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迷宮惑星  作者: ミノ
第08章 サルモンの章
74/120

04 限界

善なるも悪なるも

老いも若きも

男も女も

等しく死を与えられるであろう


――ヴァーミンのことを詠んだ詩の一部

「くそァ!」


ゼナは腹の底から叫んだ。そうしなければ気を呑まれて動けなかった。


 バッタ型ヴァーミン。まだ(・・)イナゴには形態変化していない単独行動体だ。イナゴよりはおとなしく力も弱い。が、それはあくまで相対的なものだ。


 門術ゲーティアを一切使えないゼナにとっては命にかかわる敵である。ギリギリのところでパニックを抑えこんで懐から拳銃を抜き、引き金をひいた。


 銃声がチューブ道に遠く響き、三発撃ったうちの一発がバッタ型ヴァーミンの前肢の付け根をえぐった。


 ヴァーミンは悲鳴とも怒声ともつかない叫びを上げ、食いかけのオオカミザルの肉を吐き出した。どす黒い体液がどろりと流れ、冒涜的な六本足の足元を濡らす。

 

 一方、重い荷物を投げ捨てたゼナは、セオリー通りバッタの負傷した左側に回りこむようにして再度発砲した。実弾の銃であれば、ヒットさえすれば門術ゲーティアとは無関係にダメージを与えられる。ゼナの取りうる唯一の対抗手段だ。


「ビィいノ分際デェェェ!!」


 ヴァーミンがヒトの言葉で咆哮した。血混じりの泡を吹き、突き出た眼球には燃えさかる怒りがこもっている。


 バ、と音を立ててバッタがハネを広げた。


 まずい、とゼナが思った次の瞬間にはバッタ型ヴァーミンは後肢のすさまじい脚力で跳び、翅で方向を転換して体当たりを仕掛けてきた。


 強烈なタックルだ。


 ゼナの胸から腹にかけて衝撃が走り、驚くほど簡単に後ろに吹っ飛ばされた。


 息が詰まる。背中から地面に叩きつけられて視界がぼやける。右手の拳銃はどこかに行ってしまった。さらにバッタは上からのしかかってきた。


 ――死ぬ!


 ただそのひと言だけがゼナの意識を支配した。ここで反撃しなければ、バッタヴァーミンは首筋に噛み付いてくるだろう。頸動脈を引きちぎられればおしまいだ。


 ――ちくしょう!


 ゼナは文字通り死力を尽くして腰に差していたナイフを引きぬき、敵の脇腹に突き立てた。


     *


 どれくらい時間が経ったのか、ゼナは地面に突っ伏したまま気を失っていた。


 目を覚ましたが左のまぶたが開かない。強引に目を見開こうとすると、まぶたがバリっと音を立てた。どうやら血が流れ込んで固まっていたらしい。


 全身が痛む。何とか起き上がったゼナは、チューブ道の只中にひとりで倒れていたらしいことを察した。体中が血まみれで、自分のものかヴァーミンの返り血なのかわからなかった。


 周囲にはバッタヴァーミンの姿はなく、果たして自分が勝ったのか、それとも逃げおおせただけなのか思い出せない。少なくとも無我夢中で殺し合いを演じたことは確かだ。


 それと――背負っていた荷物が見当たらない。


 周囲を見渡しても何も落ちておらず、チューブ道の前後どちらにあるのかもわからなかった。


 テント無し。水、食料なし。警戒用ミニタレットも、護身用の火器もなし。


 携行していた拳銃も失い、ゼナは全くの丸腰になっていた。


 ――さて、どうする?


 おそらく肋骨にヒビが入った脇腹を押さえ、ゼナは自嘲気味に唇を歪めた。


 前後どちらに進めばいいんだ?


 チューブのどちらが前と後ろだ?


 手がかりらしきものはチューブに積もった堆積物の足跡と血痕しかない。だがそれすらも曖昧だった。マルチスキャンデバイスがあれば一発でわかるが、それは失われた荷物の中だ。


 ゼナはふらりと起き上がり、投げやりな勘だけを頼りにチューブ道の壁面を支えに歩き出した。


 先に進むのならそれもよし。荷物を拾えたなら――もうタマリン蜂窩ハイヴに帰ろう。


 もう、そのどちらでもかまわない。


 どちらだって、きっと後悔することになるんだ……。


     *


 案の定、ゼナは後悔した。


 歩き出して数時間と経たないうちに、丸腰で傷だらけの少年はヴァーミンの巣窟に足を踏み入れてしまったのだ。


 バッタ型の他にも大小のヴァーミンがたむろ(・・・)して、その全員の目がゼナに焦点を合わせた。新しい食料を見る目だった。


「ビィだ」「死ネ」「殺セ、ビィを殺セ!」


 見るだけでうぶ毛が逆立つほどおぞましいヴァーミンの群れは口々に呪いの言葉を投げかけて、ゼナを取り囲み、その退路を断った。


 ゼナは心身ともに疲弊して、怪我の手当さえまともにしていない。おまけに丸腰だ。いや、たとえ完全武装していたとしてもこれだけの数のヴァーミンを相手取ることなど不可能だ。


 なぜなら……。


「死ネぇビィのコゾウが!」


 ショウリョウバッタ型のヴァーミンが叫び、その細長い体躯でゼナに襲いかかった。


 ゼナには対抗手段がない。


 ヴァーミンもビィと同じく門術ゲーティアを使えるからだ。


 ヴァーミンはヒト型生物の体を粘土みたいにこねて虫型に整えたようなバケモノだが、その知性と門術ゲーティアを扱う能力はビィと同等とされている。


 そのヴァーミンが、純粋な肉体の脚力を内門で引き上げた力で飛び跳ね、ゼナはまたも強烈なタックルを受けた。


 身構える暇さえあればこそ。ゼナは左膝に飛びつかれ、はっきりと耳で聞こえるほどの音を立てて骨をへし折られた。そのまま引き倒されて、ショウリョウバッタ型ヴァーミンはマウントポジションをとった。その上で前肢、中肢の四本の腕でゼナは滅多打ちにされた。


 まず鎖骨が折れ、顔面に数発。次いで喉首に指先が突き入れられて呼吸が止まったところに肋骨、胸骨が破壊された。


 ゼナの意識は急速に暗闇へと落ちた。


 門術ゲーティア


 もし内門が開ければ、ケガを急速回復させるか、全身の筋力を強化することでマウントをひっくり返せただろう。


 もし外門が開ければ、炎や電撃でのしかかるヴァーミンを弾き飛ばすことができただろう。


 いずれも夢に終わってしまった。


 さらなる殴打がゼナを襲う。口の中で何本も歯が砕かれ、両まぶたが腫れ上がって視界が遮られ始めた。


 こんなところか。


 こんなところでオレは死ぬのか。


 結局オレには何もできない。こんな毒虫一匹殺すことさえできない。


 蜂窩ハイヴを守る戦闘要員になんてなれるわけがない。


 ――母さん、ごめん。オレのほうが先に死んじまうみたいだ。


 ゼナの最後の糸が切れ始めた。ただ母のモカのことだけが心配だったが、それももう無駄になった。


 もはやこれが最後の呼吸か。ゼナはダメージを負った気管から血混じりの息を吐き――そのひと呼吸の間に全てがひっくり返された。


 腫れ上がったまぶたを通してなお眩い光の束がザッとヴァーミンの群れを薙いだ途端、ヴァーミンの群れたちは一斉に切り刻まれた。


 すさまじい悲鳴が上がり、はるか上の硬質透明プラスキン製屋根まで張り付くほどにヴァーミンの体液が吹き上がる。

  

 レーザーか、実体剣か、あるいは他の兵器か、ゼナからはわからなかったが何らかの攻撃が加えられたらしい。


 さらに2度、3度と光が走り、ゼナを取り囲むほどの数がいたヴァーミンはことごとく抹殺された。


 最後に残ったのは、ゼナの上にのしかかるショウリョウバッタヴァーミンだけだった。


「ヤメろ! 何なんダおマエは!?」


 ヴァーミンは恐怖していた。


「知ったことか」


 冷たい、低い男の声がかすかに聞こえた。


 と、最後に残ったショウリョウバッタはゼナの上から男の方へと跳びかかり――死んだ。


 男の長い足が信じられない速さで回し蹴りを繰り出し、直撃を受けたショウリョウバッタの顔面はちぎれてどこか別の場所に吹っ飛んでいったのだ。


「妙なものを拾っちまったな」


 もうほとんど何も見えず、音も遠ざかっていくゼナの意識が最後に捕らえたのは、その言葉と男の舌打ちだけだった。


     *


 夢の中で、ゼナは古い記憶を垣間見た。


 あのとき、イナゴの大量襲撃があった日。


 それ以前の母と暮らしていた普通の日々のことを。


 そのころは門術ゲーティアが使えないなど思ってもみなかった。


 母がダニヴァーミンに洗脳液を流し込まれ、残りの人生を苦しんで過ごすことも。


 全てがもう戻らない過去の話だ。


 もう全て、どうすることもできない過去の話……。


     *


「……う! あんたも手伝ってくれればいいじゃない!」と女の声。


「治癒系は専門外だ」と男の声。


 闇の中に落ちた意識の隙間から、ゼナはその声を聞いた。どこか平らな場所に寝かされ、怪我の手当をされているらしい。


「あ、目ぇ覚めた?」


 女が明るい声でゼナの顔を覗き込んだ。腫れ上がったまぶたのせいで、ゼナの方からは誰かがいるということしか分からない。


「ここは……?」


 声を出すと痛みが滲んだ。口の中が切れていて、奥歯が何本も砕けてしまっている。


「ここ? えーっと、どこだっけ?」と女は少し離れた男の方へ声をかけた。


「スイレン蜂窩ハイヴ跡だ」


 ぶっきらぼうに答える男の声に、女はあーそうそうそれそれ、と騒がしく相槌を打った。


「ボーヤ、どこから来たの? 名前は? なんであんなたくさんのヴァーミン相手に丸腰でいたの? あたしたちが通りかからなかったら死んでるところよ?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に、ゼナは横になっているだけなのにめまいを感じた。体中を強く打ったせいだろう。


「……ゼナ、です、オレの名前。タマリン蜂窩ハイヴから……ここまで……」


 痛みに耐えながらゼナは細く息を吐いた。大きく呼吸するとあばらに響く。喋っているだけで気を失いそうだった。

 

「……スイレンに、”仙人”がいるって……聞いて、それで……オレの、門術ゲーティア……」


「”仙人”?」


 男女二人が顔を見合わせたのが気配で分かった。


「フン。あのジジイ、余計なことを」と苛立つ男の声。


「でもタマリン蜂窩ハイヴって。あんたの故郷なんでしょ、ゲイン」


 ゲインと呼ばれた男は、いかにも不機嫌そうに立ち上がり、ゼナの枕元に立った。


「ゼナとか言ったな」


「……はい」


「どうも面倒なことになりそうだ。怪我が治ったらとっとと帰れ」


 ゼナは、ゲインが”仙人”その人だと考えて取りすがろうとした。手は届かない。


「あたしはラトル。ごめんね、あの人あんな風にしか言えないの。でも、少なくとも怪我が治るまではここに居ていいってことだから。あんまり気にしないでね。ハイこれ、鎮痛剤。飲める? 飲んでね」


 ラトルの気ぜわしさに少しだけ安堵して、ゼナは口の中に放り込まれた錠剤を何とか飲み下した。


 それきり、意識は闇に落ちた。


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