07 パープルヘイズ
オガクズタバコはその名の通り主機関樹の特定の部位を削ったオガクズを紙巻にしたものである。
――名も無きビィの言葉
絶対的な暗黒の中を、BIG=ジョウとゲオルギィの乗る氷上バギーが疾駆する。
ヘッドライトとドローンの投げかける光の輪以外、そこにあるのは真正の闇だけだ。1ターンのうち昼時間はわずか2時間、それ以外は静まり返る夜と氷。過酷な環境は蜂窩に住むビィたちの生活から選択肢の多くを奪い、多様な豊かさからは縁遠いようだ。
余力があるなら照明装置のひとつやふたつ立てられていてしかるべきだろう。なにしろカイ=エイトの空気は死ぬほど冷たく、永久凍土の足元はその名に反していつ崩れるともわからない。今この瞬間にもタイヤがクラックに挟まれば、バギーはひっくり返ってジョウもゲオルギィも投げ出されてしまうだろう。
――そうなったら、最悪徒歩で行くしかねえな。
BIG=ジョウはスキンスーツで覆われた口の中で小さな舌打ちをした。
スーツに覆われている限りは寒さも喉の渇きも気にしなくていいが――飲料水は主に汗と小便から濾し取られ、貯蔵される――逆に言えばスーツが破れてしまえば凍死一直線だろう。BIG=ジョウの門術はマシンと一体になっての超能力に集中して技藝の聖樹を伸ばしているため、生身では案外穴が多いのだ。体温維持に霊光を回すことも、できなくはないが得意ではない。
要するに、スーツなしでは死ぬのだ。
「なあ、ゲオルギィさんよ」
「どうしました?」
「このスーツ着たままオガクズタバコって吸えねえかなあ」
「スキンスーツは異物のフィルターとしても優秀です」
「だよな」
「ええ」
BIG=ジョウはもう一度小さく舌打ちした。ソウダストを吸うためにいちいち顔をむき出しにしたら鼻の穴の奥まで凍りついてしまう。こんなところで思わぬ禁煙だ。
ソウダストと、マリィの肌が恋しくなってくる。
*
一方、ピエネー蜂窩。
さしたる設備のない医療スペースで、回復系門術の使い手3人がかりの治療をうけていた少女、パルムが目を覚ました。
目を開けて、パルムは困惑した。
家族と一緒に生まれ故郷のピエネー蜂窩から、半ば脱走するように出て行ったというのに、なぜまた蜂窩に戻っているのだろう。
時間とともに曖昧な記憶が収束する。あの洞穴でキャンプを開き、それから……。
パルムは自分の置かれた状況を薄っすらと理解した。養父母も、ふたりの義兄も、みんな凍死してしまった。自分もそうなるはずだった。そこを誰かに救われて、またこの場に連れ戻されたのだろう。
でも、誰が?
蜂窩にはそんな余裕はなく、穿った見方をすればむしろ口減らしになって好都合だったはずだ。救出のための労力をかけるのは矛盾している。
と、急に暖かさの記憶が蘇った。
なにか硬いものに運ばれて、それに触れている場所だけは熱がこもっていて……。
それ以上は何も思い出せなかった。
ただ、なにかその熱には優しさのようなものがあったような気がした。
きっと気のせいだろう。
*
む、とゲオルギィは氷上バギーの後部にしがみつきながら言った。
「どうした」
暗闇の中、転倒やその他のアクシデントに巻き込まれてもぎりぎり対処できるスピードで凍りついた地面を走りつつBIG=ジョウが尋ねた。
「ミドリカワの反応が急に強まりました」
「マジかよ」
「マジです。場所は……予想通り、いま向かっている蜂窩のようです」
「やっぱりその蜂窩の連中に連れ去られたのは間違いなさそうだな」
「小生もそう思います」
「急ぐか」
「そうしていただければ助かります」
「オーケィ」
BIG=ジョウはバギーのアクセルを全開にして、BIG=ジョウにしかできない曲芸走法でスピードを上げた。
*
再びピエネー蜂窩。
「あの子はどうだった?」
「凍傷がひどくて回復系の門術が間に合わなかった。手足の指のほとんどと、あと左の膝から下はもう無理だろうねえ」
「プラグド化は?」
「無茶言うんじゃないよ、この蜂窩にそんな余裕なんてあるわけないじゃないか……」
蜂窩住民たちのうわさ話は概ね事実だった。
ミドリカワが自らの背中を無理やりヒーターにしておぶって移動しなければ、凍傷どころかそのまま凍死していただろう。
「ヤヴァラン殿、それでいったいいつそのリアクターとやらを?」
住民のひとりがヤヴァランに尋ねた。
エネルギー源が足りなければ刻々と冷気が忍び込み、蜂窩は遅かれ早かれ凍りつく。一刻も早くプラグドロイドからリアクターを取り出し、主機関樹の生命力を戻さなければ住民に未来はない。
そこに『未来はある』と断言したのがヤヴァランなのだ。だからこそ彼に協力するものが現れた。
「……あのミドリカワとか言う人形、異様に硬くて分解できません。超振動チェーンソウでは表面処理を削ることさえ困難で」
「案ずるな。プラグドロイドには必ずメンテナンスハッチがある。一点だけでも破壊すれば無理に分解する必要はなくなる」
「そうはおっしゃいますが、どうやって、その…」
男の不安に対して、ヤヴァランはもう一度案ずるなと念押しした。
「わたしは預言者だ。主機関樹の声を聞くことができる。その時が来れば、しかるべき門術が道を開いてくれよう」
そう断言され、男は黙りこくった。ヤヴァランは確かに予知能力や預言の力を持っている。この蜂窩のビィは多かれ少なかれそうした信頼感をヤヴァランに抱いている。だから話にも従う。カニヴァーミンに襲われていたミドリカワ、そしてミドリカワが守っていたらしいパルムをピエネー蜂窩まで連れてきた。それ自体、死に直結する行為だったが、ヤヴァランの指示に従った。預言者だと信じるに値するからそうしたのだ。
「我々はヤヴァラン殿を信用していますが……やはり不安も大きい。出来る限り早く道が開ける事を祈っております」
男はそう言ってヤヴァランの元を去った。
ヤヴァランはひとりになり、主機関樹の正面に対座してじっと瞑想を始めた。
「BIG=ジョウ、ゲオルギィ……」
誰にも聞こえない小声でヤヴァランつぶやいた。
「主機関樹よ、我に力を」
ピエネー蜂窩の冷えて弱った主機関樹は、ヤヴァランにしか見えない透明なツタを揺らめかせ、伸び上がってその体を繭のように包んだ。
*
「何か嫌な予感がする」
氷上バギーを巧みに操作するBIG=ジョウは、マシンに跨っている時にだけ鋭くなる勘のざわめきをピリピリと感じていた。
「どんな予感です?」とバギー後部にしがみつくゲオルギィ。
「んー……難しいんだが、どうも俺たちは歓迎されてない感じだ」
「誰にですか? これから向かう蜂窩? それともヴァーミン?」
どっちもだな、とBIG=ジョウは返した。
ヴァーミンはビィの敵対種であるから歓迎されるわけがない。
だがビィの住まう蜂窩から敵意を抱かれるというのは少し理屈に合わない。ビィはどの迷宮のどの蜂窩にいてもビィ同士であり、何かよほどの理由がない限り暴力的な関係にはならない。天敵のヴァーミンが間近にいる時はなおさらだ。
ミドリカワを連れ去った何者かが悪い奴らである可能性はそれほど高くないとBIG=ジョウは踏んでいる。プラグドロイドはあえてビィに敵対するプログラムがインストールされていない限りはビィには敵対しない。
このまま蜂窩に向かって、ウチのミドリカワを助けてくれてありがとうという話で済むかもしれない。むしろそうなるのが普通とも思える。
BIG=ジョウの勘はそれを否定している。
あり得ないことかもしれないが、命の取り合いに発展する疑念がどうしても否定できなかった。
「どう思う?」とBIG=ジョウ。
「あなたがそういうのならリスクとして視野に入れておくべきでしょうね」
「ああ、そうしてくれ。なんだか今にも足場が崩れそうな気分だぜ」
BIG=ジョウの予感は、すぐに当たった。
まさにその足元で、メタ=プラスキン爆弾が火の手を上げたのだ。




