09 プロフェット
ソーマリアクターは聖蜜を精錬した物質からエネルギーを取り出す機関であり、主機関樹を覗いた全ての動力源の中で最も強力なものとされている。
取り扱いに注意すべきなのは言うまでもないが、少々の衝撃では動作に不良をきたすことはない。
――”ギガロアルケミスト”ゲオルギィの述懐
ピエネー蜂窩、囚われのミドリカワが鎖で繋がれた間に合わせの牢獄。
「少し予定が早まった」
”預言者”ヤヴァランは身動きの取れないミドリカワに言った。
「預言者の予知能力も外れるものなのですか?」
「状況が変わった」
ふたりとも皮肉の意図の含まれない声だった。ミドリカワは純粋な疑問を、ヤヴァランも怒りも虚勢もなくただ質問に答えただけだ。
「本当は君のソーマリアクターだけを取り外すつもりだったのだがね」
「わたくしの主以外が不用意に触れることはお勧めできません」
「知っている……というより、君を分解するには時間が足りなくなった」
「時間?」
「そうだ」
「何の時間かお尋ねしてよろしいでしょうか」
「この蜂窩が滅んでしまうまでのタイムリミットだ」
「それは……」
「そこで君に聞きたい」とヤヴァラン。
「……なんでしょう」
「君に自爆装置は付いているのかね?」
*
「なにか妙な臭いがしますね」
轟音を上げて疾走る氷上バギーの後部座席で”ギガロアルケミスト”ゲオルギィがつぶやいた。
「あー? なんだってー?」
バギーを運転する”ウーホース最速の男”BIG=ジョウが首だけ振り返り大声で尋ねた。エンジン音と、絶対に滑ってなるものかという執念じみたスパイクを生やすタイヤが氷を噛む音が混ざってよく聞こえない。
「においですよ。何か生臭いような……」
「俺は感じねえぞ」
スキンスーツで顔まですっぽり覆っているBIG=ジョウは、スーツで臭気をカットされている。
「私もこれ以上は鼻が凍ってしまいそうです」
「そうか。ならそれは後回しだ」
BIG=ジョウは前方左側を指差した。
そこには小さな灯りがいくつか見えて、迷宮のすべてを覆う闇と冷気を少しだけ切り取っていた。
「蜂窩ですね」とゲオルギィ。
「だな」
「あそこにミドリカワが連れて行かれた……」
「ああ。何のつもりか知らんが、それ以外考えられない」
「穏便に済ませたいと思いますが、あなたは?」
「俺はBIG=ジョウだぜ? 一般市民は撃たねえよ」
「恐縮です」
次の瞬間、何かがジョウの左耳をかすめた。うお、と声が漏れてバギーの車体が大きく左右にスラロームする。
銃弾だ。
方向から見て間違いなく目標の蜂窩からだった。
「あーあ、これじゃ穏便に済ませられないぜ」とBIG=ジョウは苦い顔をした。
「やむを得ませんね。少し落ち着いてもらって、それから話をしましょう」
「オーケィ。そろそろケツが凝ってきたところだ」
氷に覆われた蜂窩の入り口から数人のビィが現れ、手に手に武器を持ってバギーに乗るふたりを撃ってきた。弾が次々と飛来し、BIG=ジョウはそのことごとくをかわす。マシンと一体化しているBIG=ジョウに対しては素人の銃撃など通用しない。
「さーて、どうするかな」
「殺すのはやめておきましょうか」
「そうだな、どうにかできるか?」
「ご心配なく。私はこれでも錬金術士ですので」
ひひっと口を歪めたゲオルギィは、両手を一度ヒーター付き白衣の内側に突っ込んだ。中から取り出されたのは小ぶりの擲弾筒と、紫色に塗られた小型爆弾だった。
「BIG=ジョウ、もう少し彼らの方へ寄せられますか?」
「あいよ!」
BIG=ジョウは流石としか言いようのないドライビングテクニックを披露して、敵からの銃撃を華麗にかわしつつビィたちの群れのど真ん中を突っ切った。
すれ違いざまゲオルギィの小型爆弾が放たれ、軽い破裂音が起きた。それは殺傷を目的としたものではなく、暴徒鎮圧用の無力化ガス弾だった。紫煙が凍える空気の中で黙々と広がり、ひと吸いしたしたビィばたばたと倒れていった。ガスはビィの身体に走る霊光の働きを乱されて、無効化できるスキルを持っていないかぎりは抵抗もできずに倒れ、しばらくの間は起き上がるどころか口聞くことも困難になる。
ゲオルギィは当然マスクを装着してガスを防いでいるし、スキンスーツを着ているBIG=ジョウは勝手に異物として排除されるので問題ない。
一方の蜂窩の自警団か何かはほとんど何もできない人数まで無力化させ、BIG=ジョウたちに降伏の意思を伝えた。
「あっけないな」とBIG=ジョウ。
「ビィ相手に死闘を繰り広げることを考えれば、あっけない方がいいでしょう」
「それはそうだけどな……おい兄ちゃん」
無力化されずに済んだビィのひとりに、BIG=ジョウは声をかけた。
「面倒なことは無しだ。この蜂窩の名前は?」
「ピ……ピエネー蜂窩です」
「んで、この中にはミドリカワ……こちらのセンセイがつくったプラグドロイドはいるのか?」
若い男は顔を伏せ、葛藤の末に無言でうなずいた。
「悪いがそれはこっちのモンだ、返してくれれば悪いようにはしない」
「し、しかし……」
「文句があるならちょっと荒っぽくなるぜ」
「待ってください、あのプラグドロイド……たしかにこの蜂窩にいたんです」
若者の言葉はひどいカイ=エイト訛りがあったが、意味は理解できた。
「今は……出て行ってしまいました」
「出て行ったぁ?」
「はい。我らの……私たちの”預言者”に伴われて」
”預言者”。
ピエネー蜂窩で起こったことを知らないBIG=ジョウとゲオルギィは、まさに寝耳に水の答えだった。
「ミドリカワはまだ稼働しているのですね?」とゲオルギィ。
「はい……そのはずです」
BIG=ジョウとゲオルギィは顔を見合わせ、それから同時に若い蜂窩の男の顔を見た。
「初めから教えていただけますか。できることなら私の能力は使いたくない」
「だとよ。このセンセイに自白させられるのは怖えぞ?」
男はうなだれ、もうこうなっては話すしかありません、と絞り出すように言った。
「我らのヤヴァラン様……我らの預言者は命を捨てる覚悟なのです」
「ヤヴァラン? 覚悟って……?」
「あの方は死ぬつもりなのです、プラグドロイドを自爆させることで」
*
ピエネー蜂窩から離れること数時間。
闇と冷気がとぐろを巻く氷の世界に、防寒具をみっしりと身に付けたヤヴァランと、その後ろに付き従うミドリカワの姿があった。
金属製のミドリカワのボディは芯から冷え切って、ヤヴァランの呼気から流れてくる水蒸気を浴び、小さなつららがあちこちに生えてくるほどだった。
「光導板が灯るまで、あと8時間……」
全く何も見えない上空を仰ぎつつヤヴァランは言った。蜂窩の中にこもっていなければいつ凍死してもおかしくない気温である。こんな時に迷宮の奥へと進むのは狂気の沙汰だ。
しかし行かねばならない、とヤヴァランはミドリカワと、そして自分自身に言い聞かせた。
「君が優秀なプラグドロイドだということは重々承知だ。プラグドロイドが主を裏切らないようプログラムをインストールされていることもな。だから驚いている」
「わたくしが貴方に協力していることが、ですか?」
「ああ」
「状況が状況なので……としかお答えできません。わたくし自身も貴方の提案を飲んだことは少々意外なことなのです」
「面白いな」
「そうですか」
「こんな時にだが、君がそのように結論した経緯を聞かせてくれないか」
「パルムという女の子」
「パルム? 凍死寸前のところを君が背負って連れてきた子だな」
「はい。あの時わたくしは、自らも遭難していました。しかし彼女の生命を助ける方を選択した」
「ふむ」
「彼女に対する心情と同じものを、わたくしはどうやらピエネー蜂窩に抱いているようです。彼らを死なせないで済む方法があれば……主の命令にも背くこともいたしましょう」
「そうか」
「はい」
「すまん、私にはもう奴らを止める方法を思いつかないのだ。君の……ソーマリアクターを爆発させて永久凍土ごとヴァーミンのすみかを殲滅する」
ヤヴァランは急に立ち止まった。深く白い息を吐き、ミドリカワの方を振り返った」
「本当にすまん。代わりと言っては何だが、私も一緒に自爆する」
「それでよいのですか? 貴方はピエネー蜂窩の預言者なのでしょう」
「構わない。私が預言者として振舞っていたのも、全ては彼らの生命をひとりでも守るためなのだから」
ヤヴァランは自重するように笑ったが、寒さの余り口元が白く凍りついていてその評定はぎこちなかった。
「わたくしは貴方がたの身勝手さにはまだ納得しきれていませんが、それでも協力しましょう。貴方の言葉にはウソがない」
「……助かる。さて、爆破ポイントまで急ごう」
ミドリカワは無言で肯定のジェスチャーをした。
そろそろその時が来る。
ミドリカワは己の人造頭脳のリミッターを外し、ソーマリアクターを暴走させる準備を整えた。
しかしその目の前に――ヤヴァランの予知よりもはるかに早く死の軍勢が姿を表していた。




