07 襁褓
女王の子というくらいだから母親は女王であるはずだ。
しかし実際にはただの女の股から生まれる。
女王とはいったい何なんだ?
――とある胎蔵槽メンテナンス要員のつぶやき
根の国の薄汚い街路を歩くビーンズは、強い緊張感の只中で意識が過去へと揺らいでいた。
――俺ァ、良い父親ではなかったな。
20エクセルターン前、成体式を迎えたばかりのウォルトが自分のことを振り返りもせず家を出て行ったことを思い出す。
新世代のビィを養父母として一人前に育てることは、それ自体が確かな身分の証明になる。当時は公立警官として中の下の暮らしをしていたビーンズにとって、子育てはもっと上層に食い込むための手段でもあった。
だからといって全てが打算ではない。長く一緒に生活を共にしていれば愛情が湧く。我が子として幸せになってほしいと願う。そういう自然な心の働きがビーンズにもあった。
問題はもっと以前の幼齢の頃だ。
ビーンズは毎日警官の責務に没頭し――そういう年齢、そういう時期にあった――預かったばかりのウォルトに十分接する時間がなかった。
養母を務めるパートナーがいれば、そんなことにはならなかっただろう。ビーンズはそう後悔するが、今となってはやり直しは効かない。
別に虐待したわけでも育児放棄というわけでもない。よくある”子育ての悩み”の一場面だ。その悩みは、結局ウォルトにのしかかり、解決することなく大人の仲間入りをさせてしまった。
ウォルトが探索者としての人生をどう歩んできたかはわからない。
落ち着いたら聞きたいところだが――ウォルトは話してくれるだろうか?
と、回想を切断する気配が首筋に刺さった。
――釣れたか?
根の国をブラブラと目立つように歩きまわっているのは、ローブ姿の連中を釣るためだ。
わざと襲わせ、返り討ちにして今度こそ正体を暴く。同業者のヴァインの情報が確かなら、ローブそのものが生物のように振る舞って寄生しているような仕組みになっているらしい。中身は無視して、ローブの方を捕まえるための危険な散策だ。
後ろからいきなり撃たれることも覚悟するしか無い。それでもビーンズが役目を買って出たのは、乳飲み子のディズを抱えたウォルトを危険な目に晒す訳にはいかないからだ。
コートの懐にしまった拳銃を確かめ、ビーンズは小走りに街路の裏通りに消えた。
勝負は三秒で決まる――尾行を振り切られたことに気づいたローブ姿が裏通りに顔を出すのを待ち、発砲して身動きを封じる。それからローブを剥ぎとって、それが本当に生き物なのかどうかを暴く。
作戦は単純だが、敵はどんな手段で攻めてくるかわからない。危険がともなう。
ぐっと息を飲んで銃を構えた。
が、引き金を引くタイミングは全く予想もしなかった形で逸した。
裏路地に姿を現したローブ姿のビィふたりが、軟質プラスキン製のボールみたいに弾き飛ばされ、壁の間をバウンドして地面にたたきつけられたのだ。
「こいつらでよかったんじゃろ?」
しわびた声が聞こえた。
路地裏ににゅっと顔を出したその男は、伸ばし放題の白髪と胸までたれたヒゲが特徴的な老人だった。180エクセルターンと言われるビィの平均寿命を鑑みるに少なくとも150歳以上であろう。大量の荷物を背中に背負い、押しつぶされてしまいそうに見える。
「どーうも妙なやつらじゃからこっそり後をつけてみてな。目的はあんたかと思ったけど、違うかね?」
「いや……アンタの言うとおりだ、爺さん。その、いったいどういうことだ?」
「なあに、ワシの方でもちょっと用事があってのう。この……こいつだ」
老人は失神しているらしい男から引きちぎるようにしてローブを剥ぎとった。
ギィ、と妙な音がした。生き物のうめき声のような。
「ほうれ見てみろ」
老人はべしゃ、と地面にローブの残骸を放り捨てた。
「ははぁ、コイツは」
確かに生き物だ、とビーンズはうなった。
剥ぎ取られたローブは所々がちぎれ、妙な色の体液をこぼしている。裾がゆらゆらと震えるさまは、ヴァーミンの擬態か何かのように見える。
「ふむ、たしかに生き物じゃのう」と老人。
「爺さん、アンタこいつらが何なのか知っているのか?」
「んー……知ってるといえば知っておる」
「どういうことだ、そりゃあ」
「ま、気になさんな。それよりちょいと聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「この都市に来るのは久しぶりでの。主機関樹にはどうやって行けばいいんじゃろうのう?」
ビーンズは気の抜けた表情になって、垂直列車のある大通りへの行き方を簡単に教えた。
「うむ、助かった」
「そりゃどうも。こっちは一応警官なんでね」
「警官か。ははは、そいつあいい」
そう言うと、老人は背中の荷物から束になったタオルか何かを袋詰で手渡した。
「これは?」
「お礼の粗品。必要な物じゃろ」
「必要……?」
「なあに、すぐに分かる」
そう言われて、ビーンズは戸惑った。ギリギリで顔に出さないようにはしたが、この老人の立ち居振る舞い、言葉遣いの端々に只者ではないものを感じた。根拠の無い勘だが、この老人は事件の真実にちかい場所に立っているのではないか。
まさか渡された荷物に爆発物でも混ざっていないかとプラグドの右目を作動させる。ただの紙と布と圧縮吸水プラスキンの束で、それ以上のものではなさそうだった。
「じいさん、アンタいったい……」
問いかけようとしたビーンズは、目を丸くした。
老人の姿はすでにどこにもなく、後には破れかけのローブと、それに包まれていた二人組のビィの情けない姿だけだった。
*
「改造されたヴァーミン?」
湿っぽい廃屋にウォルトの声が響いた。
「ディズを狙っているのはヴァーミンなのか?」
問われたビーンズは肩をすくめ、それはわからないと返した。
ビーンズは謎の老人と話をしたあと、人目につかない廃屋に隠れたウォルトと合流し情報を交換していた。生きているマントを、懇意にしている――貸しがあるともいう――鑑定屋に調べさせたところ、ヴァーミンの体を使った一種のキメラであるという結論が出た。それをそのまま伝えたものの、ビーンズ自身理解に苦しむ所があった。
女王の子をヴァーミンが欲するというのはあり得なくもない。
ビィの敵対者であるヴァーミンが、極めて珍しく、かつ特殊な能力を生まれつき備えた女王の子を奪って何かに利用する。そういう目的であれば、殺害より誘拐を狙うという理屈は通る。
マハ=マウライヤス蜂窩は推定12億のビィが住む超巨大都市である。暗黒都市などと呼ばれているように特に地下層は混沌も極まっている。少数のヴァーミンがこっそりと潜入してくることは可能な範囲だろう。
「だがそれなら機械化に疑問が残る……ここだ。ローブの首の後に当たる部分には着込んだビィを催眠洗脳する機能が付いているらしいんだが、同時にマント自身の制御に使うパーツでもあるようだ。これを見てみろ」
ビーンズが腐りかけた床にローブを放り捨てると、ボロ切れのようなそれはもぞもぞと這い始めた。平面ネズミのように素早い動きでビーンズたちから逃れようとするも裾を踏まれてそこから先に動くことができない。それならば、とでも言うように生きたローブはただの布にはあり得ない動きで鎌首をもたげ、ビーンズのことを乗っ取ろうと跳びかかった。
「フン!」
待っていたのはビーンズの年季の入ったカウンターパンチで、機械パーツが正面からめちゃくちゃに壊れた。
同時に糸が切れたようにローブは沈黙し、泥を吸った汚らしい布切れになった。
「見ての通りだ。プラグドされたパーツを破壊すれば、活動自体が停止する」とビーンズ。
「結局これは何なんだ、父さん?」
「なんとも言えんなあ……ヴァーミンの仕業か、ヴァーミンを利用した誰かの仕業か……」
「あと、その妙なじいさんっていうのは? 何を受け取ったんだ?」
「ああ、これな……」
ビーンズが袋詰の”粗品”を引っ張りだそうとした途端、寝かしつけられていたディズが急に大声で泣き出した。
「参ったな」
「どうした」
「オムツが汚れているんだが、替えがない」
「ウォルト、こいつを使え」
「うん? これはその爺さんにもらったって……」
「そうだ。いったい何なのかわからなかったが、そいつぁ赤ちゃん用のオムツだ」
「……そんなもんどこから」
わからんがとにかくオムツだ、とビーンズは子供のように笑った。
一方、ウォルトは訝しんだ。”赤ちゃん”は存在自体が希少なので、マーケットで乳児用オムツを手に入れるのは不可能にちかい。これまでは成体用のオムツを継ぎ接ぎして無理やり使っていたのだが、ローブ相手に逃避行を続けるうちストックが切れていたところなのだ。
「父さん、アンタその爺さんにディズのこと話したのか?」
「そんなこと口にはせんよ」
「じゃあなんで狙いすましたようにオムツを渡してきたんだ?」
「それは……おい、とりあえず先におむつを換えてやれ」
大声で泣きじゃくるディズの声がひときわ大きくなった。慌ててウォルトは汚れたオムツ脱がせ、老人から手渡された白く清潔な乳児用オムツを履かせてやった。
「そういえば、すっかり聞きそびれていたな」
「何だ」
「この子、男の子か? 女の子か?」
「どっち……に見える?」
「場末のホステスみたいなこといってんじゃねえ」
「真面目な話だ。父さんはどっちだと思う」
「あン? うーん……女の子だと思ってたが」
「おれは男の子だと思う」
「思う? お前いったい何を言って」
「この子には性別が無いんだ」
ウォルトはそう言って、泣きつかれたディズの額にかかる髪を払った。
*
女王の子は胎蔵槽で通常生まれてくる子供と様々な点で違いがあるが、そのひとつが性別に関することである。
女王の子は、生まれたばかりの頃は性別が存在しない。成長とともに特徴が現れるとされている。そのきっかけは誰にも――本人にさえわからない。
無性体として生まれることを妻のラケルからあらかじめ聞いていなければ、ウォルトはパニックを起こしていただろう。
ディズはまだ男でも女でもない。
せめてそれがはっきりするまでは決して死ねないとウォルトは誓っていた。自分の目でそれを見るまで、ディズは誰にも渡さないし自分も殺される訳にはいかない。
そう思っていた。
今は少し違う。
ビーンズも絶対に死なせてはならない。
孫が男か女か判明するまで。




