04 ブルーブラッド
食えない。
――カイ=エイト迷宮の名も無きビィの言葉
BIG=ジョウ、ゲオルギィ、そして氷原仕様トレーラーを運転するカブはいつ果てるとも知れない凍える道を進んでいる。
光導板からの光は差さず、車外の気温は下がるばかり。ほぼ完全な防寒装備であるスキンスーツで全身を覆っていなければ、BIG=ジョウはとうに霜だらけの凍死寸前に追い込まれていただろう。
「凍結が進んで足跡が判別できませんねぇ」
恐るべき寒さの中、車外で己の創造物であるミドリカワの足跡を追っていたゲオルギィは真っ白なため息をついた。
カブの運転するトレーラーのライト、そして浮遊ドローンたちの投げかける照明のおかげで長過ぎる夜の闇の中でも行動は可能だが、細かな足跡の探索はやはり車外に出なければ難しい。
氷の道の脆い部分や裂け目を避け進むことすでに数時間。
ほとんど唯一の手がかりである足跡を見失い、いつもならブラブラととらえどころのないゲオルギィも余裕を失っていた。正真正銘ミドリカワのことを案じているらしいことは問わずとも伝わってくる。
「門術で生命反応を追えないか?」とBIG=ジョウ。
「ご冗談を。ミドリカワは精巧なプラグドロイドですが生命体ではありません」
「……すまん」
「いえ、お気になさらず」
とは言うものの、何らかの門術でも使わないかぎりこれ以上ミドリカワの後を追う手立てはないように思えた。
『兄貴、ゲオルギィの旦那、ちょっといいですか』
トレーラーからスピーカーを通してカブの声が聞こえた。常識的な範囲の防寒服しか着ていないカブは、下手に車外に出てしまうと凍傷にかかるリスクが高い。凍りついた道の行き帰りにカブの存在は欠かせないため、BIG=ジョウは車から出ないよう念を押していた。
「どうしたカブ?」
『まずドローンを四方に飛ばして、何か見つかったらそっちの方に移動するってのはどうッスか?』
そう言われて、BIG=ジョウとゲオルギィは顔を見合わせた。寒さと焦りのせいでそんな単純な方法も頭から抜け落ちていたようだ。
「オーケィだ、カブ。それで行こう」
「お願いします、カブさん」
『へーい』
カブはドローンに指示を飛ばし、ばらばらの方向へと放った。元機工作兵の彼にはドローンの操縦はお手のものだ。
「さて、どうするゲオルギィさんよ。このまま突っ立ってるのも芸がない」とBIG=ジョウ。
「ふむ。ショートカットを作ってみましょうか」
「ショート……何?」
「熱源と地形探査で、地図で言うこのあたりに蜂窩があるのはほぼ間違いありません。微弱ですが主機関樹の反応もある」
「なるほど。蜂窩の住人が何かを知っている可能性があるか……それともすでにミドリカワがそこにたどり着いている事も有り得るか」
「いかにも。ですが、我々はトレーラーの入り込める場所でないとおいそれと前には進めません」
「ここの氷の壁を溶かすかぶち壊すかして進めば大幅に時間短縮ができるってわけか」
「はい」
「でも、この地形探査の結果を見る限り恐ろしく分厚いぞ。溶かせるか?」
「やってみましょう」
ゲオルギィはそう言うと、氷壁に手を当てて体内の霊光を高めた。
ややあって、永久凍土の氷壁が崩れ、もうもうと水蒸気を立てながら液体に変化した。どうやらこれなら行けそうだった。
が、すぐにBIG=ジョウが待ったをかけた。
「ゲオルギィ、駄目だこりゃあ」
「何事です?」
BIG=ジョウのは無言で足元を指差した。氷解して小さな小川となっていた水の流れは、わずかな距離も耐えられず再び凍りついていた。
「ううう~む。これでは溶かしきる前にべつの氷山ができてしまいますねぇ」
「そういうことだ。爆薬で一気に吹き飛ばしたほうがマシだな」
「手持ちはありますか、BIG=ジョウ」
「メタ=プラスキン爆弾か? あるにはあったと思うが……どうだ、カブ?」
マイクでトレーラー車内のカブに話しかけ、BIG=ジョウは無意識に髪を撫ぜた。スキンスーツですっぽり覆っているため、自慢のスキッパースタイルはぺったり抑えつけられている。
『一応積んでますけど、数は多くないですよ。ワイルドハントじゃないんですから』
「十分だ。全部崩せなくてもあとは門術で何とかする」
BIG=ジョウはコンテナの後部ハッチを開け、中に乗り込んだ。荷物が凍結しないようたっぷりとヒーターを効かせている。強烈な寒暖差に、完全断熱を謳うスキンスーツを身に着けてさえ自律神経が悲鳴を上げる。
厳重に封をされたキャビネットから5つメタ=プラスキン爆弾を取り出し、ゲオルギィに手渡そうとした段で、金属のきしみと、数秒後に小さな爆発音がどこかからBIG=ジョウの耳朶を打った。
『兄貴!』
「なんだ?」
『ドローンの1機が破壊されました!』
「破壊だ? 何が起こった」
『地図出します、端末見てください』
言われるままにBIG=ジョウは携帯念話端末のディスプレイを覗いた。どうやらトレーラーの前方に飛ばしたドローンが何者かに破壊されたらしい。位置はそう離れていない。
「BIG=ジョウ」
「ああ、行こう。カブ! お前はそこで待機!」
『へ、へい!』
にわかに緊張感が高まった。
BIG=ジョウはコンテナから一台のマシンでコンテナから飛び出した。
「二輪の”テイクザット”は役に立たないが、この氷上四輪なら行けるだろう。ゲオルギィ、後ろに乗ってくれ」
カブの運転するトレーラーと同じように、何があっても滑るものかというスパイクタイヤを履いている。
ジョウは生身でも強いが、マシンに乗った時はその10倍強い。マシンを駆ってこそのBIG=ジョウなのだ。
「急ぎましょう。予断できませんゆえ」
「ああ、分かってる」
コンテナから出た途端、バギーには霜が降りていく。
そうはいくかと言わんばかりのBIG=ジョウはマシンに霊線を直結して火を入れた。
アクセルを吹かし、スキンスーツの上から羽織った上着が完全に凍りつくのを無視しつつ、BIG=ジョウは苛烈な冷気の中をぶっ飛ばした。
*
「なんだこりゃあ?」
ドローンが破壊されたポイントにたどり着いたBIG=ジョウは、バギーから降りて開口一番素っ頓狂な声を上げた。
そこにはカブの言うとおりドローンの残骸が転がり、霜が降りて真っ白になりつつあった。
「故障や壁にぶつかったワケではありませんねぇ。何者かに真っ二つにされているようです。見てくださいこのヒビ割れの角度を」とゲオルギィ。
「……確かに」
「それにあちらを」
ゲオルギィが指差した方向にはなにやらものすごい量の足跡が残されていた。ビィのものではないし、ミドリカワのものでもなく、まだ完全に氷漬けになっていない。その足跡は氷壁の落ち窪んだ場所に続いていて、そこからは湯気が立ち上っている。地下水脈だ。
「凍った岩盤の下を流れる水脈か……」
「む、あれは……」
「どうした」
「何か死体のようなものが」
「死体!?」
「あそこです」
ゲオルギィの手持ちライト――不死ホタルライトは寒すぎて使えない――が照らす場所には、砕かれた大きな陶器のようなものが転がっていた。完全に凍りついている。
「何だこりゃ」
「おっと、どうやら話している時間はないようですよ、BIG=ジョウ」
「なんだって?」
問いかけたBIG=ジョウだったが、すぐにその意味は分かった。
真っ暗で、水流の音しか聞こえない天然の暗渠から何かが這い出してきた。それは大小様々なカニの姿をしていたが、そうでないことはすぐに見分けがついた。カニ型ヴァーミンだ。
巨大な甲羅に、ビィの手指がそのままが連結されたような左右の脚。粘土でできたビィの手を無理やりこねて作ったような巨大なハサミ。普通の蟹であれば飛び出している眼球の位置に、悶え苦しむように首をひねる単眼奇形の顔が突き出している。
その呪われた肉体の怪物たちは、ぞろぞろ水脈から上陸し、あまりにも冒涜的な左右の単眼でBIG=ジョウとゲオルギィを見た。
バケモノと戦うことには慣れているはずのBIG=ジョウでさえ、このカニのヴァーミンには二歩ほど後退りせずにいられなかった。
その単眼はそれぞれに知性を感じさせるもので、決して本能にだけ基づいてうろついているだけではないことを示していた。芯から凍りつくような水脈で生活してきた彼らの眼の中には苦痛があり、苦痛の中で”生活”しなければならないという、生存する意志が見て取れるようだった。
「BIG=ジョウ、手加減は不要ですよ。連中はヴァーミンです。一匹残せばそれだけビィの生命を奪いに来る」とゲオルギィ。
「言われるまでもねえ」
ジョウは一度ごくりと喉を鳴らし、気持ちを切り替えた。
「極寒上等! すぐにバラバラにしてやるぜ!」
BIG=ジョウは腰に差していたヒートマチェットを抜き、氷上バギーを駆って手近の一体に斬りかかった。
脚の一本が根本から断ち切れて、青い血が吹き出す。
その血すら見る間に凍りつき、青い柱が出来上がった。
ビィとヴァーミン。
敵対するふたつの種族は、そうする以外初めから無いように互いの生命を奪い合う運命にある。
それたとえどれほど厳しい環境下であろうとも。




