあいい。願ったりかなったりってヤツだ」
ゲインとゼナは熱に浮かされた笑みを浮かべ、前触れ無く激突した。
*
ゼナは全身打撲と骨折、内臓破裂に加え12回の脳震盪を起こした。
その全てを回復させ、ついにゲインから一本取るまでになった。
戦いの中でゼナは霊光の使い方をマスターしていった。
彼はもう門術不能者ではない。
一夜経たぬうちに若き戦士となっていた。
*
「やれやれ、本当に”カンノン使い”だったとはな」
激しい模擬戦後のポーレンスティックを吸いながら、ゲインは彼にしては優しい眼差しでゼナに語りかけた。
「”カンノン”?」
乾いた鼻血の跡も生々しく、ゼナは首を傾げた。どこかで聞いたことのある言葉のような気がしたが何なのか思い出せない。
「門術は外門と内門に分かれているが、通常、外門の術と内門の術は同時には使えない」
一本のホースに水が通っている。このホースは霊線だ。ホースの途中に内と外の2つの穴を開ける。門術はその穴の片方を塞いで、反対側から勢い良く水――つまり霊光を放出することで発動する。
「閉じずに垂れ流しにしたのでは霊光の勢いが高まらない。つまり同時に使うことはできないか、できたとしても弱くて現実的じゃあない」
「オレがそうだったってこと?」
「いやむしろ逆だ。お前は外と内の穴がつながっているんだ」
「つながって……?」
「そうだ。だから外門を使おうとすると内門への霊光が混じってしまう。両者の力が反発しあって、打ち消されてしまうわけだ」
ゲインの言葉には死ぬほど心当たりがあった。まさに門術を使おうとすると力がショートしたようになって、何度やっても発動させることができなかった。そのおかげでいったい何年つらい思いをしてきたことだろう。
「お前は元々特殊体質だった――と言ってしまうのは簡単だがな。”カンノン”の使い手は本当に珍しいんだ」
「先生、そのカンノンっていうのは?」
「正確には”双門術”と呼ばれる特別なものだ」
「それって?」
「内門と外門を同時に開き、両方の力を同じ強さで――二重螺旋を描いて一本の流れにする。そうしなければ使えない能力だ。お前の周りのビィはお前を含めて誰も特異体質のことを理解できなかった。お前は門術を使えないんじゃない。使い方がわからなかっただけだ」
門術を使えないのではない――。
その言葉を聞いて、ゼナの目からいきなり大粒の涙がこぼれた。
「もうひとつ付け加えると、お前の格闘術。あれは中々だ。未熟だがよく練れている。門術の代わりに生身の格闘だけでも訓練をした――というところか?」
ゼナはもう何も言えず、泣きながらうなずいた。
「基礎ができている奴は門術を使っても強い。その逆もしかりだ。鍛えたことは無駄にはならん」
「先生ぇ……!」
ゼナは泣いた。
胎蔵槽から生まれ出で、これほど涙があふれたのは初めてのことだった。
タマリン蜂窩での成体式まで、あと3エムターンの出来事であった。




