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迷宮惑星  作者: ミノ
第01章 カウラスの章
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06 エリファス

広すぎる。長すぎる。遠すぎる。


――名も無き探索者が壁に残した遺言

 はっと飛び起きて、激痛のあまりニューロの意識は再び遠のきかけた。


「無茶するダメ、腕ちぎれかけ。寝てる、続けて寝てる」


 強い訛りのある女の声が枕元からした。首を傾けてそちらを見ようとしたが、傷口にじわりと血が滲み始めるのがわかった。身体の右半分が熱を持っていて、きつく包帯が巻かれている。


 ――そうだ、ヴァーミンに殴られて……。


 オケラ型ヴァーミンのトゲ付き棍棒のようなパンチを受け、側頭部から肩にかけて無茶苦茶にされた。生きているのが不思議なくらいの大怪我のはずだ。おそらく右耳はそげてなくなっている。


 その時の状況をニューロはおぼろげに思い出した。


 ジョン=C。


 ジョン=Cは死んだ。死んで死体を食われた。一緒に育ってきた兄貴分はもう死んでしまった。


 フラー。


 フラーはあのバッタに乱暴され、それから……どうなったのだろう。確かめなければいけないが、悪い結末が待っているようにしか思えない。


「あなたはいったい……」


 涸れた声で、ニューロは気配だけ感じる女に声をかけた。


「探索者だヨ」


 聞きなれないイントネーションで、黒檀革のボディスーツ姿の人物が答えた。


 ニューロは返答に困った。声からすると若い女のようだがニューロが育ってきた環境ではフラー以外に同年代の女はいなかった。


 彼女の訛りはおそらく遠く離れた場所の生活共同体に属しているせいだ。交流が数百エクセルターン断絶していれば喋る言葉さえ変わってしまう。それでも全く通じないよりはずっとマシだ。


「あナた、どこから? この辺りに蜂窩ハイヴある? そこから来たカ?」


 ニューロは横になったままうなずきかけて、やめた。首を動かすだけで引き攣るような痛みが走る。


「……はい。ここから少し離れた、レティキュラムという蜂窩ハイヴから来ました。その……電源ユニットを探しに」


「おお、レティーキュラム、レティーキュラム。実在してたね、まだ。助けてミルもの、ありがたさ」


 女の声は明らかにはしゃいでいて、ニューロは少しだけ嫌な気分になった。ジョン=Cが殺されたんだぞ。


「わたし、レティキュラム、する。ケガの治し終わり次第出発希望、案内希望、あなた?」


「えっと……」


 ニューロはまた返答に困った。女はレティキュラムに行きたくて、その道案内をさせたいらしいことは理解できた。だがこの重傷では立ち上がることもままならない。


 それにフラーのこともある。


「アー……カノジョね。すすめるよ、わたし」


「すすめる?」


「……見ない方を、ネ」


 何も言えなくなった。


 フラーの死体なんて、見たくない。


     *


 高い熱が出て、ニューロの意識は混濁した。


 二度ほど包帯が変えられ、門術ゲーティア標準治癒モデレートパッチでの治療が施された。


 何度も夢を見て、悪夢を見て、いい夢を見て、涙が勝手に溢れ、ニューロは目を覚ました。


     *


 黒スーツの女は漆黒のフルフェイスヘルメットを指先で小突いた。


 するとヘルメットはさらりと無数の糸の集合体になってほどけ、灰色からプラチナ色に変わって長くこぼれ落ちた。漆黒のヘルメットは、女の髪の毛が巻き付いて硬質化したものだったらしい。


「カンセンショーの可能性あったからヘルメットつけたママ、謝罪」


 そう言って素顔を晒した女は、ニューロが生まれてから見てきたものの中でもとりわけ美しいと感じた。フラーと同じくらいに。


「エリファス。私の名前」


 漆黒のスーツに漂白したような長く白い髪。高い背丈のわりに小さい顔。その目は大きく、虹彩が不思議なグラデーションの緑色に発光している。眉間の左右には強化感覚器が埋め込まれていて、彼女が普通のビィではなく機械化種プラグドだと示している。


「どしたカ?」


 呆けたようにしていたニューロをエリファスが覗き込んだ。


「わあ!」


 顔が近い。ニューロはうろたえた。行動が唐突だ。


「もう経ったらあと少し、出発オーケイ?」


「お、オーケイ……です」


 半死半生から脱したが傷口は完全にはふさがっておらず、本心ではオーケイではない。ただ、このままじっとしていたら新しいヴァーミンが襲ってくる可能性がある。安全を考えれば無理をしてでもレティキュラムに戻り、そこで治療に専念したほうがいいかもしれない。


 ニューロは決意して『大地の門』を開き、門術ゲーティアで傷口を強引に押さえこみ固定した。


 瓦礫をどかして埋めたフラーとジョン=Cの墓標に別れを告げ――2エムターンの距離を死体ふたつ抱えて移動するのは無理だ――エリファスの道案内を務めることにした。


 かつては前線基地だった場所からの去り際、金剛環に仕掛けた爆薬が破裂した。


 使い物にならなくなったガラクタを、ニューロは振り返りもしなかった。


     *


 霊光レイ・ラーを操作できるビィは門術ゲーティアを使うことで負傷を治せる。


 ニューロは道すがら常に治療術を右半身に集中させ続け、傷を癒やした。


 それでもちぎれかけた右腕は使い物にならなくなる可能性が高い。


 そうなれば彼女と――隣で無邪気によく喋る凄腕の探索者、エリファスと同じく機械化種プラグドにならざるを得ないかもしれない。


     *


 エリファスは”渡り”だった。


 別の大迷宮からやってきた異邦人のことをそう呼ぶ。訛りが強いのは出身の迷宮が別だったせいだ。


 渡りは普通のビィには簡単にできることではない。探索者の一握りだけがそれを可能にする。自力で大迷宮を突破して別の大迷宮まで移動するか、転位ポータルを使ってテレポートするしか手段がないからだ。迷宮の中で都合よく他の迷宮と接続されたポータルに出くわす可能性は……まあ運次第といったところだろう。


 エリファスは後者だった。


「フカギャクねー。困るから、探していた誰か住んでる蜂窩ハイヴ


 つまり一方通行のポータルでテレポートしてしまい、元の場所に変えるに帰れなくなったということらしい。


 蜂窩と言うのは、ビィたちの居住空間を意味する古い言葉で、ニューロは高齢の古老たちが話しているのを聞いたことしかない。


 手持ちの装備をほとんど失った状態でカウラス迷宮のどこかをさすらい、偶然ニューロたちがヴァーミンに襲われている所に出くわしたのだという。信用していいのかわからない話だが嘘をついて得をする状況でもない。ヴァーミンには何も通じなかったが、このエリファスはヒトの心を持っている。それだけで十分だとニューロは警戒心を解いた。


     *


 レティキュラムへの帰途、もう必要なくなったフラーとジョン=Cの装備から水とハニーバーを分けあいながらエリファスの訛りのある言葉を聞いている内に、次第に耳が慣れてきた。


「私、もともとウーバニーの出身ネ? ポータルしないと戻るの無理し。こっちでどうするか……」


 エリファスは、そこで初めて不安げな表情を見せた。ほんのわずかの間ではあったが、ニューロには印象的に写った。彼女は命の恩人だ。ケガが癒えていない状態ではどうにもならないが、恩を返さなくてはと思った。


 フラーとジョン=Cふたりのためにも、それまでは死ねない。


     *


 大怪我を押しての強行軍ではあったが、ニューロの傷は少しずつ回復していった。


 半日ほど進んでは休憩して門術ゲーティアでの治癒と包帯の交換。包帯は『大地』の門術ゲーティアで周囲にある素材を変換して作り出す。


 もともとビィの肉体は頑健にできている。当たり前の動物ならショック死していてもおかしくない大怪我でも運次第で生き延びられるし、歯や指くらいならまた生えてくる。さすがに腕一本自力で生やすのは不可能だが。


 ともかくそうしてエリファスとふたり、レティキュラムへ向かい、片言の彼女と色々なことを喋った。エリファスはとてもおしゃべりだった。


 彼女の話は新鮮だった。


 探索者としてのキャリアも5エクセルターン以上違う。修羅場をくぐり、仲間を失うこともあったという。ちょうど今のニューロのように。ウーバニーの蜂窩ハイヴの、独特の横穴式住居の話や、迷宮に巣食う敵性体の種類の違いについての話を聞いた。屍毒ウサギ(プトマインヘア)の恐ろしさや巨獣種メガロドワーフの信じられない大きさ……。


 フラーとジョン=Cにも聞かせてあげたかった。


 あのふたりならどんなふうに反応しただろう?


     *


 来たときにも渡った白砂漠で、ニューロたちはまたしてもヌーワーム(水牛ミミズ)に襲われた。それも口を怪我して動体に火傷痕のある顔なじみの個体だった。


 ヌーワームは、今度こそ完全に死んだ。


 エリファスの超硬電磁ワイヤで4等分に輪切りにされ、白い砂上にばらまかれて。


 エリファスは本当に強い。戦闘力が桁違いだ。


 技藝の聖樹(スキルツリー)が枝葉を伸ばし、花を咲かせ実を結ぶということがビィにとってどういう意味を持つのか、ニューロはまざまざと見せつけられた。鍛えればここまで強くなれるのだ。


     *


 2エムターンが過ぎ、ニューロたちはようやくレティキュラムの街にまで戻った。


 深い深い縦穴をゴンドラに乗って上がる最中、ニューロは耐えられなくなって眠りに落ちた。


 フラーとジョン=Cと、昔の3人の暮らしが夢に現れて、眠りながら涙がこぼれた。


 頬の涙をそっとエリファスに拭われたことをニューロが知ることはなかった。


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