06 自分の言葉は絶対曲げない
否応なしに胎蔵槽から出る
否応なしに年月が過ぎ
我らはみな成体へ
迷宮に名を刻むや
あるいは名もなく消えゆくや
金枝の指すは何処やら
――古のとある詩より抜粋
「小僧、まずお前が何ができて何ができないのか教えてもらおう。言葉ではなく行動でだ」
探索者用のジャケットを脱ぎ捨て、ゲインは有無を言わせぬ眼差しでゼナを促した。
「は、はい!」
ゼナは背筋を硬く伸ばし、了解のジェスチャーをした。
*
ビィの体内には霊光という精神エネルギーの一種が流れている。
それが血液だとすると、血管にあたるその通り道は霊線と呼ばれ、全身をくまなく巡っている。
これがビィの、そしてその天敵たるヴァーミンの基本構造だ。
門術とは、その霊光を利用して特別な現象を起こす能力のことを指す。簡単にいえば”超能力”だ。
門術は二種類に分類される。身体外部に放出し物理的に外界に干渉する”外門”と、身体内部に力を及ぼす”内門”である。能力を行使することを”門を開ける”と表現するのはこのためだ。
得手不得手はあるが、たいていのビィは内と外の双方の門を開くことができ、これはビィの肉体が頑健であることと無関係ではない。たとえば内門で全身の筋力を強化していれば重い荷物も楽に運べる。そうすることで身体への負担、ダメージを可能な限り軽減することができるというわけだ。
一方、外門は他者への攻撃や治療、あるいはテレパシーといった用途で使われる。手から炎をだして投げつけるものから、遠く離れた相手に念話を飛ばすものまで様々だ。蜂窩を守ったり、探索者として活動するためには必須の能力だとされている。
外と内の片方しか門を開けない個体というのも存在する。適性が極端に偏っていたり、単に苦手なだけだったりと理由は違えど、そうしたビィも門を全く開けないということはない。
ゼナのような内外の門を全く使えないビィはとても珍しい。珍しく、めったにいるわけではないが、ともかくゼナはそれだった。
もし門術を使うことのない職種を目指していれば、トラブルにも巻き込まれず、”仙人”の噂に飛びついたりはしなかっただろう。
ゼナは諦めなかった。諦めたくなかった。自分の手でヴァーミンを倒し、母ゼナの苦しみと汚名を拭い去ることを自分の人生の心のあり方だと強く思い込んだ。それ以外の道を選ぶのは絶対に嫌だった。
しかし成体としてこれから先どう生きるかを規定される成体式まであと半年を切っている。このままでは、”いつか自分にも門術に目覚める”という、いわば子供じみた夢を見続けることもできなくなってしまうだろう。
現実という名の死刑執行が迫る。
*
ゼナはいつもの様に精神を集中させ、体内をめぐる霊光の流れを掴んだ。
霊線が身体の隅々を巡っているのがわかる。両の手のひらに霊光が集中し、光が漏れだす。それは今にも弾けそうで、これから何かが放出されるであることが一目でわかるほどにチカラがみなぎっていた。それはまさに外門の教科書的な発動シークエンスだった。
「開け、太陽の門!」
気合の入った掛け声とともにゼナは手のひらを前に向けた。”太陽の門”は蒼天、大地、月光とともに代表的な門のカテゴリで、熱や光を司っている。実用レベルでは熱線や火炎放射を行う攻撃用の意図が大きい。
ゼナはその太陽の門を開き、熱の塊を弾丸のように射出するようイメージを固めていた。
だが、その熱が放たれる直前。
バチン、と電子機器がショートしたような音とともに手の中に集まってきていた熱が全て霧散していた。
「痛ってえ!」
顔をしかめて手を押さえるゼナの態度には、フザケているような様子は見られなかった。
「次、内門でやってみろ」
眉間に厳しいしわを寄せたまま、否定も肯定もせずゲインが指示を出した。手のひらに走る痛みをこらえるゼナだったが、ゲインの態度は少し休ませてくれとはとても言い出せない空気を放っていた。
「内門、行きます」
ゼナは先程の太陽の門と同じく、内門で全身のバネを強化し、垂直跳びをしようとした。頭の半分くらいは『どうせダメだろう』と否定的だったが、それでもゼナは跳んだ。跳べるかどうかはどうでもいい。ゲインにそれをみてもらう必要があった。
結果は外門と変わらないものだった。
跳躍に必要な全身の筋力を霊光で強化し、いざ飛び上がろうとするとバチンと何かがショートして、垂直に跳ぶどころかバランスを崩して地面を転がる羽目になった。
「限界か」
ゲインがぶっきらぼうに言い放った。ゼナは一瞬カッとなりかけたが、ゲインの声色には蔑むような調子はなく、ただ事実確認をしたいだけ――という様子だった。
ゼナは弱々しくうなずいて、認めた。
これがゼナに使える門術の全てだった。
発動させようとする直前に何かが弾けて、集中していた霊光が散ってしまうのである。何をやっても同じことだった。それが内門であろうと外門であろうと関係ない。どうしても、何度試しても繰り出す瞬間にストップがかかってしまう。
「妙だな」
ゲインはごつい神経接続式義手で無精髭の生えたあごを撫ぜ、地面にへたり込んでいるゼナに近づき、睨みつけた。その虹彩は奇妙な緑色の燐光を放っていた。何らかの感覚強化を行っているらしいことはゼナにもわかる。
「やはり妙だ」
「妙って、いったい何が……」
「お前の身体には門術を使うには十分な霊光が流れているし、霊線も……少し複雑な走り方をしているがたいがいのビィと変わらん」
何で門術が使えないんだ、とゲインは首をひねった。
「……こっちが聞きたいくらいです」
ゼナはうなだれたまま言った。霊光も霊線も異常がないという話は、これまでもタマリン蜂窩の訓練所で散々聞かされた。その上で、なぜ門術が使えないのか原因不明だと。
料理はできても、それを盛りつける器がないということもあるだろう。
ゼナがたまたまその器のないビィだったのだ――蜂窩の大人はそう判断したし、周りの同世代たちもそういう目でゼナを見た。
「気に入らんな」
ゲインはさらに恐ろしい眼光でゼナを見た。
――何なんだよ、この人!?
腰のあたりがざわついた。自分の境遇さえいっとき忘れてしまうほど、ゲインの放つ空気は恐ろしい。
「き、気に入らないって……?」
「門術の発動準備はできているはずだ。なのになぜ途中で霊光が散る」
それがわからないからここに来たんだ、とは言えなかった。
「もう一度やってみろ小僧」
「でも……」
「いいからやれ。俺が気に入らないんだ。こんな症状は見たことがない」
なんだよそれ、と肚の中では思ってみても、やはりゲインに直接楯突くことはできなかった。
ゼナは言われるまま、何度も門術に挑戦し、そのたびに霊光が散ってしまい何も起こらなかった。むしろ力が弾けるときの衝撃で全身をひっぱたかれたようになって、身体が熱く腫れてくる始末だった。
結局、何度やっても変わらなかった。
一度やるのも百度やるのも大差はない。霊光は収束し、発現しかけ、肝心なところで霧散して、何も起きない。内門も外門も同じ結果だ。
ゼナにとっては、これまで生きた年月ずっと試してきたことだ。いまさらそれを繰り返すのは、自分の劣等感をほじくり出されるようで気分が悪くなった。
こんなことをしたって意味なんて無い。いくら睨まれても、できないものはできないのだ。
やがて――霊光を使いすぎたゼナは気を失ってしまった。
*
「起きたか」
目が覚めるよりも早くゲインの声が聞こえた。
砂の山に埋もれたように身体が重い。ゼナは疲労を押しのけて、何とか上半身だけ起き上がった。
「まだ動けるな? 続きをやるぞ」
ゲインは瓦礫の上に腰掛け、右の義手の動きを確かめていた。
「続きって……」
「門術を使えるようになりたいんだろう、小僧。一度や二度ぶっ倒れる程度で逃げ出す気ならとっとと帰れ」
「そんなこと! オレは……」
「『オレは』……何だ? 言ってみろ」
「オレは……このまま何もなしに帰るくらいなら死んだほうがマシだって、覚悟を決めたんだ」
「ほう」
「でも」
「ん?」
「……このままあんたのいうことを聞いて、本当に門術を使えるようになるのかわからない」
「言いたいことはわかる。立て」
ゼナは言われるまま、重い体を踏ん張って立ち上がった。
「ひとつはっきりしたことがある」
ゲインは皮肉っぽく唇の端を歪めた。
「お前は門術が使えないのではなくて、何かに邪魔されている。かつての俺みたいにな」
「ゲインさんの?」
「ああ。俺は……まあいろいろあってクソ虫に”閂術”を掛けられたことがある」
「あ、それ! オレの爺ちゃんが”閂破り”って」
「フン。まあ隠してもしょうがないから教えてやる。俺はその閂のせいでいっさい門術が使えなくなった。両手のひらに焼きごてで刻印を打たれてな」
そう言って、ゲインは右の無骨な義手を持ち上げて見せた。
「その閂を外すために何をしたと思う?」
おそらく不吉なことだろうと肌で感じ、ゼナは首を横に振った。
「両腕をぶった切った」
「両腕……を?」
「そうだ。手のひらの霊線が完全に断裂してしまってな。霊光駆動式のプラグドを使ってもまた閂がかかってしまう。呪いのようなものだ……とはいえ両腕なしでは飯を食うのもケツを拭くのも難儀でな。それで神経接続式義手をつけている」
「他のことは全部あたしがやってあげてるんだけどね」ラトルが明るい声で割って入った。
「茶々を入れるな。とにかく、腕を自分でぶった切らないと門術が使えない状態だった。小僧、お前ならどうする」
「え?」
「俺には理由があった。両腕を失っても門術を使わなければならないだけの理由がな。だから”覚悟”できた」
「覚悟……」
「そうだ。お前はどうだ? どんな思いでここに来た? さっき自分の口から出た言葉を思い出せ」
「『死んだほうがマシだ』って……」
「その覚悟を見せろ」
ゲインは立ち上がり、静かな目でゼナを見た。恐ろしさはない。圧迫感もない。だが今まで以上の巨大さがそこにあった。重金属の塊がそそり立っているようだった。
ゼナは”死”を感じた。
死ぬとはどういうことかを考えた。
自分の望みと、命と、母のモカのことを考えた。
門術を使えるようになることと、それらを天秤にかけるだけの覚悟はあるのか。
「ゲインさん」
両の拳を握りしめ、ゼナもまた静かに意志を湛えた眼差しでゲインを見た。
「やるよ、オレ」




