02 救難信号
初めに女が■た。
女は己の身を隠すため迷宮を 、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
「さーて、これはどうしたものか……」
ラヴィニアは腕組みして難しい顔をした。探索途中に事故はつきものだ。とはいえ、よもや住民の姿が見当たらないゴーストハイヴに出くわすなどとは思ってもみない展開だった。
『無人の蜂窩? なんだそりゃあ』
「そんなこと言われたってわたしにも分かりませんよ!」
離れ離れになっているウィルバーからの通信に、リースは念話増幅器へ怒鳴り返した。
「リース、そんなに興奮しないで。ウィルバー、デクスタの調子はどう?」
『……あんまりよくねえ。外傷はともかく、思ったより強く頭を打ってたらしい』とウィルバーからの返信。
「無理しないで。こちらから合流するわ」
『わかった。なるべく早く頼む』
「……というわけよ、リース」
「は、はい!」
「無人の蜂窩も放ってはおけないけれど、とにかく合流を急ぎましょう」
「わかりました!」
ラヴィニア、リースは水と食料を拝借して最低限の補給をすませると、謎の無人蜂窩を後にした。
探索者として謎を謎のまま残すのは後ろ髪を引かれる思いだが――やはり仲間の命にはかえられない。
*
「あれ?」
ホログラムモニタを覗きながら、リースは戸惑いの声を上げた。
「どうしたの」
「あ、それが……ウィルバーさんたち、移動しているみたいなんです」
リースはホログラムをラヴィニアに見せた。緑色のワイヤーフレームが描き出す周囲の地形に、ウィルバー、デクスタたちが救援を待っているであろう予測ポイントが映しだされている。リースの言うとおり、予測ポイントが奇妙にふらふらとぶれている様子が見て取れた。
「確かにこれは……変ね。遭難時にウロウロするなんて、余計に危険なことくらいあのふたりが知らないはずないのに」
ラヴィニアは眉間にしわを寄せ、リースに通信を入れるよう命じた。
今度はリースが眉根を寄せる番だった。
「変です、通信デバイスから連絡がつきません」
「どういうこと? 故障?」
「そんなはずないですよ! だってついさっきまで通信できていたはずなのに」
「でも、位置の予測はできるんでしょう?」
「はい、ふたりの救難信号だけは届いているのでそこからおおまかな位置は割り出せるんですけど……」
「まいったわね、私の門術でもノイズが多すぎて念話できないし」
ラヴィニアとリースは互いに顔を見合わせ、救難ポイントへと早足で向かった。
*
数時間後。
ラヴィニアとリースは無人のハイヴから続くトンネルを進んでいた。リースの解析ではウィルバーたちふたりに合流できるはずのルートだが、まだ何の手がかりもつかめない。
「救難信号のポイントにはこのまま歩き続ければ合流できるはずです。でも、ふたりとの通信は相変わらずです」
リースはそう言って通信デバイスをしまいこんだ。彼女は自作したデバイスに絶対の自信を持っている。それが役に立たないのはまるで自分が敗北したようで、機嫌の悪さを隠そうともしていない。
「通信不能なのに救難信号が届くのは?」とラヴィニア。
「救難信号の発信装置は本人の霊光で動いているんです。霊光が途切れるまでは生命反応でおおまかな位置を特定できるんですけど、これがもし途切れたときは」
「生命反応が無くなったとき、ということね」
「はい……」
なら少しは安心できるわ、とラヴィニアは髪をかきあげた。
「ふたりはまだ生きている。もう少し頑張りましょう」
リースは緊張した面持ちでうなずいた。
*
トンネルの内壁は大小の積層立体物が折り重なって、不可思議な模様を描いて長く長く、永久に思えるほど続いている。
ところどころに植わった光導板が不規則な明かりを点々と光らせ、立体物の角や面で反射し、あるいは遮って、複雑に陰陽が入り組んだ光景をつくりだしていた。
積層立体物の穴倉で暮らすウーバニー迷宮のビィにとっては見慣れたものだ。
だがどこを向いてもどこかに暗がりが生まれ、一度に全てが照らしだされることのないその構造は、慣れていたとしても本能的な恐怖や警戒心を煽る。あの曲がり角に、天井のすみに、右手の闇に、左手の影に、どこかに何が潜んでいるのか、誰にもはっきりとは言えない空間。
ストレスに耐えかねて、暗闇を見通せるように視覚をプラグド化するビィが多いのも無理のない環境と言えた。
偶然だがラヴィニアとリースは生身のままで、ウィルバーとデクスタは眼球を機械に変えている。ラヴィニアはプラグドに頼らずとも門術で暗視能力を使えるし、デバイス愛好家のリースは様々な補助機能を盛り込んだゴーグルを肌身離さない。
リースは機械を愛好していて、あえてプラグド化はせず肉の身体で機械に触れることに意味があると思っている。機械が機械を愛でるのは邪道か倒錯めいている。そんなふうに考えていた。
その代わり、リースは本当に山程のデバイスを持ち歩いている。懐に、ポケットに、背嚢に、下着にまで。そこまで仕込んで初めてのデバイス使いだと信じているからだ。
一方のラヴィニアは典型的な門術使いで、あらゆることは門術で対処すれば事足りると思っているタイプだ。
リースはラヴィニアのことを先輩と呼んで慕っているが、何でもかんでも門術で解決しようとする方針については少し気に食わない。ビィは門術だけではない。プラグドだけでもない。外付けのデバイスを使うことの優雅さを蔑ろにしてほしくない。
「リース」
「は、はい!」
「……どうしたの? そんなに驚いて」
「あ、いえ、大丈夫です」
リースは慌てて取り繕った。仲間を救出するために行動しているのに、自分の好き嫌いのことを考えている場合ではなかった。
「少し休憩しましょう。強行軍が続いて疲れたでしょう?」
ラヴィニアにそう言われ、リースは少し恥ずかしげにうなずいた。無人の蜂窩からずっと歩きづめで、状況が状況だけに自分からは切り出しにくかったが疲労はピークを迎えていた。
「何が起こるかわからないけれど、いざというときに力が出せない方が危険よ。覚えておきなさい」
リースは今度ははっきりとうなずいた。
頼りになる先輩の言葉はいつも身にしみる。
*
極薄の携帯フィルム毛布をかぶるとリースは泥のように眠りに落ちた。
ほんのいっとき、リースは探索者ではなく単なる少女になって、懐かしい自分の家と養母のことを夢にみた。
が、甘い夢はほんのいっときで破られた。
通信デバイスに、救難信号ではなく通常の念話通信が飛び込んできたからだ。
*
『ちく……う、聞こえるかラ……ニア、リース!』
ひどい雑音混じりの通信は、ウィルバーの声だと聞き分けることさえ困難なほどだった。
「ウィルバー、ウィルバー! 何があったの? デクスタは? ふたりとも無事なの?」
ラヴィニアが大声で呼びかけるが、返信は何か切羽詰っているということしかわからない。
『くそっ、声がまともにきこえん……いいか、今すぐそこから離れろ!』
「どういうこと? あなたたちは今どこに……?」
『ああっ、もうこんな……いいな、俺達のことは放って……生き延び……」
ウィルバーが最後まで言い切る前に、通信デバイスから聞こえるのはノイズだけになってしまった。
「リース」
「はい……」
「さっきの通信、ノイズを除去できる?」
「やってみます……けど、期待はしないでください」
「構わないわ、どうも何かに襲われていたような……いえ、予断は禁物ね。救難信号は?」
「それはまだキャッチできて……あ!」
「どうしたの?」
疲れとショックが入り混じってひどい顔色になっているリースは、ラヴィニアの目を正面から見つめて小さく震えた。
「救難信号、ふたりとも途絶えました……」




