07 迷宮神授説
ゃ
■ぷぇ
かかかか■
「マゴット、そっちは少し黙らせておけ」
男は天井からぶら下がりラヴィニアを触手でがんじがらめにした異形をそう呼んだ。
ラヴィニアは全身を拘束され、さらには口の中にまでぬるぬるの触手をねじ込まれた。しゃべることも、口から門術を放つこともできない。
「さて、何をしにここに来たんだ? こっちはそれなりに忙しいんだが」
正体不明の男は、ラヴィニアとリースを交互に見ながら言った。
「えーっと……そっちの女」
ラヴィニアは天井から異形に吊られて喋れないので、男は面倒そうにリースのことを指差した。
リースは胎蔵槽のなかで半ば溶けかけたウィルバーとデクスタの様子に耐え切れず何度も嘔吐していた。
「おい聞け。答えろ」
謎の男は苛立っていた。リースは口を拭って男を睨み返したが、凄むには外見が幼い。
「どうせ全員マゴットに変えるから抵抗するな。ただ私のいうことに答えるだけでいい」
男が吐き捨てると、天井からさらに二匹のマゴットが這いずり出てきた。その姿を見て、リースの身体はこわばり、ほんのわずか失禁した。
ビィの上半身と別のビィの上半身が腰椎のところで前後につなぎあわせた異形が、背中から生えた触覚をわななかせている。ヒト型の名残はあるがどれも明らかにヒト型ではない。ヴァーミンは大きな虫の姿をとるが、マゴットと呼ばれた物体は、生物として他の何にも似ていない、ありえない形状をしている。
前後にふたつある口で何かを食らうとして、どこから排泄を行うのだ? 前後の頭にそれぞれ脳があるとして、どちらの頭で考えたことが優先されるのだ? そのうえ背中から触手までもが生えている。
異形。
異形としか言いようが無い。
じるっ、と天井から粘液がこぼれ落ち、リースの鼻先をかすめ、足元に落ちた。塩素の匂いがした。
「何者だ、おまえら。どこから来た。バックス蜂窩の生き残りか」
一瞬何のことかわからなかったが、例のビィがひとりもいないゴーストハイヴのことだとリースは思い至った。
「……関係ない」
「ん?」
「わたしたちは仲間たちを連れて帰るためにここに来ただけ……それなのに」
「ああ、これの仲間だったのか」
男は無造作に胎蔵槽のガラス面を小突いた。中に浸け込まれているデクスタが身悶えし、鼻から血の混じった泡を吹き出す。
「連れて帰りたいのか、これを? 外に出せば肺がただれて死ぬぞ。もうそういう風になっているんだ」
そういう風に。
リースはもはやウィルバーたちをどうすることもできないと悟った。絶望が下腹から喉元までせり上がる。いったいこの正体不明の男をどう扱えば良いのか、リースはわからなくなってしまった。
いや、正解はわかっている。一も二もなくドローンで射殺して、バケモノのエサか何かにしてしまえばいい。考えるのはその後でいい。
だが体が動かない。怒りと緊張のあまり手足がしびれ、目がくらんだ。状況を処理できない。
無意識にラヴィニアに助けを求めようとしたが、彼女はマゴットたちの触手にいいように弄られ、宙吊りにされている。手足も口も縛られ、装備を引きむしられていた。
「わあああーッ!」
もうどうしていいのかわからず、リースは両方の手に握りしめた操縦桿に思い切り霊光を流しこんだ。
ドローンが飛び出した。銃口を男に向け、主人のことを守るよう空中で陣形を組む。
「先輩を離せ! でないと今すぐ撃つ! 本気だぞ!」
その途端、ぬるりと滑って開放されたラヴィニアが床に落ちた。
「先輩というのはそれか? まあこっちとしてはどちらでもいいんだが……」
「あっ!」
リースは短く悲鳴を上げたが、今度は彼女がマゴットたちの触手に襲われるのを避けることができなかった。
「んんーーー!!」
異様なほど大量の粘液にまみれた触手が強引に口腔にねじ込まれ、ラヴィニアと入れ替わるように今度はリースが宙吊りにされた。
生臭い触手が体中を舐めまわし、粘液のぬめりが服からしみて服の隙間から内側まで入ってくるのがわかり、リースは狂乱した。ラヴィニア同様に装備を剥ぎ取ろうとしている。門術使いのラヴィニアならまだしも、全身にデバイスを仕込んでいるリースはそれを失えば無力化されてしまうに等しい。
もがく。しかし触手が絡まるばかり。このままでは単にラヴィニアと入れ替わっただけだ。
――先輩、逃げて! わたしのことはいいから先輩だけでも逃げてください!
その声は喉の奥まで犯そうとする触手に妨げられ、発することさえできなかった。
「やれやれ、面倒なことだ」
男がちらりと4基のドローンを見ると、手すきのマゴットが触手を鞭にして振るい、あっけなくドローンを粉砕した。
「お前たちいったい何なんだ……ああいや、やっぱりそれはどうでもいい。面倒だ、こっちから話す」
リースの声にならない声。ラヴィニアの咳音。マゴットたちのうめき声。ぽこぽこと音を立てる胎蔵槽の中のウィルバー、デクスタ。
まともに喋ることのできるのは、水死体のような顔色の、浮腫んだ男だけだった。
「『誰だ』って聞きたいんだろう。答えてやる。ウェストだ」
ウェストと名乗るその男は苛立たしげに腹の肉をかいてから、ふたつの胎蔵槽と金剛環とをつないでいるコンソールをいじった。
「再生術師。再生術師ウェストだ」
*
ギャあギャあ騒がれるのはいやなんだ、とウェストは掃き捨て、大きなコンソールを二、三操作してから薄汚れた椅子に座った。
「さて、どうするか。お前らふたりはこの瓶詰めの仲間……仲間か? そういうことだな」
ウェストの問に答える代わり、触手から解放されたラヴィニアが咳き込みながら睨みつけた。
「そんな目で見られても困る。こっちは事情を知らないし、どうせもう手遅れだ」
「いったい……これは、なんなの?」
ラヴィニアはまだ荒い息をつきながら言った。『これ』というのが何を指しているのか、自分でもわかっていない。とにかく、何もかもだ。
「マゴットだ。そう名付けた。ここはそれを作り出すための研究所だよ」
「……このバケモノを、作り出す?」
「マゴットだ。ビィでもヴァーミンでもない、新しいいきもの。ウジムシと名づけている」
「……あなた、いったい何なの? 再生術師といったわね?」
「そう、リアニメーター。死んだ生き物を使って新しい生命を吹き込む。そのための胎蔵槽、そして金剛環だ。いいか、生命の摂理は改ざんできる。できないと信じられていることも覆せる。マゴットがそれを証明したんだ」
「何を……ゲホッ、何を言っているのかわからないわ。なんのつもり?」
「やりたいことをやっている」
「……何?」
「やりたいことをやっていると言った。『迷宮神授説』は知っているな?」
ウェストの問いかけに、ラヴィニアは口に残った粘液の残りを吐き出してから肯定のジェスチャーをした。
迷宮神授説とは、ビィが、迷宮生物が、ヴァーミンが暮らすこの迷宮、さらのその集合体である迷宮惑星自体がはるかな上位存在に与えられたものだという論説のことだ。ビィにとっての上位存在。この場合、具体的には『初めの女』を指している。自らの身を守るために迷宮を作ったとされる神話的存在だ。中には世界創世神とみなすビィの一派もいて、『初めの女』に作られた迷宮の理に逆らわず生きることで『初めの女』に近づけるという宗教思想にもつながっている。
「『初めに女がいた』。ビィなら誰しもが知っている一節だ。『女』が己の身を隠すためとして、この迷宮は生まれたのだという。じゃあその『女』はどこにいるんだ? この迷宮の、この惑星のいったいどこに? 答えは『誰も知らない』」
ウェストは膨れた鼻をヒクヒクと動かして、椅子に座り直した。
「ビィは生殖能力が低い。だから胎蔵槽がある。胎蔵槽があるから数を増やすことができる――大いに結構。だが胎蔵槽なくては種の維持が危ぶまれるほど妊娠率が低いというのはどういうことか?」
お前にわかるか、とウェストはラヴィニアをあごで指した。
「もし本当に『初めの女』が全てを創りだしたというのなら、ビィは初めから胎蔵槽抜きには成立しない生命体としてデザインされていることになる。ヴァーミンですらそうだ。奴らも金剛環なしには個体数を維持できない。これだ。この不完全さが気に入らない」
ラヴィニアは口にまとわりつく粘液を拭い、ウェストの言葉を待つような素振りを見せた。そうしつつも、体中の各部位を小さく動かし、選択できる手段を抜け目なく探った。
「胎蔵槽と金剛環、おまけに材料になるビィを必要とする不格好なものだが、生命の素を利用することでマゴットを生産できるまではこぎつけた。あとは最後のハードルだけだ」
「ハードル?」
マゴット同士の交尾だよ、とウェストは薄く笑った。
「ビィに克服できない軛、それを解き放ってやろうということだ。胎蔵槽も金剛環も必要なく知的生命としての種を確立させる」
ウェストの水死体のような顔がぐにゃりと歪んだ。
「見たくないか? この腐れ化け物どもがまぐわい、子孫を増やす姿を」




