01 ゴーストハイヴ
初めに女がいた。
女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
迷宮惑星を構成する12の大迷宮のひとつ、ウーバニー。
信じられないほど巨大な箱に、巨大な積み木を大量かつ無秩序にばらまいて八割がた埋もれてしまったような構造をしているこの迷宮に暮らす生き物たちは、生活の場を空洞の多い地下に求めるようになった。
ヒト型知的生命体・ビィも例外ではなく、彼らは地下に根を張った主機関樹を中心に蜂窩を築き、地下で生まれ、地下で死んでいった。
例外なく――そう、彼らの天敵たる存在、虫型人間・ヴァーミンもまた地下生活に適合しており……。
*
奇妙な光景だ。
そこは蜂窩だった。
ただし住民が誰ひとりいない。どこにもいない。その気配すらない。
全くのゴーストハイヴだった。
ずっと昔に滅びたというなら納得もできよう。しかしその蜂窩の主機関樹は生きているし、ごく最近まで住民が生活していたような痕跡がある。廃墟になっているわけではない。
ただ住民だけが消えているのだ。
『リース、そっちはどう?』
ビィが持つ超能力・門術による念話通信が、リースと呼ばれた女ビィの元に届いた。発信元の声も女だ。
「こっちにも誰もいません。やっぱりおかしいですよ、食べかけの食事がテーブルの上にそのままになっていました」
リースは首元のチョーカー型念話増幅器に話しかけた。
『そう……こちらも同じよ、ビィの姿は影も形もない。あのふたりがいる気配もないわね』
念話増幅器の向こう側で、小さなため息が漏れた。
『仕方ないわね、一度戻りなさい、リース。らちがあかないわ』
「わかりました、ラヴィニア先輩」
リースはそう言って増幅器のスイッチを切った。
*
ラヴィニアをリーダーとする4人パーティは典型的な探索者で、パスファインダーと呼ばれる仕事の最中だった。
ウーバニー迷宮は巨大な立体物が乱雑にはるか地下まで折り重なったような地形である。巨大な、と一口に言うがその大小は様々で、小さいものは一抱えできるくらい、最大のものだと端から端までビィの足で5ターン以上かかるものまでいろいろだ。
そのような土地柄なので地下を巡る通り道はどこもかしこも真っ直ぐでなく、高低差が激しく、曲がりくねっている。道の先がどこにつながっているか、その先に何があるのか。直に調べてみないとそれはわからない。もし危険な迷宮生物やヴァーミンの巣に行き当たってしまったとしたら、蜂窩の平和は脅かされることになる。
そこで探索者の出番だ。
ある蜂窩からの依頼を受け、ラヴィニアたちパーティは蜂窩周辺を――巨大石の角や斜面をよじ登り滑り降りる、文字通り道無き道を――探り、危険がないかを探索していた。
「しっかし、ヒデェ悪路だな。整地しないとまともに使えないぞ」
パーティのひとり、ウィルバーが繰り言のように文句を漏らした。
「どうせ行き止まりじゃないのか? こんな道を通ってわざわざヴァーミンが来るとは思えないが……イテッ!」
喋っている途中に、低い天井からつららのように垂れ下がる積層立体に頭をぶつけたウィルバーはその場にうずくまって、さらに文句を重ねた。
「僕も同意見だけどね、まあどこまで続くかはぎりぎりまで見ておこう」
もうひとりのメンバー、デクスタが温厚な声で言った。ウィルバーは戦闘担当、デクスタは斥候役にあたる。
「ラヴィニア、あんたの門術ではどうなんだ?」とウィルバーは取ってつけたように言った。
「ノイズが多すぎてダメね。ここら一帯の積層立体物には音を乱反射させる働きがあるみたい」
ラヴィニアがそう言うと、ウィルバーは苦々しく首をすくめた。
「あ、一応言っておきますけどわたしのデバイスでも無理ですよ」とリース。
「お前にゃ聞いてねえよ、お嬢ちゃん」
「もー、いい加減子供扱いやめてくださいよ」
リースは頬を膨らませて抗議するのだが、その様子はまだ成体前の幼さを残していた。
特殊な霊光でモバイルデバイスを操作するデバイス使いであるリースは、門術とはまた違う方法で周囲の情報を解析することができる。が、それもいまは冴えない結果しか返ってこない。
「このあたりの石には妙な性質があるのはわかったわ。行き止まりにつくまでもう少し頑張りましょう」
リーダーのラヴィニアはそう言い切り、先頭に立って奥へと進みだした。
狭く、あるいは広すぎるくらい広く、ほとんど垂直に近い上り坂があれば、底が見えないほど深いクレバスが口をあけている。そんな道が延々と続く中、不思議なくらい袋小路には出くわさない。一行は戻るに戻れず、次第に疲労の色を濃くしていった。
「もうどのくらい歩いてる?」とラヴィニア。
「えっと……1ターンちょっとです」
リースは手首のオムニメーターを操作してから言った。何度か休憩をとったはずなのに、体力を消耗して顔色が青黒くなっている。
「あの、先輩」
「なに?」
「ここまで進んできて迷宮生物にもヴァーミンとも行き合わないってことは、なんにもないただのトンネルなんじゃないですか?」
「そうね、その可能性は大きいと思う」
「だったら一旦戻りませんか? これ以上進んだら、水も食事もなくなっちゃいますよ」
そうねぇ、とラヴィニアはこめかみを揉みながらため息をついた。彼女もまた疲れが溜まっている。
「正確に言えば水の備蓄はあと2ターン分はある」とデクスタ。
「戻ることを考えれば、あと半日進むのが限度だ。この辺りで進むか戻るか決めておいたほうがいい」
「俺はぎりぎりまで進んでから決めてもいいと思うがな」
ウィルバーは壁に半分埋もれた正六面体の積層立体に背中を預け、あくびをひとつ漏らした。
「あと半日だけ進んで、そこから戻っても遅くは……」
と、そこでいきなり何かがへし折れるぞっとするような音がトンネル中に響き渡った。
その途端、ラヴィニアたちの足元にヒビが入って、積層立体物が崩れた。
本当に突然のことで、パーティの誰もが対処できなかった。
メンバーのウィルバーとデクスタがそれに巻き込まれてしまったのだ。
*
「ウィルバーさん、ウィルバーさん聞こえますか!? デクスタさん!」
リースは通信デバイスに切羽詰まった声を浴びせた。
『お嬢ちゃんか。こっちはなんとか無事……いや、無事ってほどでもないがな』
「ウィルバー、どうなっているのか状況を教えて」
リースの通信デバイスに首を突っ込むようにしてラヴィニアが話しかけた。
『積層立体の隙間に落ちちまった。ああ、ちょっと待て……デクスタも一緒だが、ちょっと頭を打ってるみたいだ』
「け、け、ケガですか?」とリース。
『大丈夫だよリース。ちょっと血が出ているくらいだ。このくらいなら医療キットでなんとかなる』
デクスタの通信が返って来た。いつも冷静なはずのデクスタだったが、声がやや興奮している。
「それで、どう? 抜けられそう?」とラヴィニア。
『ああ、どうもここは別のトンネルみたいだ。道幅はそっちより広い……まあ、なんとかなりそうだ』
ラヴィニアとリースは同時に安堵の溜息をついた。
「了解よ、ウィルバー、デクスター。位置が特定でき次第合流しましょう」
『ああ、頼む。なにか分かったらこちらから連絡する。すまんな』
あなたが謝ることではないでしょう、とラヴィニアは苦笑し、通信デバイスから離れた。
「せ、先輩。はやく探しましょう。このままじゃそ、そ、遭難しちゃいます!」
「落ち着きなさいリース。あのふたりも素人じゃないわ。サバイバルスキルに期待しましょう」
「はい……」
「じゃ、行きましょう。下層に降りられるような通路を探すのよ」
「はい!」
リースは頼もしいラヴィニアの声にぱっと表情を輝かせ、使えそうなデバイスに霊光を送り込んで活性化させた。
*
ラヴィニア、リースはそこから探索を始め、どうやら下層につながっているらしき急な坂――ほとんど縦穴に近い――を見つけた。
さっそくそこからふたりは下に降りたのだが、その途中、無人の蜂窩を見つけてしまったのである。
何かがほんの少しずれ始めていた。