04 毒虫
どんなに広くても、迷宮は手すりのない吊り橋とおなじだ。
足を踏み外さないよう注意しないとな。
俺はそういうやつを何人も見てきた。
――名も無き探索者の言葉
白黒のフロアから伸びる螺旋階段を登り始め、12時間。
頂上までは不死ホタルランプの光も届かず、門術を使わないと距離を測れない。上のフロアまでは直線距離で10キロを超えている。徒歩で上がればさらに数時間はかかるだろう。
エスカレーターや垂直列車の影もなく、幸いにして敵性体とは出くわさなかったがとにかく上までは遠い。
それでも登らないといけないのは、階段の頂上からつながるフロアに目的地の前線基地跡地があるからだ。
「……まだ動体反応がある。何かわからないけど、とにかくずっと何かが動いているみたい」
疲れが溜まって顔色が青白くなっているニューロが言った。声に力がない。
「その『何か』は特定できないのね?」
フラーの問に、ニューロはただ首を縦に振った。
「ふたりとも、戦闘になった時の準備だけはしておいて」
そう言うと、フラーはジョン=Cもニューロも放っておくような勢いで階段を上がり始めた。慌ててフラーの後を追う弟達は、勘弁して欲しいと顔を見合わせながらも、リーダーシップを発揮するフラーを頼もしく思った。
*
目的地に着いた。
そこは確かにかつてビィが暮らしていた痕跡があった。
100エクセルターン単位で放置されたいくつかの設備の中から電源ユニットは見つかった。
しかしフラーたちは別のものも見つけてしまった。
金剛環。
天球儀を思わせるフォルムをしていて、組み合わさったいくつかの環が回転し、目まぐるしいスピードで見えない糸を吐き出し、中心の何もない空間に小さな塊を紡ぎ上げている。太古の3Dプリンタの遠い子孫に当たる立体物を空間に生み出す装置だ。
あたかも無から有が生じるようにして、そこには生命体が生まれていた。
新しい生命を生み出す、という機能だけでいえば過程は違えど胎蔵槽と似ている。しかしそこで生み出されるのはビィではない。
そこに現れた生命体は、ヒト型生命体ではなく、蟲型のヒトだった。
ヴァーミン。
ビィを食料とみなし、いたぶり殺そうとする絶対に相容れない天敵。
ヴァーミンはフラーたちにとって初めて見る存在だったが、古老たちの教育が、そしてそれ以上に本能が悟らせた。彼らはビィとは交わることのない。悪夢のような敵性体であると。
*
状況はこうだ。
芋虫ヴァーミンと、茶色い殻に覆われた蛹ヴァーミン。
その二体が、高速の紡績機のように新たな生命を吐き出そうとしている金剛環の前に立ちふさがっている。子供か、あるいは姉弟が生まれるのを守ろうとしているかのようだ。ニューロはそう見えた。その姿は自分やフラーたちにも重なった。ニューロの誕生を心待ちにしていたフラーとジョン=C。このヴァーミンたちも同じ感情を抱いているのでは……?
「どきやがれ、このクソ虫が!」
ニューロの思索を振り切るようにジョン=Cが動いた。
腰の後ろに挿していたガスポンプガンを取り出し、ほとんど狙いを定めず引き金を引いて、親子爆裂弾を放った。ばらまかれた散弾が空中でさらに分裂して、その欠片のひとつひとつが爆発するというとっておきの武器だ。ニューロが一から設計して作り上げた最初の銃でもある。
狙いは違わず、茶色いサナギ状のヴァーミンは殻をズタズタにされて肉汁になってどこかにすっ飛んだ。
「バカ! 電源ユニットまで壊したらどうするのよ!」
「言ってられるか!」
フラーとジョン=C、ふたりの言い分はどちらももっともだ。襲われて命を失えば電源ユニットを持ち帰るどころではなくなる。かと言って戦闘でその電源ユニットそのものを破壊してしまったら元も子もない。
――電源ユニット?
ニューロははっと気づいた。金剛環は、ビィの胎蔵槽と同じヴァーミンに取っての人工子宮だ。そんなものは自分の巣で大事に保管しておくもので、かつてビィが暮らしていた共同体の名残――ヴァーミンに取っては敵地だった場所わざわざに持ち込まれるようなものではない。
ならばなぜ?
何かの必要があってここに持ち込まれているとすれば……。
「電源ユニット!」
目を見開き、ニューロが叫んで二人の動きを制した。
「その輪っかには電源ユニットがつながってる! ヴァーミンはともかく、絶対壊さないで!」
ニューロは推理した。細かい事情はわからないが、ヴァーミンたちの金剛環も電源を失って動かなくなったのではないか。レティキュラムの事情と同じかもしれない。劣化して、破損して、新しい電源ユニットを求めていた。ただしニューロたちとは異なり、ユニットを持ち帰るのではなく、直接本体の金剛環をこの場に持ち込んだとしたら。
背筋に嫌なものが走った。電源を求めて、金剛環を運んで、それでどうなるか。目的はひとつしかない。増殖だ。かつてのビィの前線基地だった場所で、ヴァーミンは増殖を始めようとしている。
ヴァーミンたちはこの跡地で子供を増やし、レティキュラムへ攻撃への橋頭堡にするつもりだ。ヴァーミンが根本的にビィと相容れないのであればそうするに違いない。自分が相手の立場でもそういう戦略を取る。ニューロはそう考えた。
とうてい見過ごせる状況ではない。
「じゃあどうせうりゃいいってんだよ!」とジョン=Cが叫び返した。
「先にヴァーミンを排除して! あとは」
「電源を引き抜いてからこの輪っかを壊せばいいんでしょ、ニューロ!」
フラーはそう言って、残りの芋虫ヴァーミンの歪んだ人面に向かって門術を放った。灼熱扇ぎと呼ばれるそのスキルは、目がくらむほどの熱の塊をぶつけ、相手をひるませるためのものだ。破壊ではなく牽制。その機に乗じて、ジョン=Cがスクリーミングマチェットの鞘を払い、瞬時に赤熱したゴツい刃をぶよぶよした体に叩き込んだ。体液が飛び散り、金切り声を上げるマチェットにふれてじゅうじゅうと沸騰する。
芋虫にサナギ。それから今まさに生まれようとしている金剛環の中の卵。成体の姿はない。
この程度の相手であれば、フラーたちの敵ではない。
ヴァーミンを排除し、金剛環をニューロが操作して動作を止めた。その上で電源ユニットを引き抜くと、わずかな静電気を放って金剛環は完全に沈黙した。環の中で育ってきていた胎児、あるいは卵はあえなく新生児になりそこね、ねっとりとこぼれて腐って死んだ。
残忍な行いだ。わずかにニューロの胸が傷んだ。
でもそんなことは感じるべきではない。ヴァーミンはビィの天敵なのだ。迷宮生物を従えてビィの集落を襲う。300エクセルターン前に実際にそれは起こった。蜂窩は蹂躙され、巡り巡ってニューロたち三人をここまで向かわせる原因になったのだから。
「もう手持ちの水も食料も限界だ、電源が見つかったんなら早く戻ろう」
ジョン=Cは荒い息をつきながら言った。すでに往路用の装備は尽きていて、復路用の消耗品を前借りしている状態だ。電源を持ち帰ったところでレティキュラムの衰退が止められるかどうか怪しいものだが、少なくとも生き延びるためには一度生まれ故郷までもどらないといけない。
「でも、なんでヴァーミンがこんなところで繁殖しようとしていたのかしら」とフラー。
「あいつらも私たちと同じように、電源がなくてここまで探しに来たとして、何もこのでかい機械ごと持ってくる必要ないじゃない。電源だけ引っこ抜けば」
「どっちでもかまわねえよ、金剛環はぶっ壊して、とっとと戻ろう。考えるのはそれからでもいいだろ」
ジョン=Cはそう言って、さっさと帰還の準備を整え始めた。フラーもそれに従う。
だがニューロだけはまだ何かを引きずって、考え込んでいた。
「おい、ニューロ」
「え?」
「そこから離れろ。金剛環をぶっ壊す」
「そう、だね。そうしておかないと、また別のヴァーミンが来るかも」
「縁起悪ィこと言うなよ」とジョン=Cはにっと笑った。
次の瞬間、ジョン=Cは死んだ。
いつの間にか現れていた成体ヴァーミンの門術で、頭を完全に吹き飛ばされていた。
ジョン=Cは死んだ。