07 螺旋
何をするにも、弱いより強いほうがいい。
それ故我らは鍛えるのだろう。
――サルモンの超機行者、カスタネダ
門術は霊光を力の源とする超能力である。
それは体外に放出する”外門”と、身体内部に流し込む”内門”とに分かれ、それぞれの得手不得手に応じて力を発揮する。
門を開いて力を引き出す。
それゆえに門術と呼ばれている……。
*
「お前は外的な要因でチカラを封じ込められているわけではないようだ」
ゼナの身体を脳天からつま先まで閲し、ゲインは口を開いた。
「肉体的にも霊的にも問題は見当たらん。霊光の溜めもできている。おかしいところといえば霊線に若干の混線があるくらいだ」
「それ、蜂窩でも散々言われた。『何で使えないのかわからない』って」
ゼナは自嘲気味に言った。成体たちも、同世代のビィたちも、自分自身も、本当に誰もわからないままこれまで時が過ぎていた。
「そうでなければこの人のところに来ることもなかったんだから、運命ってわからないものねぇ」とラトル。
「お前は茶々を入れるな……まあいい、とにかくだ。小僧、お前にもし異常があるとすれば、その『霊線の若干の混線』ということ以外ない」
ゲインがそう言うと、ラトルがどこかから持ち出してきたマルチデバイスボードを広げ、ホログラフでラトルの身体とその体内を通る霊線とを表示させた。
「見ろ。身体のあちこちで霊線がねじれているのがわかるな?」
ゲインの指示でホログラフの該当する箇所がオレンジ色に点滅した。
「何ヶ所かに一般的なビィとは異なる流れ……妙なクセができている。小僧、お前これを矯正しろと言われただろう」
ゲインの問に、ゼナは複雑な顔でうなずいた。医者も指導員も誰も彼も、霊線の不具合があることを指摘した。それを直すようにも。だから言うとおりにした。何ひとつ好転はしなかったが。
「やっぱりこれ、直さなきゃダメなのかな?」とゼナ。
「いや。逆だ」とゲイン。
「逆?」とラトル。
つまりこういうことだと言って、ゲインはマルチデバイスを金属むき出しの義手で操作した。
すると表示されていたゼナの霊線の、微妙なねじれがさらに強まった。もはや『若干の混線』ではなく、はっきり二重螺旋を描いている。
「このイメージを忘れるな。クセを直すんじゃない。もっと強くするんだ」
「クセを……強く?」
「そうだ。次、実践に移るぞ」
「もう!?」
「どうした」
「あの……まだ心の準備が」
「覚悟を決めろといったはずだ。覚悟とは一瞬で心の準備を終わらせることだ」
「う……」
「立て。行くぞ」
さっさと歩き始めたゲインを見て、ゼナはこころを奮い立たせた。
これまで蜂窩で過ごしてきた年月よりも、ゲインと過ごす5分のほうがはるかに成長の機会を与えられたように感じる。何度も失いかけながらも手を伸ばし続けた希望の光が、ゲインの背中を照らしているように見えた。
今ここで動かなければ何も手に入らない。
ゼナは立ち上がり、一直線にゲインの背を追った。
*
その日の昼時間だけでゼナは4回失神し、7箇所を骨折した。
*
「ねえ、いくらなんでも厳しすぎない?」
全身をズタボロにされて気を失ったゼナを治療しながら、ラトルはゲインに抗議の目を向けた。
だがゲインはそれに答えず、ごつい義手で服についた土埃を払うだけだった。
「ねえ、ゲインってば」
「黙っていろ。そいつには乗り越えないといけないものがある。精神的な構えの話じゃない。もっと具体的なもの。つまり俺だ」
ゲインの取り付く島もない物言いに、ラトルは小さく肩をすくめた。こうなったゲインは何を言っても止められない。やると決めたら誰の言うことも――ゲインの一番近くで寄り添っているラトルの言うことさえ聞き入れなくなってしまう。
「でも、このままじゃこの子死んじゃうよ? ゲインだって殺す気でやってるわけじゃないんでしょう」
「……そのくらいじゃないと、修行にならないよ」
ゲインが何かを言う前にゼナが口を開いた。
失神から目覚めたばかりで弱々しいが、きっぱりとした口調だ。
「もう一度……お願いします、ゲイン先生」
ゲインはいいだろうと答え、比較的瓦礫の少ない間に合わせの”訓練場”に向かった。
ゼナもその後を追う。衣服は土埃と汗と地でぼろぼろになっていて、あちこちの内出血はまだ治っておらず腫れたままになっている。
「始めるか」
「はい、先生」
再び修行は再開された。
*
『いいかゼナ。お前に流れる霊線の混線はお前にとって枷ではない』
『それを直して正常にしようという考えは捨てろ。逆だ。もっと癖を強くしろ。お前の個性を徹底的に引き出せ』
『どうしたらクセを強くできるか?』
『決まっているだろう、実戦だ』
『俺は今からお前のことを攻撃する』
『心配するな、俺は門術を一切使わん。本気でやったら即死するからな』
『お前は俺に一発当てることだけを考えろ。そのために自分が何をすればいいか、体で覚えるんだ』
『覚えられなかったらどうするかだと?』
『その時は死ぬだけだ。わかりやすいだろう』
『では行くぞ。お前の覚悟を見せろ、ゼナ』
*
何度蹴りを入れられたかわからない。
ゲインは両腕を失っており、右手には神経接続式の義手をつけているが、接近戦においては主に足を使う。
ゼナもそうなのだが、サルモン迷宮出身のビィはたいてい背が高く、手足が長い。他の迷宮に比べて重力が若干弱いのが原因だと言われている。その長い足が空を切るたび、ゼナは巨大なハンマーで殴られたかのような衝撃を受け、少しでも気を抜けば骨ごとガードを弾き飛ばされた。
ゲインに言わせれば、これでも温情をかけているのだそうだ。本気の戦闘になれば金属板の入ったジャックブーツを履いての蹴りを使い、ビィの頭蓋骨程度なら一瞬で砕いてしまうのだという。今はただの全環境型レザーブーツしか履いていない。
傍目からは一方的な虐待とも取れる訓練風景だが、ゼナ自身はそんなことを考えている暇はなかった。
霊線の癖をもっと強くして、生来持っているはずの能力を引き出す。それが修行の目的だからだ。
ゲインは強い。ゼナがこれまで見てきた誰よりも強い。格が全く違う。
そんなゲインを倒すには、生身で何をどうしても絶対にかなわない。可能にするものがあるとすれば門術だ。
セナは何度となくキックを受けて吹き飛びながらも、己の中に流れる霊線を意識した。
霊線の乱れ癖をもっともっと強く。
霊光の通り道を螺旋状に。
今まで誰もアドバイスしてくれなかったやり方にゼナは食らいついた。
これを放せば後はない。ゲインの懐に突っ込み、腕が切断されている左手側に回りこむ。そこで繰り出すコンビネーションブローは、せめて生身のまま強くなろうと鍛えぬいた日々の賜物だった。
「遅い!」
しかしゲインの強さは常識外だ。ゼナの攻撃は全て避けられ、膝を使った独特のガードで弾かれた。
「だがいい動きだ。お前が内門を開いていれば受けきれなかったかもしれん。もっとだ。もっと霊を意識しろ!」
「はい、先生!」
修行は夜時間の半ばまで続いたが、今度は失神しなかった。
ゼナは確実に強くなっていた。
*
5ターン後――。
「これを見てみろ」
ゲインがマルチデバイスボードをラトルに操作させ――ごつい義手での細かい操作は難しいのだ――ゼナの体内にある霊線の形状と、一般的なビィのそれとを横並びにしてそれを比較した。
「以前とはかなり変わってきたな。とくに正中線と手足のねじれが顕著だ」
「よくわからないけど、この癖が強くなって二重螺旋になると何が起こるの?」とラトル。もっともな問だった。
もう少し黙って見ていろと言い、ゲインは圧縮水筒から水を飲み干した。元々ゼナとは天地ほども実力の差があるが、数日の特訓でゲインの息を上げさせるくらいまではゼナも善戦できるようになっていた。
「ゼナ、お前はなにか感じたか?」
話を振られ、ゼナは己の霊線を表示してあるホログラフから慌てて目を外した。
「えっと……あんまりケガをしなくなったのと、先生の動きが少し読めるようになってきたかな」
ゼナはいつの間にかゲインのことを先生と呼ぶようになっていた。
「そうか」
「うん……でも」
「何だ」
「それって門術は関係なくて、ただオレの目が慣れてきただけなんじゃないかな」
「否定はしない。だが俺の見立てでは少し違う」
「というと……?」
「来い。実戦で説明する」
ゲインはそれだけ言ってまた訓練場に向かった。
ゼナはもう慌てることもなく、その一挙一動を見逃さずに師の背中を追った。
*
「ゼナ、俺は今から本気でお前を攻撃する」
ゼナは息を呑んだ。いや、飲むことすらできなかった。全く生身で、足しか使っていない稽古ですら何度も死線をさまようほど怪我を負ったのだ。本気で攻撃してくるということは、よりはっきりと死を覚悟しないといけない。
「本気とは門術を使うということだ。内門で身体能力を引き上げた上でお前と戦う。生き残ってみせろ」
「そ、それはいくらなんでも不可能なんじゃ……?」
「不可能なら何だ? お前は門術が使えるようになりたい、そのためなら命をかける。そうだな?」
「それはその……確かに言ったけど」
「乗り越えろ」
「えっ?」
「ゼナ」
「は、はい」
「お前には2つしか無い。俺に殺されるか、門術で生き残るかだ」
ゼナはぞっとした。ゲインの言葉は脅しでも冗談でもない。この人はやると言ったらそれを実行する。殺す、と本人の口から出た以上、本当に生命の心配をしないといけない。
だがもうひとつ。
『門術で生き残る』。
ゲインは無駄なことやウソでごまかすビィではない。可能性が2つあるというからには、ゼナには門術を使って生き延びるチャンスがあると言っていることになる。
この数日、霊線の混線をもっとねじれさせ、二重螺旋を描くように指導され、それは実際に形となって現れている。
だがゼナはまだ門術の扱いに目覚めていない。
そしてゲインは目覚めを待ってはくれない。
つまり――死にたくなかったら目覚めるしか無いのだ。
『覚悟とは心の準備を一瞬で終わらせること』。
「やってやる」
「む?」
「ゲイン先生、覚悟はできたよ」
「そうか」
「やろう」
「いいだろう」
そう言って、ゲインはゼナに背を向けたまま少し笑った。
先生。その呼び名を、ゲインはいつの間にか受け入れつつあった。




