10 老兵は死なず
真相は旅の中に。
深層への旅の果てに。
――”バードウォッチャー”エマニュエルの詩より抜粋
ローブを着た兵士たちの一群が湖の中央にある水上プラントへと突入した。
するやいなや門術と銃の斉射で吹き飛ばされた。攻撃はプラントを守る衛兵たちによるもので、ローブ兵士たちを足止めするに十分なものだった。
「まさか本当に現れるとはな……」
隊長格にあたる見事な体格の男が、複雑な表情でボロ切れのように死んだローブ兵士と、湖の水際にいる得体のしれない女と、老人とを見比べた。
彼ら衛兵は元々プラントを警護する立場のビィだが、今日に限っては完全武装の上、非番の者までかき集めた特別編成になっている。
命令自体は公立警察からのものだが、根拠となったのは奇妙な老人から警察上層部へのアドバイスによるものだと聞かされていた。男にとっては今の今まで納得の行かない命令だった。しかし実際にテロリストが現れ予断を許さない状況となっている。
「いったい何者なんだ、あの爺さんは?」
隊内の誰もが抱いていた疑問だ。
答えられるものは誰もいなかった。
*
「おーう、ようやく来たか」
死なない老人はビーンズとウォルトの姿を見つけると、場違いにのんきな声で言った。
「どういうことだ! 何でアンタ生きてるんだ!? ディズはどうなった!!」
「ワシの」
老人はローブ姿の操り人形たちにスチル=プラスキン合金製の剣でめった刺しにされ、死んだ。
「……ことはどうでもよろしい。この被り物どもをなんとかしてくれ。邪魔で敵わん」
またも平気で生き返り、老人はビーンズたちに怒鳴った。もはや全く死ぬ様子がない。
「あ……ああ、分かった。行くぞウォルト」
「……どうなってるんだ、あの爺さん」
「考えるのは後にしろ! 俺もそうする!」
*
「相変わらずしつこいお人ね」
ローブ兵士たちがいくら群がろうと一向に倒せる様子のない展開に業を煮やしたのか、魔女オズワルドが老人へと踊りかかった。その手指からは暗紅色の爪がナイフのように伸びている。
金切り音をたてて空気を引き裂く爪と老人のごつい杖とが激突し、強烈な火花が飛び散る。
「いい加減! 死んでしまいなさい!」
オズワルドが老人の頭上に瞬間移動し、しわびた首をえぐりとった。また老人は死んだ。が、今度も傷ひとつなく生き返り、杖の先端でオズワルドの脇腹を突いた。
魔女はその攻撃を瞬間移動ですり抜ける。
「くっ!」
オズワルドは脇腹を押さえ、大柄な体をよろめかせた。瞬間移動より一瞬速く突きが決まったか、あるいは何らかの手段で瞬間移動中に干渉するものだったのか。傍目には何もわからない攻撃だった。
「しつっこいのはお主も同じであろう」
老人はカツンと杖で地面を打った。白く長いヒゲをすっと整え、オズワルドを静かに睨みつけた
「さあ、どうするね? どちらかが死ぬまで殺りおうてもいいぞ? もっともワシは少々死ににくい体質だがの」
「面白い冗談ね……」
オズワルドは目に見えるほどの殺気を揺らめかせながら立ち上がり、再び暗紅色の爪を震わせた。
*
魔女と老人が異常な殺し合いをしている中、ローブに操られた哀れな兵士たちは残存戦力全てで湖中央の水上プラントへと殺到した。プラントの衛兵たちも全力で応戦するが、死を全く恐れない上に完璧な連携を取るローブ姿の兵士たちの波状攻撃に少しずつ人員を削られつつあった。
――まずいな。
衛兵隊長はきり、と奥歯を噛み締めた。人数は敵方のほうが多く、残弾が減りつつある。まともなテロリスト相手ならば問題のない陣形のはずが、逆に押し込まれている始末だ。
すでに本部に応援を要請したが、謎の集団による同時多発テロがマハ=マウライヤスのあちこちで起きているため対応が難しいという返答があった。
――謎の集団か。そいつらもおそらくローブを着ているに違いない。
隊長は確信に近いものを抱いていた。全てがはじめから仕組まれていると。
異常事態だがそのことを考えるのはお偉方でいい。自分はこのマハ=マウライヤスの至宝たる水上プラントを守らなければならない。
絶対に。
聖蜜が収められた、この水上プラントだけは。
そのとき、ローブ兵士の一群が陣形を組み直して霊光をみなぎらせた。その数およそ20。
「まずい!」
誰かの叫び声が上がったが、すぐにかき消された。
水上プラント前面に張られた複層バリケードが強烈な熱により根こそぎ蒸発してしまった。ローブ姿のビィたちが太陽の門を一斉に開き、熱線を束ねて照射したのだ。
――なんということだ。
隊長は強烈な輻射熱を浴び、左腕が消滅していた。隊員も数名が巻き込まれて影も形もなくなっている。
もう一発受ければ、衛兵隊は総崩れだ。
「攻撃の手を緩めるな! 二発目をくらえば終わりだ!」
腕を失ってなお勇猛な指示が響く。
一方、ローブの一群は再び霊光を赤々とみなぎらせる。
再び熱線が放たれる――その直前、陣形が大きく崩れた。背後から連続した銃声が聞こえる。誰かがローブ兵士たちを後ろから撃っているのだ。
「できればローブを引き剥がして中身は救ってやりたいところだが……」
銃口から立ち昇る白煙を吹き散らしつつ、ビーンズはアサルトライフルのマガジンを交換した。
「悪いな、運がなかったと諦めてくれ」
トリガーが引かれ、放たれる銃弾でさらに数人がローブからの束縛から開放された。
その隙を縫い、ウォルトが急加速して一陣の中へ滑りこみつつサブマシンガン二丁撃ちで息の根を止めていった。ローブの中身はおそらく全員が単なる一般住民だろう。寄生する生きたローブだけを殺せるならそうしている。だが今は無慈悲にならざるを得ない。
ウォルトは一瞬だけ老人と相対するオズワルドの姿に視線をやった。
攫われたディズを無事に取り戻すなら、無辜の血を頭からかぶってもかまわない。もはやそう覚悟を決めた。
水上プラントを守護する衛兵隊は突然の展開で一時的な混乱に陥ったが、すぐにビーンズたちの意図を察して挟撃に出た。
銃弾と門術飛び交う戦場となった摩天湖は、平時の静謐とした美しさを蹂躙され、血と炎で朱に染まった。
*
ごつい杖を振るう謎の老人と、金属の軋む音を奏でる爪を生やした魔女。
その攻防は、ただのビィ同士のものとは一線を画していた。
オズワルドの爪が老人の胸を、腹を切り刻む。血を吐いた老人が死ぬ。死んだ直後には何事もなかったように生き返り、恐ろしく鋭い突きと払いで魔女の頭を打ち砕く。しかしオズワルドは瞬間移動しそれをかわし、新たな一撃を老人に打ち込む。
この繰り返しである。
普通ならもう百回は決着がついていなければならない。
ふたりの間では、その倍以上の死の交錯を経ても勝敗が見えないようだった。
いったい何度打ち合ったのか、爪と杖がかち合ってふたりは互いに後方へ弾き飛ばされた。
にわかに沈黙が横たわった。
「やれやれ、前よりも腕を上げたか」
老人は己の衣服の肩口に血痕を見つけ、呼吸を整えた。自らを”死ににくい体質”と称する老人はいくら血や腹わたを撒き散らそうが、服を引き裂かれようが、一秒後には何事もなかったかのように元通り直ってしまう。まき散らされた血飛沫も何もかもが。
だから血液が衣服にこぼれることもない。
それがこうして血に染まっているということは、わずかながら”生き返り損ない”が発生していることを意味する。
「この程度腕を上げたくらいでは通用しない――とでも言いたげね?」
オズワルドは挑発した。
「その血は最初のひと噛みにすぎない。まだまだ、こんなものでは済ますつもりはないわよ」
「どうかな? 流石に息が上がっておるようではないか魔女さんよ」
老人の言うとおり、魔女オズワルドの呼吸は乱れ、額からの汗でわずかに化粧が崩れていた。瞬間移動の使い手であるオズワルドに対しては、門術を含めたありとあらゆる攻撃が通用しない。通常であれば絶対的な戦闘能力であるが、体にはいくつかの痣ができている。
予備動作もなく、いくら跳躍しても消耗しないかと思われたオズワルドの能力も、短期間に百回以上に渡って使っていればエラーは出る。老人はそのわずかな隙を見逃さず、杖を突き入れて反撃しているのだ。
「ま、お互いこのくらいが限界かの。最後の勝負と行こうではないか」
「望むところよ」
再び超人的な打ち合いが再開された。
まずオズワルドが瞬間移動した。一瞬の、さらに100分の1の速さで地面すれすれの軌道を描いて老人の片膝を破壊する。そんなことでは老人は死なない。反撃の杖をを突き入れた顔面へと突き入れようとした。その杖の先端は、しかし空中でピタリととまった。
一瞬の判断だった。
オズワルドの手には、閂刻印済みケージが掲げられ、その中には眠りこける赤ん坊が閉じ込められていた。ディズだ。どこかに隠していたディズのことを瞬間移動能力で呼び出したに違いない。
老人の一瞬の躊躇を、魔女は見逃さない。
超高速振動する暗紅色の爪が、老人の腹に突き立てられた。
むう、と鈍い声が漏れる。老人の”死ににくい体質”を超えてダメージが入った瞬間だった。
「さあ、今度こそ死になさい!」
左手でケージをもたげ、右手が再び金切り声を上げた。このままでは、何度死んでも蘇る老人といえどダメージを無効化できない……。
と、その時。
銃声が響き、魔女の左腕が肘のあたりで吹き飛んだ。
吹き飛んだ己の腕を呆然と眺めるオズワルド。そして老人。
撃ったのはビーンズだ。プラグド化された右目を全開にして射撃能力を高め正確に腕だけを狙い撃ったのだ。
ちぎれた腕に掴まれたままのケージはそのまま落下し――地面にたたきつけられる前に猛烈なダッシュでウォルトが滑り込み、ディズが目覚める前にキャッチした。
「お前たち……!」
魔女の顔が狂的に歪み、判断力にわずかな間違いが生じた。ビーンズたちなど無視して老人の臓腑をえぐっていれば彼女の勝ちだったはずだ。
老人は見逃すこと無く魔女オズワルドの膝を正面から砕き、そのまま杖先を跳ねてあごにクリーンヒットさせた。
「ぐっ」
押し殺した悲鳴が、食いしばった歯の間から漏れた。
「この場は引いてもらおう、オズワルド」
老人は腹を押さえた。指の間から血が漏れ伝う。
「……何?」
「続ければお前も死ぬぞ」
オズワルドは沈黙した。左腕をちぎられ、膝を破壊された状況ではいかに瞬間移動を使えても限界が来るだろう。
「フン」
あからさまに苛立ちを露わにしながらも、切れそうな理性でそれを抑えた。
オズワルド残った指を鳴らし、何かの合図をした。ローブを纏ったビィたちの、ローブだけが突然引き剥がされ、蛾のように空中を踊った。それらはたばたと羽ばたいて、オズワルドの体を包み込んだ。
「……覚えておきなさいペザント。次こそはあなたの心臓を握りつぶしてあげる」
そして――後にはローブもオズワルドも瞬間移動でかき消え、何も残っていなかった。
*
「いやあ、今度ばかりはダメかと思ったぜ」
ビーンズが興奮冷めやらぬ様子でいつもより甲高い声で言った。
「精密狙撃ができる眼を持っててこれほど良かったと思えたのは初めてだ!」
「運が良かった……と言っていいのかな」とウォルト。
「何がだ? 運も実力のうちって言うだろ?」
「無関係のビィをこれだけ殺したんだ。いくら覚悟を決めていても、な」
「それぞれ思うところはあるじゃろうが……」
謎の老人が割って入った。腹の傷と血の跡は、まだ完全には癒えていない」
「女王の子と聖蜜を奴らに渡すよりはずっとマシじゃ」
「もしそうなっていたら、何が起こっていたんだ?」とウォルト。
「女王の子はな、聖蜜を触媒にして特別なチカラを発揮するでの」
「触媒?」
「伝承では世界を改変する力――と言われておる。実際に何が起こるかはともかく、強く希少な力じゃ。そんなものをオズワルドのような者に渡すわけにはいかん」
「……よくわからんが、ディズと聖蜜、両方を守らないと行けないということだな?」とビーンズ。
そういうことだの、と老人は答えた。
「ところで、こんどこそ教えてくれ」
「何じゃ?」
「爺さん、アンタ何者だ? 俺たちの味方、ってことでいいんだよな?」
「そのようなものじゃの」
「ちょっと待った、父さん」とウォルト。
「どうした」
「さっきのあの女、捨て台詞でアンタのことを”ペザント”と言っていたな?」
「ペザント? 聞いた名前だな。ペザント……?」
「そう、ペザントだ。父さん、どうやらおれたちは伝説の一端にふれているらしい」
ウォルトはやや前のめり気味に言った。
「”百年の旅人”ペザント。そうなんだろ、爺さん」
「ははは、確かにそう呼ぶ物もおるのう」
「オイオイオイ、本当かよ。話だけは聞いていたが、まさか実在の人物だったのか!」とビーンズ。
「伝説は真実の一端を握る。そういうこともあるということだの」
老人ペザントはそう言って、おおらかな笑い声を上げた。
*
ディズは無事取り戻せたが、またオズワルドか他の誰かに狙われる危険を排除できない。
マハ=マウライヤスにとどまるのは危険だ。そこで、ウォルトがペザントに師事する形で老人に同行し、旅をしながらディズを育てることになった。
骨の髄まで探索者であるペザントは、同時に迷宮惑星全体でも並ぶもののいない老人でもある。
ディズだけを預けることも案として上がったが、ウォルトはなんとしても自分の手でディズを育てたいと主張した。
「それじゃ父さん、また来るよ。成長したディズを連れて」
「ああ。期待してるよ、ウォルト」
父子は強く握手を交わした。
「すまんな、ペザント爺さん。こんなことに巻き込ませてしまって」とビーンズ。
「気にするな。ワシは百年以上旅をして過ごしたが、中々出会うことのない状況じゃ。楽しみが増えたわい」
話したいこと、聞きたいことはいくらでもあった。だがオズワルドか彼女と同じような怪物クラスの敵が現れるかもしれない。名残惜しいが早めに出発することが決まった。
「また来い、ウォルト」
「ああ、父さん」
「よし、行くぞえ」
ウォルトとビーンズは、わずか数日の再会ではあったが、自分たちにまだ絆が残っていることを確認し合えた。
暗い天井に光導版の日が灯り、一日が始まる。
ビーンズは別れの前の最後に、ディズの柔らかい頬を撫ぜた。
ウォルトはペザントの背中を追って、再びビーンズの元を離れた。
あの時は振り返ることもなかったが、今度の別れには笑顔があった。
ビーンズは再び私立警官に戻った。結局、自分にはこれしかない。
十分だ。
根っからの警官で、それが自分にとって当たり前の姿なのだ。
当たり前の姿で、いつか帰ってくるふたりを迎えよう。
ビーンズは軽く笑みを浮かべ、マハ=マウライヤスの雑踏に消えた。
ネーウスの章 おわり




