04 闇の中の赤い目
■ 女が■た。
■ 身を■■ため迷宮を 、迷宮はさらに■■を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
い そこは迷宮惑星と呼ばれる った。
ラヴィニアをリーダーとする4人の探索者たちは不意の崩落事故で分断されてしまった。
ラヴィニアと、彼女を先輩と慕うリース。
そして崩落に巻き込まれたウィルバーとデクスタのふたり。
合流を目指すラヴィニアとリースは、その途中で無人となったゴーストハイヴを発見する。まるでほんの数ターン前まで普通に住民たちがいたかのような状況に首をかしげるも、ウィルバーらからの通信が入り蜂窩を後にした。
強行軍が続く中、再度の通信で緊急事態を伝えてくるウィルバー。何がおきているのか把握できないまま、ラヴィニアとリースはふたりの救難信号を追う。
合流ポイントにウィルバー、デクスタの姿はなく、代わりに残されていたのは奇怪な粘液――それもビィから分泌されたと目される大量の粘液だった。
そんな中、消滅していたはずの救難信号が復活し、ますます混乱が深まっていく……。
*
ひたり、と音がした。
とげとげしい積層立体物の暗がり、あるいは光の届かない天井。無数の積み木を乱雑に積み上げたような地形のため音の反響が複雑で、それがどこから届いたものかわからない。
しかし確かに音は聞こえた。
全身のうぶ毛が逆だって、リースは思わずラヴィニアの背中に飛びついた。
「先輩、いまの音……」
「落ち着いて。その正体を探るのがあなたの役割。でしょ?」
「あっ、そ……そうですね」
リースは引きつった顔のままラヴィニアの言葉に従った。センサーデバイスを起動させ、周囲の様子を探る。
「反応、出ました」
「どう?」
「小さいのがちょろちょろといっぱい……迷宮生物みたいです」
「注意して先に進みましょう」
リースはうなずき、センサーデバイスをしまいかけ、それを見た。
暗く生臭い通路の真ん中に真っ白な塊。
それは洞穴ウサギの一種に見えた。リースたちに背中を向け、ひくひくと鼻を動かしているのがわかる。
ウサギが振り向いた。
リースはひっ、と息を呑み凍りついた。
そのウサギには8つの目がついていた。
暗闇に適応した迷宮生物、ヤツメウサギだ。
不死ホタルの放つ光を受け、アルビノの赤い瞳が暗がりの中で光る。
それは壁のくぼみから、天井の陰から、あらゆる場所で光を反射させる。
通路を埋め尽くさんばかりの信じられないほど大量のウサギが赤い目を光らせ、リースたちを見た。目が、無数の赤い瞳が、その全てがリースとラヴィニアを見た。
目。目。目。赤い目。赤い目。8つの、無数の、大量の、数えきれないほどの――目。
*
「先輩……!」
リースは恐怖のあまり半泣きになり、ラヴィニアにしがみついた。
さしものラヴィニアもここまで大量の迷宮生物と相対した経験はない。無意識に一歩しりぞき、口元を抑え、うかつに声を出さないようにして『騒ぐな』のジェスチャーをリースに見せた。
「リース、ヤツメウサギは本来おとなしい迷宮生物よ。なぜこんなたくさんの群れなのかはわからないけれど」
「はい……」
「こちらから手を出す必要はないわ。不気味だけど、刺激しないようにして進みましょう」
トンネルの壁にびっしりと貼り付くウサギの視線は歴戦の探索者をも尻込みさせるに十分だった。ラヴィニアとリースは、迷宮の奥に迷い込んだ哀れな姉妹のように互いの身体に触れながら、通路の奥へと進んだ。
ヤツメウサギはふたりに道をゆずるように動きながら、じっとその視線を外さず、監視しているかのようだった。
*
次第に悪臭が強まっていった。
狂ったような数のウサギたちが放つ糞尿の臭いに加え、地面にへばりついていた謎の粘液の生臭い匂いが交じり合い、鼻腔の奥に染み付いてくる。
リースはタクティカルマスクを、ラヴィニアは門術による浄化の薄衣をまとってはいたが、見えない穢れがまとわりついてくる感覚は払拭できない。
それに、暑い。
無数のヤツメウサギの体温が空気に満ち、トンネルの奥から別の湿った風が流れてくる。そのふたつが絡みあうようにして、むっとする暑さと不快な湿度を作り出していた。
「いったいどこまで続くのかしら、この状況」
「センサーではもうすぐ広い空間に出るみたいです」
リースは汗で額に貼り付いた髪を払い、手元のデバイスをラヴィニアに見せた。
不快な空気に取り囲まれつつ、歩いているのか歩かされているのかわからなくなる程度進んだあたりで、前方にぼんやりした灯りが見えてきた。
「何かしら……蒸気?」とラヴィニア。
前に見えるトンネルの奥からしゅうしゅうと音が鳴って、もやがかかっている。妙な湿気はどうやらその蒸気が流れてきているものらしい。
「そろそろ気をつけたほうが良さそうね」
ラヴィニアは両手のグローブを締め直し、リースにも警戒を促した。
デバイス使いであるリースは直接的な剣や銃、門術ではなくやはり自分で制作したデバイスを使う。この場合、リースの背嚢に入れてある携帯型ドローンのことだ。操作スティックをひねるとザックから4基の風船のようなものが浮かび、親指ほどの銃口が顔を出す。
ウィルバーとデクスタを襲った何者かが潜んでいる可能性をはらみつつ、リースたちふたりは蒸気をくぐり抜けた。
*
入るべきではなかった。
だが他に選択肢はなかったのだから仕方のない事だろう。
これから嫌なことが始まる。
とても嫌なことだ。
*
しゅう。
しゅう。
蒸気がパイプから漏れる音。
腐敗したヌタウサギの臓物のような悪臭が強い。マスクをうがって、肺までを冒すかのようだ。
天井を見上げても闇しか無い。どこまで続いているかはわからない。
四面体、六面体、あるいはもっと面と角の多い積層立体物が折り重なる壁面、そして床には発狂したようにパイプが走り、ケーブルがうねり、とぐろを巻き、断絶し、繋ぎ直され、焼け焦げあるいは爆発跡になっている。つなぎ目から垂れ流されるのは例の粘液で、熱を持ち湯気を立て、おぞましい悪臭を放っていた。
非常警告灯を思わせる赤黄色の照明がいたるところに灯っている。照らしだされる空間には得体のしれない機械が、装置が、数えるのが無駄なほど立ち並び、何かのために稼働していた。
しゅう。
しゅう。
いたるところから蒸気が、毒気を含んだ、何かがおかしい蒸気が、小刻みに震えながら、あるいは盛大に燃え盛るようにして……。
*
「何なの……? これはいったい……」
門術による浄化の薄衣を二段階ほど強化したラヴィニアは、これまで生きてきた年月のなかで想像さえしたことのない奇妙な光景に息を呑んだ。理屈の上ではどうしようもない汚臭をカットしているはずだが、それでも薄気味悪いものが肌から染みこんでくるようだった。
「先輩、あの……」
センサーデバイスを起動させたリースがおそるおそる言った。
「あそこの中心、わかりますか?」
「ええ、何かしらあの機械……いえ、建物というべきかしら」
「あれ、主機関樹です……」
「えっ!?」
「よくわからない装置で覆われていますから……主機関樹の成れの果てって言ったほうが良いかもしれませんけど」
「……どういうことなの?」
ラヴィニアの問に、リースは赤黄色の照明に照らされた顔を左右に振った。
「はっきりしたことは何も……ただ、この空間は元々蜂窩だったみたいですね」
「蜂窩……」
言われてみれば空間の広さや建物の名残などは小規模の蜂窩のそれを偲ばせるものがある。ただし今は毒々しい機械装置の群れとおぞましい粘液が垂れ流しになった、ヘドロ溜まりのような状況ではあるが。
「わからないことが多すぎるわね。ここが何なのか興味は尽きないけれど、今はウィルバーとデクスタの救難信号を追いましょう。ここで長居はしたくない」
ラヴィニアの言葉にうなずき、リースは救難信号の場所を示すデバイスを操作した。
ふたりの信号は、どうやら廃墟じみた元蜂窩の中心部に近いようだった。つまり主機関樹の方向に当たる。
「やれやれね。結局この気持ち悪いのを通りすぎないといけないわけか」
「そうみたいです。急ぎましょう先輩、こんなところにいたらあのふたり病気になっちゃいますよ」
「そうね。行きましょう」
ラヴィニアはすこし逞しくなったリースの眼差しを嬉しく感じつつ、のたうち回る大蛇のようなパイプを乗り越え、先へと急いだ。
リースもそれに続く。
もうもうと蒸気が立ち上り、はるか見上げる高さに雲が生まれていた。
悪夢のような毒の雲が――。