06 ナンオブマイビジネス
根の国こそがネーウス迷宮最大のダンジョンと言う奴がいる。
別に異論はない。
――マハ=マウライヤスの名も無き住民の言葉
「医者や公立警察に関わるのは危険だ。奴らはグルになっているか、それとも門術で操られている」
ウォルトは苦悩をにじませた。病院で殺された妻ラケルのことが脳裏をよぎったのだろう。
「あのローブの連中は?」とビーンズ。
「それこそ謎だ。何人かローブをひっぺがして顔を見たが、特にどうということもない一般人にしか見えなかった……子供みたいに若い奴もいれば、こっちが不安になるくらい痩せた老人だった奴もいた。共通点はさっぱりだ。おまけに奴らは言葉を一切喋らない。そのくせ連携がとれる……まるで全体でひとりの生き物みたいに」
誰を信じたらいいのかわからないんだ、とウォルトは疲労で血色の悪くなた顔をなでた。
「絶対に安全なところなんて思いつかなかった……」
「それで俺の事務所に?」
「すまない、巻き込む気はなかったんだが」
「ま、いまさら言ってもしょうがないこった」
「……力を貸してくれ。このままじゃディズをまともに育てられない」
「ああ。それは承知してる。だが……突然凶暴になった医師に謎のローブ、か」
「なにか思い当たる節でも?」
「いや、わからん。ただ、あのお揃いのローブを着ている連中な」
「うん?」
「問題なのは”誰が”着ているかじゃなくて、着ているローブのそのものかもしれん」
それを聞いて、ウォルトは様々な感情のこもった唸り声をもらした。
「着ている奴じゃなくてローブのほうが本体だとしたら……なるほど。ローブが洗脳装置と念話増幅器を兼ねているなら、中身に共通点がなくても関係ないし、喋らなくても隙のない連携が取れる」
「仮定の話だがな」
ビーンズは懐からオガクズタバコを無意識に取り出そうとし、ウォルトの腕の中で眠るディズを見て手を止めた。
「誰かは知らんが黒幕が狙っているのは明らかに”女王の子”だ。母親を……ラケルさんを殺したのはあくまでついでだろう」
「この子の特別な能力を手に入れたがっている?」
「それ以外には考えられない。問題は、この蜂窩でその子をさらって何をしたいのか、どんな得があるのかだ」
「得?」
「得もないのに手を汚したりはしない。黒幕がいたとして、そいつは多少の死人が出ようとお構いなしにディズを手に入れようとしている。殺そうとしているのではなくさらおうとしているのは明白だ」
そう言うと、ビーンズは血まみれになった筒状の金属と、折りたたみ式の鳥籠のようなものを半壊したデスクの上に置いた。
「閃光眩惑弾と閂刻印済みの小型ケイジだ。ここを襲った連中の死体に紛れてた」
なるほどな、と言ってウォルトは頭を抱えた。
「ケイジに入れて連れ去ろうってことか……どうやらマハ=マウライヤスにいる限りはこの子は狙われ続ける運命にあるらしい」
「だがチャンスはある」
「どこにだ」
「その子を生きたまま狙っているのなら、下手な攻撃はしてこないってこった。死んだら意味がないからな。それを逆手に取る」
ビーンズの言葉を知ってか知らずか、ディズはちいさな手でウォルトの指を握ったり離したりして、無邪気に笑った
*
ビーンズたちは携帯式重機関銃でむちゃくちゃに破壊された事務所から役に立ちそうなものをかき集め、早々にその場を後にした。
ディズには安心できる環境が必要だ。
「とはいえ、そんな場所を探すのも一苦労だな」
急ごしらえのマタニティバッグでディズの身体を固定したウォルトは眉根を寄せた。
病院の医師たちから逃げ出し、ローブ姿の襲撃者から逃げ出し、最後の最後に転がり込んだビーンズの事務所まで半壊してしまった。ほかの場所は信用が置けない。疑えばきりがない。病院も警察も、都市の執政長官であってもディズを狙っている可能性はある。
「どこに行くつもりだ、父さん」
「同業者を頼る」
「私立警官か? 悪いがおれには信用できるようにはとても……」
「まあ俺に任せてくれ。ちょいと下層に降りるぞ」
言うとおり、ビーンズはつかつかと靴を鳴らして駅へと向かい、下層行垂直列車に乗り込んだ。
*
「おいおい、珍しいじゃねえか。ビーンズ、アンタが直接オレのヤサに顔を出すなんてな」
根の国の一角に事務所を構える私立警官ヴァインは分厚いドアの覗き口からそう言って、強迫観念にかられているかのように幾重にも取り付けられた鍵を開け、ビーンズたちを事務所へと招き入れた。
*
「ローブを着て顔を隠した連中、ねぇ……」
ビーンズがあらかた話を終えると、ヴァインはあまり似合っていない口ひげを指で弄びつつ言った。もったいぶった言い回しだ。
「そういうこった。噂レベルでも構わん、何か知らないか?」
ビーンズは身を乗り出し気味にして、焦っている様子をわざと見せた。もちろん”女王の子”ディズについての話はしていない。ヴァインは賄賂と癒着に罪悪感を感じないタイプだ。その分顔も目も効く有能な男でもあるのだが、余計な情報を広めるわけに行かない。
「それなりの対価は要求させてもらうぜ」
「だろうな」
ビーンズはテーブルの上に軽金属の板を滑らせた。
ほう、とひと言漏らしてそのプリペイドチップを拾い上げると、ヴァインは専用のデバイスで中に収まっている金額を確認した。通常の依頼料の三倍を超える額に、にやりと口の端が緩んだ。
「オーケィだビーンズ。オレのモットーは貰った分は仕事で返す、だ」
「そんなもん当たり前じゃねえか」
「まあそういいなさんな。長年のよしみもある。ここはオレを信用してもらおう」
「そう願いたいね」
ヴァインもまた身を乗り出し、幾つかの情報デバイスをテーブルの上に載せ、起動させた。
*
『そのローブの男だか女だかは、どうやらこの蜂窩のあちこちに姿を表しているらしい。根の国の方では目撃例が多いが、もっと上層でも何件かそういう話を聞いている』
『人数? それはなんとも言えん。出没場所によって違っているし、顔も何も見えないんじゃあ数えるのも簡単じゃない。ただ少なくはない。10人か20人か、それ以上か』
『だがまあ、ここまではアンタも知っているんだろ?』
『で、ここからがとっておきの情報だ』
『そのローブな、どうやら生きているらしい』
『何? いや本当だよ。オレん所の小僧どもが目撃している。ああ、これだ。この映像を見ろ』
『な? このローブが、なんというか、蛾みたいに羽ばたいてるだろう。それでこのローブを着たというか、覆われたというか、そうなった野郎が新しいローブ姿の一員になってるんだ』
『理由? 勘弁してくれ、そこまではわからんよ』
『とにかくそういうことだ。こいつらが何なのか、とっ捕まえてカネになるのかわからん。だからまだオレのビジネスじゃない』
『気にするな。カネになりそうだと判断しないかぎりオレは手を出さん。ま、なにか分かったらコッチにもネタを回してくれや』
『あと……』
『ガラにもないことだと自分でも思うがな、気をつけろよ。どうも嫌な予感がするんだ』
『じゃあな。命があったら蜜酒でもおごってやるよ』
*
「どういうことだ?」
ヴァインの事務所から離れてほどなく、ウォルトは首を傾げた。
「話が妙な方向に転がっているような気がする」
「気がする、じゃねえ。実際妙な方向に転がってる」とビーンズ。
ふたりとも黙りこくった。ローブが生きている、などという情報は予想もしていなかった。事の真偽はさておき、とにかくローブの出どころを探らないかぎり黒幕――もしそんな者がいるとしてだが――には辿りつけない。
「正体がわからないんじゃ、どうやってディズを守ればいいのか……どうするつもりだ、父さん?」
「決まってるだろ」
「え?」
「ローブ着た連中を一発ぶん殴って、ローブをひっぺがせばいいんだ」




