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迷宮惑星  作者: ミノ
第08章 サルモンの章
71/120

01 血色の渦巻

初めに女がいた。


女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。


いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。



 轟音。


 そして地響き。


 タマリンという名の蜂窩ハイヴの全体を包み込む石棺が、強烈な攻撃に晒されていた。


 イナゴ型ヴァーミンの大襲撃は82エクセルターンぶりであった。


 ヴァーミンとは虫の形をした人間、昆虫人間とも呼ばれる凶悪な殺戮者にして捕食者である。


 サルモン迷宮全体を悩ませる不定期的な大増殖と大量飛来は、ビィ――ヒト型知的生命体――にとって最大の脅威であり、そのためタマリン蜂窩ハイヴ住人は自らが暮らす蜂窩ハイヴ全体を、主機関樹セントラルツリーをふくめて防護すべく頑丈な壁で覆った。


 敵であるイナゴ型ヴァーミンは迷宮生物を問わずビィを問わず、あるいはいかなる動植物をもむさぼり食う。厳重に折り重ねたカーボン=プラスキン複合材の壁は、食えないという理由だけで被害を防いでいるに過ぎない。


 ヴァーミンの大軍勢はビィの蜂窩ハイヴを襲い、猛烈な数の圧力で同胞らの肉体を押しつぶしながら殺到し、石棺を崩壊させようとする。彼らは知っているのだ。石棺の中に、餌となるビィが震えながら食いつくされるのを待っていることを。


 サルモン迷宮においては比較的大きな蜂窩ハイヴであるタマリンはこの猛襲を受け、石棺に大きな損傷を受けていた。


 ヴァーミンは知恵のないけだもの(・・・・)ではない。ビィとほぼ同じ知性を持つ生物であり、門術ゲーティアと呼ばれる超能力も使うことができる。


 イナゴの姿をした暴徒の群れはそのおぞましい力を結束し、強力なコヒーレント破壊霊光レイ・ラーを放ち、石棺に大きな爪痕を刻んだ。


 タマリン蜂窩ハイヴの戦士たちも石棺の外で応戦し、すさまじい数の怪物に立ち向かった。銃火器が、門術ゲーティアが飛び交い、この世の終わりの光景のように殺し、殺された。


 タマリン蜂窩ハイヴは全住民を挙げて徹底抗戦した。死を撒き散らすイナゴの怪物を次々と焼き払い、同じように殺されながらも引くことはなかった。


 当然のことだ。


 蜂窩ハイヴはビィの故郷であり、いかに遠く離れようとも忘れえぬ存在だ。


 だから抗った。まさしく死にものぐるいに戦った。


 蜂窩ハイヴを覆う石棺は頑丈で、無数の敵の攻撃にも何とか崩れずに持ちこたえた。


 死体、死体、死体の山が積み上がり、3ターン――ターンは一日の長さを示す――に渡る防衛戦はかろうじてビィたちの勝利に終わった。


 誰もがそう考えていた。


 石棺は崩れず、ヴァーミンどもがそこに侵入する手段などない。もしあるとすれば、石棺の中にいるビィが自分からシャッターを開放し、敵を招き入れることぐらいだろう。そしてそんな事態は発生しない。


 ビィとヴァーミンは互いの存在を否定する天敵同士である。


 穢らわしい怪物であるヴァーミンが命乞いするならばともかく、ビィが酷薄なヴァーミンに対し裏切りを働いても意味が無いからだ。


 だが、それは起こった。


 あるビィが、決着が着く寸前の局面で巨大シャッターの一部を開放してしまったのだ。


 何が起こったか。


 生き残りのイナゴたちがシャッターの隙に殺到し、雪崩れ込み、体がちぎれるのも構わず石棺の中に身体をねじ込んだ。


 そして虐殺が始まった。


 石棺の中にいるビィは非戦闘員ばかりで、警護のために残った戦闘クラスのビィだけでは数は限られていた。何十体何百体ものヴァーミンが濃い黒と赤みがかった黄色の厚皮を蠢かせ、跳び、次々とビィを焼き殺し、かみ殺し、そして喰らった。


 ヴァーミンが全て掃討され、再び沈黙が訪れるまでには蜂窩ハイヴの人口は3分の1が失われていた。


 誰が何のためにシャッターを開けたのか。


 なぜシャッターは開かれたのか。


 裏切り者は誰か。


 タマリン蜂窩ハイヴの住人全てに渦巻くタールのように黒い怒りが、ひとりの女を見つけた。


 彼女の名はモカ。


 彼女の首筋には、洗脳液を注入する小さなダニ型ヴァーミンが張り付いていた。


 モカはそれゆえに裏切りを働き、死の軍勢を招き寄せた――と考えられた。


 全てがヴァーミンの仕組んだ罠。それゆえモカは無罪とされ、放免された。


 その判断は生き残った多くのビィにとって受け入れがたく、渦巻く怒りは静かだが不動の憎悪として凝り固まった。


 その影響は彼女の息子にも及び――。


 ひとつの物語が始まる。


     *


 重い拳が左の頬を打った。


 ゼナは体勢を崩して転びそうになったが、足を踏ん張った。口元を拭った手の甲に薄く血の泡がつく。


 痛みはある。


 だが効いて(・・・)はいない。


 肚の内でゼナはそう感じ、背筋を伸ばしてから血混じりの唾を思い切り吐いた。


「お前、何だその目は?」


 ゼナを殴った少年・シロンは憎々しげに顔を歪め、ゼナの反抗的な表情を咎めた。


「それがお前みたいな”出来損ない”の態度か、ああ?」


 体格のいいシロンが青筋を立てて大声を張り上げると、成体後の大人でも気圧されるものがある。だがゼナは唇の端を吊り上げ、シロンの濃厚な皮肉を込めて笑った。


「くだらんねーことで絡むな、油大福アブラダイフク


 主機関樹セントラルツリーの分厚い樹皮の下にある甘皮を加工して作った大福を油に漬けたような外見を揶揄した言葉に、シロンの後ろに控えていた取り巻きたちの間に小さな笑いが起こる。


「黙ってろ、”裏切り者のガキ”が!」


 取り巻きに向けてじろりと睨みを効かせてから、シロンは再び拳を振り上げてゼナを殴りつけた。


 コンマ1秒、ゼナの脳裏には自分は暴力を受け入れるべきなのだという思いが湧いた。自分は殴られて当然のビィなのだと……。


 だがそれはほんのわずかの、無視して構わない時間だ。ゼナは瞬間的に拳の下をかいくぐりシロンの巨体にカウンターパンチをめり込ませた。


「ぐぅ」


 シロンのうめき声。体が前傾になり、動きが止まる。


 ゼナはその機会を逃さず、よろけた片膝を刈るべくタックルをかました。思い切り力を込めた勢いでそれを喰らったシロンはたまらずに転倒し、天井を仰ぐ。


「”出来損ない”? ”裏切り者”? もう一度言ってみろ!」


 ゼナの動きは鋭い。シロンを転倒させたとほとんど同時にマウントポジションを取り、その膨れた顔面に左右の拳を叩き込んだ。


 シロンはたしかに巨漢だが、身動きを封じられて起き上がれるほどの筋力はない。二発、三発と良い角度で入るゼナのパンチから逃れるのは至難の業に見えた。


 シロンの取り巻きは、自分たちのボス格であるシロンを助けようとはしなかった。別にシロンを見捨てたわけではない。ゼナの攻撃が鬼気迫るものがあって、うかつに近寄ることができなかったのだ。


「……いい加減にしとけよこの野郎!」


 鼻血を吹き出しながらシロンが叫んだ。


 まずい――ゼナはこれから何が起こるのか悟った。


 出し抜けに、ゼナの身体は下から突き上げられて宙を舞った。比喩ではなく、身体が標準的ビィの身長ほどの高さまで飛び跳ねたのだ。


「何度だって言ってやるよ!」


 叫びながらシロンの身体はゴムマリのごとく跳ね上がり、巨体であることを感じさせない速さで空中のゼナに体当りした。


 最初のパンチとは比べものにならない強烈な衝撃にゼナは吹っ飛んで、石棺の屋根を支える古いカーボン=プラスキン複合材の柱に背中から叩きつけられた。


 ゼナは悲鳴すら上げられず、ぐったりと倒れこんだ。衝撃に息が詰まる。


 シロンは時間とともに内出血で膨れてくる顔面を無視してゼナのところまで近寄り、苦悶の表情のゼナに蹴りを食らわせた。


「ケッ! ”内門”をまともに使えない”出来損ない”の分際で!」


 もう一発の、踏みつけに近い蹴りがゼナの脇腹を襲った。


 シロンがほぼ完璧なマウントポジションを跳ね返したのは、その体格によるものではない。門術ゲーティアと呼ばれる超能力のうち、身体能力を増幅させる”内門”を使ったからだ。ごく初歩的な筋力を引き上げる門術ゲーティアだが、使うのと使わないとでは大きな差がでる。


 素手で、そして完全に生身同士であればゼナのほうが上を行っていることはその場にいる全員が理解していた。


 だがそれは門術ゲーティアが無ければの話だ。


 ゼナは――シロンの言う通り、確かに”内門”を使えなかった。使わなかったのではない。使えないのだ。


 否、内門だけではない。


「ひとつも門術ゲーティアを使えないくせに、二度とおれに逆らうんじゃねーぞ」


 シロンはほんの数分の間に膨れ上がった眉尻をおさえ、捨て台詞を吐いた。巨漢の少年は息巻いたものの、ゼナに喰らったパンチの傷は決して浅くはなかった。


 それでもシロンには門術ゲーティアがあり、簡単なケガであれば高速治癒させることもできる。


「おい、行くぞお前ら」


 取り巻きたちに声をかけ、シロンはその場を立ち去った。


 後には、自分の体の痛みさえ消せないゼナだけが取り残された。


「ちくしょう……!」


 ゼナは地に倒れ伏したまま背を丸め、悔しさに泣いた。


     *

 

 ゼナの知る限りサルモン迷宮のビィ、少なくともタマリン蜂窩ハイヴのビィには、他の迷宮に比べ遥かに高い重要性をもって戦闘要員としての活躍が期待される。


 不定期に襲い来るイナゴ型ヴァーミンの襲撃から蜂窩ハイヴを守るためだ。


 成体式を迎えていないまだ少年期にあたるゼナにもそれは変わらず、戦闘員としての力を引き出すための訓練を受けていた。


 胎蔵槽から生まれでて、わずか数エクセルターンの段階から体術、戦術、そして門術ゲーティアを叩き込まれるのがタマリン蜂窩ハイヴの習わしだった。


 その訓練の中で、ゼナの欠陥・・の存在が明らかになった。


 門術ゲーティアに関する能力に著しく欠いていることに。


     *


 生まれつき門術ゲーティアが使えないビィというのは、珍しくはあるが皆無ではない。


 胎蔵槽――ビィを生み出す人工子宮――の遺伝情報プールには時折そうしたイタズラを仕掛けることがある。


 ゼナはそうしたビィのひとりであり、おとなも、同世代のビィたちからも戦士としての生き方を放棄するように進められた。


 ゼナはそれを断った。


 鍛え上げれば、いつかは門術ゲーティアを己のものとすることができると、そう頑なに信じた。


 度重なる指導員の説得をはねつけ、同世代たちの白い目を意に介さず、ゼナは修行に励んだ。


 どうしても戦う力を手に入れたかった。そのためなら周りに何を言われても関係ない。


 何があっても身に付けなければいけない。


 ヴァーミンを殺せる力を。


 そして――母・モカを守れる強さを。


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