03 分かれ目
初 女が■た。
女は己の身を■■ため迷宮を 、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
い そこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
一度全くの無表情になってから、ラヴィニアはこれ以上ないほど険しい顔をした。
「救難信号の発信装置は本人の霊光で作動している……だったわね?」
「はい……」
ビィの体内の霊線を流れる霊光が途絶える状況は多くない。閂術という封印を刻みこむか、さもなくば心臓が止まっているかのどちらかだ。
「あの、先輩」
「何?」
「直前のログと救難信号から、ウィルバーさんとデクスタさんの、その……最後にいた場所の割り出しはできました」
「そう……」
ラヴィニアはうなだれて、体中の空気をため息にして吐き出した。リーダーとしてパーティのメンバーを失うことの厳しさがありありと現れている。
「リース、ふたりの場所までナビゲートできる?」
「大丈夫……だと思います」
「わかった。リース、私はふたりのなきがらだけでも回収したいと思っている。あなたはどう思う?」
「わたしは……危険、だと思います。通信では何かに追われているとか、襲われているとか、そんな感じでしたし……でも」
「でも?」
「もし本当に襲われたとして、それがヴァーミンだったら……」
「そうね。もしヴァーミンだったら、あのふたりはエサになっているかもしれない」
「そんなの、わたし許せません」
「私も同意見」
「はい。行きましょう、先輩」
「いいわ。荷物をまとめなさい。残念だけど黒根コーヒーは後回しよ」
「はい!」
英気を養うための休憩は結局ほとんど取れなかったが、リースは自分の内側から強い意志の力が湧いてくるのを感じた。
*
「何なの? この跡は……?」
ベテランの探索者であるラヴィニアはウーバニー迷宮で起こる大抵のことに馴染んでいるが、彼女の目の前にある光景は初めて見るものだった。
ウィルバーとデクスタの救難信号が途切れたポイントにはトンネルの側面に別の枝道がつながっている丁字路になっている。ラヴィニア、リースはそこにふたりのなきがらか、少なくともそれに近い何かが残されているはずと考えていた。
だがそこにはウィルバー、デクスタの身体どころか遺留品のひとつも落ちていない。争った形跡も同様だ。
代わりに、トンネルの石床にべっとりと大量の粘液が張り付いていた。
「成分は動物性のタンパク質みたいです」とリースは分析デバイスを見つつ言った。
「迷宮生物ということかしら。それともヴァーミンが?」
「詳しい結果はもう少し時間がかかりますけど、ヴァーミンだったらもっと……何て言うか、特徴的な反応が出るはずなんです」
「こんなふうに大量に粘液を残すような生物は聞いたことがないわね」
「はい。わたしもデータ照合してみたんですが、どの生物もヒットしなくって」
「わかった。でも詳しいデータが上がってくるのを待っていられないわ。粘液はそっちの道につながっているようだから、進みながら考えましょう」
そう言って、ラヴィニアはトンネルの横っ腹に開いた道へと入っていった。
リースも慌てて後に続き、靴底にまとわりつく粘液の気持ち悪さに顔をしかめた。
*
その通路には光導板がひとつもなく、完全な闇に包まれていた。
リースはヒップベルトに装着してある不死ホタルを起動させ、前方を照らすようにセットした。
「妙な感じね。この通路だけ他の場所とは雰囲気というか、構造が違うみたい」
ラヴィニアは首を傾げ、不死ホタルを指先に止まらせた。霊光を吸って発光するそれは生物ではなく、主機関樹から採取できる小さな天然ロボットである。照明として利用され、放置してもエネルギーを与えるとすぐに動き出すことからその名がつけられている。
「先輩、やっぱりゴーグルの暗視機能つけちゃダメですかあ?」
情けない声でリースはラヴィニアの背中に話しかけた。足元に気をつけていないと地面に貼り付いた粘液で滑りそうになる。
「やめておきなさい。不死ホタルが破損するようなことになったときの保険として温存する。私も門術は使っていないわ」
尊敬するラヴィニアにそう言われては、リースに返す言葉はない。
どこから何が出てくるかわからない暗がりに、足元に続いている粘液の感触。それに少しずつ体に染み付いていくような生臭さ。暗闇への本能的な恐怖に抵抗しながら進むのはそれだけで神経をすり減らす。粘液の主がどこかに潜んで、突然襲ってきたら……?
――うう、気持ち悪い。
リースは喉元の簡易マスクを引き上げ、鼻まで覆った。湿り気のある生臭い空気を少しでも遮断したかった。子供の頃の記憶がふと蘇る。沼に住むヌタウサギのぬめりがちょうどこんな感じの臭いだった。
いま歩いているのはウーバニー迷宮名物の横穴で、池や沼ではない。なのにどうしてヌタウサギをバラバラにしてぶちまけたような悪臭がずっと漂っているのだろう?
エラ呼吸するヌタウサギに長い通路を渡るのは無理だ。別の迷宮生物が移動するときになすりつけたものと考えるしかないが――そんな生態をもっている生物はきいたことがない。
――じゃあやっぱりヴァーミン? やだなあ……。
可能性を潰していけば、ビィの天敵たるヴァーミンが何らかの理由で通路を行き交い、ウィルバーとデクスタをさらっていったということになる。
ウィルバーたちの生死は不明だが、どちらにせよヴァーミンとの交戦は避けられないだろう。
いつもならラヴィニアを初めとする三人が前衛を勤め、リース自身はデバイスで援護するだけで事足りた。いまはラヴィニアとふたりだけだ。自分の命は自分で守らないと、ラヴィニアに負担をかけることになる。
そうはいってもリースはまだ経験が浅く、一対一でヴァーミンに相対したことがない。気色の悪い虫人間と戦って、果たして生き残ることができるのか?
と、そのとき突然、懐に閉まっていたデバイスがアラームを鳴らした。
「うひゃあ!」
リースは心臓が止まるかと思うくらい驚いて、おまけに粘液で足を滑らせ、思いっきり硬い床に尻もちをついた。
「どうしたの!? 大丈夫、リース?」
「あ、あ、はい、大丈夫です……」
「何か情報をとらえたの?」
「ちょっと見てみます……」
そう言ってリースはおっかなびっくり通信デバイスと分析デバイスを取り出した。
「えっと、こっちは……え!?」
「どうしたの? 落ち着いて」
「あの、その……変なんです」
「変?」
「これ、ここの光」
「これが?」
「……ウィルバーさんとデクスタさんの救難信号が点いているんです。さっきまで完全に途絶えていたのに」
「それは……」
ラヴィニアとリースは互いに顔を見合わせた。心臓が止まらないかぎりは信号を送り続ける装置。それが再び動いているということになる。
「それと、分析デバイスでこの粘液の正体が判明したはずなんですけど……これも変なんです。こんなこと、こんなのって……」
「落ち着きなさい。深呼吸して。分かったことを教えて。ね?」
ラヴィニアは噛んで含めるように言って、リースの両肩をそっとつかんだ。
「はい……あの、粘液の正体なんですけど」
「ええ」
「ビィの体組織と同じ成分なんです」
「……ビィ?」
「この粘液、迷宮生物でもヴァーミンのものでもなくて、ビィの体液なんです」
「まさか、そんな……」
ラヴィニアは絶句した。リースも同じだった。こんな粘液を吐き出すビィなど聞いたことがない。可能性があるとすれば門術を使って物質を変換していることぐらいだが、そんなことをする理由がない。少なくともリースたちの頭には思い浮かばなかった。
「間違いはないのね?」
「わたし、そんな初歩的なミスするようなデバイスは作りません!」
リースは興奮を抑えられず大声を出し、またラヴィニアになだめられた。
「さあて、これは厄介ね」
混乱を振り切るようにラヴィニアは立ち上がり、リースに手を貸した。
「何が起こるか、正直お手上げよ。これはもう直に見に行くしかないわね。いい?」
いいも悪いもなかった。ラヴィニアの後に従う、それだけではないはっきりとした意志がリースの肚の内に湧いてきた。秘密を暴き、仲間を助ける。それが探索者としての役割だ。
リースは力強くラヴィニアの手を取り、ほんのわずかの間に頼もしさを増した顔で立ち上がった。
ここが最後の分岐点だと気づくことなく。