02 再会
我らは不完全の空を泳ぐ片羽の鳥――
”バードウォッチャー”エマニュエルの詩より抜粋
ビーンズは自分でも呆れるくらい狼狽した。
「お前、どうしてここに……こんなところに……?」
「まあ、色々とな。座っていいか? クタクタなんだ」
そう言うとウォルトはビーンズが勧める前にソファに身体を預けた。言葉に偽りはないようで、深々と腰掛けると同時に溜息をつき、やや落ち窪んだ目をもみほぐした。
「……事務所の場所を知っているとは思わなかった」とビーンズ。
「それも色々とな」
「その……なんだ、どういう風の吹き回しだ」
「まあ、色々だ。説明するには長くなる。座ったらどうだ、父さん」
ビーンズは無意識にあごの下を撫ぜた。
喉元に冷たい汗が滲んでいた。
*
「……チャでも入れるか」
ぎこちない物言いのビーンズに、ウォルトは小さく苦笑いしてからそうしてくれと頼んだ。
主機関樹の若葉を摘み取って作るチャは黒根コーヒーよりも値が張る。裕福とはいい難いビーンズの事務所にも常備しているが、本来であれば依頼人――それも金になりそうな依頼人にしか出さない高級品だ。
「助手なんかはいないのか?」とウォルト。
「いない。俺ァどうもそういうのが苦手みたいでな、雇ってもすぐやめちまう……ほら、飲め」
「ああ」
しばらくチャをすする音だけが事務所の中を支配した。
ビーンズは気が気でなかった。
ウォルトはもう20エクセルターン以上昔に成体式を迎え、その後すぐに探索者となって自分の元を離れた養子だ。一人前になって出て行ってからは何の連絡もなく、ビーンズの中では死んでいたも同然の存在だったからだ。
「あー、なんというか……久しぶり、だな」
「そうだな。父さんもすっかり老けこんだ」
「バカ言え、俺はまだ現役の私立警官だ。お前こそ、この20エクセルターンのあいだ何をしていたんだ? 何の連絡もよこさねえから、どこかで野垂れ死にしたかと思ってたぜ」
また沈黙が広がった。
ビーンズはこういう会話に慣れていない。音信不通だった養子が突然現れるなど考えもしていなかった。
盗み見るようにウォルトの顔色をうかがったビーンズは、息子がついさっきまで修羅場をくぐってきたのを察知した。腹の中で不安の種が転がる。それがなにか分からないがウォルトは間違いなく何らかのトラブルに巻き込まれている。私立警官の勘はそれを察知していた。
「ウォルト、お前いったい何をやったんだ? まさか手が後ろに回ることじゃないだろうな」
息子を心配して発した言葉のつもりだった。だがそれはやや裏目に出た。
「変わらないな。あんたはいつも警官で、おれに対しても警官だ。昔と同じだ」
昔と同じ。
ビーンズの口の中に広がる苦味は、チャのせいだけではないだろう。
「……それで、何をしに戻ってきたんだ。いまさら顔見せってわけでもあるまい」
「……重要な用事で来た」
「重要、か」
「ああ」
ウォルトの眼差に熾火のような熱っぽいものがこもった。
ただならぬ雰囲気だ。ビーンズは複雑な思いを振り捨てて、ウォルトの――かつて自らの手で育てた子の話を聞く姿勢を改めた。
「おっと、タバコはやめてくれ」
ソウダストに火をつけたビーンズはいきなりそう言われ、むせた。
「なんだ? 齢だから禁煙しろってか」
「そうじゃない。この子に悪影響だからだ」
「……この子?」
テーブルを挟んで首を傾げるビーンズの前に、ウォルトずっと胸にくくっていたバッグをそっと置いた。
その中で、幼い、とても幼い子供が安らいだ顔で眠っていた。赤ん坊だ。
「こいつぁ驚いた……」
ビーンズの目が飛び出しそうなほど見開かれた。紛れも無くビィの子供だ。だがずいぶんと小さい。これほど幼齢のビィを見たのは、胎蔵槽の中を除けばこれが初めてだった。
「その……なんだ、どういうことだ? この子はいったい……?」
「おれの子だよ」
「お前の?」
「そうだ」
「そりゃあつまり……」
「そう。あんたの孫だよ、父さん」
*
ビィの生涯の話をするなら、胎蔵槽と生命の素にまで遡ることになる。
主機関樹から採取される液体・生命の素を、人工子宮・胎蔵槽に蓄え、プールされた遺伝子コードを打ち込むことで新生児の胚が生じる。胚は急速に成長し、ほとんどが自力で歩ける程度まで育ってから胎蔵槽から引き上げられ、世に生まれ出ることになる。
胎蔵槽の外に出たビィはほとんどがよちよち歩きをし、言葉を喋り始める段階まで成長しており、この段階では幼齢体と呼ばれている。
そこから専門の保育係に最低限の世話をされたのちに、養父母の元へ預けられ、養子として扱われることになる。
こうした手順はおおむねどこの蜂窩でも行われているもので、それはビーンズの暮らす蜂窩、マハ=マウライヤスでも同じだった。
ビーンズは当時のことを思い出す。
あの頃はまだ公立警官を務めていたビーンズは養父になることを申し出て、数度のマッチングののちにウォルトを養子に迎えた。
当時のビーンズは若かった。
新世代の子を預かり育てることが上級市民に上がれる条件だという、まことしやかな噂に乗って子供の親になろうとしていた。つまり打算があってのことだったのだ。
マウライヤスは広く、人口も多い。推定12億人といわれる住民の中で、都市上層部の清潔で文化的な生活をおくることのできる上級市民は2億人に届かない。公立警官を務めていた当時のビーンズは中流の生活こそ送れていたが、それには満足できなかった。上に。もっと上に。
養子となったウォルトに対してのビーンズの愛情は、若さと野心に裏打ちされたものではあったが少なくとも偽りではなかった――とビーンズは思っていた。なぜ上級市民となる許可に養子を育てることが条件になっているという噂が流れていたのも腑に落ちる。ビィは何をもっておとなだとみなされるか。それは成体となり、成体式を経ることだけではない。子の親となることは一人前であることを何よりも雄弁に証明するからだ。
だが、それに気がつくのは少し遅かった。
ウォルトに対し、本当に打算のない愛情を胸に抱けたときにはウォルトは十分に成長し、きちんと対話のできぬまま成体式を迎えた。
まともな親子の対話もできず、ウォルトは探索者になるとだけ言い残し親元を去っていった。
それきりだった。
ビーンズは公立警官の職を辞した。色々なものが燃え尽きてしまった。
それほど間をおかず、しがないひとりの私立警官に身をやつし、現在に至る。
その息子が、音信不通となり二度と顔を合わせることもないだろうと思っていたウォルトが、今こうして目の前に現れた。
何の皮肉か、生まれたばかりの子を連れて――。
*
ビーンズはしばし呼吸するのも忘れて赤ん坊とウォルトの顔を相互に見比べた。座っているのに立ちくらみに襲われるようだった。
「そんなに驚くことかい」とウォルト。
「そりゃあ……そりゃあそうだろうよ。20エクセルターンも連絡ひとつなかったんだ。そんな息子が現れて、おまけにこぶつきときたもんだ。はは、動悸が止まらねえや」
ビーンズはおどけてみせたが、心臓が激しく脈打っていたのは事実だった。どういう反応を示せばいいのかわからない。こんな日が来るとは思ってもみなかった。そもそもウォルトと顔を合わせること自体、もう二度とないことだと思い込んでいた。
「そうだな、お前も誰かの親になる歳か。俺は……ああ、なんて言ったらいいものか」
俺の中ではお前はまだ成体式を迎えたばかりの小僧っ子なんだ――ビーンズはそんな意味の言葉をしゃべりたかったのだが、うまく口には出せなかった。
「なあ父さん」
「何だ?」
「今ちょっと……厄介事に巻き込まれている」
「厄介事?」
「ああ。おれは何も昔話をしに来たんじゃない」
「……どういうことだ?」
ビーンズはソファから身を乗り出した。父親であり、なにより警官として生きてきたビーンズに話を持ちかけることの意味はわかる。厄介事とはつまり犯罪のことだろう。
「……ディズは、おれの子は……おれと女房の子だ」
「女房か。顔を見たいもんだな」
「無理だ」
「ん?」
「殺された」
「な」ビーンズはさらに身を乗り出し、テーブルの上に両手をついた。「なんだって?」
「殺された、と言ったんだ」
「……どういうことだそりゃあ。いったい誰に……いや、何に殺されたんだ」
「はっきりとはわからない。頭から爪先まで全部覆うローブを身に着けていて、何人かで徒党を組んでいた」
「見当はつくのか? なにか思い当たる動機は」
「おそらく……いや、間違いなくディズを狙ってのことだと思う」
「うん? この子が?」
「ああ。この子は、ディズは、俺と女房のラケルの子だ」
「お前たちが胎蔵槽から引き取った子なんだろう?」
「違う、そうじゃない」
「なら、何なんだ」
「なあ父さん。これは絶対口外しないで欲しいんだが」
ウォルトの思いつめたような切り出し方に、ビーンズは警官を長年務めるタフな表情でうなずいた。
「ディズはオレと女房の子供だ」
「そりゃもう聞いたよ」
「そうじゃない」
「うん?」
「ディズはおれと、ラケルの間に生まれた子供なんだ」
「……何?」
「胎蔵槽から生まれたんじゃない。いいか? ディズはな、ラケルが生んだおれたちの実の子供なんだ」




