05 仙人
何かを得ることで始まる物語がある。
何かを失うことで始まる物語もある。
私が好むのは後者である。
――サルモンの超機行者、カスタネダ
治癒系門術の効果というものは目覚ましく、あるいはそれを施したラトルの腕が良かったのか、重体だったゼナは3ターンほどで杖をついて歩けるようになった。
「頭蓋骨にヒビまで入ってこれなら上出来よ。もう少し遅かったら死んでたところなんだから」
ラトルは明るい声でそう言って、ゼナの身体のあちこちで固まった縫合ジェルをタオルで拭きとった。デザイン微生物の働きで傷口を消毒して縫合し、化膿を防いでから有効期間が切れるとかさぶたのようになって剥がれ落ちるという縫合ジェルは、主機関樹から採取される樹液を加工したポピュラーな医療用品である。
「どう? 調子は」
「多分もう大丈夫。ありがとう、ラトルさん」
「ラトルでいいよ、ゼナ」
気さくに笑うラトルの顔には、大きな十字の古傷が刻まれていた。
ビィは生来頑健で指先や歯が欠けた程度ならまた生えてくるし、内門による回復力の強化や治癒系の外門を使えばぐっと再生力は高まる。縫合ジェルなどの医療具もある。それでもダメなら機械に置き換えるプラグド化という選択肢も存在している。
にも関わらず傷跡をそのまま残しているということは、治療を施す余裕が無いような修羅場をかいくぐってきたか、そうでなければ何かよほどの事情があるのだろう。
デリカシーに欠けると知りつつも、ほとんど見事とまでいえる十字傷に目線が集中してしまう。
「で、本当なの?」とラトル。
「え?」
「門術が使えないっていう話」
「うん……」
ゼナは口ごもった。自分の劣等感をさらけ出すのは、何度やっても慣れない。
「昔からなんだ。胎蔵槽(註:ビィを生み出す人工子宮ポット)から生まれてから……内門も外門も開けない。門術を使おうとするとこう……何かに邪魔されるみたいに霊光が散っちゃって。もうずっと、生まれた時から」
「そっか」
ラトルは眉根を寄せて、小さくため息をついてからゼナの手をとった。優しい握力と体温が伝わってくる。
「辛かったね」
ヒビの入った肋骨をすり抜けて、ラトルの思いやりが心臓を包み込んだ。
鼻の奥がツンと痛んだが、泣くことだけは我慢した。
*
「小僧、お前俺たちの話を誰から聞いた?」
ゲインは開口一番そう言って、鋭い眼光でゼナを射抜いた。ようやく自力で食事ができるようになったばかりのゼナは口に入れたハニーバーを飲み込んで、むせた。
「オ、オレのじいちゃんからです」
ラトルは優しくしてくれたがゲインの態度は抜身の刃にも似て、ゼナはまともに正面から話しかけることさえできなかった。
「スイレン跡地に……その、”仙人”がいるっていう噂を」
「”仙人”か」
「はい……」
「……あのジジイめ、勝手に話を大きくしやがって」
「ジジイ?」
「詮索するな。こっちの都合だ」
それきり黙りこくるゲインにゼナは困惑した。物心ついたころからずっと使えなかった門術を、使えるようにしてくれるかもしれない”仙人”を目の前にしているはずなのに、それを頼める雰囲気ではない。下手なことを喋れば、ゲインの義手でぶん殴られそうだった。
ゲインが両腕を失っていることはすぐにわかった。右手だけに無骨な義手をつけていることも。
不思議なことに、その義手はプラグドではなく、むき出しの尺骨や橈骨を模した銀色の骨だけで形成されたものだった。通常のプラグドで用いられる霊光駆動式のものではなく、外部バッテリーで動く神経接続式の、いってみればとうに時代遅れになって使われなくなった技術で造られたものだ。
ラトルの顔の傷といい、ゲインの銀色の義手といい、このふたりには簡単に踏み込めない部分がある――ゼナはそう考え、余計なことには口を挟まないようにした。ビィにはそれぞれ事情があるのだ。ゼナが門術を使えないように。
「あいにく俺は、お前の言う”仙人”じゃない。怪我が治るまでは……」
と、そこでゲインはラトルの顔をちらりと見た。
「……ここにいて構わん。その後のことまでは面倒見きれんぞ」
取り付く島もない。ゼナはうなだれて、黒根コーヒーの水面に映る己の情けない顔を見た。
これでは何のために命がけでスイレン蜂窩跡にまで出向いたのかわからない。
*
スイレン跡地は全てがヴァーミンに喰らい尽くされ、ビィの暮らしていた痕跡をわずかに残すばかりの荒涼とした土地だった。
中央には切り株になった主機関樹の残骸が残されていた。
機能を失い、樹液も何も枯れ果てた主機関樹を見るのは、たとえそこが生まれ故郷ではなくとも寂寥を感じずに入られない。やっぱり自分はビィなんだ、とゼナは当たり前の感想を漏らした。
「ラトルはどこの出身? タマリンじゃないよね」
ラトルに付き添われて散策していたゼナは、ふと疑問を口にした。
「んー? あたしはねぇ……言うとまたあの人が機嫌悪くするから秘密。でもこの迷宮じゃないよ」
「そうなんだ。じゃあ”渡り”なんだね」
「まあね」
「あの……ゲインさんも?」
「うん。って、あんまり喋るなって言われてるの! 詮索しない!」
ゼナはそれを聞いて苦笑した。ラトルは明るくておしゃべりで、おおらかな女だった。門術のことも彼女と話しているときは忘れられた。
ラトルとゲインが男女の仲だというのは、いくらゼナが小僧だからといってもすぐに理解できた。
理由を聞きだすのは無理だったが、ゲインは両腕を失っていて、右手だけの神経接続式義手だけでは不自由そうな様子だった。ラトルはそんなゲインの世話をかいがいしく焼いている。
ゼナは自然と己の母親のことを思い出した。
ダニヴァーミンの洗脳液を注入さえされなかったら、ラトルのような母親だっただろうか。
――いや、もう少し静かなビィだったな。
そんな風に頭を巡らせた。
*
ラトルの手当てが的確なおかげで、ゼナは全身打撲と骨折の大怪我からなんとか立ち直った。その間およそ10ターン。
死にかけのところからまともに歩けるようになったのはありがたい――ゼナは本心からそう思ったが、結局それまでの間に”仙人”ゲインに自分の門術不能を直せるかどうかを詳しく聞き出す機会を逸していた。ゲインの態度は、純粋に威圧感があって直接話しを切り出しにくいのだ。
おまけに怪我が治ればとっとと出て行けと念押しされている。
――だからって、ここまで来て手ぶらで帰れるもんか。
体調が戻るに連れ、ゼナの中でくすぶっていた気持ちが再び熱を帯び始めた。命は取り留めたが、まだそれだけだ。いわれるままにタマリン蜂窩に帰ることだけは避けたかった。
”仙人”。
その言葉はゼナが祖父のコン=トウに噂として聞いたまでにすぎない。
ふと、ゼナの脳裏に疑問が生じた。
噂の出どころだ。
「あ、あの」
ゼナは意を決してゲインに切り出した。
「オレ、どうしても……どうしても門術を使えるようになりたいんです」
恐る恐るではあるがはっきりした口調だった。
ゲインは答える代わりに右の義手で髪をかきあげた。
「ゲインさんが”仙人”じゃなくっても、何か知りませんか? そういう方法とか、手がかりでも何もいい。知りたいんです」
ゼナは真摯だった。
ゲインは再び頭をもぞもぞとかき混ぜてから、懐のポーレンスティックを取り出した。ラトルはすぐさまその先端に火をつける。ふたりともごく自然な流れる動作だった。長年連れ添った夫婦のような。
「……面倒だから話してやる」
紫煙を吐き出し、スティックがもたらす陶酔感を隠そうともせずにゲインは口を開いた。ゼナは後で知ったことだが、ポーレンスティックの”酔い”がなければ素直に教える気になれなかったらしい。
「俺とラトルは”渡り”だ。ミ=ヴからのな」
ミ=ヴ迷宮。
ゼナはサルモン迷宮以外の場所のことなどピンとこなかった。これまでタマリン蜂窩を出ることすら稀だったからだ。
「それともうひとり、なんだかよくわからんジジイと一緒だったんだが、こっちに渡ってきた途端にとっとと行っちまった。俺の……お前の故郷の蜂窩にな。ひとりでだ。で、面倒くさいことにジジイは噂を流したらしい。それがお前の言う……」
「”仙人”?」
「そうだ。そのジジイが”閂破り”の噂を広めて、尾ひれがついた話をお前が聞いた。ま、そんなところだろう」
「じゃあ、ゲインさんは”仙人”じゃなくて、門術を使えるようにできるってのもただの噂……?」
「そうでもないのよ」
ラトルが割って入った。
「この人が”閂破り”だって言うのは本当だからね」
いたずらっぽい笑みを浮かべるラトルに、ゲインは苦い顔をした。余計なことを言うなという態度だ。
「ねえゲイン」
「何だ」
「あんたがどうこうできる話かどうか分かんないけどさ、せめてこの子のいうことくらいは聞いてあげたら?」
ゲインの膝に手を置くラトルの言葉にゲインは眉間にしわを寄せたが、結局しょうがないとため息混じりに吐き捨ててゼナの顔をギロリと睨んだ。
「ラトルに感謝するんだな、小僧。門術を使えるようになるかどうかは保証しないが、一応見るだけは見てやる」
「本当!? あ、ありがとう!」
ゼナは立ち上がって、弾けるように感謝を示した。
*
かくしてゼナの新しい修行が始まった。
厳しく、厳しくて、厳しすぎる修行が。




